1. わたしたち人間の能力と努力を超えていることなのか? それとも人間が
その知性と心とで実現しうる行為であるのか? これを問います。
2. 質問者の考えは こうです。:
人間が自分の意志行為としてのおこないの中で発揮することがあり得ると
見る(憶測です)と同時に そのチカラは どこからか――ヒラメキや良心
のごとく――あたえられるものである。
人間の能力と努力だけでは 無理である。
3. 《ヰキペ:慈悲(じひ、パーリ語 mettaa、サンスクリット語 maitrii, ka-
ruNaa )》にもとづき設問します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E6%82%B2
4. まづ 《慈》も《悲》も 日本語での 友がら・やさしさ・思いやりとい
った言葉と同じように 生活の中から出た言葉( スサノヲ人間語( S 語) )で
あって しかもすでに同時に 抽象一般化しまたその概念を純粋化し高めたもの
( アマテラス普遍語( A 語) )であると考えられます。
抽象化され高められたとき それは 実践しうることだと見ているのかどうか こ
ういう問いです。
5. ▲ (ヰキペ:慈悲)~~~~~~~~~~~~~~~~
5-1. 〔《慈》にあたる〕サンスクリット語の「マイトリー(maitrii)」は 「ミ
トラ」(mitra)から造られた抽象名詞で、
【 S 語】 本来は「友情」「同志」の意味である。しかも、
【 A 語】 ある特定の人に対し友情をもつのではなく、あらゆる人々に平等に
友情をもち、友誼を示すことをいう。
したがって慈とは、このようないっさいの人々に対する平等の友情
をいう。
5-2. 次に、〔《悲》にあたる〕サンスクリット語の「カルナ(karuNaa)」は
【 S 語】 「優しい」「哀れむべき」というのであるが、その原意は「呻(う
め)き」にあるという。
「悲」とは、まず人生の苦に対する人間の呻きを意味する。その呻
きがなぜ「悲」かというと、自らが呻く悲しい存在であることを知る
ことによって、ほんとうに他者の苦がわかる。そこで、はじめて他者
と同感してゆく同苦の思いが生じる。
☆(あ)(引用者註) これらの S 語は 日本語の《もののあはれ》に通じ
ていると思われます。
【 A 語】 その自分の中にある同苦の思いが、他の苦を癒さずにおれないとい
う救済の思いとなって働く、それが悲であるという。
5-3. 仏教ではこの慈悲心を三種に説く。「衆生縁」「法縁」「無縁」の三縁
慈悲である。いわば慈悲心の生起する理由とその在りかたをいう。
(一) 衆生縁とは 衆生(しゅじょう、jantu,sattva)の苦しむ姿を見
て、それを救うために、その衆生を縁として起こした慈悲の心。すなわち、
衆生の苦を抜き、楽を与えようとする心である。
☆(い) (これは =【 S 語】・生活語か? つまり経験現実か?)
(二) 法縁(ほうえん)とは、 すでに煩悩を断じた聖人が人々が法は
空なりという理を知らずに、ただ抜苦得楽のためにあがくのをみて、抜苦
与楽しようとする心をいう。
☆(う) (これは ≒【 S 語】か? そのような生活者はいるか?)
(三) 無縁とは 慈悲心の自然(じねん)の働きをいうものであり、そ
れは仏にしかない心であるという。
☆(え) (これは =【 A 語】であろう。あたかも ≠【 S 語】か? そ
れとも ブッダターならば 【 S 語】じたいの中に潜在しているとい
うのであろうか?)
5-4. この三縁の慈悲とは、
第一は 一般衆生の慈悲、あわれみの心をいい、
第二は 聖人、つまり阿羅漢や菩薩の位にあるものの起こす心、
第三は 仏の哀愍の心であると言える。
この中で第三の無縁の慈悲心のみが本当の大悲(だいひ、mahaa-karunaa )と
言える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
6. 三縁の慈悲のうち 第三の《無縁の慈悲》は 《ブッダター(仏性)》の
ことであるとも考えられます。そのことをも含めて 慈悲は 人間の実際におこ
ないうる現実であるか? こう問います。
7. あるいはまた 《もののあはれ》という S 語は 普遍 A 語の内容をも宿
しているか? 潜在可能性はあるか? これを併わせて問います。
☆ ずばりおしえてください。
ブディズムの現実性いかんを問うかたちにもなっています。
あるいは 《悪の共同自治》をいかにおこなうか? につなげようとしています。
A 回答 (17件中1~10件)
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No.18
- 回答日時:
上記に例を示しましたが、物質世界では例えば人間の体力や時間、エネルギーには限りがあります。
その制約を考慮して考えてみてはいかがでしょうか?実際に貴方自身が慈悲を実践してみて、どこに困難があるか?それを見つけることが出来れば、机上で考える以上の物が発見できるかもしれません。机上と実践では意外と差があったりします。>★ また、物質がなぜ存在するのか?この問いに答えをだせない
>と、物質で構成される我々についての正しい答えは見いだせず、
>全ては推測の域を出ないと思っています。
>☆ 出してその推測の域を出てからにしてください。
私の知る限り、残念ながら出している人を知っておりません。
故に、貴方も私も含め全ては後付の推測に過ぎないと言っているわけです。
また、仮にそれが叶うのであれば、
>★ 物理では熱力学の第二法則という物があります。仮に、・・・
>☆ この議論が すべて後付けだと見られます。成るように成る。
>そう成るようになっていたのだと。
これにも関連するのですが、大昔から研究されていますが、例外が1つたりとも見つかっていません。
あれば是非知りたいところです。
ご回答をありがとうございます。
★ 人間の体力や時間、エネルギーには限りがあります。その制約を考慮
して考えてみてはいかがでしょうか?
