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「世の中の奴らあみんな馬鹿だ!…ああ、馬鹿なのは俺だ…」
昔の飲んだくれの常套句、私のイメージです。丹下段平みたいな。

現代では人前で醜態を晒す人はいなくなり、人を責めるようになりました。
どこでもそうですが、この哲学カテでも、バカだアホだという言葉が飛び交っています。

この動画の「馬鹿なのは俺だ」というのは、かなり前向きなニュアンスがありますが、
世の中の人を馬鹿だと思っていることには変わりはないと思います。

さて、世の中の人の馬鹿さ、人間の馬鹿さとは、何だと思いますか?また、自分のことは
馬鹿だと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 先の質問で最後に申し上げたことについて、正直に申し上げます。
    私はキサラギさんとのやり取りは面白くて、楽しみでもあります。認めている方の一人です。
    何も進展がなかったというのは、その問題の難解さに比べ私の力が足りなかったということ以外には
    何もありません。私の問題です。

    うんざりしたのは、いたずらに否定的な意見を脈絡なく差し挟んでくる人のその心根を思った時に心底
    うんざりしたということです。

    不適切な表現であったということで、釈明をさせていただき、お詫びいたします。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/03/21 13:12
  • 人間は誰でも多かれ少なかれ、自分の考えに反するものに出会ったときに、
    不安になるものです。ひたすら否定し攻撃する場合もあります。

    それを、コントロールできない「精神状態」こそ究極の馬鹿といえないでしょうか?

      補足日時:2018/03/24 10:39

A 回答 (18件中1~10件)

こんにちは。



多分、若い人たちの傾向なのでしょうが、ネット上のやり取りで、お相手に向かって、クズ呼ばわりをしているのに、暗澹とした思いを抱きました。たぶん、テレビの影響ではないかと思いますが、”馬鹿呼ばわり”よりも、ひどいことだと思います。馬鹿には存在価値がありますが、クズと呼ばれたら、いったいどうしたらよいのか。。。社会的貢献度がゼロ、という意味ですよね。クズというのは。

馬鹿、というのには、馬をさして鹿という、何か、ごり押し風、しかし、果たして、本当にわかっているのか、単に、とぼけているのかわからないところがあります。愛している人に、”馬鹿だなぁ”と言われてるのは、そんなに悪いことではありません。”アホ”も、可愛らしいと思います。

私は、人間というのは、すべからく、愚かなものだと、常々考えています。私たちは、社会に存在する限り、休みなく戦い続けなくてはならない存在です。ふっと、気が緩んだ瞬間に、”魔がさす”と言うことがあります。悪魔の誘惑に、あるいは、落とし穴に、落ちるようなことが起こります。そして、長い間の努力を水の泡にするような、あるいは、大変な遠回りをしなくてはいけないような、結果に直面します。(その遠回りは、人格に陰影をつけて、決して、悪いことではないのですが。)馬鹿ですねぇ。

私のバレエのクラスに、七十歳を過ぎたおばあさんが来ておられます。彼女は、四十代の時に、子供を二人抱えて、シングルマザーとして働きながら弁護士の資格をとった豪傑です。子供たちは二人とも水商売っぽい映画作りの仕事をしていて、彼女は現役です。私が、”賢い人”と認める、唯一の人です。なぜか、と申しますと、どんな人が彼女に話しかけても、彼女は、体をその人のほうに向けて、時間をかけて話を聞き、時間をかけて、返事をしてあげているからです。彼女は金髪碧眼。アジア人でも、黒人でも、若くても、年寄りでも、同じように誠実に対応します。クラスの中のことですから、家に帰ると違うかもしれませんが、”偏見や独断を持たない”態度を尊敬しています。”馬鹿”の反対だと思います。

私といえば、せっかちなせいで、人の真意がわかるまで、時間をとって、腰を据えて話を聞かないことが、たまにあるのです。それで、失敗することが多いのです。人間らしい馬鹿である、と言えば、その通りです。
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この回答へのお礼

そうですね、「クズ」だの「死ね」だの「消えろ」だの相手の存在を否定する
言葉が飛び交っているようです。
色々な原因が考えられますが、私は、教育の初歩段階である「躾」の問題では
ないかと思っています。

>私は、人間というのは、すべからく、愚かなものだと~

仰る通りですね。
私なども、そうした意味で遠回りしたり、同じ道を何度も通ったりしました。
しかし、自分で言いますが、まだかわいいものだと思います。かわいくない馬鹿
がいます(私の中にも)。これが問題ですね。

バレエクラスのおばあさんが、馬鹿の反対であるというお話、素晴らしいご回答
であると思いました。
この短いお話の中に、良き人間哲学がいくつも含まれていると思います。

こういう人格になりたいと思いました。

お礼日時:2018/03/22 22:27

>ただ、喧嘩別れみたいになっていたので、心を開ききれない部分がありました。



ありがとうございます。いや、まあ、お互いに違うところがわかったということではないでしょうか。

>ずっとブロックしていればいいのにたまに解除しちゃあ嫌な思いを繰り返している

様々な経緯がありますから、お気持ちはわかりますけれどもね。しかし哲学カテは嫌な思いをして、嫌な思いを払拭するために格闘している時間の方が長いのかもしれないな、と思っています。私は、彼のような隣人がいた場合、大人しくしているのも(自分の心の平安のために)必要なことかもしれないなと思ってきましたよ。
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この回答へのお礼

