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登山家の栗木さんがエベレストで死んだ。 ご冥福を祈る。 登山のことは何も知らないが、専門家は無謀な行動だったと言う。 これほどの話題になるのは、日本人が人間の生命を大切に思う証左だ。 世の中は健全だ。

バイク好きなら誰でも知っていることだが、イギリスにある小さな島「マン島」で毎年オートバイレースが行われている。 一般道を300km/hオーバーで疾走するレースは迫力満点で、理屈ぬきに楽しい。 このスリルを見てしまうと、サーキットのそれでは満足できなくなる。

ところが、このレース毎年死者がでる。 当然だ。 公道には十分なエスケープゾーンが用意できないし、道幅も狭い、路面も荒れている。 そこでの転倒は死を意味する。 幸い昨年2017年と2012年は死者がでないが、一昨年(2016年)は4人が死んだ。 1907年以降死者は250人を超えた。

こんな生命を粗末にするようなことが、熱狂的に参加者したい人がいるから、熱狂的に見たい人がいるから、100年を超える伝統だから、観光としてかかせないから、様々な理由のもと継続されている。

頭は混乱するばかりだ。 両者を知っていて、納得している人に意見を聞きたい。

A 回答 (5件)

山で、海で、空中で或いはモータースポーツの世界で、


取り組む各々の方は少くとも自身の命を燃焼させてる訳ですから、
端が理解しようとしよまいと基本的に無関係なんでは?、

当事者は「死ぬかも知れない」のヒョットしたら自覚も無いかも知れませんね、

有って尚且つ燃焼に重きを置かれてる、

そんな程度では?、

開催する意図、取り組む心情は当事者以外には窺い知る事は不可能では?、

文面は単に質問者さんの価値観と心情を綴っただけの物に見えます。
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この回答へのお礼

おっしゃることはその通りです。 無謀なことに命をかけてしまう情熱が分からないでもない。 文面は私の価値観と心情を綴ったものだし、混乱する気持ちを正直に書いたものです。

マン島に関してはエスケープゾーンが皆無な環境で時速300kmを超えるスピードで疾走すること、技量不十分な素人が参加できること、死者のほとんどがアマチュアであることが違和感の原因だ。

栗城さんも同様で技量不十分にも関わらずというのがある。 植村直己が遭難死したときとは感じ方がまるで違う。
命を粗末にしているという気持ちがぬぐえない。

でも、みんな納得しているのだね。 私はまだ達観できていない。

お礼日時:2018/06/07 22:14

「生命を粗末にしている」の主語は「栗城さん」や「ライダー」ですか?

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この回答へのお礼

そうだよ。

お礼日時:2018/06/02 08:25

"生きるとは呼吸することではない"です

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この回答へのお礼

生命を粗末にしている気がしてね。

お礼日時:2018/05/28 14:57

三流地方新聞のコラムレベル。


(ソースがあるのだろうか)


>頭は混乱するばかりだ。

混乱している理由が不明。
(私は『「エベレスト」と「マン島」を比較して混乱出来る事』に混乱しています)
どちらの件も当事者(登頂者、レーサー、観客)は自己責任を受け入れていると思います。

そして、どちらの犠牲者も ごりっぱな部外者たち は悼んでいると思います。



>意見を聞きたい。

1:「命の重さ」をネタにご立派な事を語ろうとして、失敗している。
(パ○クの屁理屈以下)

全ての「可能性としての危険」を人権の元に規制するべきだというなら、パヨ○の「差別ニダ!」以下まで堕ちると思います。

2:他人様から好意で回答をもらおうというなら、文章には配慮して下さい。
「生命の重さ、 マン島TTレース。 登山家」の回答画像2
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たとえば長野諏訪の御柱祭。


寅年と申年に行われる奇祭ですが、近年では1980年、1986年、1992年、2010年、2016年に死亡事故が起きました。先程書いたように寅年と申年にしか行われないお祭りなのに、こうしてみると、ほぼ毎回死者が出ています。
 大阪岸和田のだんじり祭。こちらも何年かに一度死亡事故が起きています。
事故が起きることで有名な2つの祭りを例に上げましたが、おそらく全国各地で伝統的に行われている荒っぽいお祭りでは毎年どこかで事故が起きていることでしょう。

 しかし、祭りをやめようという声は当事者たちからはもちろん聞かれません。
もちろんカーレースも、お祭りも事故が起きる度にレギュレーションが変わったり、より安全な祭礼を目指しているはずです。しかし、事故はなくなりません。

 植村直己にせよ、アイルトン・セナにせよ、おそらく死なない限りやめられなかったんでしょうね。個人的にはこうした山登りやモータースポーツと宗教行事は別物と考えたいですが。
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この回答へのお礼

なるほど。 神事ではそういう事故があるのですね。 私としてはこれも解せない。 辞めろという気持ちはない。 ただ解せない。

植村直己にせよ、アイルトンセナにせよ、死なない限りやめられない。 そういうことなのかな? 他人が口出しする問題ではない。 そうかもしれない。。。。。。 少し納得。。。。 いや、まだ解せない。

お礼日時:2018/05/25 21:42

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