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どんな関係になれば、「友達」なのでしょうか?
どう思いますか?

A 回答 (6件)

人生の後半まで関係が続かないと、分からないと思いますよ。



私の経験で良ければ参考にしてください。

私にも数人友達がいますが、仲の良い友達の場合は、

「あいつなら、こう反応する。」

と想像できて、ほぼ100%当たります。

そうなるとは思っていませんでしたから、本当に驚いています。

「人間にはこういう能力が潜んでいたんだな。」

と晩年になってわかり、驚きました。

これが多分友人なんでしょう。

以降、実際には複数人いますが、便宜上「あいつ」と表現しますね。

彼らに共通することを挙げていきます。

独りブレストでしょうか。

そこからまとめて行きますね。


●まずは、想像しているだけで、話しているような気分になります。

新しいことをするにしても、「あいつ」を面白がらせるため。

ところが報告するのが面倒で、連絡すら取りません。

「まあ、どこかで話そう。」

相手も同じように思っているようです。



●「あいつ」には強い自分を見せていたいと何時も思います。

自分の状態が悪いときは知られたくないです。

相手も同じだと思うから、連絡が無いときほど心配します。

元気でやっていたのだと確認できると、ほっとします。

幸せであって欲しいとまでは思いませんが、何時までも元気でいて欲しいと思います。



●自分が成長したところを知って欲しいと思っています。

他の誰よりも、「あいつ」が認てくれないい限り無駄だと感じます。



●「あいつ」がご両親をそっけなく扱うと叱りたくなります。

「この様に成長するように」とご苦労されたのだと思うからです。

もっと利己的に言いますと、ご両親は良いモノをプレゼントしてくれた恩人だと思うからです。



●「あいつ」の影響で自分が変わったことが沢山あります。

それが無かったら、自分を好きに成れなかったと思ってゾッとします。

同じように自分も影響を与えたと確信できることが沢山あります。

それが無かったら、良い奴だと思わなかったでしょうし、友人だと感じなかったでしょう。

私の悪い所は、「俺ならこうする」と(話すのではなく)見せてくれます。

その逆に私もそうします。

私が自慢したい部分は、(これははっきりと言葉で伝えて)自慢をします。

しかし、素直に誉めてくれません。

そして、何年かすると必ず(真似て)追従されます。

「なんだ、お前も出来るようになったのか。

 じゃあ、今度は俺が真似るか。」

いつも凄いと思っています。

たまに「あいつ」から凄いといわれることがあります。

それこそ10年に1度もありません。

それが嬉しくて、自分を支えてくれます。


●だらしない所を見せあっても嫌じゃありませんが、

ズルイところや卑怯なところは知られたくありません。

それを黙って、自分を良く見せかけるのは、やはり卑怯に思えるので、

普段から気をつけて、誘惑には負けないようにしています。

次に会う時に辛くなる方が怖いからです。


こうして並べてみると、

卑怯な自分では友人は作れないと思えます。



私も子供の頃は、

誰かに意地悪をしたり、悔しいので仕返しをしたり、と言うのは確かにありました。

「あいつ」にもありました。

しかし、大人に成ってもそんなことをしている自分であったら、

「とうとう、人間的成長に差が出てきたようだね? 俺の勝ちかな?」

とやられそうで怖いですね。


●いつまでも見栄をはっていたいです。

また、「あいつ」にもそうあってほしいと思いますが、

そうじゃないかもしれないと思うと、とても哀しいですね。

自分よりも「あいつ」が負けてしまうほうが怖いと思っています。


●互いに何度も(人生において)ピンチを迎えました。

受験、就職、事故、病気、怪我。

しかし、「おまえが自分でどうにかするしかない。」と互いに思っていました。

そして、「ああ、ここでこいつは終わりなんだな。」と互いに思ったときもあります。

面倒を見る気はありませんでしたから、友人関係そのものが終わるのだと覚悟しました。

しかし、私もしぶとく復帰し、自慢をしに行きました。

「ほら、ダメだと思っていただろう? 舐めるなよ。」

「おお、凄いな。」

「あいつ」も心配してくれていたのだとわかり、涙が出そうになったことがあります。

また、その逆も有りました。

そして、お互いがしぶとい事を確認して、お互いに本気で尊敬しました。



次にまとめていきます。

ここまで列挙して、やっとわかってきました。


●友達になるためには、互いがしぶとく生き残らないと続きません。

そして、「どうしてそんなにしぶといんだ?」と興味を持って、初めて始まるんです。

参考にしたいと思ったとき、本当の興味がわきます。


人と言うのは弱い者をおいて行きます。

どちらかが弱ければ、友人関係は作れないでしょう。

どちらかがついていけず、消えていくからです。

また、それを哀しんで無理に助けてもいけません。

そこからは友人関係ではなくなります。依存関係です。

自然な淘汰の一種ですから、人の力で曲げては台無しになります。


しかし、人というのは、その弱さを克服し、いつの間にか、また姿を現すものです。

これに感動しない人などいませんよね。

これを見たら、けっして弱いとは思えませんよね。

友人関係と言うのは、他の誰も知らないその凄さ(=復活)を間近で見た関係なのかもしれません。

そして「こいつの強さって俺しか知らないんだな。」と感じたとき、

その印象を保つための責任(見栄)を互いに感じると言う事です。


●しぶとくない、弱いというのはどう言うものなのか?