☆ 当たり前です。その条件のもとで《つねに》です。
★ 実際に貴方自身が慈悲を実践してみて、どこに困難があるか?
☆ 《相手をえらばず・つねに》が むつかしいでしょう。
★ 机上と実践では意外と差があったりします。
☆ だから問うています。
>☆ 出してその推測の域を出てからにしてください。
★ 私の知る限り、残念ながら出している人を知っておりません。
故に、貴方も私も含め全ては後付の推測に過ぎないと言っているわけです。
☆ ならば 趣旨説明のたたき台〔=(2)〕に同じです。
そういったひとつの・現在における結論を示してあとは 意志自由論だと
かAI論だとかあるいは生物・動物論を おぎなってくれていればよかった
わけです。
>★ 物理では熱力学の第二法則という物があります。仮に、・・・
>☆ この議論が すべて後付けだと見られます。成るように成る。
>そう成るようになっていたのだと。
★ これにも関連するのですが、大昔から研究されていますが、例外が1
つたりとも見つかっていません。
☆ この件では わたしが間違えました。自然科学の法則を 慈悲の実践
に適用するなら 後付けであろうと推測しただけのものでした。すみませ
ん。
No.17
- 回答日時:
慈善団体や宗教について
相手を選んでいないというよりも、リソースがあれば本当は全て救いたいがそれが難しい。現実的に出来る範囲内で救っている。その様に思えます。初期の動機や創設者の意図はどうでもよく、そこに集う人やそれを全体で見ると、植物、動物、文化などなど様々な分野を救おうとしていますし、人には本質的に貴方の想定する慈悲が備わっているように見えるわけです。宗教拡大についても本部の方は分かりませんが、広めている人については純粋な救済であると信じて疑わない人も見かけます。
プログラムについて
プログラム本体は作成者にどのような動機があろうとも、その意志や動機とは一切関係なく、シンプルに設計通りにただ動くだけです。その行動が無縁慈悲的な振る舞いをすれば良いだけかと思います。
全く同じ条件でビックバンが起これば、全く同じ宇宙が発生し、我々は同じ会話をしていると思っていますので、「素粒子や量子の運動に 人間の行為が 還元されるということでしょうか?」という問いについてはYesです。我々は100%化学物質や物理法則の組み合わせで成り立っています。人が100%化学物質で出来ているいじょう、物理法則からは逃れることが出来ないと言っているわけです。
また、物質がなぜ存在するのか?この問いに答えをだせないと、物質で構成される我々についての正しい答えは見いだせず、全ては推測の域を出ないと思っています。
犯罪を取り締まる方が放置するよりも安定する。
要らないかどうかは分かりませんが、このように遺伝子がプログラムされているからと考えています。逆に考えるとそういった遺伝子は過去のどこかの時代、場合によっては今も存在すると思います。しかし、生存の仮定で不利に働き消失した物と思います。下記で蟻の例を書きましたが、生存による淘汰圧により遺伝子を残すことが出来ないと考えるわけです。こういった歴史や経験が積み重なった物が遺伝子かと思います。35億年くらいの蓄積がありますので歴史書としてはなかなかに深いと思います。
物理では熱力学の第二法則という物があります。仮に、安定では無い状態を物理現象が好むようなことになれば、永久機関が実現可能と言われています。個人的には永久機関を作ることは無理だと思っていますのでこれが根拠になります。一部、人の英知で永久機関すら作れると主張する人もいますが層であれば面白そうですが、私は極めて懐疑的に見ています。
ご回答をありがとうございます。
★ 相手を選んでいないというよりも、リソースがあれば本当は
全て救いたいがそれが難しい。
☆ 《すくう》とは何か? がはっきりしません。動機は問題に
しません。そのような《活動》は 日常生活とは 別なはずです。
つまり 相手をえらんでいる。
★ 現実的に出来る範囲内で救っている。その様に思えます。
☆ 《相手をえらばず つねに ちからを尽くす》という生活日
常が 無縁慈悲になります。
★ 人には本質的に貴方の想定する慈悲が備わっているように見
えるわけです。
☆ 無縁慈悲についても その潜在可能性はあるのではないかと
いう見解を じつは持ちます(趣旨説明欄:6・7)。つまり
それを実践できるか? が 実質的な問いです。
★ 純粋な救済であると信じて疑わない人も見かけます。
☆ 《救済を必要とする》場合よりも 日常生活においてつねに
《相手が持てるちからを十二分に発揮することができるように
つねに誰れ彼れとなく 接する》という定義も示しました。
★ プログラム本体は作成者にどのような動機があろうとも、そ
の意志や動機とは一切関係なく、シンプルに設計通りにただ動く
だけです。その行動が無縁慈悲的な振る舞いをすれば良いだけか
と思います。
☆ そうなら 人間がやれるか?
