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哲学カテのレベルが低い、というコメントを随分前からかなりの回数見ています。

それは、質問者のレベルが低いということ、あるいはそう受け取れる内容のものが
多かったと思います。

質問者の一人として、確かにレベルが高いものばかりではなかったと思いますし、
同じ質問の繰り返しである、という部分は否定できません。

しかし、Q&Aですから、カテゴリーにおいてレベルの低い人がレベルの高い人に質
問をして回答を求めるというのが原則的なことですよね?

ですから、カテゴリーのレベルとは、「回答者のレベル」といえないでしょうか?

1.それなのに、わざわざ質問のレベルが低いという回答を寄せてくる人がいる、こ
れはどういうことなのでしょうか?

2.純粋な学問的な質問とか突っ込んだ質問には、あまり回答がついていないと見てい
ますがこれはどういうことでしょうか?

3.このカテの回答者のレベルは相対的に高いと思いますか?

「哲学カテのレベル」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • あなたの言う通り削除されたね。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/02 05:14

A 回答 (23件中1~10件)

教えてGOOの黎明期は、今よりもっと荒れていたように思います。

しかしそこはとても楽しかった。私が若かったせいかもしれませんが、めちゃくちゃな物言いでも応答してくれる回答者がいて、活気があった。フェイスブックもTwitterも、スマホもなかったけど、遠く離れた見知らぬ人と哲学的と称する話題について好き勝手に言い合えることが何より楽しかった。今の人たちはQAタイプとは別のSNSで交流していてここのような掲示板型は衰退したのは事実だと思う。時代でしょうね。でも、場と言うのはいつだって当事者たちのもの。そこを楽しくするのもつまらなくするのも当事者によっているんだと思うんです。Twitterやインスタグラムは、何回バズったとか、フォロワーが何人いるとか言ったような事で注目される「自己顕示型」になりつつあって、交流型ではないと思いますが、ここのような交流型が生き残るには、交流の質そのものが高められなければならないと思います。なのに、ここも今は自己顕示型になってしまっていて、その本質である交流は置き去りにされている。だからつまらない。
自己顕示型の場合、何か為すことについて優劣を論じだすと、優れていなければ意味がないみたいに思って、劣ったことは無駄無駄という風潮になってしまいますが、優劣を論じること自体が私は無駄だと思ってるんです。それが何かを為す動機を損じるなら、結局何も生まれやしなくなる。だから最近、優劣を論じることから私は離れているんです。交流型の場合は、価値あるものは基本的には多様性の中で生まれる。そこでは無価値なものですら多様性という観点から価値あるものになるのですね。自分と違う人、違う意見、そういうものがあって当たり前だし、またあっていい。ストレートで投げれば変化球で帰ってくる、コミュニケーションという不思議なボックスを透過すれば、自分の思い込みですら、熱量さえあれば魔法にかかったかのように見たことのない価値観に変身を遂げる。これは一つのクリエイションなんですね。
「哲学カテのレベル」の回答画像14
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この回答へのお礼

教えてgooは2000年の開始ですよね?その頃も参加していたんですね。

この15年・20年で何が変わったかと言えば、エゴと腐敗が黙認いや、下手をすると
美化されるようになったことだと思っています。

だから、人が持っている我儘が解放されているんだと思います。
それは若い世代だけでなく、中高年でも抑えられていたものが噴出しているように
見える場合があります。

これはもう社会のあらゆるところでそうであり、加速していると思います。
何故そうなったのか理由は簡単だと思います。「倫理・道徳」という概念のものを
無視しているからです。
勿論、答えは簡単でも、例えば自分のいる場所を楽しくするなんて言うことは容易
にはできませんが…

まあ、このことについては機会があればまたお話したいですね。

私も優劣ということに関心はありません。自分に足りないものがあったら努力すれ
ばいいし、他人が仮に劣っていたとしても、それはその人の現状なんだから別に文
句は無いし、愛することもできる、というだけのことです。

何でこんな質問をしたかと言えば、「自己顕示」「自己満足」「他人否定」ばっか
りなので、げんなりしてちょっと発狂したのです。

ジョルノ・ジョバーナ、第五部ですね?
残念ながら、私は空条承太郎の第三部までしか読んでいないので、顔の大きい人が
誰だか分かりませんが、彼の言う通り、人間関係の最重要点は「信頼」だと思いま
す。

こういう交流の場では、肚の底を見せるということが一つあるのではないでしょう
か?

