たたき台をしるします。添削をどうぞ。そして見解をのべてください。
*
1. 《知性》のあり方についての分類から始めます。
-1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム
世界との未分化にして一体性。
寄り憑く状態が つねなるかたち。
0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界の内への入り。《世界‐内‐存在》。
未分化状態を時間(生死)の自覚がやぶった。
+1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:世界の第二階(メタ・イリ)から
《ヨリ》を束ね(ファッショ) 《イリ》をも
社会力学上(政治的に) 寄せる。
2. なぜ 最後にヨセが出て来たのか。これは 要らぬものという理解に立ちます。
(人によっては 必要悪と言います)。これは 宗教(まつりごと)の始まりです。
2-1. マツリゴトとは 平屋建てだった市民の社会を二階建て構造にしてその二
階から共同自治する社会経営の方式です。マツリは 一階の人びとのお祭り。
3. イリなる歴史知性は 世界にあってわが生活すなわちわれらが共同生活にとっ
て互いの自由をとうとぶ。《時間的なること(存在)》をいつくしみ 限りあるもの
ゆえに互いの意志自由を重んじる。民主制である。
3-1. それには 《経験合理性》がそれとして とうとばれる。(事実認識が
基礎である。排中律や 因果関係の把握などをまもる)。
3-2. 特に経済生活では たとえば少ない費用で多くの成果を得ることを目指す。
これは 勤勉と呼ばれる。
3-3. 経済活動にあたっても 勤勉なるイリ歴史知性は 倫理の側面を重んじる。
ふつうにまじめに生きようとしており いわゆる人格の陶冶につとめ 継続性に立つ
商業道徳をおもんじるようになる。
4. ヨセなるスーパー歴史知性は イリ歴史知性と同じくこの勤勉志向を やはり
経済的にも倫理的にも問い求め さらには言わば徹底して目指すようになる。かんた
んに言って ガリ勉である。勤勉至高主義となる。
4-1. もともと優秀であって さらに優秀であることに価値を置く生き方なので
あると思われる。
5. ちなみにここで 人びとのふつうの勤勉にもとづく生活においては あやまち
うるスサノヲ人間語をしゃべると言える。その基礎において 合理性を問い求めてい
る。
5-1. 他方 勤勉至高主義を志向するガリ勉知性にあっては あたかもあやまち
得ない普遍性を問い求めて行く。たぶん 他人(ひと)に負けたくないから 他人の
上に立ちたいからだと思われる。
5-2. これを 科学および倫理にかんするアマテラス普遍語として獲得するよう
になる。アマテラス科学語とアマテラス人格語と。
5-3. 学力優秀で品行方正なる優れた人間が出て アマテラス普遍語をよく駆使
するようになるなら 自分からか周りの工作によってか すでに神のごとくいかなる
ものの下にも立つまいと誓うようになるらしい。その存在じたいが 侵すべからざる
神聖さを帯びたと見なされるように自分をも周りをもそして人びとをも寄せつつ お
しえ導くようになる。
6. 人びとのしゃべるコトバは スサノヲ人間語とアマテラス普遍語との二重構造
になった。(やがては アマテラス普遍語にも 片寄りが現われ 都合のよい部分で
普遍的な内容を示すだけのアマテラス方言もが 使われるようになった)。
6-1. そうして社会も あらためて言えば スサノヲ市民社会( die Susanowo-
schaft )とアマテラス公民圏( das Amaterasutum )との二階建て構造を採った。
国家と呼ばれる。《家》と言うからには 二階建てである。
6-2. もっとも現代ではすでに 主権在民とうたわれており アマテラス公民は
公僕であり スサノヲ市民のために社会を経営する。
7. さらにひとつの問題は 世界の経済活動において 勤勉至高主義なるガリ勉が
さらに徹底してガリ勉至高主義となって 経済合理性のみを追求するというウゴキで
ある。
7-1. たぶんそれは 人間観として 個人は:
《スサノヲ( S )市民=アマテラス( A )公民》
としての単一層なる人間像に立つゆえではないか。その思想の側から 出て来たもの
と思われる。日本人は 《 S - A 二層連関構造》なる個人ではないかと考えられる。
7-2. 言いかえると 《 S = A なる単一層》としての人間観に立つ人びと・つま
りは一般に欧米の人びとの社会は 次のような二階建て構造なのだと考えられる。
【スサノヲ市民社会(《 S = A 》人)- アマテラス公民圏(《 S = A 》人)】構造
だれもが アマテラス公民を志向するのであろうか。つまりは・だから《 S 圏 ‐ A 圏》
の二階建ては その二階A圏の住人が つねにひっくり返されるウゴキ( revolution )
