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動物の命を奪いたくないという理由で、肉や
魚、卵を食べない人が世の中にはいます。
その人達は植物から栄養を取っているわけですが、
植物も生物の一種であり、命を奪っているということには
なぜならないのでしょうか?
ちなみに自分は魚や肉も食べます。

A 回答 (14件中1~10件)

基本的には「食べるために作っているもの」だからなんではないでしょうか?

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そーですよね。


ベジタリアンは結局のところ単なる「自己満足」なんでしょう。
※ そーゆーのは「動物を殺すのはイケナイ。でも家畜は食べるために育てているからOK」なんていう動物愛護主義の人にも言えるんですけど・・・。
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ベジタリアンの中でも、にんじんなどの根菜類を食べない人もいますよ。


(食べるとにんじんは死んでしまいますよね)

要するに宗教的理由かと思いますが。
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 えとですね。


 基本的には昔の習慣です。
 昔は「植物にも命がある」という考え方はなかったので、植物を食べても殺生にはあたらなかったのです。
 それが証拠に、世界中の宗教を見回してみても、「野菜も食べてはいけない」という規則は存在しません(新興宗教の一部で、人工合成物以外は不可ってのがあるかもしれませんが)。

 実際、植物にも命がある、という考え方が一般に広まったのは割と最近のことなんです。
 さらに昔は、人間にしか命がないと考えられてたんですから。
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私的見解ですけど、


ベジタリアンには、
差別意識があるのではないでしょうか?
つまり頭のいい動物は殺しちゃダメだけど、
馬鹿な植物は殺してもいい。
もしくは、植物を生命として見ていないとか・・・
     
動物=白人
植物=黒人
と言い換えたら、
なんとなく本音が見えてくるような気がします。
        
またそれとは別に、
選民意識から来るベジタリアンも居そうですね。
私は、動物を食べるような野蛮人ではないとか・・・
      
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私も肉、魚を食べません。

中学の頃から食べるのは野菜、果物類です。声高にベジタリアンを叫ぶつもりはありません。ただ、1人でも需要が減れば供給も減るのではないかと考えたのです。栄養がすべて補えるようなサプリメントが出てきたら野菜は食べないかもしれません。山の動物達の食料をとりたくないので。
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バランスの問題でしょうね。

肉食べても、それ以上の還元が、地球全体というか、生命体へと言うか、出きれば、良しとするなら、野菜でも、生きていけるから、遠慮しているのですね。牛肉100g作るのに、野菜は、何トン必要でしょうか?みたいなクイズです。


なお、人口肉は、イギリスやフランスでも、ベジタリアンは、良く食べますよ。

また、イスラムの人も、日本在住中は、豚肉を食べる人もいます。帰国すれば、食べませんが。。。

呼吸するだけでも、植物のように、酸素を出さない人間は、何か命を、奪っているかもしれませんね。

シャカは、私の知らぬ間に、昆虫等を、踏み潰して殺生しているかもしれない。
殺生とは、そんなもので、自覚できないものも多いと述べています。
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植物性食糧だけで過ごせば、地球環境にやさしいという理由で菜食の人もいますし、


アレルギーなどの理由で菜食の人もいます。

宗教的理由のベジタリアンは果物など「実」や葉っぱのみを食べます。
これは、それを取っても植物は死なないで済むからです。
ですから、そういう人たちは根菜も食べません。
焼きイモやニンジンを齧ってる人たちはベジタリアンとしてもハンパ者なんですね。
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こんにちはぁ・・



>動物の命を奪いたくないという理由
>肉や魚、卵を食べない人が世の中にはいます。
これは単純に宗教の考え方にもよりますけど(__)
むやみに生き物を殺したくない『不殺生』の考え方から生まれたものと思います。
そして仏教を中心として”肉食”をしないのは単純(主に出家修行者)に動物特有?の性欲を持ちたくない、出したくないからとも言われています。

で単純に、なぜ植物=野菜は良いのかというと・・植物は神の化身によって育つ、つまり祝福を受けている?といわれており、それは人間に還元される(=食べ物)といわれているからです。
ちなみに、よく地方なので最初にとれた作物を神、神社に供物として捧げるのはそのなごりかなぁ・・と思います。

なお”ベジタリアン”は最初に説明した理由だけで行動しているのだと、私は思います(__)
最後にまったく興味ないと思いますけど、仏教の創世記を読んでみると、少しは理解できると思います。

浅はかな知識で回答したことをおわびします。
以上、少しでも参考になれば幸いです。
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 皆さんがされている答えなので(そして世間でとっくに議論され尽くしているので)、「宗教」的理由・野菜に対するイメージ・野菜や穀物の食生活の有用性といった観点からのお答え以外のことを書きましょう。


 ヒトは殺して食います。どこから殺せるかというのは恣意的にのみ決まっています。(たとえばウイルスまで掘り下げると、無生物と生物との境界など揺らぎます。)素朴に思うのですが、カを殺すのとネコを殺すのとヒトを殺すのと単純にこれだけでも感覚に違いがあるでしょ?ていうか殺生には段階がある。こんにち「動物の権利」といった首尾一貫した論理と運動がり、西洋的「人間」万歳主義が歴史的に極めて限定された思想に過ぎないことが明らかになっています(ご注文があればそのことは詳述しますよ。またサイトは注文次第で提供します。サイトだけ示して事足れりという答え方はしたくないものでして)。畜産業がいかに残忍か、動物実験や毛皮がいかに不必要か等が盛んに提起される時代になっています。そういう時代になっていますが、では植物「も」命と言えるかと言ったらそうではない。植物「も」命と言えるかと言ったらそうでないから≪食べない≫と言うのではありませんよ。植物を例えばペット用動物などと同等にみなすことはヒトには根本的にできない何かがあるのです。非常によく知られているかこの著者に限定してもしょうがないのですが、『裸のサル』においてモリスという動物行動学者が、ヒトは他の動物への嗜好をヒトの姿形に合わしてしか決定できないと書いています。ライオンの「顔」がヒトに似ているから初めてヒトにヨリ似ていない動物より好かれる。ここから、我々は擬人論でしか他の動物を思考に上すことができないとさえ私は考えたい。殺生は広義の暴力です。いま平和が目指されており、動物・植物・生態系に対してもその風潮は拡大しています。しかしどれだけ認識が新たになっても、ヒトがヒトである以上断じて抜けれないものの見方があり、暴力が限定されるべきではあっても、限定にも(個々人の違いを超えた!)枠組みがあると考えれます。やはりカは殺すでしょう?それと部分的に重なって(と言うより理由の大部分を占めて)、植物をアッサリ食えてしまう。そう思いますね。これは究極的に、ムリもない。
 ただあなたのような疑問の気持ちはよくわかります。これぞと言うサイトを示しておきます。

参考URL:http://www.alive-net.net/law/top.html
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