A 回答 (7件)
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No.6
- 回答日時:
四国へんろの札所番号を打ったのは1600年代の真念という、へんろをしていた方です。
だから大師の霊跡巡りはあっても、88ヶ所へんろ、別格20カ寺、その他霊跡まで回る、どのレベルでやるかは何とも言えませんが、とりあえず88カ寺だけとします。それをもって1200kmとか1400kmと言われていると思います。奥の院だってバブル期に奥の院が「増えています」、これ事実。逆打ちは「死国」のようなことはありません。通常ご利益が多くなる、と言います。で、史実としては、へんろの開祖・衛門三郎が大師の後を追い、出会ったのが21順目、逆打ちであったことから、逆打ち(特に甲申年、2004年はそれに当たる)は「大師に合える」ということです。ちなみに道標は順打ちのためにあり、逆打ちは道に迷います。
さて1400kmを1日10時間時速4km/hで歩くと、35日という計算になりますが、実際は参詣時間・88カ寺以外の寺だけど道沿いなので、等を考えると、やはり今時の学生さんのように「夏休み2ヶ月」、60日程度くらいじゃないでしょうか?
今年私も偶然からですが歩いています。続けてじゃなくウィークリーへんろですが、逆打ちです。他の寺も混ざっていますが宜しければHP見てください。で、実際に歩いた感じですが、探しながらまたは山道の上り下り、時速4km/hはとても無理です。実感です。
へんろ道の整備は多分ここ200~300年くらいのことです。また現在言われるへんろ道も1200年遡れば定かではありません。最高は250回とか300回とか回った人がいるとか。また数10年前まで、食えない田舎のこと、へんろは「へんど」と言われ、物貰い・乞食という意味でした。そういう精神的苦痛もあったでしょう。歩く道沿いに行倒れの方の墓もあります、明治以降で。白装束はやはり死装束という感覚からすると、どれくらいかかるか、だけでなく、生死をかけた道だったと感じます。
長々失礼 m(_ _)m スマソ
参考URL:http://wilderness.web.infoseek.co.jp/temple/orde …
ご回答ありがとうございました。
白装束ということから、=死を決意する、というイメージも
あったもので、そこらへんも気になってみていました。
本来のご回答もありがとうございました!
大変参考になりました。
PS:サイトの方も興味深く拝見させていただきました。
(寺好きでしたので♪)ありがとうございました
No.5
- 回答日時:
今も、それなりに難儀な事に変わりありませんが・・・当時の遍路は大変だったでしょうね。
四国には2000メートル近い山がありますし、複雑怪奇?
な地形ですから。死出の旅に近い赴きもあったはずです。
明治始めの遍路旅の日記を読んだ事があるのですが、半年以上かかっていたような....よく覚えてないのですが寄り道しながらです。
逆からまわるのを「サカウチ」と呼んでますが、良くない事が起こるとは聞いたことがありません(無知なだけかも)。でも、やっぱり珍しい事だし見かけると「大変だなぁ.....。」と思います。「サカウチをするのは帰る家が無い人じゃ。」と四半世紀以上前に曽祖父に聞いた記憶もあります。
この明治20年代生まれの曽祖父の母は「お遍路さんにはかかわるな。」と嫌っていたそうです。当時の四国の人が快くお遍路さんに接していた訳ではないようです。
ちなみに曽祖父は幼い頃からそれが悲しかったのと、母のしょく罪?も込めて後年お接待に精を出していました。
私は、大好きだった曽祖父の遺言として歩き遍路の人には(たまに)お接待してます(^^)
ご回答ありがとうございました。
「サカウチ」という名称の由来はなんなのでしょう?
なんだか気になります。
やはり、明治以前の時代では、帰る場所のない遍路さんが
多かったのでしょうか?
かかわりになるのを避けたというのも、乞食だったり、
死に病におかされていたりする人も多かったからでしょうか?