を秘めている。ひとりの個人が 《イリ歴史知性=ヨセ超歴史知性》なる心的現象を示
す人間像であるように見られる。《万人の万人に対するたたかい Bellum omnium
contra omnis.》。
7-3. そこで特には経済基礎において ガリ勉主義としての論理徹底志向なる合理
性が グローバリズムとなって世界の隅々をも席巻しつつある。
7-4. ニートは このようなメーキャップをした世界の顔を見て ワルビレズ や
ってらんねえよと言ったのである。
8. わが日本の歴史にあっては 次のように見ることを仮説としています。
ヨリなる原始心性:縄文人
イリなる歴史知性:弥生人から始まって ようやくその時代の終わり・
つまりはそして古墳時代の始まりにあたる300年ご
ろからを当てる。
これは やまとのミワ(三輪)市政であると見る。
崇神ミマキ《イリ》ヒコイニヱのミコトに始まる。
ヨセなるスーパー歴史知性:400年ごろ起こった。
河内の応神ホムダ《ワケ》とその母・神功オキナガ
《タラシ》ヒメの登場による。
・・・
8-1. つまり 天皇家には イリ系とワケ系(=タラシ系)とのふたつの血筋と思
想としての筋があると見られます。
8-2. ワケ系(=タラシ系)が メタ・イリ思想としての《ヨセ》なるスーパー歴
史知性をになって噴き出て来ました。
8-3. 例の聖徳ボンクラ太子は 大陸への書簡にみづからを 《タラシヒコ(多利
思比弧)》と名乗ったとか。
A 回答 (11件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
現代中国語の勉強もなされているとは、素晴らしいですね。
なんとなく思っていることは、孔子が儒教のもととなって、仁や礼節を重視して、心の中にあるものは、そのひとの振る舞いになって表れてくるものだ、というふうに考えるのですが、なんとなく振る舞いさえ整えておけば、こころの奥底まで覗かれまい、と考えてしまうと、悪いひとたちが増えてしまう。
老荘や墨楊、のひとたちは、形式偏重になるのを批判するためにあるように思います。諸子百家は様々な試みにもみえて、豊かといえば豊かにみえて、混乱といえば混乱に思えます。
漢の時代に五経博士をおいて、周の時代を鑑にして、儒教と道教を並立させようと試みるが、統治という面ではどうしても儒教が主軸になるようです。
ひとびとはさまざまに活動している、社会は安定すれば、豊かさが爆発的にのびる、けれど、自然科学的な進展は、その道具すらなかなか見出せない。自然研究がなかなかうまくいかないと、なんとなく迷信的な自然観を生み出してしまう。そういう意味で、陰陽師や呪術のようなものが気になってきます。
できれば現在わかっているところの自然科学でそのあたりをみてみたい、とも思います。
わたしが小、中、高と習ったものを振り返ってみると、小学生のときに、すでに最先端のものまで習っているように思われ、その当時は、それはそうだからそうなのだ、という丸暗記的に教え込まれます。それで、なぜ、を繰り返すようにもなると思います。
中学校、高校と進んだら、小学校で習ったものごとの、説明の道具を教えられているようにも見えます。中学校や高校になると、小学校の習ったことの裏どりの勉強とともに、成長する自分自身のこころとからだのバランスをとることもあるようにおもいます。
それで、イメージしているものは、新幹線や特急のレールの上を爆走して進むひとびとと、線路のわきの小さな畑を黙々と手入れをしているひとびとのようなものです。
線路にはちゃんと意味があるし、ちいさな畑にもちゃんと意味がある。
天台大師が、如是相を、相如是、是相如、と読んでみたり、日蓮大聖人が、自我得仏来を自得我仏来と読まれたりします。
工学部くづれのあほう回答者は如と是と相は互いに違う文字なので 6 とおり、自と我と得と仏と来と互いに違う文字なので 120 とおりの読み方がある、などと考えたりします。
それは、大通りだったり、小径だったり、あぜ道だったり、けものみちだったりするようにイメージしています。
ご回答をありがとうございます。
★ 現代中国語の勉強もなされているとは、素晴らしいですね。
☆ ありがとう。外国語学部ですが 経営学ゼミでした。言語をいろいろ
まなぶことは苦に成りません。
★ ・・・孔子が儒教のもととなって、・・・(大幅に省略しました)
☆ そうですね。倫理学をかたちづくっていると思うのですが ひとつの
欠点は 身分制をそのまま踏襲していることではないかと。
★ 老荘や墨楊、のひとたちは、形式偏重になるのを批判するためにある
ように思います。
☆ 大道すたれて仁義ありですね。
墨子は読んだのに コメントするまでには到りません。
老子は 梵我一如の意味で《道人一如》と言ったとしたら そういう意味
と意義があります。ただし その政治観は いろいろ・さまざまなようで
メチャクチャなことを言っている場合もあるのでは?