★ 人が100%化学物質で出来ているいじょう、物理法則からは
逃れることが出来ないと言っているわけです。
☆ ふつうのことです。そんなことは問うていません。《還元さ
れる》としても どのようにかは なおまだ推測です。
★ また、物質がなぜ存在するのか?この問いに答えをだせない
と、物質で構成される我々についての正しい答えは見いだせず、
全ては推測の域を出ないと思っています。
☆ 出してその推測の域を出てからにしてください。
★ このように遺伝子がプログラムされているからと考えていま
す。
☆ 後付けの推測です。
★ こういった歴史や経験が積み重なった物が遺伝子かと思いま
す。
☆ これも 後付けで 消えるべき遺伝子や残るべきものだった
と言っていませんか? ケセラセラ史観なのでは?
★ 物理では熱力学の第二法則という物があります。仮に、・・・
☆ この議論が すべて後付けだと見られます。成るように成る。
そう成るようになっていたのだと。
No.16
- 回答日時:
無縁慈悲
>★ その事件が生存に有利、不利に働き頻発するのであれば、子孫を残せるか否かという問題になりますので、
>☆ そのことが 一義的に《無縁慈悲》の内容であると どうして言えますか?
これは、自由意志ではなく、動物の本能として当初から備わっている。脊髄反射のような物だと考えたためです。
>《われも生きる なれも生きる かれも生きる。ともに・よく生きる。そのために 相手をえらばず つねに ちからを尽くす》 これも無縁慈悲の定義です。
国連やボランティア団体、NGOなどこのような理念で活動しているように思います。他にも宗教家なども遍く幸せになれるよう努力しているように思います。
プログラムの場合、その様にプログラムすれば無縁慈悲を実践できる物が出来るという話です。また、前述の通り人とコンピュータが同等、もしくはそれ以上になっている時代かと思います。プログラムは0と1の2文字、人を含む動物はATGCの4文字でコードされています。原理的に一方でしかできないと考える方が不自然かと思うわけです。つまり、人でも実現可能であるという話です。
また、意志自由についてですが、ビックバンから我々を構成する物質が生まれたと考えられています。
そこまで遡って考えると、粒子同士の玉突き、ポケットのないビリヤードみたいにぶつかりながら物理的に反応が現在も行われています。
そこに我々が居るわけで、ビックバンで発生した粒子がより安定な状態になるために現在も粒子が活動している。
その様に考えると、未来の我々の行動も既に決められている。意志自由が本質的に存在しないわけです。全ての思考は粒子が安定な状態になると言う活動を支えるためだけに存在しているわけです。意志自由の思考は極めて重要で、仮に意志自由がが存在しないとすれば、そもそもこの議論に意味があるのかという話にもなりかねないかと思います。言い換えると、物理的により安定方向に粒子が向かう方向に反応が進んでいるわけですから、本質的には意志すら存在していませんし慈悲というものの議論すら意味が消失すると思うわけです。
ご回答をありがとうございます。
★ 無縁慈悲
=動物の本能として当初から備わっている。脊髄反射のような物だ
と考えた。
☆ 分かりません。
>《われも生きる なれも生きる かれも生きる。ともに・よく生
きる。そのために 相手をえらばず つねに ちからを尽くす》
★ 国連やボランティア団体、NGOなどこのような理念で活動して
いるように思います。
☆ それらの活動は 自分たちが先にこれこれのことをする〔とよ
い〕と考えたそのことをおこなっている。と言えましょう。これは
《相手をえらばず》ということではないのではないでしょうか?
活動の対象とした相手以外は 別様に行動するはずです。
★ 他にも宗教家なども遍く幸せになれるよう努力しているように
思います。
☆ 動機は問いません。そして シュウキョウは金儲けと宗勢拡大
のためにおこなっていると思います。
★ プログラムの場合、その様にプログラムすれば無縁慈悲を実践
できる物が出来るという話です。
☆ 納得いきません。もしプログラムできるのなら その内容を人
間が意志をとおして実践しうるとなります。そういう話は聞いたこ
とがありません。
★ つまり、人でも実現可能であるという話です。
☆ まだ聞いたことがありません。
★ ビックバンから我々を構成する物質が生まれたと考えられてい
ます。・・・(中略)・・
その様に考えると、未来の我々の行動も既に決められている。
☆ 素粒子や量子の運動に 人間の行為が 還元されるということ
でしょうか? 推測ですよね。
★ 意志自由が本質的に存在しないわけです。
☆ ぢゃあ 犯罪を取り締まることは 要らないことをやっている
のですか?
★ 全ての思考は粒子が安定な状態になると言う活動を支えるため
だけに存在しているわけです。
☆ 粒子の安定な状態というのは 後付けでそう決めているのでは?
