痔になりやすい生活習慣とは?

今夏目漱石の「こころ」にはまっているんですけれども、
なぜ「私」が「先生」に惹かれたのかがいまいちよくわかりません。
考えられる可能性としては、「私」が「先生」の奥さんに一目ぼれしてしまった、ってことなんですけど・・・。

おしえてください、よろしくおねがいします

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A 回答 (3件)

 こんにちは。

私もNo.1さんと同様に、人生の師と仰ぐべき「先生」としての、また一人の人間としての「尊敬」の気持ちと、「先生」のなぞめいた雰囲気に、惹かれたのだと思います。
 先生との最初の出会いは、鎌倉の海水浴場で、先生が西洋人を連れていたところから始まります。東京帝国大学の学生である「私」は、若い頃の「先生」や「K」と同様、明治という新しい時代(「私」が大学を卒業してすぐ、明治は終わってしまいますが。)に希望を持ち、社会的に有用な人間になるべく、自分の未来に大きな夢を持っていたのではないかと思うのです。そうした私の目の前に現れた「西洋人」を連れた一人の日本人は、時代の最先端を行くとても魅力的な人物として見えたのではないでしょうか。この時「私」は意図的に「先生」の目につくような行動をしています。「私」は、「先生」を大学の講義とは違う「生きた教材」として「先生」に近づいていくうちに、「先生」の人柄、「先生」のなぞめいた行動、若い「私」には理解しがたい「先生」の言葉に、どんどん引きつけられていったのだと思います。「先生」の遺書を受け取った「私」は、実の父親が、重病であるのにもかかわらず、東京に向かってしまうほどにまでなっていました。
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この回答へのお礼

こちらもやっぱり好奇心ですかね~~。
「希望」ですか!「先生」も無気力に見えて、なんらかの「希望」を持っていたんでしょうかね…?

どうもありがとうございます!
参考になりましたv

お礼日時:2004/10/31 23:43

高2の夏季課題図書でした。


第2章は確か「父と私」とかだったと思うのですが
そこでも読み取れるように(やや独断ですが)
私は父に対して田舎者というか洗練されてないというか
ややマイナス感情を抱いているようです。
自分が都会に出てよりその田舎っぽさが嫌になっていたので
いわば「第二の父」として先生を尊敬し惹かれて行った
という風に私(回答者の私です!)は解釈しました。

先生の奥さん(静)一目惚れ説ですが
どちらかと言うと同情心や
なぜ先生と不仲なのかと言った好奇心が
先行していた気がします。

わたしは友達と「Kと未亡人(静母)出来てた説」
を考え盛り上がってましたよ(笑)
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この回答へのお礼

ユーモアたっぷり回答どもです☆笑
参考になります☆ありがとうございます!

「第二の父」ってゆーのは考え付きませんでした!
そんな考え方もあるんですね…!!笑
でも結局は「好奇心」から来てる…そんな感じですね><

Kと静母出来てた説?!!
ま、またそれは凄い(笑
それも思いつきませんでしたね。まったく。

お礼日時:2004/10/31 23:48

初めまして。

私も「こころ」大好きです!
もう全部読まれたのでしょうか?

「私」が「先生」に惹かれる理由ですが、奥さんに一目ぼれではないと思うのです・・・(^_^;)

恋愛感情的な「惹かれる」ではなく、いち人間として「尊敬」「興味」のようは感情ではないでしょうか?
同じ男性同士、女性同士でもそういう感情ってありますよね?

「先生」は少し浮世離れした雰囲気や世間から一線を置いてる印象、「影を持っている」印象があり、そのミステリアスさに興味をそそられるのではないかなぁと思います。
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この回答へのお礼

「こころ」、
全部読みました!
とても暗くて、悲しいお話ですよね…。
でもおもしろかったです(笑

やっぱり「私」が「先生」に惹かれるのは好奇心でしょうかね…。
「先生」は何かオーラが違ったのかもしれませんね!!
お返事ありがとうございますv

お礼日時:2004/10/31 23:36

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Qこころにおける先生にとっての私、Kの存在

「こころ」における先生にとっての私とKの存在はどういったものなのでしょうか?

