藤原氏のなかには、南家、北家(中御門)、式家、京家があるそうです。
どういうふうに呼び合っていたのですか?
「藤原北家道長」みたいに言っていたのですか?

A 回答 (3件)

今でも「屋号」呼び合っているケースがあると思いますけど、それと同様でしょう。



それと「道長」というのは「いみな」といわれる名前で、他人が呼ぶことは、絶対にありません。今でも特定の人物を地名で読んだりすることはあるかと思います。そういう習慣が続いているんでしょうね。
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この回答へのお礼

う~ん、やっぱし難しいですね。
ご回答いただき有難うございます。

お礼日時:2001/07/16 20:31

 どの家も自分の家こそ本流と考えていました。

この各家も、家の位置とか官職で他の人が区別するのに用いて、自分たちは〇〇家などとは呼んでなかったでしょう。藤原氏は京都内各地に屋敷を与えられていましたので、その地名を取って〇〇殿とか呼ばれていました。二条、西園寺とか柳原とかの名家はその後裔です。道長は御堂殿とか関白殿だと思います。自分で呼ぶときには藤原道長です。
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この回答へのお礼

藤原氏の中でどの系統が本流かなんていえませんからね。
この時代の「氏」や「称号」って分かりにくい気がします。
今の姓名の制度とは少し違いますよね。
ご回答頂きまして有難うございます。

お礼日時:2001/07/15 15:44

 当時の官職名で呼びあっていたと思います。



 でなければ源氏物語で男性人物が「頭の中将」「三位の中将」といった呼称で
呼ばれてないと思います^^;

#あくまで推測

 書面等では藤原朝臣道長でしょうけど…
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この回答へのお礼

位で呼ぶというのが一番無難ということなんでしょうね。
ご回答頂きまして有難うございます。

お礼日時:2001/07/15 15:11

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