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科学には、万人(ほとんどの)が認める「法則」が輝いています。
一方、哲学にはそれに相当するものは何でしょうか?
(主張?かな)

A 回答 (10件)

科学は物理、医学も物理、ですよね?


心理学は少し物理があるのかな?

哲学の分野は心の世界でしょ?
だったら釈尊が心の「法則」を発見していますね。

四諦・八正道です。

心の「法則」で、これを超える或いは覆へす“発見”は未だ無いようですね。
証明は釈尊御自身です。

我々はこの「法則」に接すると、成る程と合点するのです。
そして良き人々は、それじゃあ私も頑張ろう、となるのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
哲学に親和性を持っている宗教において、<釈尊が心の「法則」を発見しています>ですね。具体的には<四諦・八正道>ですね。そして、初期の仏教においては、阿頼耶識などの8つの識を取り上げ、今でいう科学の心理学の嚆矢にあたりますね。

お礼日時:2018/09/26 12:11

人気(ひとけ)のない海岸をふたりして歩いていたら どこから


ともなく現われた男たちによって 力づくで海の向こうへと連れ
去られた。

このときの力学または因果律は 自然科学の解明する事象です。



では そこに人間の心なるそれぞれの主観を入れて捉えてみると
どうなるか?

特に良し悪しといった価値判断としての主観を当てはめた場合は
どうか? 人間関係としての倫理的な社会力学もしくはその過程
をめぐる因果関係は どうなっているか?



一般に因果応報なる仮説として――哲学が(?)――解明したか
に見える《法則》は 果たしてその中身がどういうものなのか?

早い話が わたしたち人間の思ったり考えたり やったり為した
りすることは いわゆる自業自得なる法則が支配するのか?



何かわるいことをおこなったから むごい結果をもたらした拉致
なる事件に遭遇したのか? つまり 拉致被害者らは それぞれ
自業自得なのか?


といった問い求めを――その問いにあたりするかどうかをふくめ
て―― 哲学は問い続けるでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
例に挙げて頂きました、たとえば拉致についても、関係者の行動・思惑などの解析・評価などは、哲学として最も力の出る分野なのでしょうね。しかも、良いことかどうかわかりませんが、何時までも
<哲学は問い続けるでしょうね。>
うれしいことに?哲学の種はつきじ。

お礼日時:2018/10/02 04:58

#2さんの


科学によって作成された法則なるものは、時代によって更新されません。ガリレオのピサの斜塔での落下実験、アルキメデスの原理、ニュートンの引力の発見など、実験で確認された法則は今も変わりません。
一方哲学の見出した”問い”というものは普遍的であり、時代によって取って代わられるという事がありません。で、
哲学の見出した”問い”というものは言葉で構成されています。言葉は時代によって変わるし、意味も変わります。また、他言語に翻訳されたときも変わります。デカルトの「我思う故に我あり」はデカルトがフランス語で書いた書物がラテン語へ翻訳された際、翻訳者が勝手に付け足した文言です。しかし、科学と同じように、命題と対偶の関係や背理法のように数学で正しいと証明されている法則があります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
1.<科学によって作成された法則なるものは、時代によって更新されません。>
2.<哲学の見出した”問い”というものは言葉で構成されています。言葉は時代によって変わるし、意味も変わります。>
科学と哲学の差がありますね。

お礼日時:2018/09/29 12:43

カントの純粋理性批判

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この回答へのお礼

了解

お礼日時:2018/09/29 17:23

科学の特色は、「法則」と言うよりは「再現性」のように思います。



いろいろな法則が発見されても、「再現性」が確認されなければ、
価値を認めてもらえません。

詰まり、世界中のどの方でも、一定の条件を満足すれば、法則に則った
結果が、得られると言うことです。

哲学は、「再現性」が有りません。

例えば、非常に素朴な哲学的疑問であっても、それは個人の頭の中で
構築されたもので、「再現性」は有りません。

「哲学の対象は、人間、自然、神」と指摘された方が居ますが、
成る程、と思います。

人間も自然も神も、考えようとする方個人の環境で、答えが全く違うのでは
ないか、と思います。

中東で考える事と、日本で考えることは全く異なるように思います。
民族、言語、環境、価値観、そういったあらゆるものが異なる人間が、
「人間、自然、神」について考えても、答えは異なるのが自然です。

