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A 回答 (5件)

こんにちは!



そうですね…、当時、女衒(ぜげん)と言われる斡旋業者の中に、朝鮮人の女衒も居て、九州の長崎、熊本などの貧しい農村や漁村を周って、年頃の娘を海外に連れて行った例もあります。そのような女性を唐行きさん(からゆきさん)とも言ってました。主に、香港・シンガポール・フィリピン・インドネシア等に売られていったそうです。また、朝鮮半島でも、同じような事が行われていましたが、当時の警察(日本人の警察官)に取り締まられたという新聞記事が朝鮮日報にも残っています。そのような訳で、朝鮮人の慰安婦は非常に少なかったようです。

資料として…
・山崎朋子『サンダカン八番娼館 - 底辺女性史序章』、筑摩書房
・村岡伊平次『村岡伊平治自伝』、南方社
・倉橋正直 『島原のからゆきさん - 寄僧・広田言証と大師堂』、共栄書房
・森崎和江『からゆきさん』、朝日新聞社

参考になれば、幸いです!
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莫大な数としか言えません。

みんな死にましたし、生きていても隠れていますから。
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>慰安婦は日本人のほうが多かったってよく聞きますけど、それってどんな史料にもとづいているんでしょう?



一次資料にあたったわけではありません(さすがに高名な研究者とか、政府側の協力を受けれないと無理)。私自身は、秦郁彦さんの著作に依ります。
実際のとこ、外地日本や占領地で募集、女衒を使ったとしても、条件が良いことが伝われば日本人娼婦が渡航したり応募してくるだろうというのは想像できます。
実際、当時の日本は冷害やら不況やらで家族による人身売買も多々ありましたし、いわゆる唐行きさんもあった時代です(サンダカン八番娼館とか)。今の日本人よりよほど強靭な無神経さを持って海外に住んでいました。
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朝鮮は外地日本で当時の旧朝鮮国籍者は全て日本国籍者でした。

時代も時代だし、民族的出自の統計はないでしょう。

しかしながら、集める対象やその保護者が朝鮮人であったことを考えると、斡旋、中間業者はほとんど朝鮮語話者だったでしょう。
慰安婦の朝鮮人比率は日本人比率よりも低かったので、楼主は日本語話者だった可能性が高いです。朝鮮人慰安婦のみで構成された楼閣も無かったとは言い切れませんが、朝鮮人慰安婦のみという需給関係は朝鮮半島内でしか成立しないように思います。
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この回答へのお礼

慰安婦は日本人のほうが多かったってよく聞きますけど、それってどんな史料にもとづいているんでしょう? もし知ってたら教えてもらえますか

お礼日時:2018/09/08 13:55

多くは朝鮮人でしょうかも?


もともと女性をさらう文化のあるのが中国や朝鮮ですからね。
「自分たちが当たり前にやっていることだから、日本人もそんな犯罪やっているだろう」と思い込んでいるのが中国人・朝鮮人。
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