哲学の「意義」と「課題」を教えてください!「これっ!」という答えは、無い気がしますが、ご意見を聞かせてもらえると嬉しいです。

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A 回答 (4件)

文字どおりの意義は


【philosophia は知恵への愛・希求の意。西周(にしあまね)の訳語。
 賢哲の希求を表すために「希哲学」と訳したが、後「哲学」とした】

狭義で捉えれば
世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。
もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、
次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。
存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)
などの部門をもつ。

課題として、狭義で捉えれば「形而上学の解体」か。
俯瞰すれば下の方の指摘にあるとおり「学問のための学問」
になってしまっていることか。

何が見えてくるか。
フッサール的に言えば「見ることは難しい」ということ。
オレ的に言えば「考えるのは楽しいな」ということ。
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この回答へのお礼

一言で哲学と言っても、色々あるんですね。哲学がいろんな学問のもとと言われるのが分かる気がします。やっぱり、哲学って考える学問なんですね。
CUE009さん、ありがとうございます!

お礼日時:2001/07/18 11:15

哲学は大まかに分けると二種類ありますよね。


西洋哲学と東洋哲学。
西洋哲学は「自分の身の回りの物事を追求」し、
最終的に世界の中の人間を知ろうとする。
東洋哲学は「人間のあり方を追求」し、
最終的に人間と世界との関係を知ろうとする。
方向性は似ているようで微妙に違います。
しかし、二つに共通する課題はこれらを調べていくための
自分なりの過程を見つけることだと思います。
そこで得られる意義はおそらく十人十色。
答えを知ろうとするプロセスの如何によって
哲学の価値は変化していくものだと思いますよ。
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この回答へのお礼

「世界の中の人間」と「人間と世界との関係」‥。難しいですね。
たどり着いた答えだけではなく、そこまでの道程も大事なんですね。
sinbaさん、ありがとうございます!

お礼日時:2001/07/18 11:22

「意義」 真理、真実の追究。



「課題」 哲学学でなく哲学をすること。
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この回答へのお礼

ただ他者の哲学を学ぶだけじゃなく、自分で考えて哲学する事が大切ですね。fujinokiさん、ありがとうございます。

お礼日時:2001/07/18 11:07

 そもそも意義なんかあるんでしょうか(^_^;



 哲学は、究極的には、「この世(あるいは自分)が存在するのはなぜか」を問う学問なので、何かの役に立とうとか、そういった観念から生まれた物じゃない気がします。

 しいて言えば、人間の生き方とか、そういったものを最終的に導き出すことはできるでしょうけど……。

 あるいは自己満足でしょうか(笑)
 うーん、これが真理な気がするなぁ(^_^;
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この回答へのお礼

なるほど、自己満足ですかぁ。確かに自己を納得させている様なところもありますよねー。
deagleさん、ありがとうございます!

お礼日時:2001/07/18 11:04

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よろしくお願いします、哲学の授業の課題でかなり困っているのでご意見を頂けないでしょうか?(><)
授業で「真理とは何か?自分は真理をどう考えるか?」を考えて(哲学して)レポートにまとめよう!という課題です。レポートは2500字以上で、先生が求めているのは授業の確認(授業で習った真理説について改めてまとめるとか)ではなく私たちに「真理」について自分なりに考える事で「哲学」をして欲しいって事らしいです…(それが難しい!!)課題自体は私は結構面白そうだと思うし、2500字なのでなんとか書けるかな~と思ってたんですが・・・いざ書き始めるとどう展開して書いていけばいいのか全然分からなくて、まったく進められなくなってしまいました!!(>□<)もともと文章書くのは苦手ですし・・・
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Aベストアンサー

2500字も必要でしょうか?
私なら簡潔に一言書いて提出します。

「真理とは自然であると私は感じます。」

自然って?て聞かれたら口頭で説明しますがそれを書けといわれると、2500字じゃたりないかもw
じゃあもとい! もう少し補足しましょう。

「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが
ずっとそこに在るもの。
つまり真理とは自然の法則がそれで、私たち個人のあり方によって形をその都度変えるようなものではなく、さりとて人間的な感情を持ち合わせるような類のものでもない。
人によっては真理という人もあれば、神と呼ぶ人もあり、その呼称は
信じる表現(宗教)によって様々である。
我こそ真理を見たり!!と叫ぶものあれば、あれは邪教だと誹る声もあり。しかしながら、真理とは異端の能力を持った人間のみに理解できるものではなく、また、それを信じる者と信じないものとを分け隔てるものでもない。
生きとし生けるもの、存在する全ての物に至るまで完全なる平等によって包むもの。
つまり真理である自然がそれである。
何人たりとも、またどんな僻地の些細な出来事においても自然の法則を逸脱して活動することはなく、完全なる数学的な正確さでもって絶え間なく営まれているのである。
完璧とはわれわれ人間が永久に到達し得ない概念としてある地点であるが、自然は完璧を備えている。
不完全である我々が、はたして完全を理解できるのであろうか?
自然が未だ神秘に包まれているのは、その所以だと私は思う。」

こんな感じ?