★ 漢の時代に五経博士をおいて、・・・統治という面ではどうしても儒
教が主軸になるようです。
☆ タオイズムは 信仰もしくは宗教でしょう。
★ ひとびとはさまざまに活動している、社会は安定すれば、豊かさが爆
発的にのびる、けれど、自然科学的な進展は、その道具すらなかなか見出
せない。・・・
☆ それは バランスが必要でしょうし 併存・並立で行くんでしょうね。
★ ・・・小学生のときに、すでに最先端のものまで習っているように思
われ、その当時は、それはそうだからそうなのだ、という丸暗記的に教え
込まれます。それで、なぜ、を繰り返すようにもなると思います。
☆ おそらく かたちから入るという学び方もあるかと。
★ それで、イメージしているものは、新幹線や特急のレールの上を爆走
して進むひとびとと、線路のわきの小さな畑を黙々と手入れをしているひ
とびとのようなものです。
★ 線路にはちゃんと意味があるし、ちいさな畑にもちゃんと意味がある。
☆ なるほど。バランスがよくなかったが それでも おのおのの持ち場
が とうとい。(かな?)
★ 天台大師が、如是相を、相如是、是相如、と読んでみたり、日蓮大聖
人が、自我得仏来を自得我仏来と読まれたりします。
☆ これは 空海にも道元にも見られますね。ただ わたしが古語を知れ
たらいいなと思ったのは 原文ないしその言語の普通一般の読み方になる
かと。
No.10
- 回答日時:
『十八史略』の隗より始めよのところを読んでみたら、(孤)の字がありました。
やはり、諸侯の自称のようです。
それで、(多利思北孤)は臣下が北面してあいさつに来た多利思のように思えます。
従来のように中国側に朝貢しに来た感じにみえると、相手の気分は悪くならない
小野妹子さんのような留学生も肩身の狭い思いをしなくて済むかもしれません。
ご回答をありがとうございます。
★ それで、(多利思北孤)は臣下が北面してあいさつに来た多利思
のように思えます。
☆ わたしは――高校の漢文はやりましたが―― 現代中国語をや
っただけで 古語は知りません。
それで もしこの五文字を考えるならなのですが どうも語順がし
っくり来ないように思えるのですが どうですか。
我的利思比你多。 とか 孤北你。 とか。
いづれにしても 日本は 冊封体制に入るのを拒みましたので そ
ういった観点からも その昔の事件を見てみるとか。
No.9
- 回答日時:
あなたのお礼文を読んで思いました。
近頃は、北方謙三さんの水滸伝を買って、解説を読み、本文を斜めよみして積読用の棚に積んであります。十九巻のうち、半分のところまできました。解説のところには、吉川英治さんや、柴田錬三郎さんのものや、ほかのひとの水滸伝のよみかたのことがいろいろ書かれてあって、さらに読みたくなった場合の参考になりそうでした。
北方謙三さんは学生運動のひとなのか、そのようなことがあったり、キューバ革命について書くつもりだったが水滸伝を書くほうに移ったらいしいとかもあります。
ある意味、群記ものをビジネスでの生き方に参考にしようと読むひともいるかと思いますが、水滸伝の内容的な部分からは反体制的運動の読み方になるのでは、と考えてしまいます。内容は宋の世が乱れてきて、世を変えていこうとする人に盗賊のような人々が集まってくるような感じですが、その中心者の資質と、それを支える人々がうまくそれに呼応して組織的になるところがやはり難しいのだろうなと思います。
性善説と性悪説のような関係は、わたしたちの島国と大陸のなかでいきるひとのなかでは、どっちが性善説でどっちが性悪説か、というより、ものすごい揉まれ方をする大陸に住む人のほうが断然タフに思えます。
