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むかし読んだ「にあんちゃん」に影響され
今月末に九州の田川・飯塚へ行こうと思います。
ボタ山や炭鉱跡などの写真を撮りたいのですが
最寄駅など教えて頂けませんか?
特に「住友忠隈炭鉱」「三菱方城炭鉱」「旧三井田川炭鉱社宅・五杭社宅」
についての詳しい情報も頂ければ
嬉しいです。よろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

おはようございます。



ボタ山なら穂波町平垣のがきれいですね。いつも車でドライブなのではっきりとした交通手段は分かりませんが、大体飯塚駅から車で10分程度のところです。
http://www.yado.co.jp/tiiki/tikuhou/botayama/bot …

他の炭鉱跡は知りませんが、高校の頃にレポート研究で行った炭鉱跡が「三井田川炭鉱伊加利竪坑跡」です。
http://hasiru.net/~maekawa/mine/tagawa/ikari.html
田川石炭記念館から徒歩15分くらいのところだったと思います。

詳しい情報・・・と言うか炭鉱探訪マップのようなものがありますので、貼り付けておきますね。
http://hasiru.net/~maekawa/mine/fukuoka.html

美しいボタ山なら、糟屋郡志免の方にもありますね。でも、にあんちゃんの場所柄とは違いますが・・・昔は県内にも、ボタ山は結構沢山ありました。4~50年代くらいですが私も子供の頃、よくボタ山で合戦ごっこをしたり(セイタカアワダチソウを肥後守などで削って弓にしたり・・・)して遊んでいましたよ。本当に見られなくなりましたね。

田川の方ではありませんが、私自身「にあんちゃん」の世界も、実際に体験した最後の年代でしょうか。伯父が鉱山大学を出てニッタン幹部として勤めていて、伯母も秘書としてそちらに勤務していましたので、家が近かった分よく伯父や伯母の家に遊びに行った時に、炭鉱長屋の子と遊んだ覚えがあります。今思えば本当に驚くほどの劣悪な環境で、(いつも日陰の湿ったような匂いがしていました)大人はどちらかと言うと(炭鉱衰退期という事もあったのでしょうが)疲れた顔をして角打ちなどでクダ巻いている怖そうな男性や、生活に疲れたような感じの女性が多かったですが。あと、朝鮮からの労働者の方達も沢山いて言葉が通じない子も結構いたけれど、子供達は結構明るくて元気な子が多くて、大人は「行くな」と言いますが、市場の方に遊びに行くふりをしてよく遊びにいっていました。
ニッタンが閉鎖したとたん、長屋が一斉に取り壊されて一気にマンション郡に変わった時には、子供心に何だか物悲しい気持ちになった覚えがあります。

有意義な探訪になると良いですね。あまりお役に立てる情報はありませんが・・・ご参考の一部に加えて頂けると幸いです。
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この回答へのお礼

非常に興味深いお話を聞かせていただき感動して
おります。(ボタ山で合戦ごっことはスゴスギマス)
衰退期の炭鉱世界に生きる人々と生身でふれあったというのは、本当に貴重なご体験ですね。
土門 拳の写真集「筑豊の子供たち」を瞬時に
思い出させられました。
実は調べていくうちに「にあんちゃん」というよりは
むしろ炭鉱跡や、そこで従事していた人々の息遣い
のようなものに触れたいという気持ちが強まった為
今回の北九州行きを決めました。 が、
sophia35さんのレポートを読み、またまたその感が
深まった思いです!

おっしゃるように有意義な探訪にしたいと考えております。
心よりお礼申し上げます。

お礼日時:2004/10/18 16:38

御礼をありがとうございます。


何度もすみません、#2です。

あんな拙い話に感激していただいて恐縮です。
それで思い出したのですが、ニッタン(日炭)について下記のようなサイトがありますよ。
http://members.jcom.home.ne.jp/nittan-takamatsu/
この(4)の炭住の歴史の中のトンネルで私もよく肝試しをしたり、グラウンドで凧揚げをしたりしました。
今は面影もありませんが、歴史なども分かるのでご参考にされてみてください。

私はこの炭鉱から運び出される石炭を運ぶ港、若松に住んでいましたが、すぐ裏に大きな貯炭場とトロッコ電車があって、そこにも炭住(ここは荷役関係の方です)がありました。先にお話したボタ(少し小さめの丘くらいのが二つありました)はこの貯炭場にあって、雪合戦なども両方の丘で分かれてやってましたよ。雪玉にボタを入れて怪我させて「センセイんとこの嬢やが石入れた!」と告げ口されて、よく叱られていました(苦笑)

今は昔の話です。
ただ、どうしても炭鉱の話になると、炭鉱掘削の方に目がいってしまいますが、それにまつわる周辺にも様々物語があります。若松の「ごんぞ」なんかもそうでしょうね。
http://www.city.kitakyushu.jp/~wakamatu/midokoro …
若松は石炭で潤った街ですが、石炭で寂れていった街です。今は殆ど資料も残っていませんが、若し宜しければ、そう言った情報も仕入れてから、他の炭鉱を周ってみるのも面白いかもしれませんね。
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この回答へのお礼

またまた面白いお話をありがとうございました。
「嬢や」と言うと女性の方だったんですネ。
合戦ごっこと聞き、勝手に殿方と決め込んでおりました! 失礼いたしました。
ボタを入れての雪合戦も目に見えるようです!

私も炭鉱世界の事に関しては上でおっしゃっておられるように、周辺の言い伝えや物語など通して幅広く
触れていけたらと思っております。
2つのサイトは今夜ゆっくり見たいと思います。
九州行き、本当に楽しみです!
ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/18 23:20

ご存知かもしれませんが、JR九州大牟田駅最寄の


石炭産業科学館を基点にすれば三井三池炭鉱関係は
制覇できるかと思います。相談すれば多分関係施設への
アクセスも教えてくれるでしょう。

参考URL:http://www.sekitan-omuta.jp/top.html
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
炭鉱に関しての知識は皆無に近い状態でしたので
こういう場所で勉強してからのスタートも良いかも
しれませんね。
場所もわかりそうですし・・・。
トライしたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/18 16:09

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