あと、先生と私の社会的階層についても教えてくださると助かります;

Aベストアンサー

「先生」にとっての「K」は、「良心」「倫理」「道徳」といったものから離れそうになる自分をそれらに結び続けておく存在です。「先生」は「K」の死という事実から、常に自分自身に「良心」「倫理」「道徳」の定規を当て続けざるをえなかったわけです。

「先生」とっての「私」は、「良心」「倫理」「道徳」から離れそうになる自分を留める煩悶と苦悩の継承者となる存在です。「先生と遺書」の第2章の最後の部分に「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」とあります。「先生」は「私」に継承者になる資格を見出し、自分の過去を打ち明けてその煩悶と苦悩を「私」に引き渡したのでしょう。

漱石に関するある解説に「漱石の後半期の諸作品においては、知識階級人というものは、道徳の実践者としても、またその違反者とても、道徳や正義を意識する鋭さや強さにおいて人間社会の代表的存在として描かれている」とあります。「私」と「先生」は道徳や正義を意識する鋭さや強さを備えた知識階級に属する人たちで、しかも、道徳の実践者としても違反者としてもその意識を実施に移すことができるだけの意志と余裕のある人たちです。

「先生」にとっての「K」は、「良心」「倫理」「道徳」といったものから離れそうになる自分をそれらに結び続けておく存在です。「先生」は「K」の死という事実から、常に自分自身に「良心」「倫理」「道徳」の定規を当て続けざるをえなかったわけです。

「先生」とっての「私」は、「良心」「倫理」「道徳」から離れそうになる自分を留める煩悶と苦悩の継承者となる存在です。「先生と遺書」の第2章の最後の部分に「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」とあります。「先...続きを読む

Qこころ 夏目漱石

こんにちは。こころ、を読んだのですが疑問点が消えません。もしよければお力貸してください。

お嬢さん、についてです。彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
本文中に書いてあること、つまり根拠と一緒に教えてくださると助かります。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1、彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
:先生だったのではないかと思います。
【根拠1】
まず、kの同居を奥さんが拒もうとします。これは、お嬢さんを含めた三角関係をあらかじめ防ごうとしたものでしょう(実際懸念したような結果になるわけですが)。
つまり、奥さんは、お嬢さんが先生を好きなことを知っていたということだろうと思います。
【根拠2】
kが来てからのことを考えてみます。
お嬢さんはkと2人だけでいるところを2、3度ほど先生に見られます。
そして、その時に先生の(恐らく)心配そうな顔を見て笑うという対応を何度かしたはずです。
これは、先生の嫉妬を茶化したということが言えると思います。
自分が先生に対して好意を持っていたからこそ、先生の好意も理解できたのでしょう。
仮に「自分が好意を持っていない人」の「自分に対する好意」を感じて笑ったのだとすれば、これは嘲笑になるわけで、作品中のお嬢さんがそこまで性悪な女性として描かれているとは思えません。
【根拠3】
kと2人でいるところを見てぎこちない対応よりできない先生を、「変な人だ」と皆の前で言います。
これは、「何の感情も持っていなければ普通に対応できるのに変な人だ。」という意味でしょう。
自分が好意を持っている相手の本音を確かめようとする(無意識の)常套手段であり、仮にkの方をすきだった場合にはこのような言い方はしないように思います。

2、なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
:先に述べたようにお嬢さんが先生を好きなことは奥さんが良く知っていたからでしょう。
また、本人との話し合いも無しにという意味であれば、昔は親が一方的に決めることが不自然ではありませんでした。
中には見合い写真だけで結婚式の日まで相手の顔を見たことがない、などという極端な場合もあったようです。

3、なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
:特にこそこそしていたわけではないと思います。
先生に嫉妬させるための策略という穿った見方もできますが、そこまで歪んだ性格の女性としては捉えられていないと思います。
元々は、kの気持ちがほぐれるように対応してくれと、先生から頼まれていたことでもありますし、多少興味はあったとしても恋心を持ったわけではないでしょう。
kの自殺に関して殆んど無頓着な感想しか持っていないことからみても、それは明らかなように思います。

4、もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
:述べてきたように、個人的には元々先生の方が好きだったので先生と結婚したと思っています。
しかし、先生がもう少し消極的だったら、あるいはkがもっと積極的だったらどうなっていたか、神のみぞ知るといったところかもしれません。

1、彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
:先生だったのではないかと思います。
【根拠1】
まず、kの同居を奥さんが拒もうとします。これは、お嬢さんを含めた三角関係をあらかじめ防ごうとしたものでしょう(実際懸念したような結果になるわけですが)。
つまり、奥さんは、お嬢さんが先生を好きなことを知っていたということだろうと思います。
【根拠2】
kが来てからのことを考えてみます。
お嬢さんはkと2人だけでいるところを2、3度ほど先生に見られます。
そして、その時に...続きを読む

Q「黒い光」とはどういうもの?

