駅のホームの自販機で120円のジュースを買うとしましょう。
150円でも1000円札でもいいですが、ちょうど120円持ってないとします。
欲しいジュースを選択してボタンを押し、ジュースが出てきます。
つづいておつりが出てきます。

このとき、ヒトはおつり→ジュースの順でとるんです。
先日、何気に観察していたら、100%そうでした。
(おかげで3本ほど列車を乗り過ごしてしまいました。)
10人連続したら、もう100%と言ってよいでしょう。

こういう行動はどうして起こるのか?
分析してみてください。

また、「私は違う」という方いましたら
理由をお聞かせください。

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A 回答 (7件)

おつりが全部出るまでには時間がかかりますので、私はカンを先に取ります。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
異論者の方のご意見、納得できます。
そうですよね、ジュースはすぐ出ますが
おつりは(特に札をいれた場合)、
出てくるのはおそいですね。
おつりが出てくるまでの時間差を利用し
先にジュースを確保しておこう、
という考え方、合理的な人ですね。

下の私の「お礼」とは矛盾しますが
ジュースは脇にでも抱えればいいのであって、
(おそらく回答者さまもそうしてるのでしょう)
両手が使えないという不都合は解決しますね。

お礼日時:2001/07/21 00:08

そうですかぁ?



私は物心ついたときから(今36歳)ずっと自動販売機を利用するときは、まず「モノ」を先にとりますよ。

だって対象とする「モノ」が欲しいから自販機を利用しますよね
そのときの第一目標はなにを差し置いてもその対象物じゃないですか?

極端な話、例えばジュースなんかの自販機の場合はとにかくそれを飲みたくて仕方ないわけで、おつりは二の次なわけよ。 もう必死ですな・・・

まぁ 貧乏くさいヤツといわれりゃあそれまでだけど
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
理論的に筋が通っており
その意見を論破するのは不可能かと思われます。

おつりを取り忘れることをおそれない
で36年、貧乏くさいどころか
太っ腹な方ですよ。

さて反対派の方の意見も
聞けて納得できたのでこれで締め切ろうと思います。
皆様ありがとうございました。
参考になりました。
お礼の中で、ところどころ失礼に思える
表現をしてしまったことをお詫びします。(悪意はありませんので)

お礼日時:2001/07/21 15:49

私の場合はその時によって違います。


先に缶を取ろうとしてお釣りが出てくる音がしたら先にお釣りを取る時も
ありますし、そのまま缶を先に取る時もあります。
先に缶を取ろうとしてお釣りの音がしなければそのまま缶を取ります。

基本的にお釣りは片手で取って、手を広げて一目で金額がわかるので、
右手で缶を取り、左手でお釣りを取り、確認した後そのままお金を
ズボンのポケットにつっこみます。
私のズボンの左ポケットはいつも小銭入れになっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ケースバイケース、ということですね。
十分考えられますね。

ところでふと気になりましたが
通常自販機って左に品物取りだし口、
右におつり口じゃありませんでしたっけ?
だとしたらtarankoさんってかなり窮屈な動作を
していませんか・・?
私の思い違いならゴメンナサイ。

お礼日時:2001/07/21 15:42

私は、この質問を見て、「あれっ?」って思いました。


私は生まれてこの方、おつりの方を先に取ったことはありません(これには自信があります)。
ジュースだろうが、電車のキップだろうが、買う目的であるものを先に手にとって確かめるのが普通だろうと思っていました。しっかりおつりを確認する事も忘れませんが、これまで、品物を片手に、もう片方の手でおつりを確認するという窮屈な動作をしていましたが、なるほど、おつりを先に取れば、不便はなくなりますね。

いいことを教えていただきました。ありがとうございます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
キップという新しい例が登場しましたね。
そういえば私はキップの場合は
おつりよりキップをさきに取っています。
これは考えてみると、下の回答でどなたか
言っているように「おつりが出るのが遅い」から
だと思われます。
同じ人間でもなぜキップとジュースで
取る順序が変わるのか?新たなテーマ発見です。

