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わたしは今ドラマで「忠臣蔵」を見ているのですが何故、吉良上野介さんは浅野内匠頭さんに対して嫌がらせ(?)をしたのでしょうか?
わたしは「忠臣蔵」は全くといって良いほど素人なのでテレビドラマをすんなり受け入れちゃっているのですがどうして吉良さんが浅野さんに対して嫌がらせ(?)をしたのかが全く分かりません

過去の質問等を見てみてそれらしき答えは幾つもあったのですがピンと来なかったんです
というのもわたしが知っている嫌がらせの理由というのが
「吉良上野介は浅野内匠頭の妻を見てその美しさにみとれてしまって自分の(もしくは息子の)妻にしたいと思うようになった。その為には夫である浅野内匠頭が邪魔だった」
というものなのですが実際どうなのでしょうか?

またわたしはテレビドラマで入ったくちなので吉良さんには好意感を持てません
ですのであまり吉良さんを正当化されるような返答は頂きたくないのですが...
ではこんな無茶苦茶な質問ですがお暇なときで良いので返答をお願い致します

A 回答 (10件)

> わたしはテレビドラマで入ったくちなので吉良さんには好意感を持てません


> ですのであまり吉良さんを正当化されるような返答は頂きたくないのですが...

でも、史実は史実として認識してくださいね。
だって、ご質問中で

> 実際どうなのでしょうか?

とお問いになっていらっしゃるのですもの。

> 「吉良上野介は浅野内匠頭の妻を見てその美しさにみとれてしまって自分の(もしくは息子の)妻にしたいと思うようになった。その為には夫である浅野内匠頭が邪魔だった」

は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」のおハナシです。
時代設定も足利時代で、浅野内匠頭は塩冶判官高貞(えんやはんがんたかさだ)、妻は顔世御前(かおよごぜん)、吉良上野介は高師直(こうのもろなお)という役名(?)です。
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」も面白いですから、ぜひ一度ご覧ください。

専門は違う時代ですが、日本史を専攻した者です。
そして、吉良家の領地だった「吉良町」のある愛知県に住んでいます。
吉良上野介義央さんは、領地の吉良では「赤馬の殿様」として人気があったようですね。
愛知県警・西尾署のHPにちょっと書いてあります。
http://www.pref.aichi.jp/police/syokai/map/nisio …

私が歴史の勉強をしている範囲で知ったのは、No.2さんのおっしゃっている「塩」が原因の1つだったということです。
吉良の塩より赤穂の塩の方が良質であったため、吉良上野介さんが、浅野内匠頭さんにその製法を教えてもらおうとしたけれど、浅野内匠頭さんは教えてくれなかった-ということらしいです。

また、浅野内匠頭さんの「付け届けが少なかったから」という説については、歴史的観点からいえば、「付け届け」ではなく「教授料」です。
常識的なというか正規額程度の教授料を、浅野内匠頭さんが支払わなかったから、教える側ももらった教授料相当分しか教えなかった-ということで…。

ごめんなさい。
質問者様のご希望と逆の回答になってしまいました。

時代劇では、吉良上野介を上手く演じられれば(いかにも憎らしく演じられると上手いんだそうですよ)、いい役者らしいですしね。

あと、こんなサイトもありましたので、ご参考までに。
http://page.freett.com/take1975/tyuusinn.htm
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この回答へのお礼

>歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」のおハナシです
そうです!実はこの事が私の一番知りたかった事なのです!
というのも何故か質問中にあった理由が耳にすごく残っていたものでどんなお答えを拝見しても「あれ?吉良さんってこういう理由で嫌がらせをしていたんじゃないの?」という思いがすごくあったものですから
ですからその的確な答えを教えていただいて本当にありがとうございます!!

また私は兵庫県出身それと在住(赤穂ではないのですが)どうしても浅野さん(または赤穂浪士)を美化する傾向にあるようなので吉良さんを支持されるode_an_dieさん達(愛知県民さん)と(多分)気持ちは一緒ですのでそこの所は気になさらないでください
私も過去の質問を拝見させていただいてから浅野さんの方が本当は悪いのではないかという思いがありましたから

お礼日時:2004/10/26 16:43

私もこの史実が知りたくこの事件の真相を研究した本を読みあさりましたが結局その原因は未だ分からないと言うのが妥当だと思っています。



叉家来が仇討ちで吉良上野介を殺したのは勿論主人の仇と言うこともありますが私は幕府の採った片手落ちの決裁に対する批判行動の意味が大きいと思っています。
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この回答へのお礼

>結局その原因は未だ分からないと言うのが妥当だと思っています
そうですね、歴史は事実かどうか今となっては分からない、と良く言いますから(苦笑)
良く分かりました、お答え頂きありがとうございました

