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卑弥呼は何故古事記に現れないのか教えて下さい。

A 回答 (6件)

私の勝手な憶測ですが、魏志倭人伝に卑弥呼の邪馬台国の国々が、南の狗奴国と争っている旨の記述があります。

なので、おそらく狗奴国が邪馬台国を滅ぼしたのだろうと考えています。畿内のヤマト王朝は、その狗奴国とは後に九州征伐などで関係を持ったのでしょうが、邪馬台国とは直接関係を持っていないので、記紀にもその記述がないのでしょう。

余談ですが、卑弥呼はピミホ(pimiho)という発音だったと考えられています。ピ(pi)音は、フィ(fi)を経て現在のヒ(hi)になってることが分かっています。ホ(ho)が問題で、当時の日本語にはハ行の音がなかったことが知られているのですが、記紀の記述などから呼の文字をヲ(wo)の音に充てているのが散見されるため、卑弥呼もピミヲだったと考えられている、はず、です。これを現在の音にするとヒミオ(himio)となります。
ちなみに呼をコ(ko)と読むのは平安時期ころからと分かっています。
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この回答へのお礼

貴重な情報有難う御座いました。
詳しく調べたいので、良い文献があれば教えて下さい!

お礼日時:2018/06/13 07:56

神功皇后の記事についてですが、日本書紀などを書いたとき(7世紀ころ)には、中国の史書である三国志は超有名書物として知られており、当然のごとくそれを無視するわけにはいかない状況なわけです。

なので、神功皇后の年代をきっちり60年(干支で1周期)ずらして、神功皇后の年代と三国志に書かれている卑弥呼の年代を”かなり意図的に”合わせて記紀は書かれています。そういう事ですので、これは全く証拠などにはならないお話です。

ともかく日本人は記紀に1500年以上洗脳され続けているので、『日本は天皇が最初からずっと支配しつづけてきた土地だ』という先入観から抜け出せずにいるのです。いくら考古学で、各地にそれぞれを支配する有力者が表れ、それが後に結束していったようだ、などと学術的に述べても、誰も耳を貸そうとしていないのです。
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この回答へのお礼

勉強になりました。
ありがとう御座いました。
詳しく調べてみますが、良い文献があれば教えて下さい。

お礼日時:2018/06/13 07:53

古事記にも日本書紀にも「卑弥呼」という名前は出てきませんが、日本書紀は神功皇后の治世に関する記事のなかに「魏志云。

明帝景初三年六月。倭女王遣大夫難斗米等。詣郡、求詣天子朝献。」などと魏志の卑弥呼関連記事を引用しており、日本書紀の編纂者は神功皇后を魏志倭人伝の卑弥呼とみなしていたことがわかります。古事記の編纂者が同じ認識をもっていたかどうかはわかりませんが、古事記にも神功皇后は出ています。
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この回答へのお礼

勉強になりました。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2018/06/13 00:12

当時の音韻体系だと、ヒミコではなく、ピミクゥらしいからね。


古事記や日本書紀、続日本紀は国書ですから、征服した民族についてはあまり書かれていません。隼人や熊襲、阿弖流為などは数少ない例だと思います。
畿内平定についてはあまり記載がありません。
一般的には継体天皇あたりから実在とされていますから、卑弥呼とは200年空いています。
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この回答へのお礼

確かにそうですね。
支配側の視点で歴史書を作り上げてしまう可能性が有りそうですね。
今となっては分からないですよね。
有難う御座いました。

お礼日時:2018/06/13 08:00

国譲りの段には、自分は別の神を信じているので従えないとあります。


これを卑弥呼 だと考える人もいます。

似た人物は多いのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/倭迹迹日百襲姫命
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この回答へのお礼

謎が多いですね。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2018/06/13 08:04

「卑弥呼」というのは例えば「ジパング」みたいに海外からの、この場合中国側の呼び方であって、日本での表記ではありません。


なので日本の書物には載っておりません。
日本でなんと呼ばれていたかが不明なのです。
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この回答へのお礼

ヒミオの様です。
ヒミオは平安時代からの様ですね。
この投稿で教えてもらいました。
謎が多いです。
新しい情報があれば教えて下さい。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2018/06/13 08:09

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