授業で夏目漱石のこころを読みました。
その中で、「黒い光が照らした」という文があったのですが、
黒い光というのはどんなものですか?
イメージできません。

友達に聞くとスポットライトの明るいとこと暗いとこの
逆バージョンみたいなもんだと言われましたが、
黒いのなら陰だと思うんですけど…。

もしかして、虹のように光には黒もあるのですか??

Aベストアンサー

これは、主人公である「先生」が友人Kの自殺を発見した時の感想ですね。
「もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。」という前後の文脈を含めると解釈しやすいと思います。

つまり未来を照らす光です。
よく「明るい未来」とかいいますが、未来に色が付いているわけではありません。
ここでいう「光」は、未来に対する「見通し」という意味で使われているように思われます。
そういう観点から考えると、「黒い光」という言葉は「未来の見通しが全く立たない」という絶望感の比喩として表現されれているような気がします。

Q夏目漱石『こころ』はエゴイズムを描いたのか

似た質問がありますが、少し違う視点から質問しますので皆様、盆休みの間によろしくお願いします。

よく『こころ』はエゴイズムを描いた小説とされますが、何度読んでみてもどうもしっくり来ないのです。
先生のせいでKが自殺することになったのは確かです。けれど、先生はエゴをふりまくタイプではないし、もちろん自覚的なエゴイストではありません。
うまく表現できませんが、先生は何だか流されてそうなってしまった人といった印象を受けるので、普通イメージするような「エゴ」「エゴイズム」ということではくくれないような気がするのですが。
作者がエゴイズムを描いたとすると、どう解釈すればいいのでしょうか。また、他の解釈があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『それから』『門』にも出てきます。
『それから』では主人公代助は友人の妻である三千代に恋愛感情を持つ。
『門』での宗助は、友人の妻であった御米を妻にしている。

『こころ』でKが自殺しなかったらどうなっただろう、という仮定を、『門』の中に見ることもできます。
漱石は、宗助と御米の姦通に対して、宗助夫婦から富を奪い、健康を奪い、三人の子を奪うという、という残酷な刑罰を課しています。
漱石にとって、こうしたエゴイズムの発露は、許せないものだったんです。

当時でさえ、こうした漱石の倫理観には、反発する人もあったようで、谷崎潤一郎などは、若い頃“世の中というのは、もっとふしだらな、ルーズなものではなかったか”みたいなことを言っていたようです。

漱石は人間の心の奥深くに巣くうエゴイズムを暴こうとしました。それを白日の下に晒していけば、人々は反省し、自然で自由な世界へいくことができる。それが、後期の“則天去私”の心境とされています。
晩年の『明暗』を読むと、もっとその漱石流のエゴイズムがわかるかもしれません。

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『...続きを読む

Q夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?

夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?
昔、「こころ」をドキドキしながら読んだ記憶があります。
あんなに小説に引き込まれたのは初めてですが、結論に納得出来ないものを感じます。
結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?
将来に対する明るいメッセージはないのでしょうか?

Aベストアンサー

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説には、質問者さんがおっしゃるように、まさに「将来に対する明るいメッセージ」に満ちていることが浮き彫りになってくるはず、と私には思われてなりません。

思うに、この小説の最大の謎は、先生が、妻にも明かせない、自分の最重要な内奥の秘密を綴った《遺書》を、ほかでもなく、田舎出の、世間知らずで、勝手に先生に魅了され、勝手に先生宅に押しかけ、勝手に先生を師と仰ぐ、やや青臭さく、思慮の浅い、しかし理想家肌の一青年に託そうとしたのはなぜか?という点にあるのではないでしょうか。

で、その前に「「先生」が自殺する原因は?」となると、先生がKを出し抜く形でお嬢さんと婚約したことは、大正以降の日本人の常識的な倫理規範に照らして、特に恥ずべき行為ではないにせよ、「明治の精神」(封建道徳)に照らす限り、許すべからざる行為であったが故に、乃木将軍が明治天皇に殉死したことに触発され、「明治の精神」に殉ずる形で自殺することを選んだと解しうるのではないでしょうか。

