先日、友人と、犯罪者の、犯罪を犯す時点での精神状態に関して
議論になりました。
私は、現行の憲法にあるように、
心神耗弱の者は、この罪を減ず。
心神喪失の者は、この罪を罰せず。でしったっけ?
これでいいと思う、というか、
やはりそのようでなければならないと思うのですが、
彼は、そのようなことだから、佯狂が出てくるんだ、
結果的に重い罪を犯した者は厳重に処罰すべきだ、というんです。
確かに、法で罰する意味とは、次に起こる犯罪の抑止力にあるのだし、
罰しないことによって佯狂の犯罪者が出てくるのでは意味がありません。
特に、私は先日、堤真一主演の「憲法第39条」を観たばかりなので、
佯狂に関しては結構考えさせられました。
でも、ちょっと乱暴すぎないでしょうか。
犯人が次の犯行にうつるのを防ぐ必要性はあると思うのですが、
正常な人と同等に扱い同等の罰をくだすというのまではちょっと…。
そして、彼はこうもいいます、殺人のような重大犯罪を犯す者は、
その瞬間は、そもそも正常な精神状態ではないだろう、
正常か異常かという議論自体が無意味なのではないかと。
そう言われて、私は何も言い返せなくなってしまったんですが、
実際、普段正常な人間が瞬間的に異常な心理に陥って犯罪を犯すのと、
普段から異常な人間が異常な心理で犯罪を犯すのとはどう違うのでしょう。
この二者の犯罪の差異を誰か説明して下さい。
また、正常と異常とを的確に判断するということは可能なのですか?
教えて下さい。

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A 回答 (6件)

 1.異常な心理もその本人の持つ性質の一部であるから、


  裁かれて然るべき。
    
 2.その普段から異常と言う人は、社会的責任を持っていないのでは
  ないか?
  なんらかの障害で法律的に子ども扱いされている人ならば、
  異常な心理を持つかどうかという事ではなくて、
  子ども扱いされているというその一点で罪を免除されてるのでは
  ないか?

  人の行動は、常に外部の影響を受けているので、現実的には
  全て責任転嫁する事は可能です。例えば社会が悪い、育った環境が悪い、
  夏の太陽が悪い等。
   異常な心理が自分の意志に反して犯罪にせきたてたというのも
  同じような理論です。現実には正しいかもしれませんが、
  法律はそういうものとは別で、
  罪に対しては情状酌量というところを残しながらも
  ある程度罪に対して、因果応報といった事をしないといけないのです。
   
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この回答へのお礼

なるほど、正常か異常か的確な判断がつくのか、ということ以前に、法律にはその性質故の穴がある、ということに思い至りました。
そうすると、法律の中にある情状酌量という論理とは本当に不完全なものなのですね。破綻してますね。
今回、他の方の意見も参考にして自分なりに考えてみたところ、法治国家に生きる者として、足下を揺るがされたような気がします。
自分を罰するもの、自分を守るものである法律が実はこんなに不完全な曖昧模糊としたものだったなんて、と思わされました。
まあ、人が人を裁くなんて、そんなものなんでしょうねえ。
いろいろと考えさせられました。ありがとうございます。

お礼日時:2001/07/17 16:49

正常と異常とを的確に判断するには、当然、基準が必要です。


しかし、そんなものがあるのでしょうか?
まぁ、権力と権威によって基準ができていますが、、、

>実際、普段正常な人間が瞬間的に異常な心理に陥って
>犯罪を犯すのと、普段から異常な人間が異常な心理で
>犯罪を犯すのとはどう違うのでしょう。
これは、議論の余地がものすごくある問題だと思いますが、
私個人は、犯罪を計画するという状態が、すでに異常だと思います。
ついカッとなって、という精神も問題ですが、むしろ、
綿密に冷徹に犯罪を計画する精神の方が、異常ではなかろうかと、、、

いずれにせよ、法律というシステムで、全てを解決する
事は不可能です。
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この回答へのお礼