★ 意志自由の思考は極めて重要で、仮に意志自由がが存在しない
とすれば、そもそもこの議論に意味があるのかという話にもなりか
ねないかと思います。言い換えると、物理的により安定方向に粒子
が向かう方向に反応が進んでいるわけですから、本質的には意志す
ら存在していませんし慈悲というものの議論すら意味が消失すると
思うわけです。
☆ そう推測したわけです。
No.15
- 回答日時:
その事件が生存に有利、不利に働き頻発するのであれば、子孫を残せるか否かという問題になりますので、結果としてその事件が考慮された状態で遺伝子に刻まれると思います。
人の場合も些末な事件は無視されますが、大きな事件は文章で残る場合がある。こんな感じでしょうか。人の場合、道具という形で残る場合もあります。生物の場合、容姿の変化などで残る場合もあるようです。一部道具を使うサルなどは技術を見よう見まねで残るようですが・・・他人を殺す遺伝子ですがこれに適切な事例をすぐには思いつきません。ただ、嘘をつく遺伝子。これであれば、例えば蟻を観察すると嘘をつく蟻は処罰されますので現実であると言えるかと思います。
神経の反射には貴方の想定する、慈悲が含まれていませんか?その様な想定で書いています。
また、生物は多様ですので1つの思考だけではなく、大量の脳や思考回路が存在します。更に、同じ人間でも今日と明日では考えががらりと豹変することもあります。1秒おきに気分で変化することもあります。そこに、貴方の想定する慈悲は含まれていませんか?
貴方の想定する慈悲の内容について一応読みはしましたが、お互いに言えることですが言葉1つ1つ、記号の使い方1つ1つについて持ち合わせている意味が微妙に異なりますので、残念ながら相互に正しく意思疎通をするのはなかなか難しく思っています。ただ、全く異なるバックグラウンドで会話する場合、ヒントとなるような話は書いていると思いますので、考える切っ掛けになれば幸いではないかと思っています。
>☆ それまでの歴史事実の中から勝手にデータをつくっただけでは
>ないのですか? ぜんぶの事実を資料化しましたか?
>
>これからあたらしい事実はもう出ないという決め込みがあるのでは?
これは人にも同じ事が言えるかと思います。もし携帯電話をお持ちでしたら、
それを手描きで絵にして書き出してみて下さい。人が認識している世界は驚くほどの欠けがあります。
プログラムの場合、人を模しているのと保存できる情報量に限りがあるなどその制限のため、
コンピュータの場合意図的に欠けを作り学習します。ただ人よりも有利なのは元となるデータを精緻に記録していますので検証し直すことが出来る点でしょうか。この点は明らかに人よりも有利かと思います。人の場合、脳の容積が決まっていますので、そもそも物理的に貯蔵できるデータ量に限りがあるのが欠点かと思います。
>その神なる視点のほかに どうして人間が・また人間のつくった知能が 全部を知り得るのか?
コンピュータは電気で、一方脳は化学反応と電気信号で駆動しています。原理的にそれをトレースすれば分かるという話です。
シミュレータがあるなら、コンピュータの場合、例えば同じプログラムを二つ用意すれば2台とも必ず同じ結果が出力されます。
人や他の動物についてはATGC4文字(コンピュータの場合01の2文字)、DVD1枚程度のコードで記述されています。違いを見つける方が難しいような気がします。
同等になってからという話ですが、この定義は本当に難しいです。例えばゲームの用に相手の心理を読んだりヒラメキが必要とされるものについて、既に人を超えています。知り合いの顔を思い出す能力など既にコンピュータの方が圧倒的に上です。
何を持って同等と言えばいいか分かりませんが、個人的には同等と言うよりも既に私の能力を超えているように思います。
人でもサバンやギフテッドなど一部の才能に特化していても、他の能力にハンデがある人もおります。現在のAIをサバンの一種だと考えれば既に人として同等と言えるのではないでしょうか?
また、スマホと会話できる機能など技術に詳しくない人からみると、スマホの先には人がいると思っている人もいるようです。少なくともその人にとってスマホプログラムは人と同等と認識しているようです。
私にはプログラムと人の違いを見分ける事の方が難しい時代になったと思っています。
ご回答をありがとうございます。
★ その事件が生存に有利、不利に働き頻発するのであれば、子孫を
残せるか否かという問題になりますので、
☆ そのことが 一義的に《無縁慈悲》の内容であると どうして言
えますか?
《われも生きる なれも生きる かれも生きる。ともに・よく生きる。
そのために 相手をえらばず つねに ちからを尽くす》 これも無
縁慈悲の定義です。
★ 一部道具を使うサルなどは技術を見よう見まねで残るようですが
☆ のサルは 意志行為として・つねに 社会的に歴史的に 無縁慈
悲をおこなうものが ひとりでもいますか?
★ 他人を殺す遺伝子ですがこれに適切な事例をすぐには思いつきま
せん。
★ ただ、嘘をつく遺伝子。これであれば、例えば蟻を観察すると嘘
をつく蟻は処罰されますので現実であると言えるかと思います。
☆ 蟻が《嘘をつく》とは どういうことでしょうか?
★ 神経の反射には貴方の想定する、慈悲が含まれていませんか?