ただし、漱石自身となると、「明治の精神」を単純に賛美していたわけでも、時代遅れの旧道徳と蔑んでいたわけでもないことは、「現代日本の開化」からして明らかでしょうね。
「明治の精神」には、封建道徳だけではなく、文明開化と同時に流入してきた個人主義思想も含まれていたはずですが、かつて信頼していた叔父によって父親の遺産を横領され、その後自分を信頼してくれていたKを裏切るという経験をした先生としては、西洋近代思想である個人主義をとても手放しでは容認できなかったはずです。
となると、この自らのエゴイズムを罰するには、やはり「明治の精神」に殉じるという方法しかなかったのではないでしょうか。

その上で、先生が自殺に至るまでの生き様や経緯を告白した遺書を、主人公の「私」に宛てた動機や理由を考えてみますと、主人公がまだ思慮が浅くとも、理想家肌の青年であることからして、先生はこの青年に、自分の精神上の息子として、自分に代わって新しい時代を生きてくれることを期待したのではないでしょうか。
その意味では、先生の遺書には、大正という新時代を生きる青年の指針、成長の糧となって欲しい、という先生の切なる祈念が込められていると言えるのではないでしょうか。

また、「こころ」という小説を、より主人公中心の視点、観点から眺めてみると、主人公が来るべき新時代を自立(自律)して生きていくための、一種の父親殺し(旧思想切り捨て)に通じるモチーフが潜在していると評することもできるかもしれませんね。
さらには、同じような意味で、「こころ」は「三四郎」と同様、主人公の人間的成長過程をテーマにした、一種のBildungsroman(教養小説)に通底する基本性格を持っていると評することもできます。

もし、「こころ」に以上のような解釈の可能性が内在しているとすれば、やはり、漱石の「将来に対する明るいメッセージ」が潜んでいると解してもあながち間違いではないと思います。

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説...続きを読む

Q夏目漱石の『こころ』の問題です。

これは高校時代、期末テストに出た問題なのですが、
答え合わせの時ちょうど病気で入院してて、未だに正解がわからないままなんですよ。(笑)
それで半分は諦めて忘れていたのですが、このことを思い出し、ネットの時代でみなさんに聞ける時代になったので質問してみます!。

場面は、Kが「覚悟」という言葉を発したあたりからです。
問題:「新しい光りで覚悟の二字を眺め返してみた私は・・・」
この“覚悟”の、以前と以後の解釈は、どういうものか?
という問題でした。
その時に回答したのは、
◆<以前>
Kがお嬢さんに対して進んでいくという事。
◆<以後>
Kが、お嬢さんへの恋をあきらめ、今まで通りの道へ進んで行くということ。
この2つです。
もちろん、2つともはずれてしまったのですが笑(^_^;)・・・
10数年ぶりに解決出来ると思うので!笑、どうぞよろしくお願いします!。

Aベストアンサー

こんばんは。
わたしの思うところを書きますと、
質問者さんの書かれた解答は、
ちょうど逆だったのではないかなあと思います。

先生の
「君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。
一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
という言葉に対して
Kは
「覚悟ならない事もない」
と答えています。

そしてあとになって「新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた」先生は
「Kがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。
果断に富んだ彼の性格が、
恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと
一図に思い込んでしまったのです。」
とあります。
そして先生はあせって「奥さん、お嬢さんを私に下さい」
の行動に出ました。

ですから、質問者さんの答えはちょうど逆だったのではないかなあ
と思います。

でもその時Kが言った「覚悟」の意味は
そのどちらでもなかったわけですよね・・・・・

Q夏目漱石「こころ」で「K」が自殺した理由

夏目漱石の「こころ」で友人「K」が自殺した理由について、詳しく教えてください。いろいろ考えましたが、いまひとつ腑に落ちない部分もありますので。
テストが近いので焦っています!お願いします!