なるほど。そういう考え方もありますね。ありがとうございます。

お礼日時:2001/07/17 16:24

詳しい者ではないのですが、分裂病という病気は、神経症や鬱病と違って普段からコミュニケーションが取りにくい状態に置かれます。

つまり、完全な狂気ではないにせよ、普通の人が理解できない妄想に取り付かれ、それに沿った言動を繰り返します。例えば、宇宙からの電波が僕に世界を守れと言っている…というように。そのとき自分がおかしいかもしれないとは、ほとんど考えません。その延長線上で起こった犯罪は、彼に正常な判断能力がなかったとして、裁かれません。ただし、そのような人が犯罪的行為に荷担する確立は、特別に高いわけではありません。笠原嘉の『精神病』(岩波新書)によれば、犯罪率は刑法犯で0.1%、有罪人員は0.6%だそうです。

今回の大阪の事件は、詐病ですよね。佐賀のバス乗っ取りの少年も、確か精神病とは、診断されていないし、神戸の連続児童殺傷事件の少年も「その傾向がある」とされただけでした。その意味では、精神病者による犯罪の例をわたしは知りません。

正常と異常の違いは極めて相対的です。精神分析家のエーリッヒ・フロムは、『正気の社会』の中で、普通手を1時間以上洗う人は異常だといわれるが、手を一時間以上洗う人が大多数を占める社会においては、それは異常ではなくなると言っていますし、精神医学者のジャック・ラカンは、神経症者と普通者の間に構造的な差異は無いといっています。ただ、妄想や幻想の中で社会的な生活ができなくなることは、正常ということはできないように思います。

その意味で、犯罪に対して平等に罰を与えることは、万人に平等とはいえません(そこにあるのは報復の感情だけです.目には目を、歯には歯をだけでは、法治国家は崩壊します)。これは少年法に関しても同じです。社会的なハンディを考慮しないで、量刑を決めるのは、極めて不平等だといえます。痴呆のおじいさんが誤って火事を起こしたとき、その罪は問えません。小さな子供が悪気無く万引きしてしまった場合、その子に罪は問えません。精神の病気に関しても同じことが言えると思います。その意味で、彼等の病院における処遇を検討することは極めて重要なことだといえるでしょう。

この回答への補足

正常と異常の境目が、妄想や幻想の中で社会的な生活ができなくなることにあるのならば、
犯罪という反社会的な行為を行うことは異常性が顕われたということではないのですか。
私にとっては残虐な手口で無差別殺人を行うことは、異常以外の何者でもないように映ります。
しかし、正常と判断されれば当然罪を受けなければならない。
異常性が見つかれば罪は減らされる。
普段から社会的な生活ができなかったとみなされる者は罪を減らされ、普段は社会的な生活ができていたとみなされる者は罪を受ける、
ということにはならないのでしょうか。
犯罪の瞬間に異常性の発露があった場合と、連続して異常な心理状態の中で罪を犯した場合との、二者の間の違いは何ですか?
そして、裁く際にそれを正確に読み取ることは可能なのですか?

補足日時:2001/07/16 06:29
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この回答へのお礼

いろいろ考えさせられました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/17 16:27

映画「39条」も見ていませんし、法律も知りませんが、日頃思っていることを言わせてください。



私は犯罪者には、「罪」に値する「罰」を与えて欲しいと思います。
『心神喪失』かどうかは関係ありません。
『心が病んでいるかどうか』も関係ありません。
『犯行に至る経緯』も関係ありません。
『次の犯行の危険』も関係ありません。
『社会復帰の可能性』も関係ありません。
現在でもなく、過去でもなく、未来でもなく、犯してしまった犯罪に対して、罰を与えて欲しいのです。
それが「万人に平等」だと思います。

たとえば、自分に不都合なことをされたとき、相手を殺したいと思う心を、異常とは言い切れないと思います。
従って、「正常な精神状態だから犯罪を犯さない」とは言い切れないでしょう。
そういう点では、正常とか異常とかという論議には意味がないと思います。

だから、「罪を犯した事実」に基づいた「罰」を与えるのがよい、と言いたいのです。

しろうとが出しゃばってすみませんでした。

この回答への補足

それはとても「目には目を、歯には歯を」の考え方ですねえ。
しかし、「罪を犯した事実」自体が心神喪失状態、心神耗弱状態や少年などの責任能力を持たない者の犯罪においては
そもそも存在しない、という言い方もできるのではないでしょうか。
正常な精神状態ならば、人を殺すのは罪であることはわかります。そういう理屈が通用します。
しかし、心神喪失者に正常な精神状態の人と同じコードが適用できるかというと、
そうではない、罪を罪とわからずに犯してしまう場合が多いのではないでしょうか。
だからこそ、現行の法律ができたのではないでしょうか。
怨恨による殺人も、金目当ての殺人も、異常者の殺人も全て同じ罪では、
むしろ、万人に平等とはいえないのではないでしょうか。
結果だけを見るなら、それこそ過失致死も殺人も区別がつけられなくなってしまうのでは。

