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高校か中学時代の国語の教科書に載っていたのですが、夏目漱石の「夢十夜」の第5夜か第6夜に運慶が明治の世に蘇って仁王を掘っていて、それがたいそう評判を呼んでおおくの見物客を集めている話があります。主人公が「よくあんな無造作にノミをふるって掘れるもんだなあ」感心すると、近くで客待ちをしていた駕籠かきが「なあに、あれは木の中にあの通りの形が埋まってるのさ、土から石を掘り出すようなものだから間違うはずがない」と物知りげに呟いた。主人公は、彫刻とはそんなものか、と思い急いで家に帰ってもくへを手当たり次第に、削ってみたが、何も形になるものを掘り出せなかった。この話の最後は「明治の世にはもはや仁王は埋まっていなかった。それで運慶が今日まで生きている理由がわかった」という文章で終わるのですが、私にはその理由は何なのか、漱石が何を言いたかったのか分かりませんでした。どなたか解説をお願いします。

A 回答 (2件)

ミケランジェロの逸話に似た話がありますが、漱石の場合はこれに、明治という時代への批判を重ねています。

漱石によれば、日本が西洋化文明化を急いだ結果、何の根拠も確信も無いまま軽佻浮薄・上滑りに他人の文明を受容して憚らない、これが明治の精神の骨格であると見なされます。
目に見えない精神や真実また長い時間の中で培った日本の文化などは横に追いやられ、黒船以来の物質文明に酔う、そのような明治の人間に、石に埋まった仁王が見えるはずはない、もしできるとすれば、明治以前の、外圧に押しまくられるのでなく内発的に文化を育んできた人々、この場合はその代表的彫刻家運慶の他には無いはずです。その「運慶が今日まで生きている理由」とは、明治という時代の浮薄さを浮かび上がらせる鏡としていよいよ存在価値が高まったという意味だろうと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。へー、そんな背景があったんですか。。明治と言えば、いまのアメリカベッタリで独立独歩の精神を失くして久しい我々から見れば、余程独立自尊の精神が横溢していた時代ですので、そんな危機感を同時代を生きた漱石が抱いており、あまつさえ、自分の子供とも言うべき作品群に盛り込んでいたのは意外ですね。戦後の東京裁判による自虐史観にどっぷり浸かった現代(私自身は昭和30年代生まれでまだそれほど学校の教育が歪んでいなかったので影響は少ないですが)からみれば、ピンとこないのも仕方ないかもしれませんね。ですが確か漱石と言えば、文明開化間もない教育の現場にお雇い外国人教師が氾濫していることにその国の精神的支柱の基礎たる言語(日本語)教育の危機をお「これは第二の敗戦だ!」と訴えて、公演活動などしていたらしい(この辺は昨今の英語教育の早期化の動きとだぶり、私自身危機感をを覚えています。でも何も活動してませんけどね(⌒-⌒; )から、漱石らしいな、と納得しました。冒頭に触れられた「ミケランジェロの逸話」にも興味を惹かれました。もし宜しければ、こちらの話も簡単に教えて下さい。ありがとうございました!

お礼日時:2018/08/26 06:47

伝説かも知れませんが、ミケランジェロの言葉です。

検索すれば関連記事も読めますよ。
彼の場合は無理解な俗世との闘いですが、漱石はとりわけ「時代」を意識した闘いでした。

「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない。」
「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ。」
「余分なものを取り除いていくことにより、彫像は完成していく。」
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この回答へのお礼

続けてのご案内ありがとうございます。なるほど、ミケランジェロの場合は彼の製作姿勢についての言葉ですね。(考えみれば、彼は小説家ではないので、当然ですね。)私は鉛筆画を趣味にしていますが、(ミケランジェロ程の大家に擬えるのはおこがましいですが)私も紙の中に埋まっている絵を掘り出すつもりで書いてます。ありがとうございました!

お礼日時:2018/08/26 09:01

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