Aベストアンサー

「こころ」懐かしいです。もうこれを学んでから10年以上も経ってしまいました。

きっとKの自殺の原因は人によっていろいろな解釈の仕方があると思うのですが、私が心に留めているのはこんな感じです。

Kは宗教家(確か僧侶でしたっけ?)を目指して禁欲的な生活を送っていたはずですよね。精神的な高みに登ることを目指していた彼にとって、恋愛という世俗的な心の動きは受け入れがたいものでした。

そして「先生」の裏切り。友人の裏切りにあってまず自分以外の人間に対して絶望した。つまり人間不信ですね。

さらに、他人に絶望した自分に対して絶望してしまった。つまり宗教家として人の心の弱さを受け入れられなかったことにたいして無力感を感じてしまった。自分は宗教家として生きる価値の人間でないと思ってしまった。

だいぶ前のことなので記憶もあやふやですが、大人になってからも、よくこの感想文を書いたときのことを思い出します。haittelさんにとっても心に残る作品になると嬉しいです。

Q夏目漱石の「こころ」の先生の自殺の理由。

やっと「こころ」を読み終えたのですが、いくつかの疑問点が浮かび上がったので、どうぞ皆様の知恵をお貸し下さい。

1.Kが自殺した理由は?
私なりの解釈では、Kが自殺した理由は自分は修行僧(?)でありながらお嬢さんに恋してしまい、しかも先生に裏切られたということを知って先生に負の感情を抱いてしまった。そんな中途半端な自分に絶望し、自殺。と思っていたのですが、なんだかこれも腑に落ちない感じです;
これが本当の理由のなのでしょうか??

2.先生はなぜ明治の終わりと共に「生き残っているのは時代遅れ」と感じて自殺したのか?
ここは本当にわからなかったです。何も知らない奥さんを残して、何故?しかもなんで時代遅れなのか??疑問だらけです--;

なんとなく手に取って読み始めた本にこれほど悩まされるとは思いませんでした。

どうぞ、よろしくおねがいしますっ

Aベストアンサー

1.Kが自殺した理由は?

法華経を修行していたKは、お嬢さんに恋をしてしまった。
かつて先生に発言した「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」という
同じ言葉を逆に指摘されてしまった。
その自分の言葉に追い込まれてしまい自殺したのでしょう。
まあ、若かった故ですね。高僧でも女狂いの僧侶はいくらでも現実にいるわけですから。


2.先生はなぜ明治の終わりと共に「生き残っているのは時代遅れ」と感じて自殺したのか?
ここは本当にわからなかったです。

明治天皇の死と乃木大将の殉死がきっかけですね。
当時の時代状況です。それと重ね合わせることは、当時の読者にもある程度共感できたのでしょう。
漱石も鴎外も乃木大将を尊敬していたようです。
その死がきっかけで、Kを自殺に追い込んだ自分の長い間の負い目を清算したいと考えたのでしょう。
当時の天皇観や名君観は信奉に近いもので、それが理解できないと先生の自殺がなかなか納得できないですよね。

Q夏目漱石「こころ」名前のある登場人物について

夏目漱石「こころ」についてです。

この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、
上で、奥さんを「静」
中で、母を「お光」と呼ぶシーンがあります。
この作品で個人名が与えられたのはこの二名だけです。

これは一体何を表していると考えられますか。
みなさんのご意見が聞きたいです。

私はジェンダー論と絡めて考察したいと考えています。
(ジェンダー論に関してほとんど無知なので、これから勉強していくつもりです。)

Aベストアンサー

>この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、

「こころ」は、漱石の長篇小説の中では、唯一一人称による語り(回想)によって物語が展開されていくという形式を採用していますよね。
こういう場合、これはあくまでも一般論、原則論でしかないのですが、《語り手》と《語り》の対象との間に、時間的・空間的な一種のパースペクティブ(遠近法)な《距離》がありますから、これが《語り手》に作用して、語る対象としての素材・題材をより抽象化や類型化させやすいと言えるかもしれません。

「こころ」の場合、主人公の《語り手》は帝大を卒業して間もない理想主義者で、人間的にも真面目で誠実だが、まだ人生や社会の裏表を十分には理解できていない、良くも悪くも観念先行型、頭デッカチの田舎青年というキャラクターを与えられていますよね。
その点では、テーマは違いますが、やはり熊本出身の三四郞が良くも悪くも文明開化の光と影を具象化し、自我意識に目覚めた、男勝りの超美人の美禰子に翻弄されつつ自己形成していくのと通底するところがありますよね。