哲学ということではなく、物事の本質を考えるということを好きな人は
少なくないと思います。

事実このカテは回答数も多いし、新しい参加者も多いように思います。

ですから、自分も楽しみながら、特定の偏った目的に使われないように
無駄な時間を費やされないような場にしてゆくための努力もボチボチし
てゆきたいと思うのです。

それもまた楽しみになるでしょう。
私なりの企画がありますので、まあご覧になっていてください。

お礼日時:2018/03/25 17:51

>正直言いますと、骰子さんはよくわからない部分があるんですよね。

最初から。

違和感が断絶となるか、丁度いい仕切りのようなものとなるか。それは双方の考え方ひとつでしょう。
しかしまたもイライラなさることが続いているようですね。
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この回答へのお礼

これは、悪く言っているのではないです。
私にとって個性が強いということは、大抵魅力になりますから。

ただ、喧嘩別れみたいになっていたので、心を開ききれない部分がありました。

その後、何度も来てくれているので、過去は水に流して、また仲良くなることは
できることでしょう。

イライラの原因は言うまでもないのですが、ずっとブロックしていればいいのに
たまに解除しちゃあ嫌な思いを繰り返しているというのは、まあ、馬鹿といわれ
ても仕方ないか。

でも、今後は自分の信念に従って対処しようと決めました。

お礼日時:2018/03/25 01:10

下のBragil oneさん、痴性って、貴方ねぇ。


貴方が再起立てたスレッドタイトルにもあるような話ではないですか?
4人の偉人や、ぶったキリストなどの聖 人(セイント) を名指しに、
彼らの言動を否定する扇動のような行為をしてませんでした高値。
そこまでではないか。失礼。
でも信じる人たちにとって、彼らの言はリスペクトされてしかるべくもの。
公序良俗を守りましょう。
いくら、自由論議に公平性を保つ、当選う哲学カテゴリーの板だからって、なんども繰り返されれば、気分を害するものたちだってできますよ。

ツッコミ待ちですか?

さて、さて、
バカだ馬鹿だと散々人を罵る人たちはいますが、我々哲学者は、流石にそれではいけません。よ、ね。

何よリ基礎に、無知の知くらいは大抵持っているものです。一度は通るみち。王道とも呼べますから。デカルトも。ニーチェも、基礎に生きているはずでしょう。感謝畏敬は忘れずに、しかし過去の理論なのだから、間違いや、より正しい答え、言い回しなどは、常に論議されてしかるべき。

最低限のマナーとして、
侮辱より、より良い方向性を示す教え的な、考え方を披露しましょう。
でなければ他の井戸端会議。

誰にも伝わらない哲学なら、むしろここで語る必要性すらない。単に淋しさを紛らわせたいかまってちゃんは、ゃゃ哲学者としては、半人前ですかね。

それでは、わたしの疲労、でなくて、披露!!

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/10373666.html
こちらの傲慢の法則読んで見てくださいね。
なぜ人は人を馬鹿にするのか、バカと呼ぶことで成長を促そうとするから、それ伊賀の場合は単なる愚痴 でしょうね。

慢心を諭そう!!

ショータイム!!デシ!!タ

と言うわけで
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この回答へのお礼

私は3年ほど彼とのやり取りがありますが、それなりに理解していると思います。

悪く言うつもりは全くありませんが、率直に言いますと、次のようになります。

歴史に名を遺す賢聖、偉人を馬鹿だアホだペテン師だと言い放って回答者を挑発す
るのです。
それで、少々憤慨をしている回答者を言い負かして、自分はすごい、哲学の巨人だ
と思いたいのです。

彼の文章の中に「世界一」とか「怪物」とかいう単語が見られます。

哲学の話をずっとしていたいのなら、回答者と友好的にやり取りをしていればそれな
りに楽しいだろうに、対等にはなれないようです。
あくまで自分は「巨人」でなければいられないようなのです。この哲学カテという籠
の中で。

井の中の蛙がゴジラになっているようです、アホですねえ。

お礼日時:2018/03/25 01:01

ですから周りのコントロールに左右されているのです。


ご自分の意識もたれたら、ちゃんと、表現ができたら、周りに左右されず、素直になれます。

備考として、
天才がいるのば、バカがいるから。
晴れる喜びは、雨が降るから、
笑って嬉しいのは、泣けるからです。
これのコントロールですね!!
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この回答へのお礼

周りのコントロールはよくわかっています。

問題意識があって、それを捨てたくないのでイライラしています。

その解決の目処がついたときに、素直になれると思っています。

助言をいただき、有り難く思います。

お礼日時:2018/03/24 12:19

自分の悪点を認められる方は、愚痴を言われても、対応ができます。


あなたは、自分の悪点をどうしても認めることができないのでしょう!!
馬鹿ではなく、素直ではないのでしょう!!
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この回答へのお礼