日本は明治維新で西洋近代をまねて、日清戦争、日露戦争に勝ち、日清戦争では、多額の賠償金を貰い、すこし頭がおかしくなったのではないかと思います。
西欧列強に対抗してアジアの開放をめざしたつもりだったと思うのですが、その後はアジアの開放というより、植民地化の二番煎じのようになってしまったように思います。
たぶん現地にいって日本語を強要するようなしかたなのだとおもいますが、相手側の言語や文化をよく知らなければ、共存共栄にはなかなかいかないもののように思います。
ひとりで中国にわたって、生きてこい、と言われたら、やはり怖いですね。
ご回答をありがとうございます。
★ 北方謙三さんは学生運動のひとなのか、そのようなこと(水滸伝
にいろいろな読み方)があったり、キューバ革命について書くつもり
だったが水滸伝を書くほうに移ったらいしいとかもあります。
☆ そうなんですか。つまり 次のような内容を帯びていると。
★ ある意味、群記ものをビジネスでの生き方に参考にしようと読む
ひともいるかと思いますが、水滸伝の内容的な部分からは反体制的運
動の読み方になるのでは、と考えてしまいます。
★ 内容は宋の世が乱れてきて、世を変えていこうとする人に盗賊の
ような人々が集まってくるような感じですが、その中心者の資質と、
それを支える人々がうまくそれに呼応して組織的になるところがやは
り難しいのだろうなと思います。
☆ いま日経新聞の私の履歴書では インドネシアの華僑なる実業家
が書いています。
故郷は 福建省の或る村だそうで その昔――山と海岸線に囲まれた
やせた土地にあっても―― 軍閥が戦争のときには通って行き 普段
でも土匪なるならず者が 村を荒らしにやって来たと言います。
★ 性善説と性悪説のような関係は、わたしたちの島国と大陸のなか
でいきるひとのなかでは、どっちが性善説でどっちが性悪説か、とい
うより、ものすごい揉まれ方をする大陸に住む人のほうが断然タフに
思えます。
☆ そういう現象になっていると思えます。
★ 日本は明治維新で西洋近代をまねて、日清戦争、日露戦争に勝ち、
日清戦争では、多額の賠償金を貰い、すこし頭がおかしくなったので
はないかと思います。
★ 西欧列強に対抗してアジアの開放をめざしたつもりだったと思う
のですが、その後はアジアの開放というより、植民地化の二番煎じの
ようになってしまったように思います。
☆ そのとおりであると同時に たとえば朝鮮半島の統治では まだ
社会的インフラが成っていなかったので――そこから搾取するのでは
なく・あるいは搾取をしながらも―― 国内からの持ち出しになるほ
ど資金を費やして 鉄道は敷くは学校を整備するはで 開発・発展を
実現したと見られます。
★ ・・・相手側の言語や文化をよく知らなければ、共存共栄にはな
かなかいかないもののように思います。
★ ひとりで中国にわたって、生きてこい、と言われたら、やはり怖
いですね。
No.8
- 回答日時:
急がなければ、人心をまとめ、そして世界の邪悪意思 " 魔 " を倒さなくては!!
その後の永劫自由意思を守る社会。
それはウ厨房毛ん時代が保証していけますからね!
AIモロボッと、友達よーyO!
あ ちなみに、
質問ぬしさん?
そろそろ賢者の称号とってみませんか?
紫 (ユカリ)の賢者の座が只今、空いているのです。
どうぞよろしくご検討ください。
ーー
世界の正しき騎士達、needなるニート彗星達を導けるのは、高きあなたの論理だけ!
かとも思いました。
これは今要らないかもしれませんが、お渡しします。
テンシ
angel
オビブリエル!