この三四郞が「先生」という人物とたまたま鎌倉の海水浴場で出遭い、持ち前の愚直さで先生の人柄に惚れ込み、最終的に「先生」の「遺書」の差し宛人として遇されるだけの信頼を勝ち取った結果、「明治の精神に殉死」した先生によって自分の後継者として、新しい時代《=大正》を生きていくことを託され、そのための《宿題》としての「遺書」を委ねられたと解することができます。

このような「こころ」の《語り手》としては、あくまでも「先生の遺書」を受取り、それを読んで驚愕した時点から時間を遡るようにして先生と自分との関係を反性的に捉え直す必要性に迫られたはずですから、それ以外のこと、登場人物等のプライバシー等が《語り手》の興味・関心の対象外だったとしても何ら不思議ではないですよね。
だから、「登場人物は、ほとんどが代名詞」であっても全然構わなかったと言えるのではないでしょうか。
彼の興味・関心はひとえに先生の「明治の精神に殉死」する必然性を自分自身の人生の課題として受け止め、その真相を明らかにすることに向けられていたはずでして、これを一種の手記の形にまとめ上げ、読者に披瀝することで、問題意識の共有を求めようとしたとは考えられないでしょうか。

ということで、「こころ」では「登場人物は、ほとんどが代名詞で表されています」ことだけに限らず、彼らのプライベートな側面を描くにしても、実は物語を展開していく上での必要最小限の範囲内に限られていると言えるはずです。
だから、「静」にせよ、「お光」にせよ、地の文の中ではなく、会話文の中でしか使用されていませんよね。
やはり、《語り手=主人公》の興味・関心があくまでも、自分の人生の師である「先生」の自殺の動機、必然性だけに向けられていたからと説明するしかないような気がします。

ただし、以上のように考えれば考えるほど引っ掛からざるを得ないのは、冒頭の以下の一節でして、これをどう解釈するかについては、質問者さんご自身に委ねたいと思います。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」

なお、「こころ」を「ジェンダー論と絡めて考察」なさるのも結構ですが、漱石が生涯を通じて凝視していたのは、「ジェンダー論」のはるか彼方でチラチラする、より困難な課題であったことだけは忘れてはいけないと思います。
もし、「ジェンダー論」的な視点からということなら、「こころ」よりも「虞美人草」、「道草」、「明暗」等の方が恰好な材料を提供してくれるかもしれません。
「こころ」は「三四郞」と並んで、一種の教養小説(Bildungsroman自己形成小説)と評した方がより適切であるような気がします。

>この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、

「こころ」は、漱石の長篇小説の中では、唯一一人称による語り(回想)によって物語が展開されていくという形式を採用していますよね。
こういう場合、これはあくまでも一般論、原則論でしかないのですが、《語り手》と《語り》の対象との間に、時間的・空間的な一種のパースペクティブ(遠近法)な《距離》がありますから、これが《語り手》に作用して、語る対象としての素材・題材をより抽象化や類型化させやすいと言えるかもしれません。

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Q夏目漱石のこころについて

Kが自殺をする直接の原因となったこと
Kは何のために自殺をしたか

以上に点について教えてください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者さんの補足欄、
>そう言う単純なことを聞いているのではないのですが………。
に賛成です。

青空文庫という便利なものがあるので、それで「K」をマーキングして行動を追ってみましょう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html

まず、Kは浄土真宗の僧侶の息子であること、それが医者になるために養子にもらわれた子であること、さらに母親には早くに死に別れ、継母との間もうまくいっていないらしいことが記されます。
Kも先生同様、大変に孤独な存在でした。

大学が進むに連れて、Kは次第に心身の調子を崩していきます。
「彼の焦慮り方はまた普通に比べると遥かに甚しかったのです」(22)
Kは何を焦っていたのか。

「Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、私を困らせました」(19)
あるいはまた、郷里にも帰らず、寺に一人籠もって、聖書なども読みふけっていた。

「Kはただ学問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。それにはなるべく窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです」(22)
Kは学問の道に進むつもりはなかった。
ならば自分はどう生きていくのか。
信仰の道に入っていくのか。
それが明確にならないゆえの焦りだったのではないでしょうか。

そうしたKにたいして、先生は
「私は仕方がないから、彼に向って至極同感であるような様子を見せました。自分もそういう点に向って、人生を進むつもりだったとついには明言しました」(22)という態度を取ったのです。

房総半島に旅行に行った時も、お嬢さんのことで頭が一杯の先生に対し、
「Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう」(30)
と、下宿に暮らすようになっても、むしろ信仰の問題が重要で、誕生寺に行ったのも答えを求めての行動だったことがわかります。

