プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

誇大で話が長いと評判のルイス・フロイスの日本史ですが、実際書かれた話と当時おこった事にはどれくらいの違いがあるのでしょうか。
可能であれば、具体例をご教授願いたいです。

もちろん日本文化に対するキリスト教徒としての偏見を交えた表現はあるでしょうが、誇大とか長い、くどいという部分にはあまり関わりません。
とりあえず完訳フロイス日本史を3巻まで読んだ辺りではそこまで言うほどか…?というのが個人的な感想です。

そう評したのは遠く離れて日本の実情を知らないイエスズ会というのもあるのかなと思いますし、そもそも原文が不明なので判断は難しいと思いますが…。
正直当時の武将たちが残した文章の方が「本当かな?」と思える部分が多い時代ですが、フロイスがその辺を伝えていたのか…。

詳しい方、ご教授お願いします。

A 回答 (1件)

こんばんは!



そうですね…、私はフロイスの日本史を全巻読んでいないので、回答する立場にないのかもしれませんが、回答がついていなので、私見を述べさせてもらいますねえ。

当時、ポルトガルやスペインなどは、世界に宣教師を派遣しておりました。その理由は、植民地にするための下調べでした。日本は、織田信長の時代から宣教師を受け入れ、布教も許していました。実に寛容だったと思います。
彼らの使命は、布教をしながら、その国の民度というモノを調べて本国に報告をしていました。つまり、植民地にする為の戦略を練るための重要な資料になっていました。そして、何を搾取して商売になるか?
そして、豊臣秀吉の時代になると、日本人の奴隷売買も問題になってきました。その時もフロイスは本国に報告をしていたのですが、スペインのサン・フェリペ号が台風によって遭難し、それを日本人が救助したわけですが、救助された乗組員がスペインの征服目的を告白してしまい、秀吉はキリシタン大名が反乱を起こすことを恐れて、「バテレン(神父)禁止令」を出すに至ります。
フロイスは、奴隷売買が布教の妨げになると、カトリック教会に是正の進言もしていますので、彼は純粋に布教するつもりで、日本人を研究していたと思います。
当時、キリスト教に改宗する日本人は非常に少なく、困難を極めていました。逆に挫折して宣教師を辞める者まで出る始末でした。その為、教義が浸透しない理由を事細かに調べていく内に、膨大な資料になり、侵略に関係ない部分はカットして簡潔にまとめるように指示も受けています。

彼は、本国の思惑とは別に、宣教師として真面目に布教をしていたように思います。また、日本人を下に見ている本国に対して、現実を伝えようとすると、表現が過大になったり誇張される事もあったと思われます。

長くなりましたが、参考になれば幸いです!(^o^)丿
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます^^

秀吉の奴隷輸出禁止令に関しては「大体日本征服したから東西南北全部に出しました」という背景もあるみたいですが、実際改宗したら奴隷から自由の身に、という事もあったみたいですね。

お礼日時:2018/08/04 23:09

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!