お礼日時:2004/10/26 16:58

吉良上野介の属する「高家」と呼ばれる旗本は、幕府の儀式などを司る家柄で、由緒ある家柄の子孫が任命されます。


お茶やお花の家元でもそうですが、弟子から免許の取得とか頼まれると、通常の授業料以外に幾らかのお礼をいただくのが通例で、こうした高家も儀式の作法を教える時は幕府からいただく役料以外に、担当大名からお礼をいただくのが普通でした。
ところが浅野家は2度目の役目で、ある程度進行も分かっているという驕りと、外交官にあたる江戸家老(幕府や諸藩との連絡にあたる)が能力を欠き、物価の上昇を考えず、吉良さんには前回同様のお礼を出せば十分、それも終わった後で出そうと考えてしまいました。
また予算も、18年前に勤めた時の予算に少し足せばよいと700両を計上したが、とんでもない金額で、吉良さんとしては「貨幣価値の違う時代を参考にされても・・・」と、頭を抱えてしまったと思います。
こうした事は大変失礼な行為で、儀式のやり方も時代に合わせて変ってきているし、教えようにもきちんとした対応を取らない浅野家に好意をもてず、通り一遍のことを伝えればよいかとなってしまいました。
ここで誤解があるのですが、浅野家が勅使の接待に失敗すれば、責任は師匠を仰せつかった吉良さんの恥にもなり、吉良さんとしても内心「失礼な若造」と思っても、「俺の責任になるから、接待だけは巧くやってくれ」と思う気もあり、非常にジレンマもあったようです。
またこの時期、吉良さんは京都にも出かけて帰ったばかりで過労状態、年も取ってますから、精神状態も幾分不安定でした。
その為、思い通りに動かない浅野家に対して「この田舎者め!!」と、愚痴が口をついて出た可能性もあります。
こうした齟齬が大きくなり、浅野内匠頭(この家系は癇癪もちが多い)も情緒不安定になり、切りつけたのでしょう。
精神不安定な若者が切れた状態で、けして忠臣蔵のような奇麗事ではなく、吉良さんにとっては「迷惑!!」という心境だったと思います。

>「吉良上野介は浅野内匠頭の妻を見てその美しさにみとれてしまって自分の(もしくは息子の)妻にしたいと思うようになった。その為には夫である浅野内匠頭が邪魔だった」

これはお芝居を面白くするための演出で、フィクションです。
一説には赤穂の塩の秘伝を欲したとの話もありますが、これも否定的な意見もあります。

結局ハイライトとしては大石であり、吉良さんは悪役にされてしまった気の毒な老人です。
彼個人としては、いささか頑固で浪費家で、地元にお金を引っ張ってくる、現在国会にいる抵抗勢力・族議員という類と思います。
大物ではないのですが。

参考URL:http://www.fsinet.or.jp/~fight/illust/main/kira. …
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この回答へのお礼

実際はまさに今現在テレビドラマでやっている「忠臣蔵」の吉良さん(伊東四郎さんが良い味出しています♪)のセリフ
「感謝こそされ恨みをかうことなど全く無い(こんな感じでした)」の通りなのですね
良く分かりました、本当にありがとうございました

お礼日時:2004/10/26 16:54

吉良上野介が嫌がらせをしていたという確たる証拠はありません。


浅野内匠頭が切りつけた時に「遺恨、覚えたか」と叫んだと言う記録がありますので、それからいろいろと類推されたことだと思います。
浅野の妻云々は問題外の物語のお話です。
とにかく歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」と史実が混同され過ぎです。
いずれにせよ、いかなる理由があっても許されない殿中で抜刀してしまった浅野内匠頭の軽はずみな行動が招いた悲劇でしょう(結果からみればバカ殿ですよね)。
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この回答へのお礼

>結果からみればバカ殿ですよね
そうなのですけれども私は質問中にもあったとおりテレビドラマ「忠臣蔵」で忠臣蔵に興味を持ったこと。
それと私自身が兵庫県出身+在住(赤穂市ではないのですが)ですので浅野さんを「バカ殿」と見れません
そこの所は地元びいきですよね(苦笑

お礼日時:2004/10/26 16:49

徳川時代には「高家」と言われる、血統的に尊重された家柄がいくつかあります。


吉良家もそのひとつで、室町幕府の足利将軍家につながる源氏の銘家のひとつです。
そして殿中作法などの儀式典礼の元締めでした。

江戸での公式な饗応は高家の指導のもとに行われます。
高家は家柄上、幕府から大切にされましたが、領地は少ないのが常です。
仕事柄出費が多いですから、公然と賄賂を、今で言うなら指導料を取っていました。
実際、今でこそ賄賂は犯罪ですが、江戸時代はお世話になった、またお世話になりたい人には贈り物をするのが常識。
それも先方の家格にみあった贈り物をするのがマナーでした(相場がありました)。

