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天皇の生前退位は江戸時代までは当たり前であったと思うが、何故それ以降はなくなってしまったのですか?

A 回答 (7件)

昔から権力を持った者の後継者争いってのはいろいろ面倒で、天皇も歴史をみればわかるように、譲位して上皇となって裏から操る(どっちが本当のトップなのか分からない)とか、そのうち2つ南北に分裂したりとか、そういうことが無いようにと死ぬまで天皇って決めちゃったから。

昔は寿命が短くて、死ぬまで元気なのが普通でしたからね。

ついでにその時に、天皇は男性だけって決めちゃったので(それまでは男系であって女性天皇も居た)、こちらもいろいろと問題視されています。
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前回答に補足。

明治になり、皇室典範改正。以後は在命中の退位を認めないことになりました。政治的混乱を避けることが目的。
だから、本来は今の退位は違法。そこで法律改正が検討されたのでしょうね。
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明治になって1世1元の制度ができ、天皇は一度なれば、死ぬまで辞めてはいけないということになりました。

その結果、明治から昭和まではそれが続いた。
まさか、ここに来てそれに終わりが来るとは意外。
そういえば、初代天皇である神武天皇から舒明天皇までは即位すれば途中退位はなかった。
次の皇極天皇の時に生前退位が始まる。この天皇は女帝で孝徳天皇に譲位。
孝徳天皇が崩御後、斉明天皇として重祚。この時代は中大兄皇子が大化の改新を推進。
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譲位すれば天地がひっくり返る。


そのぐらい権力があったからでしょうね。

御前会議の前に切腹すれば終戦出来ないから
大臣に切腹させようとしましたし。

また、譲位しても平気なぐらい権力はないし、平和になったんでしょうか?
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天皇を、権力闘争に利用されないように


するためです。

生前退位を認めると、時の権力者が、気にくわない天皇を
退位させてしまう可能性があります。

それでは天皇の地位が不安定になります。

天皇の継承順位が法律で厳格に定められて
いるのも同じ理由です。
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1877年の高輪会議で、皇室典範では譲位を否定する事になったからです。




伊藤博文が譲位を否定する立場でしたが、その理由は、『皇室典範義解』の第十条にあります。

要約すると、「神武天皇から舒明天皇まで譲位はなかった(継体天皇は即日崩御なので、譲位の先例ではない)。皇極天皇から始まるが、女帝は一時的代行という事情があった。聖武天皇から光仁天皇までかけて定例となった。その後、権臣の圧迫により両統迭立となった。これが南北朝動乱の原因である。よって上代の恒典により中古の慣例を改めるのだ」というものです。

(参考文献『日本一やさしい天皇の講座』著:倉山満)



井上毅は、譲位の自由は天皇に残されて然るべきという立場でした。古来よりの先例ですので当然でしょう。
伊藤博文は、譲位を否定する立場でした。こちらも、皇室の先例に基づく議論で、説得力があります。


伊藤博文の主張は正論ですが、当時の医療技術を前提にした議論で、平均寿命が現在のように延び、しかも「生きてはいるが身体や脳の健康は保てない」という状況まで長生きするという事を想定していない点です。
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直接的には, 高輪会議において伊藤博文が強硬に主張したため.



その背景としていわれているのは
・皇統の分裂
・政治的な理由による天皇の交代
を防ぐこと.
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