お礼日時:2018/05/01 03:08

おほん!



今回はまずは一言!

『てめぇらの血は何色だぁ?!』
一、レイです!
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この回答へのお礼

「バカめ!勝てばいいんだ。何を使おうが勝ち残りゃあ」
(インチキの代表 ジャギ)

お礼日時:2018/05/03 02:41

>「自己顕示」「自己満足」「他人否定」ばっか・・・



そうですねー。何かをやっている人は、暇じゃないからそういうことをあまりしないのだと思います。結局、行くあてのない人の、使い場のない時間の、吹き溜まりと言うか、そんな感じになっちゃったんですね。そりゃ人も離れるんじゃないですか。

では、いろいろ文句垂れてる人たちに、かっこいい空条承太郎に一言言ってもらって私からは終わりにしましょう。(ちなみに、二つ目の解答の添付の画像はマフィアの幹部、ポルポです。)
「哲学カテのレベル」の回答画像22
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この回答へのお礼

OKWAVEからのいい流れがあって、同様のサイト中ではいい方だったと思う。
それが普通になったというだけで、日本社会のあらゆるところが思想統制され
た戦時中のようで、ひたすらクウキに従順で不気味ですらある。

物知り顔の中高年も結局「わが身可愛さ」で、クウキに従っているみたいだ。

だから…承太郎の言葉も届かないですね。

自己満足と自己顕示にどこまで堕ちてゆくかを見ながら、私は自分の征く道を
切り開いてゆくだけですね(かっこいいなオイ)。

お礼日時:2018/05/02 05:12

アインシュタインは静かさを希求していた。


お前もアインシュタインに見習ったらどうだ。
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この回答へのお礼

もうちょっとね。

お礼日時:2018/05/01 15:29

はあ…」←ひぃ ふぅ へぇ ほぉ

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

あほっ

お礼日時:2018/05/01 15:27

☆☆(回答№16)> 分かろうという気がない



★(№16お礼欄) というのはどういうことでしょうか?

☆ 単純には これこれこの用語は どういう意味だろうと思っても 
しらべずに放っておくことです。

あるいは 相手の言っていることが腑に落ちないと思っても 特には
尋ねずに過ごしてしまう。


さらには 哲学としてもうひとつあるのは 哲学が 迂回生産である
ので根気良さが要請されることだと思います。

そのいま特別に知らなくてもよいことでも その主題をめぐって考え
ておくべき可能性のあることがらであれば 特に理論立てる作業のと
きには その可能性を追究して遠回りをしておかねばならない。とい
うことが 要請されます。

魚を獲るときに 素手で川に入るのを堪えて 魚獲りの可能性として
網をつくってみようとか釣竿で釣ってやろうとかする場合が よく例
に出されます。



この根気よさというのは:
★ 哲学と言うものは素質がものをいう世界だということでしょうか?
☆ にかかわっているのかどうか。

かかわりが あるにはあるでしょうね。



ちなみにですが 女は そういう遠回りをするよりは これも別のあ
たまをはたらかせて そのような魚獲りのうまい人から 魚は買い取
ればよいといったふうに考えるのだとか。

真偽はさだかではありませんが 哲学は生きることであり 自由に快
適に――われもなんぢも――生きることですから 素質に応じて哲学
としてのそれぞれの道があるのかも分かりません。