☆ だから 衆生縁・法縁とそして無縁慈悲とを分けよってんぢゃん。
★ コンピュータの場合意図的に欠けを作り学習します。ただ人より
も有利なのは元となるデータを精緻に記録していますので検証し直す
ことが出来る点でしょうか。
☆ だから 無縁慈悲を実践できるとでも?
>その神なる視点のほかに どうして人間が・また人間のつくった知
能が 全部を知り得るのか?
★ コンピュータは電気で、一方脳は化学反応と電気信号で駆動して
います。原理的にそれをトレースすれば分かるという話です。・・・
☆ だから 無縁慈悲を実践し得るのですか?
★ 同等になってからという話ですが、この定義は本当に難しいです。
例えば・・・
☆ だから 無縁慈悲を行ないうるのですか?
★ 現在のAIをサバンの一種だと考えれば既に人として同等と言える
のではないでしょうか?
☆ だから 慈悲は?
No.14
- 回答日時:
人も含めてですが、動物の場合、歴史は遺伝子に刻まれていると思います。
書籍や写真でないと意味がないと言われればそれまでですが・・・勿論、歴史書同様全てではありませんが、例えば他人を必ず殺す傾向のある遺伝子があるとします。こういった遺伝子が大量にあればその種は戦争をしてしまい最後は生存可能な数を切り絶滅して地球に残らない。こんな話です。逆に、他者を助ける心というか行動様式を持つ個体が多ければ、その種は上記の種よりも生存に有利であり残り、今なお我々に引き継がれている。こんな話です。また、人でも無学な人もおりますし、誰しもが必ずしも歴史や知性によって心、もっとダイレクトに遺伝子の在り方がねじ曲げられるとは言えないかと思います。>☆ 衆生縁と法縁の慈悲は 人間にもおこなえるが 無縁慈悲なる行為は
>果たして実際に成しうるか? という問いです。
無縁慈悲の存在の有無についてですが、一種の脊髄反射のような反射と考えると寄り分かりやすいかもしれません。
ただ、定義が分かりませんので調べてみました
【無縁の慈悲】
https://www.weblio.jp/content/%E7%84%A1%E7%B8%81 …
カトリック神父や法王、僧侶などいかがでしょうか?人によっては自分の子孫を作ることなくあまねく人を救おうと努力しているように見えます。他にも国連なども人以外の生物すら救おうとしたりしていますしそれに近い気もします。
意志自由について
私は兼業プログラマなのですが、一見物事を考えて居るような人工知能のプログラムも実はソースコードや学習データ(人であれば遺伝情報)を見ることで原理的には行動が全て予測可能です。同じソースコードと学習データを用意して同じインプットを行えば必ず同じアウトプットが得られます。電卓などはシンプルで分かりやすい例かと思います。学習の場合、歴史と言いますと学習データによって重み付けされますがそれを見れば予測可能です。
人の場合も複雑ではありますが、人を構成する物質は全て化学物質で構成されています。つまり、化学反応を全て追跡することが出来れば原理的には予測可能というわけです。例えば、Aというインプットをすれば100%の確率でBというアウトプットが得られるという話です。この場合、主観的には物事を思考していると思えますが、客観的(プログラマや神的な視点)に立つと全て予想通りのアウトプットをしている。つまり、DVDの再生と変わらないと言うわけです。
人の行為が物理現象に還元されると言うことには証明が必要とのことですが、どのような証明が必要なのでしょうか?
逆の話でAIは人か?という問いがあり、チューリングテストや囲碁など様々なテストがありクリアされつつあります。この過程を見て更に未来人と同等になると私は想像しており演繹的に考えたりもしております。
ご回答をありがとうございます。
★ 人も含めてですが、動物の場合、歴史は遺伝子に刻まれている
と思います。
☆ ぢゃあ 犬や猫が 何百年か前におれたちの先祖はこれこれこ
ういう事件を起こしたことがあったよと言ったりするんですね?
★ 例えば他人を必ず殺す傾向のある遺伝子があるとします。
☆ 《必ず》という想定が 現実であると言うためには なお証明
を要します。
★ 他者を助ける心というか行動様式を持つ個体が多ければ、
☆ ですから 《他者を助ける》という規定が なおあいまいです。
自己の考えにしたがってそののぞむところを実践しているに過ぎな
いかも知れないからです。
★ 無縁慈悲の存在の有無についてですが、一種の脊髄反射のよう
な反射と考えると寄り分かりやすいかもしれません。
ただ、定義が分かりませんので調べてみました
☆ あなたの定義を示して その《反射》のようなものが 実践さ
れ得ると述べるべきです。わたしの定義は示しています。
★ 人によっては自分の子孫を作ることなく
☆ そのことがどうしてよいことなのか 分かりません。
★ あまねく人を救おうと努力しているように見えます。
☆ ですから 《人をすくう》という規定が あいまいです。
★ 意志自由について
一見物事を考えて居るような人工知能のプログラムも実はソースコ
ードや学習データ(人であれば遺伝情報)を見ることで原理的には
行動が全て予測可能です。
☆ それまでの歴史事実の中から勝手にデータをつくっただけでは
ないのですか? ぜんぶの事実を資料化しましたか?