お礼日時:2001/07/21 15:37

 これ、小さいころだと、ジュースを先に取るんですよね。

わりと。
 で、おつりは、、、忘れていくか、すぐあとに思い出して、、、なんてことがあります。

 私が思うに、無意識のうちに過去の経験(お釣りをとり忘れた)より、
 「お釣りを忘れてはならない。だから、先に取っておく。」
のではないかと。

私はそう思いますが。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
sesameさんのいう「現金がまず大事」
と共通ですね。
ただnobbさんの場合は
過去の自己体験から起こる無意識下の行動、
という点、ユニークな発想です。

子供はジュースを先にとるという点
興味深いですね。子供にとっては金の価値はわからないわけで
当然ジュースが優先されるのでしょう。おもしろいです。
子供さんを使って実験してほしいですね。
テレビ番組か何かで。

お礼日時:2001/07/21 00:43

やっぱり、先に缶を取ってしまうと、お釣りを財布にしまう動作が行いにくいからでしょうね。


缶は手に持って立ち去るだけだろうから、ゴチャゴチャした作業をすべて終えてから取るという気持ちになると思います。

コンビニなどで買い物したときでも、お釣を財布にしまってから商品を持ってお店をでると思うので、同じことだと思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

しかし「先に缶」で両手が使えない、
という意見は缶を脇に抱えることで破られています。
あるいは連れがいれば缶は持たせておくという方法もありますね。

「先に缶」派の利点をもっと聞いてみたいですね。

余談ですがコンビニで1万円札でおつりをもらう時
札と硬貨を一緒に渡す店員がいますが
あれっていやですね。

お礼日時:2001/07/21 00:34

とったおつりはまとめてお財布に入れ、ポケットなりカバンなりにしまわなければならない。


この動作には両手が必要なので、ジュース缶を持っていてはやりにくいからではないですか?
また、現金がまず大事、という心理ももちろんあるでしょうね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。
まさに正論ですね。
この2点は私もすぐ思い浮かびました。

買ったジュースを取り忘れることはまず
無いでしょうが、ジュースを先にとった場合
おつりを取り忘れることは考えられますからね。

ここでひとつ思いついたのですが
財布を使わない人だったら
左手でジュース缶、右手でおつり
というように同時に取ることも可能ですね。

お礼日時:2001/07/20 23:57

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  子どもには分からないだとうと言うのは、大人の感じ方で、子どもの記憶力は、言語に関しては驚くべきものがあり、そういう風に、絵本を読んで見せておくと、その経験は、子どもの言語体系のなかで、咀嚼され、構造として構成されます。もっと後になって、絵本をまた見せると、まったく絵本を見たことのない子どもとは、反応も受け取り方も、意味も違って来ます。
 
  子どもは、言語に飢えており、大人の言語を学習すると言うより、提示された言語サンプルをもとに、自分で言語を発明していると言ってもよいのです。子どもが自分で発明した言葉という分類が発達心理学で出てきますが、実は、子どもの言語は、ある意味全部、自分で発明したとも言えるのです。ただ、その発明の質を高めるには、良質の多様で豊かな、見本とするサンプルが必要になるのです。
 

 
  言語獲得の前提となる能力は、視覚、聴覚の感覚器官がまず、正常に備わっていることが間接的条件となります。またそれらが、正常に機能し、発達と共に、感覚運動系のフィードバック・シェーマを構成できることが前提になるでしょう。また、発声の器官も重要で、発声の運動と感覚の統合シェーマの成立が前提になるでしょう。ということは、いま言った、感覚運動シェーマが構成されるような、基本的構造が、能力として、子どもに備わっていることが前提です。そして、普通は、このような能力は備わっていま...続きを読む

Q文通相手?にコピーした文面を送るヒトの心理

タイトルのそのまんまなのです。
…文通している相手、送付人は私ではありませんが…
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わざわざ自分直筆の文面をコピーして送る心理とは
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なぜわざわざコピーをする必要性があるのか、私にはさっぱり浮かびません。
理解できる方、または必要性を推理?できる方、
いらっしゃいませんでしょうか?
カテゴリ違いでしたら、申し訳ありません。

Aベストアンサー

これって差し出す前に自分の書いた手紙をコピーしてとっておく、ってことでしょうか。
それなら私やることがあります。
大事な相手ならなおさらで、あとで返事がきたときや、何かあったとき、「あの時手紙でなんて言ったっけ?」ということがしばしばあるからです。
以前思い出せなくて後悔したことがあるので、大事な手紙はしばらくコピーを残しておき、用がすんだころにシュレッダーにかけて破棄しています。

