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重要な人間関係にある信頼していた人に、「私は霊感がある、昔からよく霊を見る」というようなことを先日言われました。
それ以来、その人が少し信頼できなくなってしまったのですが、その人は、自分にとってとても重要なことを毎日任せている相手なんです。

私は霊の存在を含め、神秘的な話、非科学的なことを一切信じません。

でも、信じている人をどうこう思うことはありません。何を信じようと自由だし、悪いことではないと思うので。

ただ、自分は霊感がありしょっちゅう霊を見ている、というようなことを言われると、
その人がウソをついているか、本気で言っているなら、幻覚を見たり幻想を抱く病気かな?と疑ってしまいます。

みなさんは、霊感があると言う人を信用できますか?

A 回答 (22件中1~10件)

ちょっと横ヤリで失礼します。



まずその相手に関しては、霊の話さえされなければ問題は
ない方のように思われますので、あなたがその話題に触れないようにすれば
良いのではないでしょうか。

こういった問題になると、必ずと言っていいほど、
「科学では解明されてないからと言って云々」といった意見がありますね。

ではちょっと見方を変えてみましょう。

「私は100Mを3秒で走れる」と言う人がいたとします。
そうしたらあなたは聞くでしょう。「どうやって?」と。
常識ではありえない事ですから、理由や方法を聞きたくなるのは当然です。

ここで注目。この「どうやって?」というのが、一番大事な
「懐疑する心」です。「科学する心」と言い換えても結構。

ついでにもう一つ。
それでは、この「100Mを3秒で走れる」という事を証明しなくてはいけないのは
誰でしょう?
そうです。それは「100Mを3秒で走る」と言った人ですね。
私たちが証明してあげる必要はありません。
しかし、「走れるったら走れるの!」の一点張りではこの人の
言うことを信用できるでしょうか?
まあ余程のお人よしでなければ無理かと思います。

ここから本題。
「私は100Mを~」を「私は霊感がある」に変えてみてください。
そうすると解って頂けるかと思いますが、はっきり言って
「霊感があるという人の方が科学で解明しなければならない」んです。

地球上の物事ほとんどが科学によって説明することが可能です。
その中には私たちが知らなくても困らないので「教えられていない」ものも含まれます。
(ある大学の研究室では、「色んな液体にできる波紋を研究している」って事なんて知らないでしょ? 別に知らなくてもいいし)

私のような懐疑派の人間からすると、「霊感がある」という人は
「何故見えるのか」、「どんな状況で見えるのか」、「そもそも霊とは何か」
ということを私たちに納得させなければいけないんです。

でも霊感があるという人達はいつも言います。
「見えるものは見える。理屈ではない」と。
でもそれは、「バカボンのパパだからパパなのだ!」と同じことなんです。
「自分の目で見ないから信じないのだ」と言う人もいますが、それでは果たして、
ミスターマリックのマジックは超能力でしょうか?
自分の目で見たものが、本当の不思議現象とは限らないのですよ。
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この回答へのお礼

>まずその相手に関しては、霊の話さえされなければ問題はない方のように思われますので、あなたがその話題に触れないようにすれば良いのではないでしょうか。

そういうことなんですね。
私もそう思えてきました。他の「嘘」とこの手の話は、また少し別ものなんですね。
ほんとはいじめられっこだった中年男性が「俺は昔悪だったんだよ」と自慢するような、罪のない「ホラ話」「ネタ話」くらいにとらえればよいのかな、と。

霊現象に関する見解は、まったく同意です。
わかりやすくご説明いただいて、大きくうなずきながら拝見しました。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/18 12:22