自分の欠点は認めていますよ。

ただ、今は確かに素直な心がお出かけしているようです。

お礼日時:2018/03/24 11:59

>私はかなり自由な境遇の中で生きていますが、骰子さんはどっぷり現代社会の中にいるようです。



なるほど。こう考えると、私の振る舞いは、一つの疑問になるでしょうね。
理由の一つは、研究していることにあるようです。研究者は様々に取捨選択をします。時間が惜しいので友達とも話さない、お金は無駄遣いしない、などなど。そりゃあ、修行僧のようにシビアなものです。

身の丈にあったように、様々なことを切り詰めていますから、正常な感覚が残っているのかもしれません。
また切り詰めていると、いざという時に、他人を助ける余力も残っているかも?しれません。

しかし自分の身を振り返ってみても、この身の丈がわかっていることが、なかなかに難しいことであるわけです。
誘惑も多いし、「身の丈」は人それぞれ違うでしょう。自分にちょうどいいものを見つけることは容易ではないわけです。
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この回答へのお礼

正直言いますと、骰子さんはよくわからない部分があるんですよね。最初から。

う~ん、表現方法に独特のものがあるのかなあ。いや、ちっとも悪くないんですよ。

ともあれ、研究者としてはおそらく伸び盛りの年齢だと思いますので、知性を磨きぬ
いて下さい。

お礼日時:2018/03/24 02:11

>さて、世の中の人の馬鹿さ、人間の馬鹿さとは、何だと思いますか?



まず端的に、他者の苦しみに対して、寄り添えないことだと思っています。

しかし人間は皆が皆、自分が生きていくことで必死なものです。したがって馬鹿面を下げて、自分が自分が、と生きていくのは、仕方がないことであるというよりむしろ、必要なことなのかもしれないとも思います。
こう思って他人のバカな振る舞いを黙認しております。

>また、自分のことは馬鹿だと思いますか?

上の意味での馬鹿には徹して切れていません。
しかし馬鹿に徹しなければ、乗り越えられない試練がいくつも来ていると感じることは多々あります。

バカであること、残酷であることが美徳であるような世の中は、地獄よりタチが悪いのではないだろうか。
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この回答へのお礼

ふ~む、骰子さんは「さとり世代」ではないけれど、私から見たら限りなくそれに
近い人生観をお持ちのように思えます。

私はかなり自由な境遇の中で生きていますが、骰子さんはどっぷり現代社会の中
にいるようです。

それでいて、馬鹿に徹しきれていない、ということは、私と同じくらい優しい心と
正義感をお持ちなのですかね?(よく言うでしょ?)

いずれにしましても、地獄よりたちの悪い世の中であることは事実なのですから、
まず自分が賢人にならなきゃと、改めて思うわけです。

お礼日時:2018/03/23 01:12

補足、了解いたしました。

わざわざありがとうございます。私もデヴィッドさんのことは常々認めております。この人は私よりも賢いなとか、思っています。
最近、どの人の言動も捉えようによって糧となるんだなぁという経験をしています。あからさまなものではどうしょうもないですが、ようは自分の耳次第であったか、という風に思っています。私は短気な方と自認しています。ですので、言葉には気をつけている方だと思います。嫌な言葉をさくさくっと受け流せないたちで、飛び込み営業などしていた時は、噛みつかれたり逆なでされた場合、相手を選ばず怒声を上げたこともあります。営業には向いてません(笑)

さて、本題の続きですが、以前にも教育の話で申しましたが、出会いのあるなしで大きく変わりますね。デヴィッドさんの場合にはそういうお父さんとの出会いがあった。よい親、よい教師、よい友達、よい上司、同輩、よい伴侶、etc...。そんな人たちに出会って人は真っ直ぐになるのだと思います。しかし出会い任せが本質であったとしても、それでは出会わなかった人はどうなるのか、という問題になると思います。やはり芯の通った教育は必要であり、それは文化として今生きている人たちで築かなければならないのだと思います。
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この回答へのお礼

真面目な人、真剣な人の言葉というものは聞くものですね。
特に、自分から遠い人、例えば、外国の人・異性・対極にあるような職業の人とか。

「あからさまなもの」というのは、自己のみの利益のために真実を平気で曲げるよう
なこと、と理解しました。
いわゆる「目的のために手段を選ばない」人でも、ひときわえげつないことが、増え
てきているように感じています。

こういうたぐいのものは、すぐにわかるくらいの経験は積んできているつもりです。

つまり、このことが人間の馬鹿さの最たるものの一つであると思います。

しかし、セールスマンに怒鳴られたお客はさぞかし驚いたことでしょう(大笑い)。

お礼日時:2018/03/23 00:53

口をひらけば ほとばしる痴性。



尽きないし ぶれない。

どこに出しても恥づかしくないゆるぎない痴呆。


こういう自己表現行為は 公序良俗に違反します。

みんなに迷惑です。

不法行為をただちに止めなければならないのは あほ・ばか・たわけ
のほうです。
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