貴重なご回答、ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
こんにちは。
現代の、多くが舗装され直線的なルートを歩いた場合で40~50日くらいが歩きの平均値だと思います。
(年齢など色々要素があるので)
山道は今も昔も同じでしょうが、四国の南側、海沿いの道は道らしい道などなく、今よりずっと難所だったでしょうから、40日というと江戸のころだとあまり現実的ではないような気がします。
または、現代人より健脚であるかとも思うので±ゼロかもしれませんが。
でも、江戸や明治以降の歩きの記録があるでしょうから、できればそれを探してみたほうが、正確でしょう
遍路道のあちこちには行き倒れた人の碑がみられますよ。
もちろん碑の数以上になくなった方がおられるわけですが。
No.3
- 回答日時:
>逆からまわると良くないことが起きる…とか、聞いたことが
>ありましたが、逆の方が厳しい道のりということにも由来して
>いたのでしょうか。
逆まわりは確か坂東真砂子さんの小説で有名になったのではないかと思うのですが、たしかに「なくなった人に会える」という俗信があります。本来は「お大師さま(弘法大師)に会える」という信仰だったそうです。
逆からなにかをすることは「通常とは逆のことをよび起す」ことだから「死んだ人が生返る。ふつうでは考えられない超常的なことがおこる」という考え方がふるくから日本にはあります。よくアニメの魔法ものでやりたいことを逆から(さかさに)唱えるのが呪文になっているのは、こうした信仰のはるかな子孫であるわけです。
「逆からのほうがきびしい」というのは、そうした信仰が忘れられて、でも「逆からまわるとふしぎなことがある」という考え方だけが記憶されている時代に生まれた理由付けなのではないでしょうか。
八十八箇所はお寺をめぐるうちにお大師さまに出逢い、大日如来の化身であるお大師さまと精神的に合一することによって救済を得る、というのが本来の信仰でして、もともとかなり神秘的な意味をもったものでした。「逆からまわる」のはその神秘的なできごとをよりおこしやすくするための方法のひとつだったのではないかと思います。
ご回答ありがとうございました。
後の理由付けが、神秘的で、魅力を増したというのは、
なるほどです。
素朴な疑問を質問させていただいたのですが、何だか
興味が深くなっていきそうです!
貴重なご回答に感謝いたします!
No.2
- 回答日時:
お四国に限らず、お遍路というのには二種類あります。
一つは出かけていって帰ってくるもの。これは、住居からの往復を除いて二月もあれば充分でしょう。歩いて回るわけですからきついことはきついのですが、そういう人はゆっくり回るという手もありますし、体力にそこそこ自身があれば観光旅行気分で出かける人もいます。もうひとつは、出かけていったきり帰ってこないお遍路。これにはさまざまな種類があります。♯1さんのおっしゃるように癩病のような病気にかかった人は、故郷を追われ、どこかに定住することもゆるされず、旅のなかで暮らすことを強要されました。あるいは「六部」といって(これはお四国ではなくて六十六箇所めぐりのことなのですが)、職業的なお遍路をする人もあり、お遍路の接待や喜捨をあてにして一種の乞食として巡礼を続ける人もいました。こういう人々は基本的に巡礼の旅そのものが生活であり、遍路が終わるのは死ぬときです。ですから行き倒れ、ということがあるのです。むろん病躯や弱った体では、歩くしかない当時の旅をつづけることは、それほどきつい行路でないにしてもなかなかにしんどかっただろうと思います。
お四国は数の若い順に回るほうが楽なのだそうで、八十八番から逆に回るほうが道のりはきびしいのだと聞いたことがあります。四国そのものが辺鄙な土地にあり、山がちな上に距離も長いことがありますが、しかしだいたいお寺は海岸に沿って開けた平野部にあるものが多く、充分準備して出かけた人が行き倒れるというほどきびしいものではないと思います。
ちなみにいちばんしんどいのは高知だそうで、土地は広いのにお寺の数は四県一すくないために、寺から寺まで延々と歩かねばならずなかなかつらいと聞きます。
ご回答ありがとうございます。
逆からまわると良くないことが起きる…とか、聞いたことが
ありましたが、逆の方が厳しい道のりということにも由来して
いたのでしょうか。
なんだか「観光気分」で出かける人もいたことに、びっくりしました。
それに、体力のある人には、そう厳しいものでもないことも
理解できました。
今回は遍路についての見識が広がりました。
ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
下記のサイトでは40日から60日と書かれています。
といっても不治の病や口減らしなど、さまざまな理由で居住地から追われた人々にとっては、
接待を受けながらの終わりのない旅で最後は骨になって埋められたようですね。
今、観光バスで回りますと10日ほどですね。
太龍寺、雲辺寺などの難所には、ロープウェーがかっていますので、
今は早く回れますね。
http://shikoku-net.co.jp/88/daishi.htm
参考URL:http://shikoku-net.co.jp/88/daishi.htm,http://ww …
早速のご回答ありがとうございました!
参考になりました。
流浪の遍路、漠然と思い描いていたものと違って、
はっとしました。
ありがとうございました。
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