結局、事件は・・・

田舎の世間知らずな青年貴族が(その家老も世間知らず)、よせばいいのに名誉を求めて江戸で饗応役を獲得。
ところが授業料不足で指導者の不興を買って、情報を集められずに大恥をかきそうになる。
自分の常識のなさを反省もせずに、独りよがりな正義感で逆上して指導役の老人に切りかかった。
しかも老人一人を仕留めることも出来なかったと言う不甲斐なさ(武士として最大の恥)。
残された家臣はこんな不甲斐ない大名の元家臣では再就職も難しいし、末代までの恥となるので、なんとか名誉回復する為に老人を殺してしまった(主人になりかわり仕留めた)。

と言うことでしょう。

吉良上野介については・・・
米沢藩(上杉家)に彼の息子が養子で藩主として入っていますが、15万石の禄高に対して30万石の格式の生活を強要したもんだから、元から苦しい藩財政はさらに滅茶苦茶に・・・
上杉家の家臣が殿様の実の父親の吉良家の警護に今ひとつ気乗り薄だったのはそういう訳みたいです。
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この回答へのお礼

浅野さんは悪い人、吉良さんは良い人なんだけどその息子は...
というのが本当のところなんでしょうか
こんな質問にお答えいただいてありがとうございました

お礼日時:2004/10/26 16:45

この「忠臣蔵」という物語が出来たのは、


実際の吉良家討ち入りのあってから、約50年後に浄瑠璃から出来た「仮名手本忠臣蔵」という語り話です。

ですから、実際の処は全然違う話でしょう。

申し訳ないですけれど、実際の話をすると
「浅野内匠頭が、癇癪持ちだった」
ので、刀傷事件を起こしたというのが正しいようです。

「吉良上野介」が悪いように書かないと、このような戯作ものは売れなかったのでしょう。
また、当時の「幕府」の取り締まりも厳しいのですから。

悪人=吉良上野介  忠義者=赤穂浪士

あくまでも、「忠臣蔵が戯作物語」と言うのを考えれば「取って付けた話」を、いかにもありそうに書くのが、戯作者の構成です。

それを真実だとは言えませんので。

フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
松之大廊下
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B9%8B% …
吉良義央
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%89%AF% …
浅野長矩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E% …
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この回答へのお礼

結局の所吉良さんが悪い(意地悪)なのではなく浅野さんがただ単に短気だったのが正しいのですね
良く分かりました、お答え頂きありがとうございました

お礼日時:2004/10/26 16:32

どこの世界でも、「先輩」にとって、上司にうけのいい「後輩」ってのは目障りなんじゃないでしょうか。



妻の美貌云々については、当時の封建制度のもとでは、個人の好みで他の武士(大名)の妻をどうこうできる状況でない(何をするにも幕府の許可が必要)はずですので、単なる空想だと思います。

浅野というのは、ケチな大名で、庶民も重税に苦しんでいたから、「御家断絶」で困ったのは家臣だけで、一般庶民はほっとした、といわれています。吉良がケチな浅野を嫌うのもありうる話ですね。後輩が先輩をたてるのは当たり前だと思っているだろうし。

だいたいが、浅野は吉良に殺されたのでなく、殿中で抜刀というテロ行為に及んだペナルティで徳川幕府から切腹を命じられたのだから、大石一派が「仇討ち」というのはおかど違いなんだけど。
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この回答へのお礼

結局のところ「忠臣蔵」は話を盛り上げるためにでっち上げた要素がとても大きいのですね
良く分かりました、本当にありがとうございました

お礼日時:2004/10/26 16:29

わいろが少なかったからというのがいじめの発端だったはずです。



内匠頭に、京の朝廷から幕府への勅使を接待する役目が回ってきましたが、接待の指導役は吉良上野介。

事前の謁見で、
「いろいろ教えてあげるかわりに、上納品をふんだんによこすように」と言われていたにもかかわらず、まっすぐな浅野内匠頭は、必要以上の品は上納しなかったので、嫌がらせが始まったのです。
ううう。かわいそ。

昔大河ドラマで東山紀之が浅野役で、かっこよかったんですよ~。
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この回答へのお礼

賄賂をあげなかった浅野さんの行為は正しい...はずなんですが当時は賄賂は贈って「当たり前」のことだったんですね
良く分かりました、ありがとうございました

お礼日時:2004/10/26 16:25

良く言われる事は『吉良氏』は旧幕臣の先達で、


浅野氏は若手幕臣の独りで有り、吉良氏が
『いじめ』をしたと言われてます。
他には、赤穂も『塩』が取れて、吉良の塩が
売れなく成ったとも言われてます。
吉良氏の地元では結構良い殿様だと評判です。
尚赤穂浪士の脚本は事件が有ってから時を経ていますので、
脚色されていると考えられています。
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この回答へのお礼

「浅野さんが一方的に吉良さんを切りつけた」
というのが正しいようなのですね、良く分かりました
ありがとうございました

お礼日時:2004/10/26 16:22

「宜しく」の挨拶がわりの品物が「ちんけ」なものだったからです。

伊達藩のそれは立派なものでした。つまり、付け届けbが少なかったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。良く分かりました

お礼日時:2004/10/26 16:20

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