忘却を司れる。渾然一体、叡智の名前です。
がおきをつけてお使い ください。
よろしくお願いいたします…
m(_ _)m
エルミルシスティーア
紺是展開の座はどこ待て"
そうですね。
ニートのみなさんが 安堵を得て われがわれに還り しばらくは
世間に復帰しなくてもよいですから たましいの休息を十二分に摂
って あたらしい世界にそなえて欲しいです。
ご回答をありがとうございます。
No.7
- 回答日時:
蘇我氏と物部氏の話は歴史的教訓として大事ですね。
遣隋使、遣唐使を経て、日本の律令制が中国にならってできている部分と、遣唐使が廃止されて国風文化が広まった、
中国的文化と国風的文化とをみて、もともとの大和的文化はどのように推測されるのか興味はあります。
中国自体の中央集権的な官僚制度は、ひとびとの気持ちとしてはあまり満足できるものでなかったとしても、政治行政機構がある意味必要であるという点で我慢しているような気がします。
科挙の行われる形では、わたしたちも一生懸命勉強すれば、立派な地位につける、という点では、仕官は夢であるような気がします。決して庶民の暮らしが立派でないという意味にはなりませんが、実生活苦しさやわびしさを見てしまうと、なんとなく夢をみてしまうのではないでしょうか。
じっさいには加齢臭を漂わせ、禿げ散らかすほどみんなはたらいているように思います。
元や清の時代の、三国志演戯や水滸伝のような見世物も気になります。政府の目から隠れて行われるものなのか、政府もある意味黙認しているのか気になります。
いまの中国は共産党という名前をもっていますが、中央集権体制としては、もっとも中国らしい政治のしかたにみえます。
もともと、中国と長い付き合いがあったはずなのに、中国を恐れている。
中国の多くのひとびとが一生懸命はたらいているだけなのですがね。
ご回答をありがとうございます。
★ 蘇我氏と物部氏の話は歴史的教訓として大事ですね。
★ 中国的文化と国風的文化とをみて、もともとの大和的文化はどのよ
うに推測されるのか興味はあります。
★ 元や清の時代の、三国志演戯や水滸伝のような見世物も気になりま
す。政府の目から隠れて行われるものなのか、政府もある意味黙認して
いるのか気になります。
★ もともと、中国と長い付き合いがあったはずなのに、中国を恐れて
いる。
☆ いや この点は 大きな問題ですね。朝鮮とのあいだにも 同じよ
うな問題があると思います。
日本が明治維新を実現したあと 近代化へすすみ 半島や大陸と大きく
社会や経済の事情で差がついて来るという経過をたどりました。
そして いま眺めてみると その国民性なり社会の統治あるいは秩序の
あり方も じつは ずいぶん異なるものであったと分かって来ました。
ちょっと安易な比べ方かも分かりませんが いわゆる性善説と性悪説と
の違いが 色濃く現われて来ているのではないか。
そして はっきり言えば わたしたちは これらの隣人の生活慣習など
の点で ついて行けないと いまでは分かって来た。
★ 中国の多くのひとびとが一生懸命はたらいているだけなのですがね。
☆ をみとめた上でなお どうも違いがある。とわたしには 映ります。
一点。いくらか前に 韓国ドラマを数編見ていました。人びとがふつう
に平気でウソをつく。この点におどろきました。
中国人は 子どもをそこらに独りで放っておくと 攫って行くと言いま
す。
★ いまの中国は共産党という名前をもっていますが、中央集権体制と
しては、もっとも中国らしい政治のしかたにみえます。
☆ この点は 加地伸行の説として読んだことがあります。
ひとこと。連邦制にすればよい。また モンゴル・ウイグル・チベット
あるいは満州と呼ばれた東北地方 これらは 中国ではないと考えられ
ます。万里の長城の外は 中国ではないはず。
★ 科挙
☆ は きわめて民主的な選抜制度な割りには その後の行政のあり方
で 腐敗等の問題があるように見えます。
きわめて独断的な・理由説明抜きの議論でしたが。
No.6
- 回答日時:
私は自宅にある漢和辞典を引いてみて、(孤)には、臣下の自称、とありました。
これは大変なまちがいをしでかした!と思い、まず、おわびをして、それからなぜこんな間違い勘違いをしでかしたか、調べなくてはならないとあせっていました。
まず、『貞観政要』を繰ってみて、唐の皇帝は(朕)を用いている…
ふつうに考えて、中国の皇帝の自称は(朕)ですよね。
『十八史略』と『荘子』を調べているところでした。
あなたのお礼をみて感じたのは
