10秒目をつむったら…

私の夫は、中学一年生の夏(昭和40年代半ばのことです。)
父親(転勤族)が東京転勤になり、一旦は一家で転居しましたが、
新しい中学校を登校拒否し、児童相談所のお世話になりました。
結局、登校拒否は頑として続け、10月になり、元の北海道に、母親とともに
転居することになりました。(雪国育ちでない母親は北海道がつらかった。)
元の中学校の学校の計らいで、同じクラスに戻してくれました。

夫は、そのおかげで今があると言います。
中学校を卒業した北海道が故郷だと言いたい。

そのこともあり、家を引っ越す転勤が原則少ない会社を選び定年まで勤めあげました。
おかげで私も、家を買った時の引っ越し以外引っ越しがありません。

夫はしかしながら親不孝をしたのだろうか? と悩んでいました。

質問 1
登校拒否までして元の中学校に戻った私の夫 これは親不孝なのですか? 許されますか?

質問 2
これが、今の時代だったらわがままでしょうか?

質問 3
子供は親についていかなければならないのでしょうか?

A 回答 (6件)

1


そりゃ、親御さんは当時では滅多に無いご苦労をなさったことでしょう。
でも苦労した甲斐はあったんだからそれでいいんだと思います。
ご主人が立派な大人になった時の喜びは、これまた滅多に無いほどの喜びだったでしょうしね。

2
ウチは、中学でイジメに遭って不登校になり、実母から放棄された子を引き取りました。
引き取ったことで転校したわけですが、本人は転校したかったわけではなかったと思います。
本当は、不登校になった自分であっても実母から愛されたかったんだと思います。
でもそうはならなかったから、余計に学校には行かない・行けなくなった。
その結果、転校するしかなくなったわけですが、転校したことが我儘だとは思いませんでしたが、転校までしたんだし、実母から離れることを最終的に選んだのは娘自身なんだから、転校先でも不登校を続けるのなら、それは我儘だと思いましたよ。
娘のように別の場所を選べたり、お宅のご主人のように元の学校に留まることはできた。
それ自体は、そういう環境に恵まれたということで、それに感謝すればいい話だと思います。

3
2で書いたように、選択肢が無いのならそうすべきだと思います。
でも、中学を卒業するくらいの年齢になれば、好きなように生きるのも完全に無理な話ではありません。
形も意味も違いますが、海外のストリート(マンホール)チルドレンなんて、小学生レベルでもコミュニティを作って生き抜いていますしね。
…いい歳になっても自立しようとしない子・自立させようとしない親の方が、私としては気持ち悪いです。
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親にとって幸せとは何かということでしょう。


日本ではこういう哲学の概念が薄いため自殺や過労が多いと言われています。
私は義務教育で哲学を入れるべきだと思いますけどね。

全部すっ飛ばして子がいい人生だったと思えたら親としては幸せではないでしょうか。
私はそう思います。
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そのままだったら どうなっていたでしょうか。

。。
親の年金を当てにしがみ付いたまま引きこもりで
働く事を忘れて のほほんと生きていたのでは?
当然 主様との出会いもなかったと思いますし
お子様は?
いらっしゃるなら孫の顔も成長も見る事が出来た。
何処が 親不孝なのかなァ~。
こんな親孝行はないと思いますよ。
主様と出逢えて幸せな家庭を築く事が出来た事で 全てチャラ。
親にとって ひとつの通過点でしかない出来事となったわけでしょ?
親として色んな悩みはあったでしょうけど
そんな事は何処の家庭にもある事だモノ。
そう考えたら
1・2・3
全て どおって事ないことなんだと思います。
着いて行くのが嫌で 一人家に残った人って実際に居ますから。
しかしながら 頑固なご主人で 苦労も多かったのではないかしら?
主様に対して 妻不幸をしたんじゃない?
その方が気になります。
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高度成長期に転勤族家庭で育った女性です。

