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表題の通り、カントの「汎通的規定の原則」について知りたいのですが。
一応、ネットで検索しましたが、研究論文の目次としては有りましたが、内容が見られません。

どなたか、内容又は解説書等を、ご存知でしたらお知らせください。

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A 回答 (3件)

fishbowl66さん



そうでした、その点が良くわからないと仰っていたんでしたね。
つまり、「個々の実在の間にはカントの説いた〈汎通的規定の原則〉が作用している」(『価値の哲学』49頁)
という箇所です。

この価値序列の文脈ではこの文章に続いて、「W1は・・・汎通的に規定される。かく規定されることによってW1に、そしてまたW2・W3・W4……にも普遍妥当的意味を超えて新たに個体的な意味が付与されることになる」(同上)、とありますように、ここで大事なのは区分される価値(Wert)のそれぞれに「個体的な意味」があるということです。

つまり、ここで「汎通的規定」という言葉は、「普遍妥当的意味」に対して、「個体的な意味」というものを明確に表すために用いられているのです。

では、「汎通的規定」(durchgaengige Bestimmung)とは、どういう意味なのかを以下にみていきたいと思います。

「命題: すべて存在するものは、汎通的に規定されている」
(Der Satz: alles Existierende ist durchgaengig bestimmt)
(『純粋理性批判』A573/B601)
このようにカントは言うわけですが、「或るものが汎通的規定を受けているということは、それが普遍ではなく、個物であるということの、したがって、単なる概念ないし可能的なるものではなく、現実的に存在するものであるということの、論理的な表現なのである」(『カント辞典』427頁以下)、ということに過ぎません。つまり、「汎通的に規定されている」ということは、現実に存在する「個物である」という意味です。


『価値の哲学』の文脈では、それ以上の意味では用いられていませんが、一応、言葉の意味からも説明したいと思います。

まず、durchgaengigという形容詞(副詞―注:ドイツ語の形容詞はそのままの形で副詞としても用いられる)は、「(全体を)一貫した」という意味で、「すべてくまなく」ということになります。それゆえ、「普遍はその概念内容において未規定的な部分を残していることによって、複数の対象に当てはめることができるのに対し、個物はその規定に関して残るくまなく規定済みであることによって普遍ないし概念から区別された現実的な存在者となる」(『カント辞典』428頁)、という説明が見られます。

しかし、「汎通的規定」という概念は、「カント固有の概念というわけではない」(同上)。当時はガチガチの理論理論した哲学がドイツに流行していましたが、ヴォルフ学派の影響下で育ったカントの周りで普通に使われていた概念だということです。

カントがこの概念を用いた意図は、神の概念を巡るそれまでの形而上学との対決にありますが、それは質問外のことですので、その点には触れずにおきます。

〈補説〉
しかし、そのカントの先達の形而上学との対決について詳しく知るには、先に挙げられていた中橋氏の論文「カントの批判主義と批判的動機」(『哲学と宗教』に所収)が理解の助けになると思われます。「汎通的規定の原則」について、
「この用語は、(・・・)もとはライプニッツらによって影響を与えられた術語であった」(32頁)、「このように『汎通的規定』という語は、ライプニッツ・ブォルフ学派から受け継ぐものであるが、(・・・)ヴォルフが『汎通的規定の原理』を『個体性の原理』と考えていたのを受けて、(・・・)バウムガルテンは『汎通的に規定されたものは存在する』としていた」(35頁)、というように、カントの批判哲学の根本的な問題をこの点から考察する、というものです。

余談ですが、この存在論の問題はこれはこれで面白いテーマですね。個体とはなにか?、花の本質は普遍性にあるのか、個体性にあるのか?、など・・・
これも価値の哲学かな?その意味では大切かもしれません。やはり意識や志向性というのがポイントなのでしょうか、、、(独り言です・・・)


〈蛇足〉
しかし、『価値の哲学』のように文脈である程度わかる場合は、哲学の奇妙な言葉にそれほど捉われる必要はないとも考えられます。たとえば、ドイツ語を習い始めたときは、こうした一語に引っかかってなかなか論旨を追うことができません・・・おそらくそれと同じことだと思います。
でも、それにこだわりたい、気になるので調べたい、そうでないと気がすまない(笑)、、、それが知的好奇心 → → → フィロゾフィー?