補足日時:2001/07/15 23:36
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この回答へのお礼

そういう考え方もあるのか、と、参考になりました。確かに加害者目線で考えるのも、それはそれできりがないことですよね。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/17 16:39

>、殺人のような重大犯罪を犯す者は、


その瞬間は、そもそも正常な精神状態ではないだろう

 殺人をして罰せられるのは、ある人を殺そうと思い立ち、それを実行して、結果を発生させたことを根拠とします。たとえ殺人の瞬間の精神状態がどうであれ、人を殺そうと思い立って実行したからには、殺人罪として罰せられます。例えば、人を殺す目的で、罪を免れるために自ら酒酔い等の心身喪失・心神耗弱に陥って殺人を犯した場合、たとえ殺人の瞬間に心神喪失・心神耗弱状態でも罰せられることになります(通説)。

この回答への補足

なるほど。しかし、心神喪失・耗弱状態に陥ったのも故意なのかどうかの判断も難しいですよねえ。
うーん。

補足日時:2001/07/15 23:27
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この回答へのお礼

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/17 16:37

正常と異常の線引きがどこにあるんでしょうか


何をすると異常で何をしないと正常なんでしょうか
y---katoさんも言われているように、犯罪を犯すその瞬間、正常で有り得るものでしょうか その瞬間だけとるのなら、全ての犯罪者は心身耕弱、心身喪失になりますね
心の病だと減刑されるんですか 体の病の人は減刑されないのに 心を病んでいれば何でもOKなんですか 殺された人は殺され損ですね 心の病の人に殺されるために生まれてきたんでしょうか
外国では精神疾患があっても、それなりの判決が出ます 精神疾患があるように偽る事も可能なんです 
私は精神疾患があっても、犯罪は犯罪ととらえるべきと考えています
今、この国に精神が健康そのものと胸を張って答えられる人、何人います?
私は精神疾患者です 鬱病です

この回答への補足

うーん。確かに、被害者の方からすると、計画的な犯行で殺されようが、
精神異常者に殺されようが、同じことですよね。
ただ、被害者の側に立ってのみ考えるとすれば、極端な話、
過失致死であっても殺人と同じ扱いということになってしまい、
加害者の話は誰も聞く耳を持たないというようなことが起こり得ます。
やはり、その行為に至る過程だとか心理というのは大切ではないかと思うんですが、
まあ、日本の裁判ではちょっと過程を重視しすぎる傾向があるらしいのですが、
やっぱり殺そうと思って殺したのと、ただわけもわからず殺したのでは、
遺族の心情も多少は変わるのではないかと思いますし。
たとえば小さな子供が店の商品を黙って持って帰ってしまったとしても、
法律以前に誰も罰する気にはならないでしょう。店の被る損害は同じなのに。
ただ、正常か異常か、物事の分別がつく状態かどうかを判断するのは、
外から見て判断するしかないわけですから、
果たして正確に判断することが可能なのかなーと。

補足日時:2001/07/15 21:52
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この回答へのお礼

確かに正常と異常の線引きは難しいですし、精神がまったく健康そのものなんて人はいないのかもしれませんね。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/17 16:35

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Q臨床心理学においての異常と正常

臨床心理学において「正常」と「異常」を取り扱うときに注意しなければならない点について。
心理的援助は問題を抱える人を対象に行われる事が多いため、的確な心理アセスメントが重要になりますね。
心理的状態の「正常」と「異常」について基本的にどのような姿勢がもとめられるのか、ニュースなどの事例を挙げてまとめる課題です。
アドバイスよろしくお願いします。

Aベストアンサー

心理学的にみた「異常」の定義には「適応的基準」「価値的基準」「統計的基準」「病理的基準」等があるとされています.

「適応的基準」というのは,社会生活をスムーズに送れなくなったのが異常であるという見方です.
ですが他者からなされる社会的判断にはその人の都合による一方的なものも多いようです(私が困っている=この人は異常だ,という見方になってしまう).
また,本人の主観的判断は周囲の社会的判断と必ずしも一致しません.
こういった観点から,臨床家は本人や関係者それぞれの判断を確認しなければなりません.