次第にKとお嬢さんは親しくなっていきます。
お嬢さんの行動は、先生を半ば無意識のうちに煽っているようにも読めます。
ところがKも先生もまったくお嬢さんのかけひきには気がつかない。
先生はお嬢さんの思惑通りKに対して嫉妬をつのらせますが、Kの側は単純にお嬢さんに傾斜していき、ある日、自分の思いを先生に打ち明けます。

打ち明けられた先生の思いを綴った37は、よく読むと不思議な章です。
出てくる言葉も「逆襲」、「手抜かり」、「打ち勝つ」、「不意打ち」……。
ここには先生のお嬢さんに対する思慕の情はまったく描かれておらず、先生の意識の中で問題は、K対先生になっているのです。
「同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです」
恋愛の対象であるお嬢さんよりも、先生にとってはKの方がはるかに大きな問題だった。

「Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです」(41)
こうした思想を持つKにとって、恋愛はことのほか苦しいものだった。

敵であるKの弱点を、先生は正確に突きます。
「すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした」(42)

ここでKの内に、すでに自殺に対する意志が芽生えていたのが見て取ることができます。
ただ先生にはKの真意をまったく誤解してしまい、出し抜こうとして、奥さんに対してお嬢さんを嫁にほしい、と申し入れます。
そうして一週間ほどたったのち、Kは自殺します。


>Kは何のために自殺をしたか

まずこの点に関して、これはよくわからない。
少なくとも、先生にお嬢さんを取られたからではないことは確かです。
相当早い段階から、Kの中には死への傾斜があったことが見て取れるからです(房総半島の旅行の中にもそれを思わせるシーンがあります)。
むしろ、そうした死への衝動に抗しつつ、自分を生に繋ぎとめてくれるものを信仰の中に見出そうとしていたのではないか。
そうして、同様な境遇にあり、同じような気持ちだ、と言ってくれる先生をこの世で唯一の理解者として、命綱のように思っていた側面もあったのではなかったでしょうか。

Kにとってお嬢さんはどのような存在だったのでしょう。
驚くべきことに、『こころ』の中にはそれにふれた記述が一切ないのです。
先生の遺書の中で、先生の口を借りて、Kの側に恋愛感情があり、それゆえに苦しんでいたことはわかるのだけれど、Kは具体的にお嬢さんのことをどう言ったのか、どう思っていたのか、明らかにはなっていないのです。
これはきわめて重要な点であり、同時にさまざまな解釈が可能な点だと思います。
質問者さんはKにとってお嬢さんはどのような存在だったと思われますか?

>Kが自殺をする直接の原因となったこと

これだけ長い回答を書いておいてこう書くのも心苦しいのですが、やはりこれも断定はできません。
まず何を持って「直接の原因」とするかという問題があるにしても、とにかく「覚悟」という言葉をKが使っている時点を考えなければいけないと思います。

あくまでもひとつの解釈ですが、厳しく「精進」しようとする自分が、信仰にみずからを委ねてしまうこともできず、一方で恋愛感情(肉欲)に引き裂かれる、
「自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するというだけなのです」
という遺書にあった文言は、まさにKの嘘偽りのない気持ちだったのではないか、と私には思えてなりません。

遺書の末尾
「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」
という部分は、覚悟を決めたのにずるずると日延べをしていたがために、見る必要のないことを見、知る必要のないことを知ってしまった、つまり、先生の行動から、先生が自分の理解者でもなければ、自分と志を同じくする存在でもないことを決定的に知ってしまったことに対する後悔であったように読むこともできるのです。

解釈というのは、決して一通りしかないものではないし、どれが正解ということもありません。
読む人ひとりひとりの解釈があるものだと思います。
ひとつの読み方として、参考になれば、と思います。

質問者さんの補足欄、
>そう言う単純なことを聞いているのではないのですが………。
に賛成です。

青空文庫という便利なものがあるので、それで「K」をマーキングして行動を追ってみましょう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html

まず、Kは浄土真宗の僧侶の息子であること、それが医者になるために養子にもらわれた子であること、さらに母親には早くに死に別れ、継母との間もうまくいっていないらしいことが記されます。
Kも先生同様、大変に孤独な存在でした。

大学が進むに...続きを読む


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