 霊感とは違いますが、我が家は20年前に亡くなった祖母の代まで祈祷を行っていました(当然無償です)。

西洋医学が発展するまではそのような方は地域にたくさんいらしたそうです。私自身、祖母に捻挫などを一晩で治してもらっていました。祖母は嫁に来た人間でしたが、曽祖父は息子の祖父にではなく祖母にその方法を伝えました(そして祖母の代で終わりにするよう言い残しました)。
 祈祷には向き不向きがあるようでした。信心深さかとも思いますが、そのような、科学的に証明できないことが現実にあるのは確かです。現在もそのように見返りも期待しないでやっていらっしゃる方も知っています。祖母の存在でそれらを私は信じています。が、「霊感がある」と自分で公言し、商売としている方を私は信用していません。
 霊感がある、不思議なものを見ると公言される方を信じるか信じないかの私なりの基準は、「商売」をしているか否かです。法外な報酬やカルト宗教のような。(金の切れ目が縁の切れ目だと本気で思っています)
 その上で、その人を信じるかどうかは自分の判断だと思います。 
 あと、下の方が言われるように先祖供養は大切です。霊を信じるどうこうとはまた別物と思っています。 

この回答への補足

補足欄をお借りして、締めのメッセージとさせていただきます。

ご回答くださった皆さん、ありがとうございました。
とても参考になりました。

最近、また、その方が不思議体験や不思議話をいろいろとされるようになってきて、ちょっと眉をしかめているのですが、「へぇー、そうなんですかー」と軽く聞き流しています。

仕事や人間関係に影響するほどのことはない、と判断して今までどおりおつきあいしようと思っています。

補足日時:2004/10/28 11:08
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「商売」をしていなくても、人の気をひきたいためにホラを吹く人はいると思います。
悪徳自称霊能者よりは、はるかにましですが。

祈祷については、否定をしたくはありませんんが、こういうこともあります。
信じる心は病気や怪我を治癒する力があります。
たとえば、腹痛の人に小麦粉をよく効く薬と称して飲ませると、腹痛が治ってしまうことがあります。
効果のほとんどないサプリメントでも、本人が効果があると信じて飲めば、病状が改善されることもあります。

いづれにせよ、祈祷によって人を助けられているのですから、人を欺くものではないし、とても価値のある行いだと思います。

私自身は、まだ不思議な現象を信じることはできませんが、それを信じる人たちと、ぶつかりあわずに共存して生活していこう、と今は思っています。

お礼日時:2004/10/28 11:06

はじめまして!


霊感と霊とは違いますし実際に信じて無かった私も経験しました。
母親が仏門の道を歩いています。今では大亜砂利となり信者さんの良き相談相手として奉仕しています。
私の彼女の母親が霊が見えると言って家族では精神病院に入れると相談を受け、私の母親に相談しました。
供養をしている時に彼女とトラブルになり電話をした時に女性なのに男性の声で『うるさい』って言われ私もびっくりしました。
今では何も無かったかのように生活してます。これは事実です。
ここでの回答に迷ったのですが、確かに霊は存在すると思います。
信用に関しては霊感うんぬんと関係無いと思いますが、人を惑わしたり怖い思いをさせる語源は良くない事だと思います。霊を信じる信じないは貴女の自由ですが先祖が有ったから貴女は生まれたのですから先祖の供養だけはされた方が良いと思います!
ほぼ全世界共通の慣わしですから・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

霊の存在を信じるかどうかということは、その人の人生観や生き方にも関わるナイーブな問題なのだと改めて気付かされました。
存在する、しない、ということを安易に口にすることで誰かを傷つけることもあるのだと。
そのことだけは心しておこうと思いました。

先祖供養に関しては、見知らぬ祖先の供養までは必要と考えていませんが、私を大事にしてくれた祖母の墓参りはしています。
私自身は死んだら葬式も墓も要らないので灰を海にでも撒いてもらったらいいと思うけれど、家族をそのように葬ることはできません。
それは、霊を信じているからではなく、愛情の問題で。たとえ屍になっても愛する家族を大事に思う気持ちを大切にしたいからです。

