No.4
- 回答日時:
寄せられた回答に感化されて・・・
質問の2にあたると思われますが、彼の山崎弁栄(べんねい)上人の文章を転記してみます。
あくまでも宗教的視点に依る見解と云って良いと思います。科学者には科学的視点があるはずですし、生物学者には生物学的な意見があるはずですから。
表題は《帰趣の理》です。
「世界過程は天則秩序の統一理性ありて、万物はこれが為めに摂理せらる。万物、生命の向上進化するは宇宙に終局目的に帰趣する理性あるによると云わざるべからず。 宇宙の一分たる地球の事物生命が向上するに於いても、終局目的の理性あるが如くなるを知らん。目的とは向上発展して情神生活が真理の終局に帰趣するにあり。地球の発展は生命の現化手段、生命の発展は意識の発現を目的とし、意識の発展は精神の向上を目的とし、精神の向上は宇宙精神の目的に参与せしめん為め、地球の生命が向上し発展し来たりしは、是れ宇宙に終局目的の理性あることを疑うべからず。」
参考にはなると思うので、投稿しました。
万物の変化は、「終局目的に帰趣する理性」が存在することによる。
難しいのですが、大まかにこう理解しました。
生命、万物の存在そのものの「因」についての記述はあるのでしょうか?
No.3
- 回答日時:
第四者 (歴史的実証的な幻想) 的な回答。
人間が理由を求める性質 ((探究心がある状態でないと)) 人間まで進化しないから。
霊長類
存在に理由なき場合は、
単に偶然起きたこの進化を、偶然だから仕方ないと呼べばいい、そうなる。
この偶然を必然性を見出す限りは、存在に意味がないことはない。
もっと言えば、
存在を探求する姿勢を持つ限りは、
理由が作られる状態。
No.2
- 回答日時:
どの様に、と言う問いは、観察によって、思索によって、想像によって、談論によって、幾らか答えようもある。
どの様に世界はあるのか?この様な問いには幾らか答えも持ち合わせられる。しかし、何故、と言う問いは、なかなか答えようが無い。何故世界はあるのか?この様な問いには普通はなかなか答えられない。
理由とは目的のことだと思うが、これは単純に、本能的にそれを求める様に出来ているのではないだろうか。生存を求める、異性を求める、これらは動物にもあることであるが、善を求めるのは人間だけだと思われる。これは生存本能の範疇には無い事である。
ところで、人間にとって最高善は幸福であるとしたのはアリストテレスらしいが、別にアリストテレスじゃ無くても同じ考えを持つ人は大勢いるだろう。人間にとっては、幸せを求めるのに理由などいらないのである。そうなりたいからだとしか言えない。何故しあわせになりたいのか?と言う問いを私は聞いたことが無い。こんな問いを聞いても、誰もが何故もクソもあるかい、となると思う。今がしあわせでない故に、しあわせになりたいと思い、それを求め、それに向かう。すでに到達した人は、しあわせになりたいなどと思わないだろう。その様な人は完成している。
人間は何故存在するのか、人間の存在する目的は何か?
