プロが教えるわが家の防犯対策術!

男23歳です。

本題に入る前に。

映画(もしくはドラマや漫画)って面白いじゃないですか。特に良質な内容程更に面白いと思います。観終わって暫く余韻を味わって、また時間が出来たらもう一回見る。そして何回見ても、結末が分かっていても面白いし、全く飽きませんよね。

それで、ふと気づきました。

自分の最期って、どうな感じなんだろう? 将来がどうなるか分からないけど、映画のラストシーンみたいにせめて死ぬ状況だけは知っておきたいな、と。

なんか、人間っていつ死ぬか分からないじゃないですか。「自分っていつ死ぬんだろう」って思いながら生きているのって恐怖じゃないですか?
私は怖いです。例え、生命あるものは遅かれ早かれ必ず死ぬと分かっていてもです。

もし明日、自分に何かがあってぽっくり逝ってしまって、警察の方から家族に連絡が行ってしまったら、そっちの方がよっぽど喪失感と後悔と無念さが大きいんじゃないかなと凄く感じます。(そうならないように気を付けていますけど)

医師の言う余命宣告ではありませんが、死ぬときぐらいわかっていれば、この人生を生きてきた喜怒哀楽や様々な思い出を振り返ることが出来るし、これから迎える「死」に対して覚悟と準備を整えることが出来ますし。
そうなったら自分だけでなく、周りの人にも「では、私逝きますね」みたいな感じで挨拶回りできるかなって思って。

私は今23歳で、だいたいの人は「いや~若いね~」「これからだね~」って羨ましがられるんですが、自分はそう思いません。もしかしたら明日交通事故に遭って死ぬんじゃないかって常日頃思います。

こう考えるのって、私だけですかね?

A 回答 (8件)

至って普通だと思います。


私も明日事故に遭って死ぬかもな~と思って生きていますので
常に物事はやり切るようにしています。
いつ召されても後悔しないように(笑)

ただ、死ぬ時期は知らない方が良いと思いますよ。
あなたのように死ぬ時期が知りたいって人が余命宣告を受けて
堪え切れず自殺してしまった、という事もありましたし
いつ死ぬのか?それも楽しめるようになるよう人生を謳歌してください。

心の「余裕」これに尽きます(∩´∀`)∩
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:13

その通りだと思います


現代社会の多くの問題は この死 と言う問題を無視しているがために解決されないと思います

どんなに財産を蓄え 権力を握り 有名になっても 死を目前にした時
何の意味も無くなるのです すべてを捨てなくてはなりません
そして 死の対局にある生の問題 すなわち 生きると死ね この生死の問題は
唯一絶対と言える法則なのです
太古より 多くの哲学者 思想家 宗教家 文学者 詩人 芸術家 科学者
が生涯をかけて追い求めてきた 人類 究極の課題なのです

この世と言う舞台に上がった俳優は 役割があります
いかに演じるか いかに舞台から去るか
その答えは ソクラテスの汝自身を知れ なのです
汝自身を知れ とは
自分は 何処から来て 何処へ行くのか 何のために
なのです

舞台の上がった名優は 自分の演技を喜んで大胆に演じ
歓喜のまま 死ぬのです 去るのです
次の舞台が用意されています
大根役者は次の舞台(生まれ変わる)が当分ありません
大根役者から名優になるためには
汝自身を知れ 自分の役柄を知る事こそ最も大事です
西洋哲学の結論が 汝自身を知れ ならば
仏教の出発が 汝自身を知れ です 

仏教の生命論は深く    
生命活動を 立体的 流動的にとらえた十界互具論
生命の機能 本体 可能性 を説いた十如是論
個性化の原理を説いた  五陰世間
深層を解明した 九識論  
生命の区別化の原理 十界論  があります

参考
十界論
http://rokusann.sakura.ne.jp/access.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:13

初めまして



だから、人は一瞬一瞬・一日一日を悔いが無い様に、精一杯生きないといけないのだと思います・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:13