もし私の友人が、

何かに腹を立てて舌打ちをしたり、

自分が不快だと感じたら、「他人が悪い」とばかりに「正当性を訴える」ような人であったら?

もし私の友人が、

何かに腹を立てて、「仕返しをしないと気がすまない」といったら?

実際にそれをやってしまい、執念深く続けてしまったら?

「懲らしめないと気がすまない。どうやって参らせてやるか・・・もう少しだ。」

こうなれば良い悪いではなく、

「こいつはもうだめなのかもしれない。」

と哀しくなるでしょう。

懲らしめないといけないと感じるのは、相手に勝てそうだと見積もるからです。

執念が必要になるのは、その見積もりが誤っているからです。

仕返しや嫌がらせにやる気が出てしまうのは、

人を幸せにするための創造性を持っていないからです。

そしてその年齢でその実力であるからこそ、

少しでも憂さを晴らしたいという誘惑に負けるのだと思います。

曰く、

「今まで何も良いことが無かった。これからもそうだろう。

 だけど、こんな不条理に我慢し続けて、怒らずに負けて良いのか?

 俺は、これだけはやり遂げて、一矢酬いてやる。

 このクソッタレな人生に何もかもを求めない。だけどこれだけはやってやるんだ。」

となります。

銃の乱射事件など起きていますが、こういう気持ちなんでは?と想像します。

私たち大人は、

自分と言う存在が消滅するとき、上のような想いが浮かび、変な高揚感を得ます。

これが自分に生じないようにと常に怯えて生きているものです。

生物が滅ぶときの脳内麻薬ですね。

いつかは私にも来るのだと思います。

うちの父は高齢で認知症になりました。

とうとう、その様な状態になりました。

もう寿命なんでしょうね。幸いにして行動力も減っていますから何も生じません。

若いときにそうなった人は気の毒だと思います。



しかし、その後、「あの時は危なかった。恥ずかしい。」と言って元気になったら、

「お前は凄い」というでしょう。

自力で抜け出すのはとても難しいでしょうから。


さて、

「あいつ」とはお互いに、そういうところ(人生の岐路)を見せあってきました。

いまでは「もうこいつは大丈夫」と思っています。

子供の頃は、

年を取れば誰もがそうなっていくのだと思っていましたから、

初老ともいえる年齢になった大人が、そうなっていないのを見ると本当に驚きます。


しかし、

「ああ、そうか。人間になるって難しいんだな。

 魚類の卵が成魚になる確率と同じなんだろう。」

と納得しています。


ですので、

友人関係と言うのは、ある種の結果論のようです。

自分が成長し、大人になり、相手も成長し、大人に成ったとき、

初めて心地よい関係が作れます。


第一に自分の成長が条件になります。

誰も頼らずしぶとく生き残り、八つ当たりと言う誘惑を遠ざけて心が安定するようになる。

そして、そのフルイに残ったもの同士が、互いに助け合わずに、互いの強さのみに感謝をする。

「俺は大丈夫だから。生き残ってくれただけで嬉しいよ。」


誰でも生き残れるとしたら、友達という存在の理解が難しくなります。

しかし、いまいる殆どの人がドロップアウトする定めであり、

それを見捨てるしか無いのだとしたら、

生き残ってさえいれば、生き残った者同士は互いの存在に感謝をするようになります。

本質的には、友達を作るのが難しいのではなく、生き残るのが難しいと言う事でしょうね。

助けを前提にして互いを求めれば、それは依存であり、

友人関係と言う面白さを人生において体感できないと思います。

これは勿体無いでしょう。


以上、ご参考になれば。
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お互い必要になり、相手のためにすることだと思います。

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挨拶で言うと、おはようございますからオスに変わったら友達です。

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友達は作るのではなく、相手の友達になることです。


コミュニケーションを取れる相手が、友達です。
これが、深いのが親友。
ちなみに、恋人、愛人とは、気持ちを言い合える方です。
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よく一緒に居てる人ですね。

遊んだり、電話したりですね。
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損得 好き嫌い 利用し利用される


こんな友人 直ぐできる いくらでもできる
しかし 最後は裏切る

信頼できる 絶対裏切らない友人が一人いれば
人生が豊かになる

問題は自分です

恩を忘れない人は感謝の心があります
感謝がある人は 
心には豊かさがあふれ 喜びに満ち
生き生きとして明るい
多くの人に慕われるんです

感謝の心のない人は
いつも不信があり 不平と不満
嫉妬と恨みと愚痴
暗雲が渦巻いている
いい人が離れていく人生惨め
損得 好き嫌い 利用し利用される奴ばかり集まる

ゲーテ
「感謝しなければならぬ人と出会いながら
感謝を忘れている事がどんなにしばしばだろ
と言っています

影で支えてくれた方々に
感謝の声を掛けていくこと
けっして 当たり前とおもってはならない
声一つ 言葉一つで 人間の心は動くのです



参考 友情とは
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage4.html
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