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師である如浄はともかく、道元自身は曹洞宗や臨済宗を含めた五家を否定していますよね。
永平寺を建てたとはいえ、その頃は「曹洞宗として」建てたわけでもないですし。

恐らく禅や曹洞宗などに詳しい人なら上記はご存知かと思いますが、何故曹洞宗の第一人者になったのでしょうか?

A 回答 (1件)

おっしゃるとおり、道元は、禅の本旨は五家分派以前の全仏法にあるとし、禅宗の宗名を排し、正伝の仏法を強調しました。


道元のいう正伝の仏法とは、釈尊→達磨→慧能→良价→如浄→道元と伝承されてきた「正伝全一の仏法」です。
○○宗などという名前は論外だったはずです。

しかし、現実には他に宗派がたくさんあるわけですし、布教の都合もあるので、道元の意向は意向として、如浄の弟子なんだから、曹洞宗じゃね?というのが周囲の考え方だったのでしょう。


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によれば、
「日本の曹洞宗の宗名の由来としては、天童如浄が、洞山良价から曹山本寂の系統ではなく、洞山良价の弟子雲居道膺(うんごどうよう)の系統を引いていることからも、中国曹洞宗のそれとは異なって、六祖慧能が説法した曹渓(そうけい)と、洞山良价の活躍した洞山の二つの山名によるものとみることができる。」
ということですから、あくまで中国の五家七宗の中の曹洞宗とは違う、道元の(あるいは日本の)曹洞宗ということにしたのではないでしょうか。
つまり名前が同じなだけだという理屈でね。

それであれば、まさに道元は新「曹洞宗」の開祖としてよろしいのではないでしょうか。
もちろん、道元本人には一喝されるでしょうが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
物凄く納得できました!

お礼日時:2018/09/07 07:20

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