例えば猿は、人間に進化するために生まれたわけではないだろう。人間も、次の存在に進化するために生まれてきたわけではあるまい。そして、たとえ進化しても生き残るとは限らない故に、生存のための進化を目的としていると言う説は弱い。
では、自ら生み出した文明の為に人間は生まれたとする説はどうだろう。文明は自然界にある生態系とは異なるシステムで稼働している。非常に脆いが、その繁栄のスピードは生態系の複雑化のスピードの比ではない。SF好きな私の空想の話になるが、時間を圧縮する働きが、全ての事象の複雑化する過程には存在しているのではないか。そうやって、より薄く、小さな世界に、より複雑な新しい秩序のある世界を宇宙は生み出しているのではないか?そんな風に思ったりもする。
一方で、人間の存在に目的がない場合でも、個人個人には目的がありえるだろう。しあわせになると言う目的が。
もっと常識的に、人類の幸福というものを考えるならば、他の種族、例えばイルカとか、馬とかにも種としての幸福があるのではないかとも思える。もっと汎にして行くと、生命体の幸福とか、物質の幸福とか、訳のわからない話も出かねない。そしてこのわけのわからない話に一定の答えを考えられる自分はアホだなと思う。
話を善の所まで戻そう。
人間は、善を実現する為に存在している。とするならどうだろう。これは説得力がある。善とは何かを求め、見つけ、それを体現しようとするのは実に人間的だろう。他の種には出来ないことです。この時、善はどこにあるのか?と問うなら、人の心の内実にあるとか、それは社会の理想にあるとか、いや自然本性にあるとか、いろんな考えも出る。善はおそらく善を求めるの心にその発端はあるのだと私は思う。何故そうなのか?それは、人間が人間であるから、人間が誕生した時からそうなのだとするしかない。それが人間の持つ特性なのだと思う。
人は何故死ぬ、なぜ生きる…という質問の答えを考えていたら、私の思考の中の
整理されていない部分が形を現してきたので、思わず質問を立てました。
衝動的だったので、かなりぶっきらぼうな質問文でした。
1.について。子供が親に「なぜなぜ攻撃」をしますが、理由というものがあるはず
だと思うのです。
大人になっても、哲学的・本質的なことに対する理由を求めるということは、同じ
だと考えています。
1.については、このことについての理由を一番知りたいと思っています。
No.1
- 回答日時:
1.人間は何故、あらゆることに理由を求めるのか?
A,自分がしていることに理由があると信じていないと、無意味なことをやっていると感じ、無気力になるから?
2.人間の存在に理由があるのか?あるとすれば、それは何か?
A,子孫を残すこと?
ほかの生き物と同じように…
3.人間の存在に理由がないとすれば、それはどういうことなのか?
A,もう私の頭がついていけないのでリタイア…
ご回答ありがとうございます。
1.自分の存在自体が無意味であるとは思いたくないので、行動に意義付けをするし、
意味のある行動をしようとするのは本能的と言っていいでしょうね。
2.子孫を残すことが存在理由の一つであるのは、間違いのないことであると言えると
思います。
3.何か思いついたらまた投稿してください。
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1.について補足します。
小さい子供が親に「なんで、なんで」と本質的なことを問います。大人になっても
同じように本質的なことを問い続けることの理由は、子供と全く同じであると思い
ます。
その理由を知りたいと思っています。
2.について補足します。
様々な観点から理由付けができると思いますが、哲学的・本質的理由ということで
「因果」つまり、「人間を存在ならしめている因」とは何だろうということを考え
ました。
勿論、簡単に答えの出る類の疑問ではありませんが、あれこれ考えて一つでも進展が
できればと思います。
また、「目的」ということは、「様々な観点からの理由付け」の一つであると私は考
えています。
3.について補足します。
本質的なことについて「偶然」であるとする哲学が世に存在しますが、
「因果律」の枠から外れるということが、「時空の枠」から外れること
と同じくらい私には理解ができません。
もし、「偶然」というものが本質であるならば、それはどういうことな
のかということを知りたいと思いました。
人間の存在についての「因果」は、人間がそれをどう意識しようが、
それには無関係に存在するものであろうと思われます。
また、因果は通常は因が先だつもので、あるいは因と果が同時に起き
る場合も多いと思います。
人間が「何故と問うことの理由」と、
「人間を存在ならしめている因」は何かという問いであり、
キリスト教であれば「神の意思」ということになり、
「存在性理論」であれば「存在性」という性質、とい
うことになろうかと思います。
「人間は何故生きるか」という問いではありません。
本質と存在のどちらが先立つかと言われれば、存在と私は答えます。
だって、私はヒューマニストですから。
今は、本質のことを考えているということです。
BAは、その内容には議論の余地があるにしても、一番
掘り下げていると思いました。