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大学の課題での質問です。
1961年の映画「ウエストサイド・ストーリー」は、
全編ほぼ英語でしたが、2009年にブロードウェイで
再演されたミュージカル「West Side Story」では、
プエルトリコから移民の人たちのセリフは、ほとんどがスペイン語でした。

これは、アメリカのどのような変化を反映しているのでしょうか?そして、この変化が、現代のアメリカ社会に、どのような影響を与えているでしょうか。

どなたかわかる方いたら
教えていただきたいです。

A 回答 (6件)

1960年のヒスパニックの割合はたったの3.2%ですが、2010年には16.3%にもなっていてマイナーな存在ではなくなっています。

当時は英語で話すしかなかったわけですが、すでに対等な立場となっています。それを示すにはスペイン語で話す必要があるでょう。興行的にみても多くの観客が見に来てくれ成功すると確信したからだと思います。これ以上にヒスパニックを増やさないためにメキシコに壁をつくるという話がでるのでしょう。
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この回答へのお礼

数字で表してもらえたのでわかりやすかったです。

ありがとうございます!

お礼日時:2018/07/29 22:15

これはいわゆる”diversity and inclusion”の話であり、ブロードウェイやハリウッドなどでは特にデリケートに、かつやや煽情的に扱われていますが、ショウビズ界特有の現象ではありません。



「白すぎるオスカー (#Oscarsowhite) 」で検索するといいと思います。マイノリティに高圧的なトランプ政権に対抗する政治的な道具として使われているきらいはあります。2009年となると少し早すぎますが、その潮流の走りと考えて考察しなさいということでしょう。

なお、映画公開時は「ウエストサイド・ストーリー」ではなく「ウエスト・サイド物語」です。
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この回答へのお礼

細かいところまでありがとうございます!!
白すぎるオスカーで検索して見ます!

お礼日時:2018/07/29 22:14

もし、今年東京の劇場で「ウエストサイド・ストーリー」を上演するとしたら、何語で上演するでしょうね?


いくら「英語が分かる人が多くなった」(本当かな?)とはいっても、やはり「客の入り」を良くしようと思ったら「日本語訳詞」で上演するでしょうね。

海外のオペラ公演や日本の歌劇団が海外作のオペラを上演するときには「原語上演+字幕」が一般的ですが、ミュージカルだとどうでしょうね。それほど「オリジナル」にこだわることは少ないのではないかと思います。

あるいは、「セリフは日本語、歌唱はオリジナルの英語」という選択もあるでしょうね。

ということで、「観客」の理解できる言葉で上演する、ということなのだと思います。

それと同じ立場で、ご質問の「プエルトリコから移民の人たちのセリフは、ほとんどがスペイン語でした」ということを考察してみてはいかがでしょうか。
それを「オリジナルのセリフ」(プエルトリコの移民なのだからスペイン語で話しているはず)と考えるか、「観客の理解を考えての言語選択」と考えるかで、考察の内容が変わってくると思いますよ。
前者の場合には、本当のオリジナルのブロードウェイ「ウエストサイド・ストーリー」では、なぜ「プエルトリコの移民のセリフも英語だったのか」というのが考察の対象になりますね。

私の記憶では、移民たちがラテンのリズムで歌う「アメリカ」の「r」の発音が「巻き舌」であるのがとても印象的でした。移民たちも、一生懸命ニューヨークになじもうと英語で話しているな、と。
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この回答へのお礼

すごい、
そんな発音のところを
ちゃんと見てるんですね、、、。

勉強になります、
ありがとうございます。

お礼日時:2018/07/29 22:15

大学の課題というのは、必ずしも、用意された唯一の正解があるとは限りません。


また、課題が出された授業の内容や趣旨によっても、どのような観点で考えるべきかが少しずつ違ってきます。
なので、「一般論」を聞いたところで、もしその課題が出された授業の趣旨に沿っていなかったり、先生が行った講義内容とまったくかみ合っていなかったりすると、評価が低くなることもあります。
考えるポイントとしては、
・課題が出された授業の内容と関連させると、どういった観点で論じるべきか
・課題が出された授業では、類似の問題について、どのように説明されていたか
これらを踏まえた上で、
・「プエルトリコ移民が英語を話す1961年版」と「プエルトリコ移民がスペイン語を話す2009年版」の、制作側、出演者側、観客側の状況の違い
・1961年頃と2009年頃の、「移民が話す言語」に対するアメリカ社会の認識の変化
などを比較して、根拠を挙げながら論じればよいでしょう。
おそらく、先生が想定している答えは一つではないと思います。
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ひと言で片付けると公民権運動の進展を表わしています。


ですが、実際には要素はたくさんあるのです。
1.作曲者でアメリカ最大の作曲家の一人、かつ天才的指揮者であったレナード・バーンスタインは、当たり前ですがスペイン語しか分からない人達のためにこのミュージカルを作曲したわけではありません。世界に向けて作曲したわけで、バーンスタイン本人からしてスペイン語よりはクラシカルの古典だったドイツ語、フランス語の方が得手でした。だから作詞をスペイン語で行うことは無理だったのです。それがたとえ可能でも映画会社はそれでは売れないので英語版しか作りませんでした。
2.公民権運動は解放奴隷の子孫であったアフリカ系の人達が主体でしたが、スペイン語系(男性はチカノ、女性はチカナ)の人達がメキシコから莫大な数流入したため、私が米国留学した1980年頃にはカリフォルニア州の公用語は英語とスペイン語の両方になっていました。そのためスペイン語系の人達を政治的に無視することはできなくなる一方その文化も重んじられるようになりました。またスペイン語版の良い脚本も成立し、本来ニューヨークの底辺でなぜグループの対立が過激だったかを明確に示すために、アフリカ系とスペイン語系の底辺層間の激しい憎しみの表現するためにはプエルトリコ系の人々が用いていたスペイン語を用いる必然性が現われたのです。ある意味、平等を推進すると自分達のオリジナリティーが失われる危機感を各民族系の人達が持ち始めたとも言えるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、、、。
色々な説があるのですね。

ありがとうございます!

お礼日時:2018/07/29 22:16

単に映画と劇場の違いでは?


映画は全世界的に多くの人の目に触れることを考えて、共通語の英語で制作したということです。
しかも出演者は、「現地語が話せる人」という前提でキャスティングすることはまずないですからね。
一方劇場は、個々のキャラクターのリアルな立場を再現したいという目論見で現地語という設定にしたのでしょう。
アメリカ社会とかの、大上段に構えるほどの理由はないと思いますよ。
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この回答へのお礼

そうなんですね。
勉強になります!
無知ですみません。
ありがとうございます(T ^ T)

お礼日時:2018/07/25 13:47

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