いづれにしましても 哲学は 世界という重箱の隅から隅まで――理
論としては―― 突っつこうとするものだと思います。

突っつくクセがあるかどうかが 素質のひとつなのでしょうか。

自分で突っつくことをしなくても 誰か相手の持論にツッコミを入れ
るクセがあると レベルは上がって行くのではないかと思います。
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この回答へのお礼

物事を突き詰めようとする人は、恐ろしく純粋なところがあるのだろうと
思っています。
その純粋さは、時に自分の心を人前でさらけ出すという無防備さを見せる。

それを面白がる人間はいつの時代にもいたのでしょうが、その純粋さは僅
かな不純さにも反応し、心を閉ざす。

ユングとフロイトの決別は、このことを物語っているのだと思います。

「信頼」という言葉が出ましたが、「誠意」というものが前提になるのだろ
うと思う次第です、有意義な対話の成立については。

お礼日時:2018/05/01 09:32

すみません、よく理解できませんでした」←理解しなくてイイのでは?・・



どのみち 此処は あなたの頭中の世界・・

質問者の独断で 回答を 正解 不正解に振り分ける・・

質問者が知らない事が真実であっても 質問者が知らないので不正解に なる・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
質問者が 知ってる事で あっても 質問者の気分次第で 正解に なるか不正解に なるか・・に なる・・・・

例えば「カラスの色は?」と 質問したと する・・

回答に「ピンク」と あり 質問者がピンクがイイな・・と 思えば カラスの色は ピンクが正解になる・・

そんな 遊びサイトだって事・・
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この回答へのお礼

はあ…

お礼日時:2018/05/01 03:28

私は認知バイアスに罹ったような回答は好きではありませんね。


間違っていたとしても、その場その場での状況判断による最善の回答が望ましいと考えます。

人は年を取ると昔を懐かしみ、過去の記憶(表象)に漬かりたいのでしょうか。
老害は避けては通れないものなのでしょうか?
「ジャギお前もか?」とか。
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この回答へのお礼

普段は、曖昧で何が言いたいのかよくつかめない、気取っているのか?

気に入らなければすぐ切れる。

そして、嫌味、悪口、陰口…

品評会ものの、「模範的回答者」ではないでしょうか。

お礼日時:2018/05/01 03:24

哲学のレベルと言えば その出発点のレベルがいかにあれ そこ


から 日から日へ少しづつでも 高めて行けばよいわけだと思い
ます。


ただ そこで言えることがあります。:

先の者が後になり 後の者が先になると言われるように 後から
出発する場合には 先の者がすでに到達しているレベルにすぐさ
ま立つことが 可能だということです。


亀との距離のつねに中間点にまでしか追いつけないアキレスなの
ではなく 特には個別的な主題ないし論点については すぐさま 
後発のアキレスも先行していた亀に追いつくことができるはずで
す。

必ずしも数学の学習のように段階を追ってレベルを上げて行くと
いうことも まづ ないと言ってよいのではないでしょうか。


分からないことは――分からない鍵概念などは―― とことん尋
ねて行けばよいのですから。質疑応答とは そういう場だと思わ
れます。


分かろうという気がない――というようなひとつの問題があるの
ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

哲学と言うものは素質がものをいう世界だということでしょうか?

>分かろうという気がない

というのはどういうことでしょうか?

お礼日時:2018/05/01 03:19

昔に比べて突き詰めた質問についてあまり回答がつかなくなりました。

昔は質問者の投げかけた質問に対して、答えが出ようが出まいが、限界まで探った回答がついたものです。今ではNO1の人のような浅薄な揚げ足取り回答がつくだけです。

程度の低い質問に対して、回答がたくさんつくようでは、衰退が進みますね。
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この回答へのお礼

昔のことを知っているということは、そんなに若いというわけでは
なかったのですね?

時代の流れに乗っているということは、何事も衰退の一途、道理でしょ?

お礼日時:2018/05/01 03:11

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