アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

芥川龍之介の蜜柑について質問があります。


1.小娘の持っていた風呂敷の中には何が入っていたのでしょうか?憶測でも構いません。
2.大正時代に蜜柑はどうやって手に入れていたのでしょうか?どこから小娘は蜜柑を持ってきたのでしょうか。

推測でも構いませんのでお答えいただけますと幸いです。

A 回答 (1件)

1 奉公に出る少女のようなので、わずかの着替えと身の回りの品~例えば洗面道具や


 衣服の繕い用の裁縫道具など~が入っていると考えられます。また、親が用意した
 であろう、奉公先への挨拶代りの品(お菓子など)も入っていた可能性が高いように
 思います。

2 江戸時代、紀伊国屋文左衛門が蜜柑を江戸に運んで大もうけをした話があるので、遅
 くても元禄期以降は、少し贅沢をするつもりなら江戸や周辺の都市住民には手に入った
 ものと想像します。時代は下って大正ですので、江戸時代よりは多くの地方で、また、
 それなりに安価に蜜柑は入手できたのでしょう。場面は横須賀ですが、この少女は、横
 須賀駅周辺の果物屋か八百屋で買ったのではないかと思われます。

蛇足です;小生が初めてこの作品を読んだ時、芥川にしては、安っぽい作り物だなと、生
    意気にも思いました。窓を開けて手を振る、弟らの名を呼ぶなら、それは分かると
    して、何で蜜柑を投げ与える必要があるのか?横へそれて潰れたりとかすることも
    あるだろうに、それに思い当たらないほどの少女の愚かさを芥川は兄弟思いの純真
    さにすり替えようとしているみたいだ、云々。少女が家を出る時に蜜柑を弟たちに
    与えればよかったのに、それでは小説にならないので、あえて、列車の窓から蜜柑
    を投げ与える設定にしたのだろうと疑ったのですが、今思うと、①少女はこの先当
    分会えない弟たちを想って、奉公に出かける際には何か好きなものを買ってやると
    既に約束していて、それが蜜柑だった。②貧しい少女の家の近くでは蜜柑を売って
    いるところが無い。③横須賀まで出れば蜜柑は売っているが、弟たちの交通費まで
    は親も少女も出せない。などの事情があったのか、と最初に読んだ時から半世紀も
    経って思う次第です。ご参考まで。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す