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卑弥呼と天皇はその時代にどちらのほうが位は高かったのです?

もしくは、卑弥呼がいた時代に天皇は存在してなかったのですか?

A 回答 (4件)

卑弥呼は3世紀頃の人物です。



これに対し、天皇の存在が学術的に認められたのは
6~7世紀です。

起源2600年、なんてのは、神話上の話で
根拠がありません。
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記紀では、天皇の譜系が天地開闢より日本を支配してきた系統です、って大ウソが書かれているのですが、いまだにその大ウソを頭から信じて疑うことができない人が沢山います。



卑弥呼は、魏志倭人伝を読めば、南には敵対する勢力がおり、東の海の向こうには別の倭人たちが居る、と書かれているのです。決して(今の)日本全土の女王などではないと、ちゃんと書かれているのです。ところが上記の記紀を頭から信じて疑えない人々は、卑弥呼は日本の王であるから、日本全土を治めた王である天皇の系譜でなければおかしい、そうでなければいけない、ならばアマテラスか神功皇后か、などと妄想を繰り広げるばかりなのです。

それよりも、神籠石で有名な山城の分布地域が、北九州から中四国の岡山あたりまでであることと、記紀に書かれている神武東征で、日向を追われて北九州の勢力に保護された神武たちが、岡山より東向こうの畿内あたりの土地なら自由にしてよいと言われた話と、上記の魏志倭人伝の、南に敵対する狗奴国がおり、東の海の向こうにも同種の倭人がいるという記述は、どれも同じことを示しているのではないかという気がしてならないところです。
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客観的資料の上では、卑弥呼の時代は天皇は存在しませんでした。


天皇が初めて「大王」として文献に登場するのは日本書紀。
それ以前にもあったのかもしれませんがほとんど焚書の刑に遭い、今ではほぼ残っていません。
そしてその日本書紀に顕れる天皇の系譜でも、14代仲哀天皇以前と15代応神天皇以後では信頼度に大きな差があることが明らかになっています。
つまり14代以前の天皇の系譜は創作である可能性が高いということです。

資料がないので確証もありませんが、
天皇は九州あたりに渡ってきた渡来人の末裔である可能性が高くなっています。
それに対して卑弥呼は、中国の資料が正確なら、あきらかに土着の民のものです。
そして同じく中国の書(魏志倭人伝)によれば、中国の使者(?)探検家(?)は、十を超える国を踏破しなければ邪馬台国にたどり着けなかったとあります。
これはそのまま信じれば、日本が統一状態に無かったこと、今で言えば市町村規模の小国の乱立状態であったことをうかがわせます。
もっとありていに言えば、国というべきものでもなく、部族の共同体というべきものです。
こういう状態では天皇が覇を唱えていたわけがありません。

天皇は遠い地で力を蓄えていたのかもしれません。
あるいは、まだ今でいう天皇という概念でなく同格の部族長という感じで、邪馬台国と関係を持ったかもしれません。
渡来系の天皇、土着の卑弥呼・邪馬台国。
この辺は日本の神話の神が渡来系と土着系に分かれていることとの関係を暗示させるものがあります。
その果てに融合があったのか粛清があったのか。

それは碑も文献も遺構も発見されていない今、想像の範囲を超えません。
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卑弥呼は実在し天皇が架空だと?

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Q卑弥呼と天皇の関係

邪馬台国が北九州にあったのなら疑問はないのですが、もし畿内にあった場合は
当時、奈良か大阪にいた天皇勢力とはどんな関係だったのでしょうか?
当時の天皇勢力の範囲も限られていたため、邪馬台国とは共栄共存という感じでしょうか?

Aベストアンサー

邪馬台国は、畿内とは言っても、京都、兵庫、大坂の地域に分布した国です。一方、原大和朝廷(天皇勢力)は大和盆地(奈良盆地)にあった国です。両者は棲み分けていました。魏志倭人伝に登場する狗奴国が原大和朝廷のことです。(邪馬台国が畿内にあったのはほぼ間違いありません。)

また魏志倭人伝にある通り、邪馬台国の領袖は女であり、狗奴国の領袖は男(天皇)でした。

両者は国境を接して小競り合いを続け、対立を繰り返し、決して友好な関係ではありませんでした。しかし、邪馬台国が魏朝と晋朝の冊封体制下にある間は、中華皇帝の威光を背景とする邪馬台国の勢力が優っておりました。

武帝が死去して恵帝の時代になると晋朝の内部崩壊が始まり、八王の乱に至って晋朝の権威は地に堕ちました。中華皇帝の威光の凋落は日本にも大きな影響を与えました。邪馬台国の勢力は弱体化し、この時期に原大和朝廷が邪馬台国を制して西日本の統一へ動き出したと見られます。(第八代孝元天皇から第十代崇神天皇のころ)


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