楽しい転校、ためになった転校、楽しくなかったけれど大人になってから良かったと思えた転校など、いろいろありましたが、人に話すと相手がショックを受けるほどのことも中にはありました。当時は「学校に行かない」という概念が世の中でほぼ皆無だったので通学していましたが、よくぞ今の自分が心身共に健康で生きていられるものだと思います。

ひるがえって、私の息子は転校をしたことがありませんが、楽しく通学していた中1のある日、突然不登校になりました。不登校になっても在籍校が好きで、復帰したくて、何度も復帰を試みては挫折して、ついに1年後に同じ中学に復帰し、今は大人です。

質問 1

ご主人が親不孝だとは感じませんし、私が親ならそう思われても困ります。それに、もしも中学1年生の少年のそのような行動を「許さない」大人がいるのだとしたら、かなり問題だと思います。

少なくとも義務教育期間は、たいていのことが親の責任だと思います。登校拒否だった頃には、さぞやご両親は心中穏やかではなかったと思いますが、そもそもは親の期待を裏切って自分の道を切り開くのが子の務めです。そして、周囲の手助けをきちんと受け入れながら、ご自身で工夫して、実際に道を見つけたのですから、むしろ親孝行だと、私が親なら思います。

息子が不登校だった頃は、さまざまな親の会に参加しましたが、親御さんたちは押しなべて「こういう経験ができたおかげでいろいろな気付きがあった。不登校家庭を憐れむ人もいるが、むしろ幸せ」とおっしゃっていましたし、私も当時から同感でした。子供の態度や存在ゆえに私が強いられたことは山ほどあり、それは他人をも巻き込みましたが、それこそが子育てというものですし、少なくとも半分以上は、私や私が選んだ配偶者が与えた環境や遺伝が招いたことです。

息子が不登校だったころ、とあるカウンセラーに「子育てに失敗したという言い方をするのは子に対して失礼。その子が失敗作だということになるから」と言われましたが、「自分は親不孝だという言い方をすると、親が不孝されてしまった哀れな者だ」ということになりはしないでしょうか。ちなみに私自身は、息子が「俺は親不孝だ」と日々嘆く暇があるのなら、誰かを幸せにしたり社会貢献したりしてほしいです。それが私に対する最大の親孝行です。ご主人も定年まで勤めあげたのなら、それだけでも親孝行なのではないでしょうか。

寒い北海道がお母さまにとっておつらかったことがポイントなのだとは思います。しかし、お母さまは、転勤先でつらそうな子供を見たり支えたりするご自身のつらさよりも、寒いつらさをお選びになったわけですよね。

質問 2

今の時代のほうがむしろ、単身赴任が、より一般的になりましたよね。

質問 3

私の親は「家族は一緒にいるものだ」という考え方がとても強かったです。しかし、思春期以降に家族と一緒にいろと言われて嬉しかった記憶はありません。親についていけば、それが嬉しい嬉しくない、つらいつらくないは別としても、それなりの貴重な経験ができたであろうとは思います。しかし、ついていかなかったら、それはそれで、ついていったらできなかったであろう経験ができるわけですから、一概にどちらがいいとは言えません。ましてや、ついていかなければ「ならない」ということはありません。

ご参考までに。
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①ご両親が決めて北海道に戻られたわけですよね?そのまま居たら転勤によって息子を不幸にしてしまった…てことですよ!


②私も息子を持つ親ですが息子に何かあったら何らかの手を打つ!それが親です。わがままで学校行きたくないか本気で学校行きたくないかは親だってわかります。
③年齢にもよると思います。親は子をそばに置いておきたい、心配ですからね!まして中学生なら連れて行きます。ただ学校に馴染めない、いじめなどで不登校になるならご主人の親御さんのように本気で引越しを考えます。

あなたのご主人は許されるも許されないもないです。
ご両親に感謝してあの時があるから今があるんだという気持ち…それだけで親孝行です。
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①子どもの幸せが親の幸せです。


②わがままと言ってしまえばそうかも知れませんが子どもにも人権はあります
③親との話し合いでお互い譲歩すべきところだと思います。
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