それ以上の供養が必要なのでしたら、きっと私は祟られますね。苦笑

お礼日時:2004/10/21 09:49

私には全く霊感がないので、「見える」と言う人に遭遇したら、「今までどんなの見た???」と質問攻めにしてしまいます。


その話を聞いたうえで、私が勝手にその人の話が本当かどうか決めます…
阪神淡路大震災のとき、後日談で結構たくさん「その夜だけ○○していて助かった」っていう話を聞いたし。これは霊感と言うよりただの感、ですけどね。

映画「コンタクト」の主役(ジョディフォスター)も確かそんな性格(非科学的な事は信じない)で、「両親を愛してる?」って聞かれた時、「ええ」と答え、「それは見えるの?」みたいな事を聞かれて、返事ができなかったシーンが思い出されました。
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この回答へのお礼

嘘話も多いけど、ホンモノもある、とお考えなのですね。

「コンタクト」は見たことがありませんが、宇宙人が出てくる映画だったんでしょうか?題名からすると・・。
非科学的なことがあることが前提の映画なので、そういうシーンが出てくるのでしょうね。

信じている人が思った以上に多いのだということに改めて気付かされました。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/18 12:59

私も、霊感がない人間だと思っていたのですが、ちょっと感じることがあり、「すごく何回も見る」という人と、一致した感想でしたので、(おばあさんが見えた、感じた)もしかしたら、霊って、いるのかな~と。

まあ、それはおいておいて。

例えば宗教ですと、その人にとっては霊験あらたかで、信じれば幸せになるのかもしれないけれど、信じない人にとっては苦痛にもなるし、マイナス印象にもなりますよね。生活や、仕事の決断が、理性的な根拠ではなく、宗教で決めるような人は信用を失います。また、それによって人間関係を壊してしまうような人も信頼できないし。

私の周りで、信頼ができる人の仲には、宗教をしている人や、霊感がある人もいますが、そういう人は、聞かれなければ言わないし、相手が不快な気分になることは言わないです。「この家は霊が出る」とか「そういうことをすると家族が不幸になる」とか。

でも、私の主観なんですが、不幸ななくなり方をした人や、成仏できない霊みたいなものを見てしまう人って、実は、その人自体不幸なんじゃないの?って。よく言うじゃないですか。類は友を呼ぶと。どこか、自分の中にそういう霊が集まってしまうものがあるのかな?って。最近は。見えると、どこか優れた才能があると思っている人がいますが、それって不幸自慢?って思います。
また、嘘だったら、壺とか絵とかを売る霊感商法?とも思いますし。実際その人も、質問者さんに精神的な病気を疑われて損している訳ですし。

言われることが不愉快であれば、「すごい霊能者にきい痛んだけど、自分が霊が見えるといいすぎると、悪い霊がよってくるんだって」とでも言いこめて見たらいかがでしょう。
仕事に、霊感は必要ないですから。
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この回答へのお礼

その話は1度きりです。
そのときに「幽霊って信じる?」ときかれたので、
「自分自身が見たことがないので、どっちかなー、いるかもしれないし、いないかもしれないなーって感じで・・。」
と曖昧に答えたのですが、それで察したようで、2度とそのような話はされません。

他に迷惑なこともおきていないので、今までどおりでいいのかもしれません。

お礼日時:2004/10/18 12:16

この手のうさん臭い話はいっぱいありますね。


霊的な話だけ信じなければいいのではないですか。
私は金縛りの時に何度か見てしまったので信じる信じないというレベルの話ではありません。
ただ、実際に見ないとなかなか信じられませんね。
私は普段の生活では見えないので無事に生活しています。

人間は形のないものは見えないですよね。
カエル(両生類)もそうです。
動くものしか見えないのです。
つまり動かないものは見えないし存在しないのです。
神様は上手にこの世界を作ったとおもいます。
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この回答へのお礼

参考になりました。

信じている方が多いので、普段あまり否定的な発言も控えておいた方が無難だな、と思ったりもしました。

お礼日時:2004/10/18 12:12

信用できるかと聞かれたら、信用できます、と答えます。

私にはその能力はないけど、ある人を知っています。ある人にとってはない人の方が信用できないでしょうね。どうしてあれが見えないの?って。
ウソとか病気とかいう目で見たら、相手が気の毒です。色盲の人とそうじゃない人がお互いに理解できないのと同じだと思います。