哲学は、徹底的に「個人的」であり、個人の数だけ存在します。

人間は、それに「普遍性」を持たせようとしますが、その途端に、
嘘になる。

「普遍性」を与えようとする作業は、重要な部分を「捨てる」ことでもあります。
取り分け、哲学でそれをやると、無味乾燥の価値のない殻だけが残る。

西欧哲学を有難がって崇拝する頭の良い方々は、民族、言語、環境、価値観、そして
時間と宗教の壁を超えて、本当に価値が解るのか、と思う。

私が考える「哲学」は、極めて個人的なもので、他の方にとっては、
全く「再現性のないもの」です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
質問の核心に回答して頂きました。
<科学の特色は、「法則」と言うよりは「再現性」>ですね。
<哲学は、「再現性」が有りません。>ですね。(逆に、再現性のない領域を
担当せざるを得なくなってきている、のでしょうね)
<非常に素朴な哲学的疑問であっても、それは個人の頭の中で
構築されたもので、「再現性」は有りません。>
したがって、<「哲学の対象は、人間、自然、神」>に逃げ込む(失礼)しか
ないのですね。
哲学に一回限りでなく普遍性を求めよう(求めた)とすることは、<本当に価値が解るのか、と思う。>ですね。
このご解答を通して、深く考えることができました。

お礼日時:2018/09/26 18:23

>一方、哲学にはそれに相当するものは何でしょうか?



哲学博士(Doctor of Philosophy)が、欧米の学位では最高位ですが、哲学が「万人(ほとんどの)が認める「法則」」を不要とするものではありません。哲学も他の学問も「法則」の発見と言う意味では同じです。

例えば、工学も哲学も法則の発見です。ただ、その法則を探求する方向性が違うだけです。
工学博士は英語でDoctor of Philosophy in Engineeringと呼びます。


世の有名な哲学者も、社会科学的な法則の発見をした人たちです。

例えば、グロティウスは戦争における法則を発見し、国際法の始まりとなる概念をつくりました。
勿論、マルクスのように、法則を発見したと思い込んで実際はただの宗教を作り出したというような哲学者もいますが。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<哲学も他の学問も「法則」の発見と言う意味では同じです。>ですね。
<世の有名な哲学者も、社会科学的な法則の発見をした人たちです。>ですね。
<マルクスのように、法則を発見したと思い込んで実際はただの宗教を作り出した>のですね。なぜ世界を結果的には騙すことができたのでしょうか?(もちろん、科学でいえば天動説も同罪ですが)

お礼日時:2018/09/25 18:35

哲学の問いは普遍的ではありません。



哲学の対象は、人間、自然、神ですが、
人間と自然は科学に浸食されて
見る影もありません。

哲学の目的は真理の探究と人生の指針を
示すことです。

しかし、真理の探究なら、科学の方が
はるかに優れています。

従って、哲学に残されているのは
人生の指針を示すことになると、思われます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<哲学の問いは普遍的ではありません。>なのですか。私はてっきり、問いは普遍的だが、答えは(その時代やその場所に合った)特殊的と思っていましたが。
<真理の探究なら、科学の方がはるかに優れています。>ですね。
やせ細ってきているが、<哲学に残されているのは人生の指針を示すこと>なのですね。遡って、人生の指針こそは特殊的と思っています。

お礼日時:2018/09/25 13:04

哲学はゴールがない所も良いのかもしれませんね。

私は哲学好きですよ^ ^
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<哲学はゴールがない>ようですね。
前進している(はず)のですよね。(それとも、猫が自分の尻尾を追いかけ、くるくる回っているようなものかな。)