これからあたらしい事実はもう出ないという決め込みがあるのでは?
★ 客観的(プログラマや神的な視点)に立つと全て予想通りのア
ウトプットをしている。
☆ ウソです。《神》の場合は むしろそういう全知(予知)とい
うチカラとハタラキを 想定しているのですから 別です。
その神なる視点のほかに どうして人間が・また人間のつくった知
能が 全部を知り得るのか?
その《客観》とは プログラマなる人間の主観です。何人かが共同
の主観となっていたとしても。
★ AIは人か?・・・未来人と同等になると私は想像しており
☆ 同等に成ってから言ってください。または いま 成り得ると
いう証明が必要です。
No.13
- 回答日時:
ヒト以外の社会的動物の思考を見る限り慈悲が見て取れます。
ヒトも同じような遺伝子セットで作られている以上、その様な行動をすることに疑問を感じません。他、極端な例ですと脳に障害がや生い立ちによってはあり得るかと思います。結局は思考のプロセスがその様な状態にあるか否かかと思います。また、その様な思考を一般人もするタイミングがあればその瞬間は、想定される様々な種類の慈悲は存在するかと思います。ググってみましたが宗教用語のようで正直中身は分かりかねますが、一つの思考だけではなく混じり合ったような複数の思考という物もあるような気がします。ヒトによってはある種類の慈悲的感情のみが先鋭化している人もいるかと思います。ヒトを見ていますと思考も態度も多様性がありますし、色々なタイプの人がいるのではないかと思うわけです。更に、その時々の思考を考えると様々な物があるような気がします。同じ人物でも、慈悲の時もあれば真逆の時もあるような感じです。
感情も思考もグラデーションのような物で混じり合ってる。中にはきっぱり別れている人もいるだろう。こんな話です。
ビックバンの話について
実際の行為があるか無いかという話ですが、DVDを再生してそこで登場する人物が思考しているとは思えません。また、世界にある物質が全て純粋に物理や価額減少で動いている場合、そこで行われる行為については予測可能でしょう。この場合、果たして意志自由が存在するのかは大いに疑問を持っています。(答えがあるわけではなく私自身考え中です)
ご回答をありがとうございます。
★ ヒト以外の社会的動物の思考を見る限り慈悲が見て取れます。
☆ その《社会性》にも ヒトとは大きな隔たりがあります。たとえば
歴史を持たないでしょう 動物は。
★ 結局は思考のプロセスがその様な状態にあるか否かかと思います。
☆ このご見解については 正面から反対です。なぜなら 《思考して
いる》ことと《その思考内容を現実に実践しうること》とは 別だから
です。
言うは易く行なうは難しと言います。現実的なのは 法縁慈悲まででは
ないかという意味です。
★ ヒトによってはある種類の慈悲的感情のみが先鋭化している人もい
るかと思います。
☆ 法縁慈悲については 前回(№10)お礼欄の末尾に定義しました。
★ ビックバンの話について
★ 実際の行為があるか無いかという話ですが、DVDを再生してそこで
登場する人物が思考しているとは思えません。
☆ 再生されている人間は すでにもう録画されて固定しています。そ
の意味で 思考無し・意志による選択無しだと言っているに過ぎません。
実際の一次現実では 思考し意志によって行為しています。
★ 世界にある物質が全て純粋に物理や科学現象で動いている場合、そ
こで行われる行為については予測可能でしょう。
☆ 人間の行為が 物理ないし自然科学の現象に還元されると言うには
なお証明が要ります。
No.11
- 回答日時:
自然本性によっては為し得るけれど、人間には無理である、ということになるんじゃないでしょうか。
人はパンのみに生きるにあらず、じゃあ言葉だけで満足出来るのか?うーむ。満足できるのだろうか、出来るのかもしれない。分からん。
ご回答をありがとうございます。
★ 自然本性によっては為し得るけれど、人間には無理である、
ということになるんじゃないでしょうか。
☆ どうも そのように感じていましたし いまも思っています。
わたしの言葉では げんみつには:
・ 自然本性〔の内にやどる《自然本性ぷらす・あるふぁ》とし
てのナゾなるチカラ〕によって
☆ となりますが。
★ 人はパンのみに生きるにあらず、じゃあ言葉だけで満足出来
るのか?うーむ。満足できるのだろうか、出来るのかもしれない。
分からん。
☆ いや 理屈を言えば 《のみではない》と言っていますから
それほど問題ではないようです。
なのですが 実際問題としては 二者択一の情況に追いやられる
ことが しばしばではないかと思われます。
ですから たぶんすべては 自己の考えに沿ってよいと思うこと
をやるのだという・その意味で利己的(あるいは 自己中心的)
な方針ですと はっきり言って 行動するとよいとも考えられま
す。
いまのところ 仏性(ブッダター)やら霊(アートマン)といっ
た昔からの《ことば》を借りて 説明したり考えたりする地点で
足踏みしています。残念ながら。
No.10
- 回答日時:
生物は遺伝情報によってその固体が設計されています。
