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日本がアメリカの言いなりになった主な例を教えてください

A 回答 (6件)

全て言いなりですね。


自虐史観、東京裁判、歴史教育、芸能など。
「日本がアメリカの言いなりになった主な例を」の回答画像6
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東京裁判に始まり日本国憲法、日本国内のアメリカ軍基地。


特許制度だってアメリカ絡みで日本では航空機などの開発も許されていなかった。
GHQによる財閥解体も有りましたね、国力を衰退させる目的がデカかったのは事実でしょう。
嘘と捏造された情報を教育されてきた、プロパガンダそのモノで日本は戦後の日本人の大部分を悲しい結果の思考に持っていかれましたね。
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在日米軍経費の際限なき日本の負担。

 その原点ともいえる、沖縄返還に際しての日本側費用負担の密約。 当時の佐藤首相とニクソン米大統領の間密約で、アメリカが要求したのは、第一に、緊急事態においては、在日米軍基地への核兵器の再持ち込みを認めること。第二には、沖縄の軍用地を返還する際、原状回復にかかる費用を日本が肩代わりすること。 表向きアメリカ側が負担することになっていたが、こっそり日本が肩代わりするという意味だ。
 沖縄返還に関してはこの2つばかりが注目されるが、あまり知られていない第三の密約がある。「繊維密約」だ。

 当時、アメリカでは、日本製の安価な繊維製品の輸入が激増し、繊維業界が大打撃を受けていた。 1968年の大統領選で、ニクソン氏は繊維製品の輸入規制を公約に掲げて勝利し、次期大統領選でも繊維業が盛んな南部の票が是が非でも欲しかったので、彼にとって繊維問題は極めて重要な政治課題だった。
 1969年11月に沖縄返還をテーマに開かれた日米首脳会談の2日目、佐藤首相とニクソン大統領の間で交わされた密約文書には、概要、こう記されていた。

〈適用範囲 すべての毛および化合繊の繊維製品
期間 一九七〇年一月一日から始まる五年間
基本的上限 一九六九年六月三〇日をもって終わる過去一二カ月間の貿易の水準
右上限の増加量 化合繊製品:一九六九年より始めて毎年五% 毛製品:一九六九年より始めて毎年一%〉


以上は具体的な例の一つに過ぎないが、日本の外交、防衛、日米通商に関する方針はほぼ全てアメリカの言いなりになっていると言っても過言ではない。
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憲法が米国によって押しつけられ、軍隊を持てない


憲法にされた。

その後、軍隊を作るよう要請され、
警察予備隊が設置され、それが自衛隊になる。

日韓基本条約1965年。米国の指示により
11億ドルを韓国に。
当時の韓国の国家予算は3.5億ドル。

日本版CIAを設けようとしたが、米国の
圧力で没。

北方領土。
日ソ国交正常化交渉をはじめて、ソ連が二島を
返還することを約束したが、
米国の日本への圧力で中止に追い込まれる。
(ダレスの恫喝)

中曽根内閣の時、次期支援戦闘機を自主開発
することに決まっていたが、米国の要請で
ドタキャン。

貿易摩擦で米国の言いなりの歴史。
繊維、オレンジ、牛肉。

米国の要求で、円高に。プラザ合意。

米国からの宿題として、毎年の年次要望書。民主党時代に廃止。

誰がどう見ても支持出来ないイラク戦争
で米国支持。

米国の要求により、核開発停止と交換に
北に金をやる。1200億円。

慰安婦問題で、米国の要請により、韓国に10億
払い、合意。
その後韓国が反故にする。
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貿易摩擦だけをとっても輸出面では繊維、鉄鋼、日本車などそれぞれの時代の代表的な物が叩かれ


輸入では柑橘類、牛肉、米などがあり、米だけは譲りませんでしたが、他はほぼアメリカの意向に沿った解決がなされています。
先日のニュースでも見たと思いますが、日本はアメ車には非課税ですが、アメリカは日本車に2.5%の関税をかけています。
柑橘類の輸入は良いとしても、国産の柑橘類には認めていないにもかかわらず、アメリカを含む海外からの柑橘類には収穫後防かび剤を噴霧することが
認められています。これはアメリカの圧力によるものです。

コンピュータでもありました。三菱と日立の社員がIBMに対し「産業スパイ」をしたとして逮捕され、その後の和解交渉の中で
アメリカというか、IBM側の言いなりで解決させられています。

あ、もう一つ思い出しました。支援戦闘機F2に関して日本は独自開発したかったのに共同開発を押し付けられ、F16ベースで
開発せざるを得なかったですね。
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北方領土問題。



もともとあそこは日本でもロシアでもなくアイヌの土地。
それを奪い取った日本とロシアのどちらにも正当な理由などない。
なので、
2島返還で丸く収めようとした当時のソ連に対し
ソ連と仲良しになってもらっては困る米国は日本に
「4島返せ、って言え」って命令。

択捉国後にはロシア人が入植してるんだから
返還なんか無理に決まってるのだけど、
そういう事で日本と日本人にソ連への敵愾心を煽り立て
アメリカ帝国の「ペット」としての道を選択。
というか
敗戦国なので選択の余地なし。
負けた国は、勝者の言いなりになると決まっていますので。
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