この人頭いいなと思ったエピソード

みなさん厨二病とか言ってますが 中学二年生で感じた矛盾や不条理の答えは出ましたか?

私はなんとか出ました。大学も中退して仕事をして病気をして やっと出ました。

みなさんの中にの時の疑問はどんなのでしたか?その答えは 出ましたか?

A 回答 (5件)

フ〜ッ〜 フ〜ッ



ようやく書き終わりました。
慢心についての考察論理集は、こちらになります。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/10373666.html
あ~、越すとたかかった。やはり労力を惜しまぬ長文と言うのは、分かりやすく短縮してまとめるのも含め、大変なものですよ、ねェ~、~ ,

慢心するとはどんな状態にも現れると言う説明です。

避ければ、味わってみてください。

謙虚さをもっていきるとは、とても苦い人生のようですよ。

貴方に足りないのは、
慢心としては、
存在性の事細かな説明。
祖の辺りではないかとも、思えています。
最近ですが、

なぜ流行らないのかは、私にもよくわからないところもあります。

現実的な、解法は、合理てきに



少し飛ばしますが、

「(リンゴ)と(それ以外)」と言う言葉で説明。

例えば、リンゴをさして、それ以外と呼べば

その部分は、リンゴ以外のすべての宇宙や、ありとあらゆるもの、リンゴでさえなければ、神や人間、動物、植物なども含めた、全体をさせるでしょう。か"

しかし、それはわかりきっている事、存在を大切とせよと言う存在性論は、
どうしてたい切にしなければならないかにおいて、

命と同じ、そんなの大事なんてよく聞くし大前提、とか。

愛と同じ、ならば愛とは何かの答えはわかるのとか?

もっとも、言えば、人が苦しむ理由や、悲しみ喜び愛し合うそんな、当たり前に、人が見てみたいとしている、今ほしいものの部分についてもの説明が甘くなっているからではないかと、私は思いました。少しね

つまり

原因として、

事細かな部分の、細部にこだわり、人が求めている部分と合わせて、道理をもって説明。

例えば命と存在は言葉として概念は異なるが、存在性質として表す場合、どの程度に、どちらに比重をおくべきで、どの程度違いがあるのか?

愛は存在するが何が存在と異なる別れかたをするのか?

存在の性質は秩序ある、法則ある状態で、この世界に新しい光、ミカタ それを生み出しています。

貴方はまだ、人が何によりて救われるのか?それを依子と細かには見ていません、私には、そう見えている
これもただそれだけ飲み方です。

愛は、相手(の全て) を飲み干したいとも、本気で思ってしまう。業深き、性質を兼ね備えるもの。

どうか、理解が相手にできないことを愛てのせいとせずに、ご自身の説明の、力不足もと、考えてみてください。

まだ、未知に期待しています。
ここで私の持つ存在+秩序論を明かすことはできますが、それでは、互いに、己の道を見失う可能性があり、やめておきます。

ひとにおしえみ"をいくなら、
時に感動する下りなども用意できると、合理的、宣伝と言う面を兼ね備えれるて祖ょ卯,か。
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この回答へのお礼

Thank you

まあ 私が存在性とか永遠を目指すといっても 日本にはその様な考えの風土がありません

土から生まれ土に帰ると言うのが日本人の考えです。

科学でもエントロピーの増大則という 全て形あるものは移ろい消えていくと言う様な考えが

日本人のバックグラウンドにあります。永遠とか言ったらキリスト教かと言われてしまいます。

日本に哲学が根付かないのは 仏教哲学が勢力を貼ってるせいではないでしょうか

般若心経や法華経を信じる人も多い様です。

何も移ろい崩れることを信じなくてもいいのにねえ なぜならそんな事は何もしなくてもそうなるからです

その中に永遠の未来を目指してゆくもの、太陽から独立してでも宇宙を変えていけるコントロールを

目指せばいいのですが。何をしても滅びてしまうのなら なんでそんなに必死になって生きてるのでしょうか?

お礼日時:2018/03/27 19:43

そういうのは中二病と言うのかな?