「価値的基準」は,ある理念体系に基づいた規範(ルール)の許容範囲外へと行動が逸脱した場合を異常とする見方です.

「統計的基準」は集団で平均に近い標準状態を正常として,平均からの偏りが大きい場合を異常とする見方です.
心理検査はこの見方から正常と異常とを分類しようとしているわけです.
ですが,この基準はどのような集団をサンプルとして平均を決めたかによって正常の範囲が簡単に変化します.にもかかわらず客観的な印象が強いので,大きな社会的影響力をもちます.
臨床家は統計的基準の適用に際しては充分に留意しておく必要があります.

最後の「病理的基準」は医学的判断から疾病と診断された場合を異常とする見方です.

以上のさまざまな基準や理論から心理的な異常を色んな側面から理解して,それらを総合して問題解決を目指すことが心理臨床家には求められています.
病理的基準だけから「異常」というのではなく,他の観点からの判断が重要になってくるということですね.
それは,病理的基準からは健康と判断される場合でも,その他の適応的基準や価値的基準からは介入が必要な異常であるとみなされるような例も多いからです.
また,病理的基準からは異常とされる人の健康的な側面に注目するというのが心理臨床家に求められる基本的姿勢です.
その意味でも,色々な基準から人を見ることが出来るということが大切です.

(参考文献)
石垣琢磨(2005)「異常の定義」.中島義明ほか編.新・心理学の基礎知識.有斐閣ブックス.13章2節:Pp464-465

(ほとんど参考文献からの抜き書きに近いので,ぜひ参考文献もご一読ください)

心理学的にみた「異常」の定義には「適応的基準」「価値的基準」「統計的基準」「病理的基準」等があるとされています.

「適応的基準」というのは,社会生活をスムーズに送れなくなったのが異常であるという見方です.
ですが他者からなされる社会的判断にはその人の都合による一方的なものも多いようです(私が困っている=この人は異常だ,という見方になってしまう).
また,本人の主観的判断は周囲の社会的判断と必ずしも一致しません.
こういった観点から,臨床家は本人や関係者それぞれの判断を確...続きを読む

Qなぜ人って議論したがるのか?

どう思いますか?

Aベストアンサー

司馬遼太郎の小説に土佐の暗殺された殿様の話(人評)だったか「議論が好きだった、誰としても勝てるからだ」というような一節がありました。この場合は議論をやはり自分の権威を広げる、勝負事として意識している人物が居ることを言っているように思います。私の経験でもそんな人は少なくないですね。
まあ他には自分の説を他人にぶつけてすり合わせ、より洗練されたものにしたいという欲求からなされることも多いと思います。

Q適切な行動に報酬、不適切な行動に罰、これ何という?

子どもや障害を持った方に対するものとして、適切な行動を取った場合、褒めてあげたり報酬をあげたりし、不適切な行動を取った場合、叱ったり罰を与えたりすることを心理学用語でなんと言いますか?
おそらく「~法」や「~療法」と呼ぶと思うのですが、、、。
また、こういったやり方を行動療法をいうのでしょうか?

どなたかご存知の方、ご返信お願いします。

Aベストアンサー

すでに詳しい回答が出ていますが,私なりの補足を。

ご質問の件は広義には「行動療法」でまちがいではありませんし,
細かく言えばオペラント条件づけに基礎を置く「オペラント技法」ということになるでしょう。
ただし,行動療法という用語には医療の一環というニュアンスがつきまとうため,
医療以外の文脈では「行動変容(法)」,ないし
「行動修正(法)という」呼称のほうが好んで用いられます。
理論的背景から「応用行動分析」と呼ばれることもあります。

まったく同じ原理に基づくプログラムは
・種々の技能訓練
・リハビリテーション
・障害児の療育
・犯罪者の矯正教育
・飼育動物のトレーニング
等々,幅広い分野で利用されています。

もうひとつ重要なこと。
オペラント技法は要するに
昔からある「飴(=強化)と鞭(=罰)によるしつけ」と同じと思われがちですが,
そうではなくて「飴(=強化)と無視(=消去)によるしつけ」であって,
「鞭(=罰)」は極力用いないというのが基本です。
罰の使用にはさまざまな問題点があることが知られているからです。