ヤマト側でどのように名前をあらわすかあれこれ思案して(多利思比孤)としたが、「日没するくに」に中国側が少し気分を害して(多利思北孤)と記述したのだろうか、
(北の外れの臣下)(背く臣下)
のような、チクリと刺すようなことをしたのかな、とも思いました。
たいへんお騒がせしました。すみません。
ご回答をありがとうございます。
★ 私は自宅にある漢和辞典を引いてみて、(孤)には、臣下の自称、と
ありました。
★ これは大変なまちがいをしでかした!と思い、・・・
☆ いえいえ。疑問を感じ うたがってみるのは 学問の手続きです。
▲ (角川漢和中辞典:孤) ~~~~~
〔解字〕王侯の自称に用いる
〔字義〕王侯が自分を謙そんしていうことば
(貝塚茂樹・藤野岩友・小野忍編 1959)
~~~~~~~~~~~
☆ とありました。《王侯》と言えば 王の《臣下》も入るでしょう。
★ まず、『貞観政要』を繰ってみて、唐の皇帝は(朕)を用いている…
★ ふつうに考えて、中国の皇帝の自称は(朕)ですよね。
★ 『十八史略』と『荘子』を調べているところでした。
☆ あなたは 理系ではなかったの? 中国にくわしいですね。
★ ~~~~~
ヤマト側でどのように名前をあらわすかあれこれ思案して (多利思比孤)
としたが、「日没するくに」に中国側が少し気分を害して (多利思北孤)
と記述したのだろうか、
(北の外れの臣下)(背く臣下)
のような、チクリと刺すようなことをしたのかな、とも思いました。
▼(ヰキぺ:遣隋使) ~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E9%9A%8B …
§ 2 第二回(607年)
煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿に「蕃夷の書に無礼あらば、ま
た以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じ
たという。
なお、煬帝が立腹したのは俀王が「天子」を名乗ったことに対してであ
り、「日出處」「日沒處」との記述に対してではない。
「日出處」「日沒處」は『摩訶般若波羅蜜多経』の注釈書『大智度論』
に「日出処是東方 日没処是西方」とあるなど、単に東西の方角を表す仏
教用語である。
ただし、仏教用語を用いたことで中華的冊封体制からの離脱を表明する
表現であったとも考えられている。
~~~~~~~~~~
☆ 理由は別ですが 怒ったからには:
★ (北の外れの臣下)(背く臣下)
☆ というように その立腹の思いを表わしておいたかも分かりません。
比が北になっているのは 書記がまちがったらしいと言って弁明にも使
えます。
No.5
- 回答日時:
(孤)が皇帝自身をそう呼ぶのは宋の時代だったでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
▲(weblio/白水社中国語辞典:孤) ~~~
https://cjjc.weblio.jp/content/%E5%AD%A4
3. 封建時代の君主の自称.
~~~~~~~
☆ なるほど。みなしご児の孤に そういう意味があったのですか。
そして わたしはお詫びしなければなりませんが この《コ》に当た
る文字を いまのいままでアーチの弧だと思い込んでしまっていまし
た。申し訳ありません。また 気づかせてくれてありがとうございま
す。
とすると どうなるか?
つまり あなたの解釈としては:
★★(回答№3) 皇帝に比べて、多利思、あなたより多く利ある考
えをもつもの、と名乗っているとしたら、かなり怖いですね。
★★(回答№4) 〔双孤〕:皇帝であるあなたのともだちの多利思 /
〔北弧〕:皇帝であるあなたに背く敵の多利思
☆ つまり いづれの場合も 《孤と自称なさる・皇帝であるあなた》
という意味に採るわけですね。
可能性があるかどうか分かりませんが 倭国の王(天子)の自称とし
てではなく。
事実として おっしゃるとおりであったかも知れません。――という
ふうにお応えするしか ないですね。
ひとつ思うことは 例の倭の五王は 讃珍済興武という漢字でそれぞ
れが受け留められています。あるいはつまり 倭の側からすでにそう
いう漢字を当てていた。
応神ホムダワケの《ホム(誉む・褒む)》が 《讃》に意訳された。
言いかえると 訓読みを用いた。
そのツテで考えると いまの多利思比孤は 音読みで漢字に移し し
かも意訳をも帯びさせている。となるようです。
そうですね。《孤⇒ 孤と自称なさる・皇帝であるあなた》という意
味は 確実か?
