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19世紀後半のロシア帝国の勢いは凄まじく、1853~56年のクリミア戦争ではイギリス・フランス・トルコ軍が連合してようやくロシアに勝ったという状況で、後の露土戦争ではお返しとばかりにトルコに戦争をしかけて勝っています。
また、19世紀後半は中央アジアの諸国を植民地化・保護国化を進め、沿海州を獲得するなどしており、それに警戒を強めたイギリスが光栄ある孤立を捨て、1902年に日英同盟を締結することとなりました。

19世紀後半のイギリスは世界一の超大国であったもののインド大反乱、アフガン戦争、ボーア戦争などで苦戦しており、フランスも文化面こそ世界の中心だったものの、軍事・経済面に関してはナポレオン失脚後、衰退する一方でした。

質問者からの補足コメント

  • 負けたといってもイギリス、フランス、トルコの連合軍ですから。
    あのイギリスも正面から戦うのを避けていたくらいですし、フランスくらいならガチで戦えば勝てたのではないでしょうか。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/01 17:15
  • 雑魚と断定する根拠が書かれていませんが。
    あの最強のナポレオン軍すら倒しているのですよ。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/01 17:44
  • ロシアが陸の帝王だった時期はあるのではないでしょうか。
    だとしたらイギリスに次ぐ超大国だったはずです。少なくともフランスよりは上でしょう。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/01 19:19
  • ロシアの軍事力を雑魚なんて言ったら笑われますよ。
    今でも軍事力で言ったらアメリカの次ですからね。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/01 19:43
  • 私はいろんな人の意見を聞いて知識を深めたいんですけど。

    いい加減な意見には補足しているだけ。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/01 20:36

A 回答 (9件)

>19世紀後半のロシアはイギリスに並ぶ超大国だったのではないですか?



当時のロシアは、イギリス並みの超大国です。
正確には「イギリス並みの超大国」ではなく「イギリスに次ぐ超大国」です。

当時は、イギリスがヘゲモニー(ナンバー1)で、ロシアがチャレンジャー(ナンバー2)です。
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イギリスに並ぶかどうかは分かりませんが、ロシアは19世紀以前から超大国ですよ。

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ロシア軍はこと防衛戦で粘り強い戦いをする印象があります。

セヴァストポリの戦いとかが有名ですよね。
実際に戦うとどうしても産業革命に出遅れたロシアの弱さが足を引っ張ていた感があると思います。
特に印象的なのはクリミア戦争時、帆船と旧型の蒸気船(外輪船)のロシアと新型蒸気船(スクリュー船)のイギリス・フランスの艦隊に手出しできずに沈んだことです。
兵站もイギリス・フランスは蒸気機関に対してロシアは馬車、帆船だったことから見ても、運べる量、速さ共に負けています。
そんな相手に約一年要塞を守っていたわけですから陸軍の質は決して悪いものではないと思います。
兵站に目をつぶれば陸の帝王と言えないわけでもないのかなと思いました。
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あなたがこれだけいろんな考えを聞いてもロシアは強かったと思っているんだったらそれでいいんじゃないですか?

この回答への補足あり
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ロシア帝国時代の経済力は分かりませんが、少なくとも軍事力では雑魚とは言い切れないという説もあります。



17世紀後半、ピヨートル1世が蜂起により皇帝の権限を剥奪されモスクワから追い出された時、お遊び係の「遊戯隊」が編成され戦争ごっこを楽しんでいました。

その戦争ごっこも次第に本格的になり、仮想都市を造って市街地奪還作戦をやったり、国の倉庫から勝手に弾薬を持って行って戦争ごっこに使ったりと、遊びなのにありとあらゆる作戦を作って、遊びと言うより軍事演習と言って良いほど進化していました。

ピヨートル1世の権限が復活すると、「遊戯隊」の優秀な兵士?が国軍の将校に昇格し、戦争で勝利に導いたらしいです。

おそらく19世紀に入っても演習の重要性は続いていたと思いますが、ソビエトになり、スターリンが優秀な将校を粛清してしまった為、もしロシア戦線で冬将軍とジューコフ将軍がいなかったら、総統閣下に負けていたと思います。
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何における超大国だったかという問題があります。


簡単に陸と海の問題だけに絞ります。

陸軍力に関しては間違いなく抜きん出ていました。
フランスやドイツがロシアに協調的だったのは、ロシアと地続きだったからです。
ドーバー海峡を隔てるUKと違って、たちまち攻め込まれる心配がありました。

当時の海の帝王は間違いなくUKです。
イギリス連邦の広がりがそれを物語っています。
このためロシアもドーバー海峡を越えて攻め入ることはできません。
UKはロシアに対して政治的自由を持つことができました。

また、イギリス連邦にも生かされた情報収集力や分析力、活用力は当時のロシアのとうてい及ぶところでありません。
これは日露戦争のとき、陰に陽に日本の大いなる力になります。
アルゼンチンが購入するはずだった軍艦にいち早く目をつけ、日本に買い取ってしまうよう勧めたのはUKです。
また、バルチック艦隊回航時、イギリスは良質の石炭を売らなかったり港を解放しなかったりと、取れる限りの妨害をしました。
イギリス連邦の枠組みやそこから培われた情報総合力は、その後も長く続き、今も世界に影響力を誇っています。

第一次大戦後、海の帝王の地位はアメリカにとって代わります。
なのでロシアが一位だった時期は一度もありません。
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イギリスはほとんどの戦争で 自国の損失を最小に押さえメリットを最大にするようにしています


なのでイギリスはいろいろな戦争で同盟をつくって戦っています
また植民地の反乱もあまり気にしていなかったと思います(他にも植民地たくさんあるし相手が雑魚だから)
ロシアですが19世紀の時ははっきり言って雑魚
イギリスとなんか戦ったら1ヶ月もかからないんじゃないかな(もっとかかるかもしれないけど)
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ロシアが関係する戦争は、毎回のように食料や弾薬を戦場へ送る兵站が問題になってます。


後年、ドイツがロシアに侵攻したときも、冬将軍に負けたというぐらい。伸びきった兵站が撤退を余儀なくしました。
 逆にもし、ロシアがフランスあたりまで侵攻したら、兵站を切られて、孤立状態になるでしょう。城攻めの法則と同じく、攻撃側のほうがより多くの戦力を必要とします。

ほぼ同じごろ、長州藩は四ヶ国連合艦隊と戦ってます。1国だけでやらず、何カ国もがタックを組んで戦うのは、そのごろからのヨーロッパの戦術。1カ国だけに狙いを絞って侵略というのは、やりにくくなってます。
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国土は広いですが、軍事力としては、微妙。


冬でも使える港が欲しいから、必死で戦力集中したのでしょう。
湾岸戦争と同じで、比較的弱いトルコだけなら大勝利だったかもしれませんが、他の国が助っ人に駆けつけてから、泥沼状態からじりじりと国力の差が出ました。産業革命の効力でしょう。
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