たとえば,
・効果が一過性で,罰がなければ繰り返す「罰依存」になりがち。
・罰を与える人や状況へのネガティヴな情動反応を引き起こす。
・罰を与える人や状況からの逃避や回避を学習してしまう。
・不適応行動や心身症といった副作用をもたらすことがある。
・罰のつもりが強化となってしまうことがある。
(例:先生の駄洒落にブーイングしたら駄洒落がますます増えた)

理解を深めるために
平易かつ正確な下記のサイトをお薦めしておきます。
「なんで犬のしつけなんだよ!」だなんて怒らないでください。
われわれは猿の一種であって,
犬と同じ原理で学習する動物なのですから。

■犬のしつけをまじめに考える!/犬の学習心理学入門!
 http://www.dogparty.net/Body/Learning.htm

すでに詳しい回答が出ていますが,私なりの補足を。

ご質問の件は広義には「行動療法」でまちがいではありませんし,
細かく言えばオペラント条件づけに基礎を置く「オペラント技法」ということになるでしょう。
ただし,行動療法という用語には医療の一環というニュアンスがつきまとうため,
医療以外の文脈では「行動変容(法)」,ないし
「行動修正(法)という」呼称のほうが好んで用いられます。
理論的背景から「応用行動分析」と呼ばれることもあります。

まったく同じ原理に基づくプログラムは
・種々...続きを読む

Q法律・罰などの心理学研究

おそらく発達の範囲に入ると思いますが

幼少時は犯罪の結果で罰を決めやすく動機などは考慮されにくい
とか聞いたことがあります。
これが記憶通りかどうかはわかりませんが、
法律や罰に関する発達心理学的な研究が書かれた本などが知りたいです。
お願いします。

Aベストアンサー

道徳判断や倫理観の発達ということでしたら
L.コールバーグ(Lawrence Kohlberg)の研究が古典的地位を占めています。
コールバーグの翻訳や解説書はいろいろ出ていますが,
コールバーグ理論の全体像を把握し,その背景や位置づけを知るには
近年出版された日本人研究者の手になる次の本が良いかもしれません。

 片瀬一男,菅原真枝,高橋征仁(著) 
 『道徳意識の社会心理学』  ニューセンチュリー社会心理学  北樹出版
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893848534/249-5619897-5721912

もっともコールバーグは1987年に死去していますので,
それ以降の「心の理論」研究の進展や「進化心理学」の隆盛によって
この分野には新しい知見が付け加えられているかもしれません。
そのあたりに詳しい方が書き込んでくださることを祈りましょう。


なお,発達研究というのとは違いますが,
最近出た次の本は道徳や倫理の問題を考える上での新しい視点を提示しています。
書店の店頭に並んでいるはずですので,一度手にとってみてください。

 M.S.ガザニガ(著),梶山あゆみ(訳)
 『脳のなかの倫理/脳倫理学序説』  紀伊國屋書店
 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4314009993.html

(この本の著者紹介に「米国心理学会の次期会長」とありますが,
ガザニガが2006年度の会長職についたのは
APA(American Psychological Association:メジャーだけど玉石混淆の学会)ではなく
APS(Association for Psychological Science:マイナーだけど科学性を追及する学会)のほうです。
専門家以外にはどうでもよいことかもしれませんが,誤解を招く紹介文ですね。)

道徳判断や倫理観の発達ということでしたら
L.コールバーグ(Lawrence Kohlberg)の研究が古典的地位を占めています。
コールバーグの翻訳や解説書はいろいろ出ていますが,
コールバーグ理論の全体像を把握し,その背景や位置づけを知るには
近年出版された日本人研究者の手になる次の本が良いかもしれません。

 片瀬一男,菅原真枝,高橋征仁(著) 
 『道徳意識の社会心理学』  ニューセンチュリー社会心理学  北樹出版
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893848534/249-5619897-5...続きを読む

Q2chanで、茶化す人は議論もするのか

議論目的じゃなく、茶かしとか冷やかしとか、自分の擁護する対象を批判する人をただ中傷するとか、そういうことをあるところでやっている人は、違うところではちゃんと議論しているということがあるのでしょうか?

