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私が読んでいる短編に『「野路の村雨」のゆかた』が出ています。意味がわかりません。どんな着物ですか。

あとは、神田祭は一晩か二晩ですか。

全部の文章は:

『中洲の大将の話では、子供心にも忘れないのは、その頃盛りだった房さんが、神田祭の晩肌守に「野路の村雨」のゆかたで喉をきかせた時だったと云うが、この頃はめっきり老いこんで、すきな歌沢もめったに謡うたわなくなったし、一頃凝った鶯もいつの間にか飼わなくなった。』

A 回答 (7件)

#4です。


若干横レス気味になってしまうかもしれませんが、質問者さんご容赦願います。

#6さんが応じてくださったのは有難いことでした。
作品は、わたしも今回検索してはじめて知ったような次第で、ざっと目を通した程度です。作品に触れることができ質問者さんに感謝しています。
身を持ち崩した大店の御曹司という設定かなと思います。
ただ、浴衣を着ていたのは華やかなりし時期のようです。
(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/131_ …

#5さんのお示しくださったサイトも興味深く拝見しました。
「村雨」という柄があるのですね。
新鮮な驚きを覚えた次第です。
こうしたシンプルな柄だったのかもしれない、という気も一瞬頭をよぎりました。
ただ、芥川は、「野路の村雨」とわざわざ「」付きで表記しています。
(おそらく)ありふれた村雨の柄だったら「」はつけないような気もするわけです。
また、「野路」という言葉も不要だったのではないか、とも。
ということで、やはり#2でお示ししたような極彩色のデザインだったのではないか、という推測に固執しています。
栄枯盛衰という表現がありますが、昔、そのような派手な柄の浴衣で得意げに自慢の喉を披露していた「栄盛」の頃と「枯衰」の今を対照させる意図もあったのではないか、とこれまた推測する次第。
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#4さん



房さんはけっこうゆるい人なんですね。
本編を読んだことがないもので、高倉健の渋さと松方弘樹演じる遠山のきんさんのチャラさと合わせたような、職業は川並かやっちゃ場か居職じゃない職人かという遊んでるけど仕事はしっかりしている人を想像してました。
ちょい悪な遊び人ならちょっと色っぽい柄、普通は着ない柄もありかもしれませんね。
本編を読んでみたくなりました。
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https://item.rakuten.co.jp/himeka/jinbei-yoichib …

村雨柄の甚平が上記サイトの4枚目辺りの写真に載ってます。
雨が降っているような破線縦じまの模様です。

以下の考えは私の想像ですが、

野路の村雨という言葉には
急がば回れ や、せっかちで失敗するという意味もあるそうなので、

実際に村雨の柄というわけではなく、
若気の至りで選んだ 奇抜な 柄の浴衣ということかなぁと思いました。

文学カテゴリーとかで、芥川龍之介ファンの方に向けて質問してみてはいかがでしょうか。
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#2です。


#3さんのご回答を拝見して、ちょっと感想を。

>、男盛りの房さんが首から下げた守り袋が見えるくらい胸元を広くあけて着ている浴衣なので、花や女の姿はないんじゃないかなと。

当人は遊び人だと思うので、むしろ、入れ墨的な感覚でそうした絵柄を好んだような気がするんですよね。
回答したときも、そういった人物像を描いていました。
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私は雨文様(長短の細い線が斜めに何本も走る柄)をベースに、ところどころ蓑笠柄が散った浴衣ではないかと思います。


お江戸の人は洒落や謎掛けが好きですから、たいていの人は雨と蓑笠だけで「あの話がモチーフだな」とピンときたと思います。

江戸時代から、神田祭といえば、剛毅な木場の旦那衆が中心となり、鳶たちが男気を競うような威勢のいい荒っぽいお祭りです。
その熱気の冷めやらぬ夜の集まりで、男盛りの房さんが首から下げた守り袋が見えるくらい胸元を広くあけて着ている浴衣なので、花や女の姿はないんじゃないかなと。
踊りのお師匠さんのような女性的な所作の人が着ていたなら、雨紋と花でもおかしくないでしょう。
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芥川の「老年」ですね。


#1さんに同感で、道潅が作った『急がずば 濡れざらましを 旅人の 後より晴るる 野路の村雨』という歌の逸話の元になった光景を絵柄にとったものではないかと、わたしも思います。

道潅が外出中に野路で突然の雨(村雨)に遭い、一軒の百姓家で蓑を借りようとする。
しかし出てきた娘は無言で一輪の山吹の花を差し出すだけであった。
不満をかこちつつ、その場を離れた道潅であったが、後日話を聞いた家来の解釈により、その娘の行為は、『七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき』という後拾遺和歌集の歌(兼明親王)に基づいたものであったことに気づく。
「私は貧乏で、蓑を買うお金もない貧乏人でございます。ご要望にお応えできず残念です」といった意味。
「実の一つだに なきぞ悲しき」を「蓑一つだに なきぞ悲しき」に掛けたわけですが、道潅は当初、そのことに気づけなかった。
それを題材に作ったのが上の歌。
おそらく、その浴衣の柄は、山吹の花を道潅に差し出す娘の姿が描かれたものだったのではないかと思われます。

因みに下記サイトによると、現在は偶数年の陰祭が2日、奇数年の本祭は1週間ほどのようです。
https://afun7.com/archives/3574.html
「「野路の村雨」のゆかたはどんな着物ですか」の回答画像2
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ずいぶん悩んでいらっしゃるようなんですが



野路で作られた浴衣でも
村雨柄でもちゃんと出てきません

もともと太田道灌の歌からきているようですね
いそがずば ぬれざらましを たびびとの あとより はるる のじのむらさめ

でたぶんですが
歌舞伎になってはいないかと思いましたがそうではないようですが
大本は
駒迎野路の村雨 から来ているようです
考えられることとすると
この歌を書いてある浴衣だったか
挿絵のようなものでそれを基にした浴衣だった可能性もあります
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