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トヨタが90年代か80年代後半にグループAかGT選手権に出場した確か赤と黒のカラーリングで空力デザインが歌舞伎の化粧のような車で物凄く速すぎてレギューション変更で出場しなくなったすっごいレースカーの情報や写真をもう一度見たいです。お心当たりございましたら宜しくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 結局改造度合いが凄すぎて2〜3戦しか出場しなかったんでしょうか?

      補足日時:2018/09/08 16:18

A 回答 (5件)

No.1さんに一票。

ちなみにスープラは、こんな感じでした。
「トヨタが90年代か80年代後半にグループ」の回答画像2
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この回答へのお礼

ありがとうございます。このスープラじゃなかったと思います。ペンティングが歌舞伎っぽいんじゃ無くてダウンフォースの造形がものすごくて、日産のその年のカッコいい車(GTRじゃ無かったです。GTRの復活は鮮烈でしたから)が子犬に思えるほど、トラと子犬ぐらいの差.....パパドーベルの後を一生懸命追いかける子犬ぐらいの差がありました。

お礼日時:2018/09/08 15:53

昔の、トヨタのレーシングカーは、日産にボロ負けだったなぁ!この、セリカ、シルエットフォーミュラも、トヨタ7も、Cカーも。

「トヨタが90年代か80年代後半にグループ」の回答画像5
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この回答へのお礼

ありがとうございます。うーん。記憶イメージのとは違うんですよね。

お礼日時:2018/09/10 14:18

お礼を読みました。


あなたの思い出にある事象、マシンに思い当たる節がありません。
あるいは(大変失礼ながら)あなたの壮大なる勘違いの可能性があります。

何しろ具体的な情報の提示がないのですからねえ。

ボディーワークの改造幅が大きかったのは76年からのグループ5(市販車改造仕様)時代です。
78年以降は改造枠が緩和されて市販車の外観とはかけ離れた物体がサーキットを疾走していました。
日本のサーキットでグループ5カーレースが開催されたのは79年から82年までです。
トヨタ、日産、マツダがワークス、セミワークスで参戦していました。
その辺りを探してみては?

レギュレーションの隙間を突くのは欧州勢が得意としています。
度々、物議を醸しだすマシンが話題になるくらいでした。
日系ワークスは隙間を突くのは苦手でレギュレーションに適合しマシンばかりでした。
そのためにどこかの話がトヨタの車とごちゃまぜになっているのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ちょっと残念です。

お礼日時:2018/09/10 14:17

もっと具体的なヒントはありませんか?


捕捉を読んでもあなたの感覚的表現のみで客観的に検証できる情報がありません。

~タイヤの上が今のWECトヨタみたいに無かった~

過去のクルマでこれは絶対にありえない造形です。
車の横転防止策の一環でホイールハウスの「エア抜き穴」の設置が義務化されていますが現行WECになってからのレギュレーションです。
80年代、90年代のレギュレーションではあのような「横転防止用エア抜き穴」を作る必要はなかったのです。※

トヨタ車に間違いないと言及されていますが過激なエアロをまとったマシンとなれば
80年代前半まではグループ5カー、それ以降のグループCカーの時代まで遡る必要がありそうです。それぞれのワードで検索してください。
ダウンフォースの造形がものすごく・・・・・ものすごく漠然とした表現なので見当が付きません。
グループCカーにはカナードフィンを2~3段にしていた車種もあったのでそれかなあ?
しかし赤と黒??アドバンカラーだとしてもトヨタ系のスポンサーになってたかな?
あるいはアドヴァンポルシェ962Cのとこかな?


※タイヤ熱、ブレーキ熱、ラジエータ―通過エアをカウルに設けたルーバーや穴から放出する造形の車はありました。あくまで内蔵物を隠すのが主目的なので現行WECレギュとは別モノ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。グループCじゃ無いですね。グループCも当時好きでアドバンカラーの本物は無理なんでラジコンとか買いました。ライバルの日産車(GTRではない)が普通の市販車にウィングを施した感じの車でした。
具体的に言っても思い出せない。すみません。当時、空気ってcd値とかまだ空気が速く走るための抵抗だって時代で今みたいにダウンフォースって設計が主流じゃ無くてでも注目され始めてる時だったような気がします。だからライバルはパワーやトルクや流線型ってスマートな外観で、レギュレーションもダウンフォースに関しては細かく無かったからおおっぴらにダウンフォースに関しては改造しまくれて、レギュレーションの空白地帯だったところをトヨタがいち早く実験的に投入したら、異常な速さで全勝しそうな勢いだったんでレギュレーション変更でシーズン途中で撤退させられたんでしょうか?幻のレースマシンでしょうか?