私は、いかなるところでも、そういうスタンスを取ったことがないのでわからないのです。といってもあまりに中傷を受けるとやり返しますけど。

それと、つけたしですが、「頑なさ」というのは掲示板で非常に感ずることです。過度な頑なにこだわって、議論意見交換の場のはずが8割がた自分の主張をただ羅列しそれに反するものを攻撃あるいは無視するというだけのものに終わっていると思うのですが、こんなにも不毛なのはおかしいと思ってしまうのですが、どうなのでしょうか?掲示板によるということもあるのですが、2チャンネルのように敷居がないフリーな場所でそうなるということは、そういう、妄信、頑な、議論能力姿勢の欠如、それがすなわち世の中の縮図、心のレヴェルとかありようと考えられるのでしょうか。

Aベストアンサー

 ようはその場の雰囲気につられてついつい現象というやつではないでしょうか?
 なんか今ネット問題がどうのこうのという番組を自分もネットやっている分関連がないわけではなくニュース以外まったくと言って良いほどテレビを見ていなかった自分が珍しく見入りました。
その番組でも言っていたんですが該当インタビューで「半分無意識のうちに書いていた」「そこに誹謗中傷が書かれていたからつい釣られて書いた」的なことを言っていました。
 それみろやっぱりなと、ようはその場の雰囲気に感情が釣られるんですよ、基本的に人間は迎合というものが発生するとその場で感情が踊りだす癖があるようです、それが掲示板でも発生するということでしょう。
 掲示板はどう考えても人間が書いていますから、たとえ掲示板を見ただけでも人間という感覚や感情が介在して踊りだして釣られるんですよ、釣られて同じような誹謗中傷を書いてしまうという現象が起こるんでしょう
ご自身も>といってもあまりに中傷を受けるとやり返しますけど。>となっているわけですからあまりに中傷を受けた瞬間に抵抗の態度をとるという形で踊らされたということになると思いますよ

以上のことから
議論の雰囲気をもろにかもし出している掲示板ではそれに釣られて>ちゃんと議論している>のでしょう。


>茶かしとか冷やかしとか>
>自分の擁護する対象を批判する人をただ中傷するとか>
この理由は多分霊長類の所業というのが一番の理由だと思いますよ
>茶かしとか冷やかしとか>
霊長類は他の霊長類を手,道具,声を使って茶化したり冷やかしたりしますよね
>自分の擁護する対象を批判する人をただ中傷するとか>
霊長類の群れは他の霊長類の群れから攻撃されると一致団結して反撃しますよね?
まあ霊長類だと思えば可愛いもんじゃありませんか?

以上のことから
>こんなにも不毛なのはおかしいと思ってしまうのですが、どうなのでしょうか?>
確かにまともな人間としてはおかしいです、が霊長類としてはおかしくないです。
まあ斯く言う自分も同じ霊長類の素質は持っていますが・・・


>2チャンネルのように敷居がないフリーな場所でそうなるということは、そういう、妄信、頑な、議論能力姿勢の欠如、それがすなわち世の中の縮図、心のレヴェルとかありようと考えられるのでしょうか。>

考えられると思いますよ
 迎合にしても未だにその程度のレベルですから
フリーにされれば攻撃欲むき出しの霊長類に釣られて、それがあたかも当然かのごとく妄信し霊長類のレベルの攻撃文面を書きだす連中が出てくるということではありませんか?
 またそれを止めることが出来ない、格好付けて「そんな奴らを相手にするのはバカだ」とか言い出す輩も『怖いから』という霊長類のレベルに『格好付ける』というおまけまでついて逃げているだけでしょう。
 斯く言う自分もそういうものを最近見ると霊長類レベルに逃げているだけですがw
 >それがすなわち世の中の縮図>だろうね、付け加えれば「影に隠れて」が付きますかね、たまにその影に隠れてが表に出てとんでもない事件を起こしニュースに出てきますが、そのニュースを見て「なんて奴だ」と思っている人も似たような経路を通る可能性を持つ素質がどこかに眠っているということなんじゃないでしょうか?

 ようはその場の雰囲気につられてついつい現象というやつではないでしょうか?
 なんか今ネット問題がどうのこうのという番組を自分もネットやっている分関連がないわけではなくニュース以外まったくと言って良いほどテレビを見ていなかった自分が珍しく見入りました。
その番組でも言っていたんですが該当インタビューで「半分無意識のうちに書いていた」「そこに誹謗中傷が書かれていたからつい釣られて書いた」的なことを言っていました。
 それみろやっぱりなと、ようはその場の雰囲気に感情が釣られる...続きを読む


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