だとすると 《利思が 皇帝なるあなたより多い》というような意味
でしょうか。
《利思》とは何か?
わたしには限界があるようです。
No.4
- 回答日時:
(比)が(双)のつもりで、皇帝であるあなたのともだちの多利思かもしれないし、(比)が(北)のつもりで、皇帝であるあなたに背く敵の多利思かもしれないと、皇帝が思うなら、これは、できるなら会ってどのような人物かみてみたいものだ、と思うかもしれません。
意外と外交上手なのでしょうか。
弧が どうして皇帝を表わしますか?
聞きそびれましたが。
▲ (ヰキぺ:多利思比孤 ) ~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%88%A9 …
§ 1.1 名
「俀王 姓 阿毎 字 多利思北孤 號 阿輩雞彌」とあり、
姓は阿毎、字は多利思北孤、号は阿輩雞彌という
~~~~~~~~~~~~~
ご回答をありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
(弧)は、皇帝のことを指しているとすると、
皇帝に比べて、多利思、あなたより多く利ある考えをもつもの、と名乗っているとしたら、かなり怖いですね。
側近は止めないものなのでしょうか。
そこまで読み込みますか。
《利》が《ラ》と読まれてはいますけど タラシヒコと言っている
と見なされています。
《比》は 原本では《北》と書かれているようだけれど 《比》の
間違いだというふうに捉えられています。
たしかに現代中国語でも 意味をも含むかたちで 音訳をするのが
一般のようですが。
ユーモア・ humour → 幽默(黙)
(ほかにも語例があったようですが 忘れました)。
ううーん。漢字の意味をも読み込むことについて よく分かりませ
ん。
ご回答をありがとうございます。
No.2
- 回答日時:
仏教を導入するのに、物部氏は、日本の神々が起こるかもしれない、と反対した。
そこで、蘇我氏ひとりに仏教を学ばせて、そのよしあしを調べさせた、
物部氏と蘇我氏が対立するようになって、物部氏がやっつけられた、蘇我氏はおごるようになって、みずからも滅んだ。
こうなってしまうと、仏教も傷ついてしまいます。
争いごとが起こると、それまでの培ったなにかを失ってしまうのでとても悪いことだとおもいます。
ご回答をありがとうございます。
★ 仏教を導入するのに、物部氏は、日本の神々が起こるかもしれな
い、と反対した。
☆ ええっと。この両氏の対立抗争は 問題にしてはいないのですが
聞いているところによると 物部氏も 仏教を採り入れようとしてい
たという説が出ています。
崇仏か排仏かのあらそいではなかったのだと。
くわしいことは 分かりませんが 権力を奪取するための政治抗争で
あったかも知れないと。
(物部氏の領地にお寺の跡が発見されたとかと聞きました)。
いづれにしましても ウマヤトは 戦争で蘇我氏に加担したはずです。
《和を以って貴しと為す》とは ちゃんちゃらおかしいと思います。
政治闘争に加わってはいけないというのではなく そうではなく 参
戦しているのに あとで和を以ってうんぬんとうそぶくのは おかし
い。
あるいは 《世間虚仮 唯仏是真》というのは やはりおかしい。仏
は 世間の中にあって初めてとうとい。と考えます。
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▲(ヰキぺ:物部守屋) ~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8 …
§ 1 生涯
物部氏は日本に伝来した仏教に対しては強硬な排仏派で、崇仏派の蘇我氏と
対立した。
ただし、物部氏の本拠の渋川に寺の跡が残り、物部氏そのものは廃仏派では
なかったという説もある。
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☆ 日本書紀の記述にもとづくヰキぺの記事に反する妄想としてのうたがい
をしるします。
つまり 物部は 崇仏派に対して敵対したのは むかしからの八百万の神々
を排斥するという一点についてであった。のではないかと。
《外道》排除という主張に反対した。
排《唯仏》派であったと。
あとは 武力闘争へとなだれ込みました。
その丁未の乱における聖徳太子はその和の精神が おかしい。
守屋のほうが 寛容で包容力があります。