お礼日時:2018/09/25 12:50

科学によって作成された法則なるものは、時代によって更新されます。


一方哲学の見出した”問い”というものは普遍的であり、時代によって取って代わられるという事がありません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<法則なるものは、時代によって更新されます。>
たまには、ひっくり返ります。
一方、<哲学の見出した”問い”というものは普遍的>ですね。問題(問い)と回答に分けたら、問いは(形を少々変えるとしても)何時までも継続するのでしょうね。

お礼日時:2018/09/24 20:00

難しい質問ですね。

科学は目に見えますもんね。でも、哲学って…。うーん。奥が深いですね〜
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
哲学は<奥が深い>ということですね。いつもで追及してもゴールが見つからない(見つかるはずがない)。(一方、科学はとりあえず浅いかも)

お礼日時:2018/09/24 19:53

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Q"アホはほっとけ"は正しいか

どうなんでしょう。

Aベストアンサー

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かった気になり、自己満足を優先させる。万能じゃない部分でしょう。

どこまでも、目の前のアホのような奴は、自分とは異なる存在の「他者」であると覚れば、ある程度ほっとけるのではないですか。

相手はいずれ成るように成るもので、何を掴むか、受け取らないかは己がやらなきゃ自分の意味にならない。
他人がどうこうする領域じゃないと知っていれば。

お互いに具体的な言葉にするほど自他の異なりが露わになるでしょう。
同じようで違う、違うようで同じ、というのを確認します。
そうした体験すれば作用にも気づきます。
自分の方法は増えるのですが、人間は頭では体験を超えられません。
冷静に相手の立場に立って出来るものなど取るに足らない小ささに思います。
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ある人に悩みを言ってもらい、何人かで聴きます。
それを後で皆で検討してみると、問題点、課題はほぼ同じ意見ですが、その人をどう思うか、感想を具体的にすると其々です。
相手ではなく、自分というものがそこに出てきます。

相手の立場に立つとは、
人間というものや個人を理解した上でやれる力量かもしれないですね。

余談ですがカウンセリングや相談をインターネットの文字の世界でやれると考える人と反対する人がいるんです。
文字では情報が不十分ですからね。

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でも、ほっとけない人が、アホを理解しているとは限りません。
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その時を穏便に済ませるのですが、そういうときは、後から自分に違和感が出るものなのです。

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かっ...続きを読む

Q思考の技術

を学ぶためにこのカテに来ています。

哲学は総ての基盤だと。

四つのkeywordを挙げて
端的に説明してください。


(欲張りなのはご容赦を)

Aベストアンサー

確かに、

>哲学は総ての基盤だと、

思われていた時代がありましたね。それは人間が成長する仕方とよく似ています。幼児の時に言葉を覚えますが、それが思春期の頃になると、理屈や理念の世界があることに目覚める。要するに屁理屈を言いだすようになる。それで成長が止まってしまう人も中にはいるでしょうが、普通は大人になると理念よりも重要なものがあることを、いろいろな痛い経験をしながら判ってくる。それは事実の世界です。

経験の未熟なものはまず理念を頭でこねくり回し、人はどうあらねばなぬ、自然はどうあらねばならぬ、と論じ始め、それで事実の世界を整理しようとする。ところがそれではうまくいかないことを経験で認識し始めます。そして、理念や理屈をこねくり回す前に、「ところで人はこいう時どう振る舞ってきたんだ」とか、「自然てどうべきかではなくてどうあるのか」という事実の世界を一先ず観測して、その観測事実に基づいて、あとから理屈や理念を後出しジャンケンのように付けてゆくのが筋ではないかと分かるようになってきた。