中二病というのは、空想の世界に耽って自分が特別な存在であるかのように思ったり、ファンタジー(幻想)や神話に傾倒したりすることを言うのだと思います。
そういう意味で、私の方は中二病ですが(ファンタジーは今でも好きです)。

私の中学生の頃の疑問は、死ねばどうなるか?
というもので、当時の答えは無になるというものでした。それで作文を書いて表彰され、皆の前で発表する流れとなったのですが、当時、コンドームという言葉が教室で流行っており、何故か私の死と無についての作文は、コンドームの「む」と繋げられ、茶化されて終わりました。教員たちは大いに考えてくれていましたが、同級生の関心はもっぱら性に向けられていて、私と同じ疑問を持ち、それに対峙する人は少数だったのです。

次に、十代後半のころ、死んで残るものがあるのかもしれないと思うようになりました。それは言葉であると思うようになったのです。ここで言う言葉とは、我々が話している人語のことではありません。全てのものは古代的に言うと「神の言葉」によってできていると考えるようになったのです。haru27さんが性質云々と考えたように、私は言葉云々と考えたのですね。この世のありとあらゆるものは言葉でできているのだと。それで死ぬことが怖くなくなったというのはありました。

そして二十代中頃でしょうか。仏の言葉を、只者の言葉ではないなと思うようになったことで、仏が輪廻転生を否定しなかったことから、輪廻と言うのはあるのかもしれないと思うようになりました。業や異熟の話を知って、世には私の知らないことはあるだろうと思うようになったのです。←いまここ。

答えは二度は出たが、今は保留というのが私の場合です。
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この回答へのお礼

Thank you

私も昔は死ねば何もかもなくなってしまうから、死ねば終わり、どんな死に方をしても

どんな生き方をしても同じだろうとか持ってましたが、今は生きてる間に何をするかが

死んでからの世界に大きく影響していくのだと思うようになりました

悪い事をすれば悪い影響が、善い事をすれば良い影響が残っていくのだと思います。

輪廻とか死後の世界は信じてはいません。

しかし人間どうせ死ぬのだから 生きてる間に未来の為になる事をやってから死にたいと思います。

人間の可能性もAIの可能性もだんだん分かって来ました。まあAIは幾らでも発達するでしょうから

結局は人間が以下に優れたAIを作るか、あるいは優秀な勇気コンピューターを作るかと言う事です。

思考というのも人間は得意ですからAIとともに永久に存在し続けてほしいと思いますけどね。

エントロピー増大の崩壊の法則に対抗して 存在性の存在への意志と理性によるコントロールが

世界を秩序化し進化させ安定させるとおもます。永遠へ向かってレッツゴーです。

お礼日時:2018/03/24 19:49

はぁ〜、残念ですか ね。



慢心 (傲慢) の法則は、今現在、本当に哲学者でも解けている人はいないのでしょうか?

今からブラジルone? さんのスレにこの法則を書きたいと思います。良ければ、今後のために読んでみてください

大変コストが高いのですが
何とか書きあげてみたいと思いました。

宇宙エントロピーが
増大するかもしれません。

僕らはこの精神のコスモスから抜け出すことはできるのか。
神の精神という、この宇宙

ある真理を理解できるのか。

再び問いましょう。


逆境ナインという漫画が面白いです哲学的にも。よければ漫画ワンというアプリで現在無料なので、読んでみてください。お休みなさいzzz

頑張っ!
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矛盾はずっと矛盾。


不条理はずっと不条理。

なにを期待しとるんかね?
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この回答へのお礼

ありがとう

矛盾を考えていくと何と何かどう矛盾しているのか 構造が分かってきます。

不条理はなんとかしないと犠牲者が後を絶ちません。

お礼日時:2018/03/23 23:40

世界になぜ慢心はあるのか。


その答えは。

解けましたが、まだ伝わりきらない、見方が必要でした。
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この回答へのお礼

ありがとう

慢心も不感症みたいな。問題が起こっても「またか」で終わってしまうのではないでしょうか?

力を持った人も慢心が起きます。力を持つ必要はあるのでしょうか?

大統領や首相も公務員ではないでしょうか?権力を持たしていいことはないです。

お礼日時:2018/03/23 23:38

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