設計図、遺伝子に共通点があれば他の生物を観察することでヒトにもおおようが聞くのではないかという仮説がありそれ前提で遺伝子の話をさせて頂いています。実際、薬品や脳科学の研究では動物がその対象となることもありますしね。ヒトも同様に本能的な行為ではないかと思うわけです。例えば、慈悲をすることでその社会的集団が生存に有利であれば、慈悲という物は社会集団として根付いてしまうと言うわけです。逆にその心、もしくは行動が出来ないヒトは生存競争に負けてしまい遺伝子が残せない、こんな話です。
また、意志自由とのことですが、これはこれで別途質問がたつくらいの大きな話かと思います。例えば、今の我々の会話は、ビックバンが出来た時には予定されていた行動か否か気になるところです。例えば、全く同じ条件で他の宇宙でビックバンが発生すれば、我々全く同じ会話をしているのか?仮にそうであれば、未来は確定しており意志自由等という本質的に存在せず、デジタルのDVDでも再生するかのような寸分違わぬ行為であり、客観的に見ると意志自由は存在しないように思うのです。
利他行為についても、慈悲についても本人の気持ち次第かと思います。例えば、慈悲行為だとしても、その後見返りが発生してにんまりすれば、すれは慈悲行為だったのか利他行為だったのか本人にすら区別が付かなくなる気がします。更に、見返りが発生することが常習化した場合、もう本人にも利他なのか慈悲なのか分からなくなる気がします。
時々寄付(今回の大雨の被害など)をするのですが、何も考えず無意識的に入れることもあれば、一種の願いを込めて入れることもあります。正直、私自身どちらの気持ちでやっているのか分かりません。ただ、行為そのものについてはそれをすることで、脳の化学物質がより安定な状態になるわけでそこは正当化できる気がします。そこには慈悲であろうと利他であろうと、脳の化学物質がより安定な状態になるというだけで、そこに、慈悲や利他という思考で区別が出来る類の物か極めて曖昧であったり、そもそも意味があるのかと思ったりもします。
ご回答をありがとうございます。
★ 生物は遺伝情報によってその固体が設計されています。
☆ 慈悲なる行為は ヒトの設計図にはない――という見解でしょうか?
そういう問いです。
★ ヒトも同様に本能的な行為ではないかと思うわけです。
☆ いえ。何を・どのようにおこなうか これを考え意志によって選択し
て行為します。たいていの動物は――社会的には――できないはずです。
★ 例えば、慈悲をすることで
☆ 衆生縁と法縁の慈悲は 人間にもおこなえるが 無縁慈悲なる行為は
果たして実際に成しうるか? という問いです。
★ 例えば、今の我々の会話は、ビックバンが出来た時には予定されてい
た行動か否か気になるところです。
☆ 論証とともに結論をどうぞ述べてください。
★ 例えば、全く同じ条件で他の宇宙でビックバンが発生すれば、・・・
☆ 実際の現実に行為があるかないかです。
★ 利他行為についても、
☆ 人間は自分の描く目的のもと自分が満足するために そういう利己な
る意志のもとにおこなうと考えます。
★ 慈悲についても本人の気持ち次第かと思います。
☆ 現実に慈悲なる行為は おこなわれている――という見解ですか?
★ 時々寄付(今回の大雨の被害など)をするのですが、何も考えず無意
識的に入れることもあれば、一種の願いを込めて入れることもあります。
☆ 衆生縁の慈悲ではないでしょうか?
★ そこには慈悲であろうと利他であろうと、脳の化学物質がより安定な
状態になるというだけで、そこに、慈悲や利他という思考で区別が出来る
類の物か極めて曖昧であったり、そもそも意味があるのかと思ったりもし
ます。
☆ といった分析内容いかんにかかわらず つねに相手をえらばず・その
相手の状態に応じておのづと その人が自分の持てるちからを十二分に発
揮することができるように よい助言やハタラキカケをおこなうという無
縁慈悲 これを 人間は現実におこない得るか? と問います。
No.9
- 回答日時:
哲学的な小難しい話は分かりませんが、
例えばヒトも蜂も本質的には同じ生物かと思います。
遺伝子や深化を辿れば見た目は異なりますが、
我々の祖父母の祖父母の祖父母のと遡ると
ヒトと蜂は共通の祖先(祖父母)を持ちます。
そして、観察しやすい生物である
蜂についてですが、自己を犠牲にしてでも群れを守る性質を持ち合わせています。
例えば、アシナガバチがミツバチの巣を攻撃した場合には蜂個体の命を犠牲にして
ミツバチの巣全体を守る感じです。
彼らに感情があるのか無いのか分かりませんが、極々自然な行為として他己的行為が出来ると言うことでしょう。
ただ、そもそも、利己的か他己的という問いに意味があるのか疑問です。
と言いますのもの、本人は心の奥底から他己的であると思っていても、
ヒトという種全体で見ればそれは利己的行為である場合もあるからです。
なお、この考えは、ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでの感想みたいな物です。
ご回答をありがとうございます。
★ 我々の祖父母の祖父母の祖父母のと遡ると
ヒトと蜂は共通の祖先(祖父母)を持ちます。
☆ それは 遺伝子の問題ですよね。
★ 例えば、アシナガバチがミツバチの巣を攻撃した場合には蜂個体
の命を犠牲にして ミツバチの巣全体を守る感じです。
彼らに感情があるのか無いのか分かりませんが、極々自然な行為とし
て他己的行為が出来ると言うことでしょう。
☆ というとき ① それは 本能としての運動行為なのではないか?