私は嫌だな~



明らかに死ぬよコレって病気になって弱る身体になったら、あとどの位持つのか知りたいとは思うかもしれないけれど、

そうでなくてある時自分の死に様や寿命を知ったら、そこからカウントダウンが始まるとしか思えない。
それもすぐ先の未来ならまだしも、
結構、先の事ならそこまで全力で行くのも厳しいし、好きな人にも場合によっては申し訳なくて距離を置くかもしれない。

苦しめたり…ね。
無駄なお金や時間を省く事は出来るかもしれないけれど、
本当に笑ったり泣いたり出来るのは
無駄なものがあるから、だとも思います。

今ある幸福に気付くことは、
同時にこの先にある不幸に気付くのと同時、そんな幸福の知りかたは、
本当に幸せな事なのかな…と疑問です。

映画やドラマは、
いつも誰かの人生のワンシーン
もしくは、細かな事を省いた重要なシーンが綴られた一生、みたいなのが描かれるけれど、本当はリアル時間にしたらもっとずっと長くて、今、ここでこうやって生きてる事が本物。

この先を知らずに今を一生懸命に生きて
無駄に足掻いて、それでも生きる事が、
幸せなんかを求めちゃうことこそが、
打算じゃなくて自分の信じたい方に行っちゃうことが、ドラマになる、と私は思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:14

だったら自分がいつ・どこで倒れたとしても、そのメモを見れば誰でも対応できるようにしておけばどうですか?


例えば
①連絡先(自宅の電話番号や親族の携帯番号)
②持病があれば病名、服用している薬、掛かりつけの病院名
頼れる人がいない場合
①延命治療は望まない
②痛みは最小限に抑えて欲しい
③臓器提供を希望する

等々、これだけで自分の死と死後のことをイメージできるようになりますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:14

>こう考えるのって、私だけですかね?



貴方の人生の倍の時間生きて来た身から言わせて貰うと、
まだまだ根本的な考えが若いな・・・となります。

当然、私の倍生きている人は、こんな私の意見もまだまだ・・・となるでしょうがw

とりあえず、今の質問者さんには
夢や希望など「まだまだこれからだ!」という思いが前提にある思考になっています。

だからこそ、死に対しての未練や恐怖が強くあるのだと思われます。

簡単に言えば、若いからこそ、その様な考えや気持ちが強いという事です。

私にも死への未練や恐怖は若干ありますが、
貴方程では無いですし、いつ死んでも別に良いっか・・ぐらいになってきています。

死に対しての覚悟や準備、挨拶回り、などを重要視する様な文章も見受けられますが、
そんな綺麗事を考える時点で、死ぬ事は想定していないのではないでしょうか?

本当に死ぬとなれば、体裁や綺麗事などもどうでも良くなるのではないでしょうか?

他人にどう思われるとか体裁を気にする時点で、
生きるという事の建前を前提に考えているでしょうし、
すべては現実味が無い形だけの発想のようにも感じられます。

とりあえず、貴方にはまだ夢や希望が沢山詰まっていて、
自分自身も心の底ではその様な希望が強くある為に、
今の様な考えや想像をしていると理解しておいてください。

これから10年、20年と歳をとって、
自分に残された可能性が段々少なくなってくると、
もっと違う考え方に変化して行くものだと思っておいてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:14

それはどうなんだろう?自分の寿命がいつって事前にわかっちゃうと、プレッシャーに感じる人も多いんじゃないですか?『俺はいつ死んでもいいように日々精一杯生きてる』なんて言える人は滅多にいないはず。



それに「どうせ後2年で死んじゃうんだから、好き勝手してやる」とか思っておかしなことを始める人だっていそうだし…

寿命が解っているからできることと、解らないからできることの両方があって、どっちがいいとは言い切れなさそう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:15

面白い考えですね。

自分のラストシーンは知りたいですね。一番嫌なのは真冬のアスファルト上で血まみれ轢き逃げされるか、年を取り、一人で死後1ヶ月、窓に張り付く巨大なハエと死臭で新聞配達人に通報され発見される夏の孤独死ですが、人を騙したり嫌われたりしているとそれに近づく気がするので、いつ死んでもそれなりに感謝と満足で旅立てる心構えで、息子が喪主でみんなに惜しまれ、棺が花で埋まる、みたいなラストシーンになるような人生を生きたいですが、こればかりはお楽しみですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/19 22:15

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