やっぱヘンですかね?^^

Qヒトの事を否定する人

私の彼のことで教えてください。

私は彼によく
「お前はお人よしだから、いいように人に使われているだけ」
「仕事を任されているんじゃなくて、押し付けられているだけ」
というふうに言われます。

私自身はある程度責任のあることを任されることによって
やる気が出る人間です。
だから彼にそういうふうに言われると
はっきり言っていらだちます。

そんな彼が先日
「俺って頼りやすい人間なのかな。みんな俺ばかり頼るけど、もうそろそろ俺を頼らなくてもいいんじゃないかと思うのだけれど」
といった愚痴とも取れるようなことを言いました。
確かに彼だけを頼りにしなくてはならない状況のようには思えず
私からしたら彼は“いいように使われている”だけなのです・・・

私の彼には多々こういった点が見られます。
私にはやってはいけないといいながら自分ではやってしまう・・・

この彼の行動(私にはやってはいけないといいながら自分ではやってしまう)はただ自分勝手なだけでしょうか?
それとも客観的に見ているから私には彼がいいように使われていることがわかるだけであって、彼にはそれがわからないのでしょうか?

他人を否定する人の心理にはどういったものが根にあるのでしょうか?
どなたか教えてください。

私の彼のことで教えてください。

私は彼によく
「お前はお人よしだから、いいように人に使われているだけ」
「仕事を任されているんじゃなくて、押し付けられているだけ」
というふうに言われます。

私自身はある程度責任のあることを任されることによって
やる気が出る人間です。
だから彼にそういうふうに言われると
はっきり言っていらだちます。

そんな彼が先日
「俺って頼りやすい人間なのかな。みんな俺ばかり頼るけど、もうそろそろ俺を頼らなくてもいいんじゃないかと思うのだけれど」
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Aベストアンサー

彼自身が「いいように使われ安い人」なので、あなたが任されていることに対しても自分と同じように「いいように使われている」という視点でしか見れないのでしょう。
たとえば、ある程度の小金を貯めている人に対する評価の場合を考えてみます。
大事なことにもお金を出し惜しみするような人は、「ケチな人間だ」と評価するでしょうし、
無駄遣いをせず堅実に貯蓄するタイプの人は、「倹約家だ」と評価すると思います。
人はしばしば、心理的に自らを相手に投影してしまうものです。

つまり、彼はあなたへの評価で自分が持っている要素を無意識的に吐露しているということです。
自分がよく知っていればこそ言葉になるわけです。
頼られやすいことに対する自負と同時に、単に利用されているだけではないかという不安が彼の中にあります。
その不安を払拭するためにあなたを同列に引き込んで安心感を得ようとしているわけです。
どんな場合であっても事の裏表はあります。
今の総理大臣だって党内で頼られていると言えば頼られているわけですが、利用されているだけという見方を完全に否定することもまた誰にもできないのと同じです。

肝心なことはあなたが納得しているかどうかということです。
ニッコリ笑って「私の場合は納得しているから大丈夫」と言えるかどうかで、利用されているのかそうでないのかが決まると言っても過言ではないだろうと思います。
彼の場合は不満がある時点で利用されていると同じことだと思います。
彼自身も半分ぐらいは気付いていることになりますが、それを認めるのも癪なので愚痴るという優柔不断な行為になってしまうのでしょう。
あなたには利用されているという考えが全くないのであれば、
「いやなら、すぱっと断れば? 私はやりたくてやっているからいいんだけど。」
と伝えることでまた別の展開になるのではないかと思います。
 

彼自身が「いいように使われ安い人」なので、あなたが任されていることに対しても自分と同じように「いいように使われている」という視点でしか見れないのでしょう。
たとえば、ある程度の小金を貯めている人に対する評価の場合を考えてみます。
大事なことにもお金を出し惜しみするような人は、「ケチな人間だ」と評価するでしょうし、
無駄遣いをせず堅実に貯蓄するタイプの人は、「倹約家だ」と評価すると思います。
人はしばしば、心理的に自らを相手に投影してしまうものです。

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