なにかあった時に、透視してもらえば本物かどうかわかるんじゃないでしょうか。いずれにしろ、あなたに迷惑をかけられなければ、どっちでも関係ないのでは。
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この回答へのお礼

透視ができるのなら、「あら、ほんとだ!」となって解決かもしれませんが、ただ見えるだけということなので。

>あなたに迷惑をかけられなければ、どっちでも関係ないのでは。

まだ幼い子供を毎日預けている相手なので、とても気になりました。

お礼日時:2004/10/18 12:07

こればっかりは、信じない人には理解出来ない話です。


「見える人には見えて、話できる人には話せる」
としか言いようが無いです。

日常生活に支障が出ないのなら、付き合い方には変化が出ませんでした。
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この回答へのお礼

>日常生活に支障が出ないのなら、付き合い方には変化が出ませんでした。

今のところ何も支障は出ていないので、このままでいいと思えてきました。

お礼日時:2004/10/18 12:04

自分は霊感がある、と言う人の中にもいわゆるホンモノと、そうでない人がいそうですね。


私は霊感と言うのはある種の情報感知能力に長けた人のことを言うのだろうと勝手に思っています。
それを商売の話(お守りを買えだの壺を買えだの)に転化させない限り、それだけで信用しないということはありません。
・・・でもあんまりしつこいと質問者さまのようにうんざりしたり胡散臭く思ったり・・・というのも理解できます。でもこれは霊感云々じゃなくてその相手のパーソナリティによるところが大きいですね。

私は科学的だったら何でも信じるという人の方こそ「愚鈍(頭が固い=ゆえ信頼できない)」と思ってしまいます。なんでも科学で説明できると思っているところなんかかわいいですが。
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この回答へのお礼

そういう意味では私は頭が固いですね。
科学的だったら何でも信じる・・とまではいきませんが、信じるに値する基準となり得ると思っています。
自分の中ではっきりとした基準をもたないと、何でもかんでも信じてしまう恐れがあるので。

神秘的な話は突拍子もないので、信じるには何か根拠が欲しいです。

お礼日時:2004/10/18 12:02

10年ほど前に、友人から「霊が見える」と聞かされたことがありますが、霊の存在を信じるかどうかはいまだに保留中です。


それまでは懐疑的でしたが、それからは「あるのかもしれない、ないかもしれない」中庸です。

私はその友人を信用していました。「霊うんぬん」はとりあえず横に置いといて、その友人の日ごろの言動をみていると、信用するに足る人物でした。

ただ、証明できないものを鵜呑みにすることは、相手に対しても失礼かと思っています。

>何を信じようと自由だし、悪いことではないと思う
と言う質問者さんに同感です。
死後の世界なども、私は全然信じていませんが、信じている祖母の前では否定しません。

本当に見える人が「見える」と人に話すのは、よほどの勇気がいるかと思います。見えない人でも「見える」と言うのは簡単ですものね。

証明できないものを、無理に信用することはないと思います。ただ、質問者さんから見て、相手の人のそれ以外の行動はどうでしょうか?
他の行動が信用に足る人ならば、霊云々の話はとりあえず別に考えてみてもいいのではないでしょうか?
相手を信用することと、相手の話を全部受け入れることとは、微妙に違うことと思います。
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この回答へのお礼

>質問者さんから見て、相手の人のそれ以外の行動はどうでしょうか?
他の行動が信用に足る人ならば、霊云々の話はとりあえず別に考えてみてもいいのではないでしょうか?

そうかもしれませんね。
皆さんの意見を拝見していて、「霊感」についての話は、通常の「嘘」とは違う扱いになるのかもしれないという気がしてきました。

そういう話をする人でも、他の面では信頼に欠けることはなかった、という方が多いので。

お礼日時:2004/10/18 11:56

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