お礼日時:2018/09/08 19:54

ちょっといろいろと疑問が・・・



※グループAは、レギュレーション上外観はほぼノーマルです。『空力デザインが歌舞伎の化粧のような』というほど改造できません。また中身もノーマル部品の使用範囲が広く、ノーマルからケタ違いに速くすることは困難です。(ライバルを圧倒するほど速いクルマとするには、ノーマルで既に『ライバルに対しケタ違いに速い』必要があります。)
 っとするとGT選手権(JGTC)ということになりますが・・・

※’94年から始まったJGTCの’90年代はGT-Rシリーズに制覇され、トヨタは’97年のスープラのみ。
 この年のスープラは異常に速く、年間ランキングの1~3位を独占しましたが・・・カラーリングは白地にメインスポンサーのキャストロールオイルの緑と赤のライン、歌舞伎の『隈取り』のようではありますが、赤×黒ではありません。
 また空力デザインはノーマルに毛が生えた程度で、それほど派手なわけではありません。
 この年のスープラは確かに速過ぎましたが、それでレギュレーションが変わったわけではなく、翌年にはあの『’90年代最強』のペンズオイル・ニスモGT-R(R33)が満を持して登場し、翌年(R34)と2年連続でチャンピオンシップをさらって行きました。

※『赤と黒のカラーリング』『物凄く速すぎ』『レギューション変更で出場しなくなった』っというと、’96年にチーム郷が輸入したマクラーレンF1です。(F1マシンではなく、『F1』という名のマクラーレンのスーパーカー)
 200馬力もの馬力ダウン調整、数百キロにも及ぶデッドウェイトの搭載義務など信じられないほど過酷な嫌がらせを受け、それでも’96年にニッサンやトヨタを圧倒してチャンピンを獲得しました。
 しかし翌年のシーズンに向けて更に過酷な性能調整が課せられてしまい、これを不服としたチームがJGTCから撤退してしまったという後味の悪い結末でした。
 この一件で、日本のGT-Rやスープラなどの『ちょっと速いだけの単なる量産車』は、真面目に設計されたスーパーカーには全く歯が立たないということを奇しくも証明してしまいました。(設計は、かつてブラバムとマクラーレンで数々の傑作F1マシンを生み出したゴードン・マレー。F1レースに於いて年間16戦中15勝した怪物F1マシン『マクラーレンMP4/4』のチーフ・デザイナーです。)
 スタイリングは歌舞伎の隈取りには見えず、また空力パーツもほとんど『素のまま』でしたが、元々がピーター・スティーブンス(ロータスエラン、ロータスエスプリなどのスタイリング担当)による異様に低くワイドなスーパーカースタイルなので、国産車の改造ばかりのJGTCにあって1台だけ次元の違う空力デザインでした。

http://img10.deviantart.net/3abc/i/2007/150/0/f/ …
http://www.motorsportretro.com/wp-content/upload …

・・・これのことではありませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。これかなぁ.....でも、多分トヨタで間違い無いと思います。タイヤの上が今のWECトヨタみたいに無かったし、もっと凄い空力デザインだったような印象です。あと、やっぱり日産がGTRを出す前だったかも知れません......となると80年代でしょうか?カルソニック日産やSTPタイサンGTRが走ってた頃は、GTR一色でしょうから。
テレビのレース中継のアナウンサーが当時日産もかなりカッコいい市販車両(GTRでは有りません)でレースを挑んだんですが「日産のxxxxもかなりワルに見えますが、今年のトヨタのxxxxxに比べると」(xxxxxは車種番号とか覚えてないのでこう書きました.....)全然ワルさが足りないと言うようなナレーション解説を付けていたのが耳に残ってます。本当に速かったのは記憶してます。マクラーレンがスポーツカー出す前だったかも.....。

お礼日時:2018/09/08 15:44

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