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哲学にはあまり詳しくない者です。
人を信じるという事を美しくとる事が多いですが、私はそう思いません。すべてがそうではないですが、信じる事の次には、だまされる事、裏切られる事が多いような気がします。信じるというのは、どういった利点があるのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

論語の一説を引用します。



>子貢が政治のことをお訊ねした。
>先生は言われた、「食料を十分にし軍備を十分にして、人民には信頼を持たせることだ。」
>子貢が「どうしてもやむを得ずに捨てるなら、この三つの中でどれを先にしますか。」
>と言うと、先生は「軍備を捨てる」と言われた。
>「どうしてもやむを得ずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先にしますか。」
>と言うと、「食料を捨てる[食料がなければ人は死ぬが、昔から誰にも死は在る。
>人民は信頼がなければ安定しない。」と言われた。

人間が社会を形成した時、信頼は欠かせないということを、
孔子が説いた言葉です。

個人においては、人を信じて裏切られるということは、
誰でも経験するかと思いますが、より広い視点においては、
人と人との信頼は欠かせないのですね。
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特定の誰かを信じる利点はたくさんあります。



(1)とりあえずは警戒する必要がないので「安心」できる
(2)相手から受けとる「親切」が増える
(3)ほんとーにいろんな「手間」が省ける
(4)「支点」ができるため、動きが決定しやすい
(5)Hその他の身体的互恵行為が無料!(これは冗談です)

一言でいうと「楽」。

それに「裏切られたー」と思えば裏切られたでしょうが、
そう思わなければ、つまり相手にそんな過剰に求めなければ、極論ですが「裏切られようがない」とも言えるし・・。

また、無理に信じることを美化することもないとおもいますよ。
信じることの欠点も把握しつつ、誰かを信じたらいい感じかと思います。
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参考程度に


「信じる」BELIEVE という本来の意味に裏切るという意味はありません。「信じる」「信じない」というだけですね。 一方、信用(TRUST) には裏切りがあるわけです。つまり、信用には、商業的な「GIVE AND TAKE」の意味が含まれるからです。だからほとんどの場合「信用」という概念で生活しているわけです。「信頼」という言葉もこの「信用」をもとにしているのではないでしょうか。
何かをしてあげたので何かを期待して当然という考えですね。だから裏切られたと思うのですね。
「信じる」という行為に見返りはありません。純粋に哲学的あるいは宗教的な思いですね。この純粋な「他を信じる」「教えを信じる」「理論を信じる」という行為とか思いは人間にしかないものです。逆に言えば「信用」や「信頼」は犬と人間の間でも存在するものです。だから「信じる」というのは人間存在の証の1つでもあるのです。
利点というよりは、それがなくなると少し利口な動物になるということでしょうね。人間とは呼べませんね。
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結論から言えば、人を信じる事と騙された事は紙一重ではなくて、事象の前後と言う時間的な違いが有るので同じ土俵に挙げる事は出来ないと思います。



先ず、信頼と言うのは、自分の他者への願望と、その他者の言動との差で表現するのだと思うのです。

そして、自分の願望には幅が有りますから、その幅の中に収まったものは「信じた通り」で、その枠から飛び出てしまった物に関してを「騙された」と定義しているだけなのだと思います。

従って、騙されたり、裏切られたりするのは、当人の目算が甘いからです。あらゆる結果を想定しておけば、どんな結果になっても裏切られる事は無いわけです。

また、「裏切られると言う事が多い」と言うのは、その方が記憶に残りやすい傾向に有るからだとも思います。予定調和の記憶は残らないものです。

>信じるというのは、どういった利点があるのでしょうか?

利点は全く無いと思います。

個人的には、他者を盲目的に信頼する事は、いけないことだと思います。この世の不平不満の殆どが、自己の妄信的な他者への希望に端をなしていると思います。むしろ、自分に対して他者は何一つしては頂けないと考えて行動する事が本来の自立で有ると考えます。

その上で、他者からの施しや善意の言動を受けたならば、これは自分の予想とは違うので騙された事になるわけですが、これは自分にとって利する側への裏切りであり、驚きと共に素直に感謝の念が沸き起こると考えています。
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人=他人と思ってみえるようですが、人=自分+他人と


とらえると、どうでしょうか。
まず、自分が自分を100%信じられること。このことを突き詰め、達成できると、自分がすごい人間だと、わかる。
と、思うのですが。

自分は、学問としての哲学は、解りません。

以上、私見です。
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こんにちは。


的確に答えは出ないけど…
先ず、なんの予備知識もなく初対面の人を信じますか?信じないでしょ。じゃ、何をするか。話をする。その人を観察する。こういう事を重ねてある程度その人に対し理解できて初めて信じ始めることができるのだと思います。で、別に人を信じることが美しい事とは私も思いません。だって、人を信じて行かなければ孤独でたまらないです。全ての人を信じず疑りながら生きていくなんてこれほど孤独で悲しい事は無い様に思います。だから、美しい汚いじゃないと思います。で、最後に利点ですが、孤独じゃ無くなる。理解者が出来る。相談できる人が出来る。等ではないかと思います。信じているから言えないことも話せるんでしょ?話をするという事は大切な事だと思います。一番簡単な話すという事が出来るのが最大のメリットではないでしょうか。以上参考になれば幸いです。
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 あまり仲良しではない人をいきなり100%信じるのは、無理です。

少しずつ距離を保ちながら、仲良くなれれば良いのではないでしょうか?

 一度、ひねくれた妄想を相手に持ってしまうと必ず関係は悪化します。自分も病的になっていしまいます。

 相手の言葉の1つ1つに「裏でなにやらたくらんでいるのではないか?」など疑っていたら、精神的な疲労で病気になるのではないでしょうか。

 
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 あまり仲良しではない人をいきなり100%信じるのは、無理です。

少しずつ距離を保ちながら、仲良くなれれば良いのではないでしょうか?

 一度、ひねくれた妄想を相手に持ってしまうと必ず関係は悪化します。自分も病的になっていしまいます。

 相手の言葉の1つ1つに「裏でなにやらたくらんでいるのではないか?」など疑っていたら、精神的な疲労で病気になるのではないでしょうか。

 
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 あまり仲良しではない人をいきなり100%信じるのは、無理です。

少しずつ距離を保ちながら、仲良くなれれば良いのではないでしょうか?

 一度、ひねくれた妄想を相手に持ってしまうと必ず関係は悪化します。自分も病的になっていしまいます。

 相手の言葉の1つ1つに「裏でなにやらたくらんでいるのではないか?」など疑っていたら、精神的な疲労で病気になるのではないでしょうか。

 
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 そうですな、レストランの件では、地元の医者と飲食店がぐるになって食事に砒素だったか入れてた話しが海外であったと思います。

患者がどんどん医者に来るという話し…

 確かに、信じると言う行為には限界がありますが、ある程度の条件で相手を信じていないと現在の社会の秩序は崩壊してしまいますね。

 相手を信じてくれる人は、相手に安心感を与えます。相手がこの人となら一緒に仕事を出来る。など思うようになります。そうすれば、相手から信じてもらえるようになります。例えば、この人は信用できるから、店を任そうというような感じになることは多いといえるかと思います。場合によっては、社会的な地位が上がると言った利点があるということです。
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