痔になりやすい生活習慣とは?

大阪府吹田市千里山の歴史を調べています。

吹田市千里山西3丁目あたりは、住居表示前の住所が「千里山緑ヶ丘」でした。。自治会の名前にその名残があります。さらにその前は住所が「垂水」だったと記憶しています。ところがこの辺りの電柱には今でも「若葉町」と書いてあります。この辺りが若葉町と呼ばれていた時があるのでしょうか?また、垂水だと豊津村になると思うので、その時は島下郡ではなく豊能郡ということになるのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 豊能郡ではなく豊島郡です。

      補足日時:2018/05/07 08:36
  • うーん・・・

    Wikipediaは調査済みなので、回答はWikipedia以外でお願いします。

      補足日時:2018/05/07 13:51

A 回答 (2件)

じゃあ、図書館に行くと教えてくれますよ

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この回答へのお礼

ありがとう御座います。地元住民ではないのでネットで更に調べてみました。

以下のページに1920年の行政界が載っており、これによると豊津村の北側境界は、現在の千里山西三丁目、千里山西一丁目辺りになっています。
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/27B01 …

また、以下のページには1967年の地形図があり、これらの地域の住所が垂水となっています。これらから、この辺りは垂水村→豊能郡豊津村となった区域であることが分かりました。
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~syamada/map_syama …

また、以下ののページに大正時代の地図があり、この一帯が若葉町と呼ばれていたことが分かりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2018/05/12 17:58

旧大字



1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、島下郡佐井寺村と片山村が合併して、島下郡千里村(ちさとむら)が発足した。村名は佐井寺の北側の小丘が千里山(ちさとやま)と呼ばれたことにちなむ。1896年(明治29年)4月1日の郡の統廃合により、以降は三島郡に所属。

1920年(大正9年)から1928年(昭和3年)にかけて、大字佐井寺の西部において、当時としては大規模な住宅開発が大阪住宅経営株式会社によって行われた(後述)。人口急増に伴い、1931年(昭和6年)に大字佐井寺から大字千里山が分立したが、1921年(大正10年)に開業した千里山駅が「せんりやま」と読ませていたこともあって、大字の読みも「せんりやま」となった。

1940年(昭和15年)4月1日に、千里村は同郡吹田町・岸部村・豊能郡豊津村と合併して吹田市となり、以降は吹田市の大字となった。1960年(昭和35年)から1980年(昭和55年)にかけて数度の大字改編および境界変更が行われ、千里山の大字は消滅したが、千里山を冠した町名が9つ誕生した。

千里山霧が丘(せんりやまきりがおか)
千里山高塚(せんりやまたかつか)
千里山竹園(せんりやまたけぞの)1〜2丁目
千里山月が丘(せんりやまつきがおか)
千里山西(せんりやまにし)1〜6丁目
千里山虹が丘(せんりやまにじがおか)
千里山東(せんりやまひがし)1〜3丁目
千里山星が丘(せんりやまほしがおか)
千里山松が丘(せんりやままつがおか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E9%87%8C …
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この回答へのお礼

Wikipediaは調査済みなので、それでも不明なところを調査しているのですが。

お礼日時:2018/05/07 13:55

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