痔になりやすい生活習慣とは?

和歌や古典文学が好きな人や詳しい人に向けての質問です。
百人一首の94番歌の「み吉野の」を折句として、五七五七七の和歌を作って下さい。ただし、この和歌の内容を、作者である参議雅経から、雅経を近臣にした後鳥羽上皇へのメッセージということにして下さい。(折句とは、ここでは、み◯◯◯◯ よ◯◯◯◯◯◯ し◯◯◯◯ の◯◯◯◯◯◯ の◯◯◯◯◯◯ という形の和歌のことです。)
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

先ずは、







と縦に書く(笑点でも同じ)
次に国語辞典を引く。
意味を合わせる。

飛鳥井雅経は、親が源義経に肩入れした為に、親子で鎌倉に流され、源頼朝に気に入られて、重臣の大江廣元の娘を嫁にもらい。許されて京に戻った。
雅経は、和歌の才能だけでなく、蹴鞠の才能も有り、後鳥羽院に気に入られた。

見る人は良しと良く見て知らしめむ野辺のおどろの野菊の色を
(万葉集の天武天皇歌、後鳥羽院歌のおどろの道を踏まえ、後鳥羽院は菊が好きで菊の御紋を始めたので)
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Aベストアンサー

94番の歌は「みよし野の山の秋風小夜更けて故郷寒く衣うつなり」(参議雅経)ですね。
この歌には掛詞、縁語、枕詞、折句などの技巧は用いられていません。
用いられているのは、本歌取りです。本歌取りとは、古い和歌の表現の一部を用いて、歌の世界に奥行きを持たせるものです。元の歌の季節を変えたり、季節の歌を恋の歌に変えたり、恋の歌を季節の歌に変えたりすることが多いです。『新古今和歌集』の時代に盛んに使われました。この94番の歌も、元々『新古今和歌集』に入っていました。
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本歌は「ほととぎす鳴くやさつきのあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」(『古今和歌集』読人(よみびと)知らず)。恋の歌を夏の歌に変えています。
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本歌は「苦しくも降りくる雨か神(みわ)の崎佐野のわたりに家もあらなくに」(『万葉集』長奥麻呂)。無季の歌を冬の歌に変えています。
以上です。

94番の歌は「みよし野の山の秋風小夜更けて故郷寒く衣うつなり」(参議雅経)ですね。
この歌には掛詞、縁語、枕詞、折句などの技巧は用いられていません。
用いられているのは、本歌取りです。本歌取りとは、古い和歌の表現の一部を用いて、歌の世界に奥行きを持たせるものです。元の歌の季節を変えたり、季節の歌を恋の歌に変えたり、恋の歌を季節の歌に変えたりすることが多いです。『新古今和歌集』の時代に盛んに使われました。この94番の歌も、元々『新古今和歌集』に入っていました。
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だから「文選」から拝借してお茶を濁したのです。
751年「懐風藻(かいふうそう)」
814年「凌雲(りょううん)集
818年「文華秀麗集」
827年「経国(けいこく)集」
810年「文鏡秘府論」空海/漢詩・漢文論
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「文選」から借用したというのは、この元号が発表された時に、岩波文庫の「万葉集」の注釈に触れられていることが話題になりました。この時代に日本人が中国語をすらすら書けるはずは無く、「古事記」は日本式漢文で書かれおり、日本書記では百済あたりの文章博士によって助けられて、やっと漢文らしきものが書けるようになった(と目せられた)時代ですから、それほど時が経っていない、万葉集に立派な漢文が存在するはずも無く、大伴旅人も和歌の作者としては有名だが、漢文を自在に書けたとも考えられない。
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