短いか^^;;

2500字も必要でしょうか?
私なら簡潔に一言書いて提出します。

「真理とは自然であると私は感じます。」

自然って?て聞かれたら口頭で説明しますがそれを書けといわれると、2500字じゃたりないかもw
じゃあもとい! もう少し補足しましょう。

「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが
ずっとそこに在るもの。
つまり真理とは自然の法則がそれで、私たち個人のあり方によって形をその都度変えるようなものではなく、さりとて人間的な感情を持ち合わせるような類のもの...続きを読む

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「二流の哲学は役に立たない。」と言う事ではないかと思うのですが、如何でしょうか?

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二流というか、自分なりのポリシーに類する哲学は
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大学で、「~を哲学せよ」というの課題が出たのですが、これはどのように考えたらいいのでしょうか?

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「~」のところに意味の解らない・無い言葉が入るのであれば

それを観て感じたことから始めてみては如何でしょう。

まず「解らない」と言う所から。

解らないとは何だろう。知らないということ。無知と言うこと。
無知によっていかに失敗しやすくなるか。それによって我々はどのように苦しみ悩んでいるのか。

「解らない」と事実を認めることなく、気付くことなくそこに勝手に価値判断したり概念によって何か決め付けたりしたらもっと苦しみ悩むことにならないだろうか。自分達はそのようにしていないだろうか。

価値概念を自分勝手に判断しないようにしたらどうなるだろう。

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…ブッダの考察を参考にざっと書いてみました。

お役に立てば幸いです。

「~」のところに意味の解らない・無い言葉が入るのであれば

それを観て感じたことから始めてみては如何でしょう。

まず「解らない」と言う所から。

解らないとは何だろう。知らないということ。無知と言うこと。
無知によっていかに失敗しやすくなるか。それによって我々はどのように苦しみ悩んでいるのか。

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Aベストアンサー

元哲学専攻の大学院生です。(専攻は近現代ドイツ思想付近)
「某氏の質問」とやらを拝見していないので、見当違いでしたら申し訳ありません。

私は、哲学とは「誰もが当たり前だと思っていることをもう一度考え直してみる学問」だと思っています。
たとえば「世界は本当に存在しているのか?」とか、「人を殺すのは悪いことなのか?」とか。

普通の人は「そんなの存在してるに決まってるじゃん」「殺しちゃ悪いに決まってるじゃん」と、特に根拠があるわけでもないのに思いこんでいますよね。そこをあえてもう一回、本当に正しいのかどうか論理的に証明してみよう、という試みです。

確かにこの証明のプロセスを「屁理屈をこねまわす」と言い表すことも出来ますが、屁理屈をこねまわす理由は決して自己顕示欲ではなく、純粋な知的好奇心です。

証明に成功したら、「やっぱり正しかった」と安心してこれから生活できます。万が一「正しくない」という証明になってしまったら、我々は手遅れになる前に根本的な物の考え方を改めなければいけません。どちらにせよ、無意味ではないと思います。

*

ところで上記の通り、哲学とは常識を疑う学問であり、それは根拠のない常識の上に安住している一般市民を不安がらせ、敵に回す行為にも繋がります。

時に哲学者が攻撃的な人物に見えて、普通の人から煙たがられることもあるのは、その学問の性質上、仕方ないのかもしれませんね。

元哲学専攻の大学院生です。(専攻は近現代ドイツ思想付近)
「某氏の質問」とやらを拝見していないので、見当違いでしたら申し訳ありません。

私は、哲学とは「誰もが当たり前だと思っていることをもう一度考え直してみる学問」だと思っています。
たとえば「世界は本当に存在しているのか?」とか、「人を殺すのは悪いことなのか?」とか。

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違うとすると、何か「哲学すること」に固有の技法、頭の使い方があるのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるものですね。註:天の川が北極星ですね。
「「哲学する」にはなにか固有のコツや方法があるのでは、
ということですが」 「ありますね」
そのひとつはあなたの持っている知識や常識をすべて白紙に戻して再度論理的に考えてみる方法ですね。これは何故・何故という方法ではないですよ。まず頭の中をすべて見直して納得できるものと納得できないものを分類し、納得できるものについて更に何を根拠に納得したかを見直すのです。その根拠を白紙に戻し、それを繰り返す方法ですね。納得できないものについては書を読み根拠を探すのですね。その中で納得できるものがあれば、同じ過程で見直します。
このようにしてあなたの頭の中の金歯を捜すのですね。一個もないときはすべて捨てて学びなおしですね。やってみればわかりますが殆どがごみ知識ですね。ごみ知識をふるいにかける過程を「哲学する」といってもいいですね。
追加の参考まで

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
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