でも時間はかかります・・・おやすみなさい☆
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この回答へのお礼

konstellation 様、いつもながらご丁寧なご回答、有難うございます。
でもおかしいですね、汎通的規定(「一貫」や「すべてくまなく」)が、普遍性から個体性へと言われると、なにやら逆なような気がします。

汎通と言う言葉から、質と量の関係が有るのではと、期待したもので、決して知的好奇心では有りません(笑。

本当に言葉も難しいですね、でも、知っている人は知っているんですね、確かにこれでは、時間はかかりそうです。

お礼日時:2004/10/31 05:33

上と同じ回答者です。



もう退官されているようですが、所蔵はその短大にあるようです。


興が乗ってしまって、調べ過ぎたかも
おおきなお世話だったかな・・笑
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この回答へのお礼

いろいろ有難うございます。
私の県の図書館には、大学の研究紀要のコーナーがあるのですが、多分倉敷はなかったような気がします。

一般的な解説の「部分」で検索にかからないのかと思っていました、「原則」ですから、知らない私が馬鹿だと思っていましたが・・・(笑。

お礼日時:2004/10/30 18:08

durchgangigenを汎通的と翻訳しているようです。



作者の中橋健二という人がどういう人かもわかりませんが、
論文のようですから、取り寄せて読んでみるしかないと思います。

コードなどもありますから、取り寄せは可能かなとも思いますが、
さくっとやってみたところ、著者名では検索結果ゼロでした。

参考サイト↓か、倉敷の短大へ直接問い合わせるしてみてはいかがでしょう。

参考URL:http://www.nii.ac.jp/els/els-j.html
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この回答へのお礼

わざわざ調べていただき、有難うございます。
私も、倉敷のサイトまでは行ったのですが、直接問い合わせるのも、敷居が高いですね。
もっと一般的なものかと思っていたのですが。

ドイツ語ですよね、図書館の辞書で調べてみます。

お礼日時:2004/10/30 17:59

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Qサルトルの『存在と無』について

はじめまして。
現在大学3年で、サルトル哲学を勉強しております。

『存在と無』について勉強しているのですが、「対自存在」と「即自存在」の意味がよく分かりません。この2つはどういう意味なのでしょうか?

ご存知の方いらっしゃいましたらご指導の方よろしくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

 まず、「即自存在」とは、それが何ものであるかを規定されて存在しているものを言います。例えば、ペンやナイフなどの道具は「即自存在」です。なぜなら、それらはあらかじめ、その用途や形、デザイン、材質などを制作者が決め、その上でつくられたものだからです。ですから、存在以前にその本質が決められているという意味で、「本質は実存(=現に存在していること)に先立つ(=先行する)」と言います。

 ところが、これに対して「対自存在」は、何ものであるかを規定されず、自己に向かい合うものを指します。つまり、人間がその「対自存在」にあたるとサルトルは言うのです。つまり人間は、道具のようにその本質を与えられているものではなく、気付いた時にこの世に生きているものであり、そのあとで、自らをつくっていくものだからです。例えば人間には、赤ん坊として生まれた最初から、卑怯者や英雄はいません。しかしその後の人生の中で、自らの意志で人生を選択し決断して、ある者は卑怯者になり、ある者は英雄となっていくのです。ですから、サルトルの人間観は、人間という存在はあらかじめ何者になるか決まっておらず、何者にもなる可能性があるという意味で自由であり、「人間は自らをつくるところ以外の何ものでもない」と言ったのでした。そういった意味でサルトルにとって人間とは、常に、ある自分を乗り越えて、無である未来に対し自己の可能性を「投企」していく(=投げ出して創造していく)存在であるとしたのでした。そのためサルトルは、「実存は本質に先立つ」と言ったのです。要するにサルトルにとって、人間の本性(=本質)は存在せず、その後にその人が自ら選択した行為によって、その人が何者であるかが定義されるとしたのです。

 なお、サルトルは、惰性や多忙に流れて組織の部品になり下がり、マスコミの論調に判断をゆだねて自己を合理化し、自己を主体的に選択する決断を回避する「即自的」(「即自」ではない)な生き方を、「自己欺瞞」として批判しています。

 まず、「即自存在」とは、それが何ものであるかを規定されて存在しているものを言います。例えば、ペンやナイフなどの道具は「即自存在」です。なぜなら、それらはあらかじめ、その用途や形、デザイン、材質などを制作者が決め、その上でつくられたものだからです。ですから、存在以前にその本質が決められているという意味で、「本質は実存(=現に存在していること)に先立つ(=先行する)」と言います。

 ところが、これに対して「対自存在」は、何ものであるかを規定されず、自己に向かい合うものを指...続きを読む


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