② つまり 意志自由による選択を介しているかどうか?
③ その歴史を 社会集団として覚えて行くか?
★ ただ、そもそも、利己的か他己的という問いに意味があるのか疑
問です。
☆ 人間の《われ》の行為は すべて自己のためのものだと思います。
いわゆる利他の行為は それによって 自己が満足するというもので
しょう。
慈悲は――ここでは―― 利己・利他の区別という観点からは 捉え
ていません。
いづれにしても 《無縁の慈悲》をその理念どおりに人間は おこな
えるか? という問いです。
★ と言いますのもの、本人は心の奥底から他己的であると思ってい
ても、ヒトという種全体で見ればそれは利己的行為である場合もある
からです。
☆ そういう意味での《全体観》は おそらく個々の存在に必ずしも
社会的=相対的ながら自由意志にもとづく独立性があるかないかで出
てくるものではないか? つまり ミツバチのごとく 個別の自由意
志が必ずしもみとめられていないときに そういう見方を採るときが
あると。
★ なお、この考えは、ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでの
感想みたいな物です。
☆ ミームの要因を加味すれば 広がりませんか?
No.8
- 回答日時:
慈悲・・・。
悲しみを慈しむ気持ち。
質問者様の提示してくれた定義によって
生物学的なスタンスからの解釈を試みると
無縁 衆生縁 法縁 の順番があるように思われます。
社会的動物としての進化の過程で獲得してきた慈悲の心という枠組みが万人にあり
それが社会的動物としての適切な社会環境の中では万人が発現できる。
と解釈してもよさそうです。
無縁:遺伝的あるいは文化遺伝子的な概念まで含めた慈悲の心の土台。
衆生縁:あまりに悲しい現実に対して同類としての土台から沸き起こる慈悲の心。
法縁:その悲しい現実を生み出す現実の改善ということに目を向けた慈悲の心。
そういう階層構造を伴って
慈悲の心は人間共通のものだと理解していいと思います。
それがないのがサイコパス、人間としては正常ではない状態なんでしょうね。
全力を出し尽くして生きた後の人生の下り坂の段階では
能動的エネルギーとしての余力が残っていないので
全盛期の能動の限りを尽くした法縁の段階から
土台の部分である無縁の慈悲へと流れ落ちていく感覚
になるんだと思います。
ご回答をありがとうございます。
★ 慈悲・・・。
悲しみを慈しむ気持ち。
☆ なるほど。いにしえの仏教の宗祖らは 漢語をいろんなふうに――間違いで
あっても――読んだみたいですね。
★ ~~~
生物学的なスタンスからの解釈を試みると
無縁 衆生縁 法縁 の順番があるように思われます。
~~~~
☆ ふむ。ふつうは (一)(二)(三)の順序かなと思うかと思うのですが。
★ 社会的動物としての進化の過程で獲得してきた慈悲の心という枠組みが万
人にあり
それが社会的動物としての適切な社会環境の中では万人が発現できる。
と解釈してもよさそうです。
☆ あぁ。つまり 《理念( A 語)》の想定と見るよりは 《生物学的に遺伝
子》の問題だと捉えてよいのではないかと。
《社会的な遺伝子(ミーム?)》もふくまれる? 次の《文化的遺伝子》ですね。
★ ~~~
無縁:遺伝的あるいは文化遺伝子的な概念まで含めた慈悲の心の土台。
衆生縁:あまりに悲しい現実に対して同類としての土台から沸き起こる慈悲の心。
法縁:その悲しい現実を生み出す現実の改善ということに目を向けた慈悲の心。
~~~~
☆ たとえばヒラメキは 直観を得させ 良心は 恥ぢの感覚を起こさせる。こ
れらも 《自然本性(生物学的)および文化慣習(社会的)の遺伝子》にふくま
れると見るといった観点でしょうか。
★ そういう階層構造を伴って
慈悲の心は人間共通のものだと・・・
それがないのがサイコパス、人間としては正常ではない状態なんでしょうね。
☆ サイコパスについては 見方を同じくしますが 敢えて疑問をはさみましょ
う。
端的に言って この場合の《無縁慈悲》は どうも《限界がある》のではないか?
▲ (5-3 三) 慈悲心の自然(じねん)の働き
☆ なる《じねん》は 人間の意志やハカラヒを超えている。それとも 遺伝子
が ひとりでに慈悲心を起こしはたらくであろうか?
そこらへんが なおやや飛躍があるかに感じられますが どうでしょう?
★ 全力を出し尽くして生きた後の人生の下り坂の段階では
・・・
・・・法縁の段階から
土台の部分である無縁の慈悲へと流れ落ちていく・・・
☆ これは そこにやすらぎを得られるとしても 慈悲心を発揮するというまで
にはどうも・・・といった感じがしないでもありません。
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