アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

高野山金剛峯寺は不動堂以外は新しい建物なのはなぜですか?

比叡山延暦寺の建物より新しいものばかりな気がします。

延暦寺は徳川家康が全部焼き払ったはずなのに、焼き払われなかった金剛峯寺のほうが近代建物ばかりになっているのはなぜですか?

A 回答 (3件)

金剛峯寺不動堂は1908年に解体修理され、一心院谷から現在の地に移築されたのだそうです。

明治の終わりの建物というか、鎌倉後期の建物というか、微妙なところもあるようです。
金剛峯寺の主殿は江戸末期の1863年に再建されたとのことですから、こっちが古いのかもしれません。

比叡山の大講堂は、1964年に坂本の東照宮の讃仏堂を移築したのだそうです。元の建物は1634年の建物らしいです。
比叡山の根本中堂は1642年に再建されたとのことです。この根本中堂も1955年の大修理(半解体修理)以降でも7回の改修がなされ、現在は2016年から10年計画で改修が進んでいるようです。
転法輪堂(釈迦堂)は1347年に建立された園城寺弥勒堂で、1595年に移築されたのだそうです。
横川中堂は1971年の再建、多宝塔(根本如法塔)は1925年建立だそうです。

改修でも、移築でも、再建でも、金はかかりますから、財源を出してくれる人の状態は結構大きな問題でしょう。
そうしたことをしないと、損傷したりすればそれっきりです。 なくなってしまった建造物はいくらあったとしても、みることはできませんから。
年間平均で約120万~150万人の人が参詣に訪れている高野山は、参拝者や籠もる修行者、末寺からの寄進を多く集められたので新しい建物が多いということもあるのではないでしょうか。
こういうデータがどの程度関係しているかわかりませんが、高野山真言宗:信徒548万人・僧侶 6152人、天台宗:信徒153万人・僧侶 4171人というのもあります。(調査数字は当てになりませんが、遠からずという見方で)
もちろん、徳川家康とか巨額の寄進ができる人が、なぜ、その本山に寄進する気になったのかというようなことも考える必要があるのだろうと思います。その点では、空海の特殊性は何かにつけて関係しているのかもしれません。(私個人は、最澄がスゴスギと思ってますが、空海もすごいです。ですが、金剛峯寺も、延暦寺も、歴史的には大変な時期を経験しています。初代や伝統だけでは、なにもいえないと思います。 人災天災、偶然が重なっただけというのが、まともな判断ではないかと思います)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2018/07/18 20:20

天保十四年(1843年)の落雷による大火で伽藍が焼失したとのことです。


http://www.koyasan.or.jp/shingonshu/history.html
    • good
    • 0

そうだね

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す