事実、人類は言葉を使い出して、最初のうちは、理屈だ理念だ哲学だと語り出した。その数十万年にも及ぶ経験の結果、今から2500年ほど前にある意味理念の世界が極限に到達した。それが、孔子や釈迦やソクラテスやそれから500年ほど遅れてイエスです。彼らは人類の師と呼ばれ、いまだに彼らを凌駕する人は出ていないと考えられているようです。そして、彼らは「人間はどうあるべきか」という理念を語った。その同時期にアリストテレスは「自然はどうあるべきか」という理念を語った。

ところが、その後2000年も経っても戦争も病気も無くならず、世の中一向に良くならなかった。そんな痛い経験をして行くうちに、人間が大人に成長して行くのと同じように、人類も、

「ちょっと待てよ、人間はどうあるべきかという理念や哲学を語る前に、そもそも人間はどうあるのかという事実をまず認識しようじゃないか」

と言い出した。それがマキャベリです。そして、政治学という社会科学が誕生した。また同時期に、「自然はどうあるべきか」という理念や哲学を語る前に、そもそも「自然はどうあるのか」という事実をまず認識しようじゃないかと言い出した人がいた。それがガリレオです。そして、自然科学が誕生した。すなわち、人間一人一人も人類も、まず未熟な段階では、

 理念や哲学による理屈づけが先、事実があと、すなわち、哲学 => 科学

という順序で世界を認識してきた。しかしその後、色々な経験をして成長を遂げた結果、

 事実が先、理念や哲学が理念や哲学による理屈づけがあと、すなわち、科学 => 哲学

という順序で世界を認識するように進化してきたのです。その傾向は20世紀以降著しく、特に量子力学や相対性理論の発見以降、世界の認識に対する哲学者の未熟さが白日のもとに曝け出され、世界認識に対する哲学者の権威の座を科学者たちに譲渡してしまったというのが現状です。事実、20世紀以降世界の認識における重要な進歩は哲学者ではなくて、科学者によってなされてきたのが歴史的事実です。

哲学者は人間の性として、どうしても自分の育ち至った経験を通した思索によって、さらに我々が通常使う言語によって、我々の経験を外挿して世の中を認識しようとします。ところが、自然界の認識には、日常言語ばかりでは不十分であり、数学という特殊言語を駆使しないと認識不可能なことがあることが判ってきました。例えば、世界を認識するのに例えば長さがや大きさなどを数値で表し、それを比較すれば、論理的に解ると思っていた。ところが、事実はどうなんだという自然科学の発達で、我々が世界を認識するには「数」そのものでなくて、そのような長さや大きさに対応した「演算子」なる実態がそのような数値で表される量の裏に潜んでいることが本質であることが明らかにされました。このような世界認識に対する事実の発見は、日常言語を使いながら頭に浮かび得るどのような整合した論理的思索をしても、発見できるものではありません。

事実の認識は、カントの言う「総合的真偽の判断」に基づいた認識であり、 理念の認識は「分析的真偽の判断」に基づいた認識です。だから、如何に理念の分析をしても事実の世界は認識できないのです。

科学者に比べて哲学者の未熟さを揶揄って見せた一例として「ソーカル事件」をググってみてください。

もう一点のkeywordに関してですが、哲学は人間の言語で語ります。そして各言語にはそれ特有の個性的な文化がある。例えば質問者んは日本語を話し、日本語をみながら育ってきました。そして、日本語は、漢字という表意文字であり、ひらがなやカタカナは表音文字です。さらに漢字には音読みと訓読みがある。このように日本語は他の言語界では考えることすらできないような多次元的で多様な言語空間を持っているのです。ヨーロッパ語のような表音文字しかない一次元的な単純な言語空間ではない。

当たり前なことですが、多次元空間ではその次元を制限して、より低次元の世界を見ることができる。例えば3次元空間に住む我々は2次元空間を見ることができます。ところが、我々は4次元空間を見ることができません。同じように、多次元に住む日本人は表音文字しかない一次元的ヨーロッパ人のみている世界を簡単に認識できますが、その反対にヨーロッパ人には日本人の見ている多次元的な世界認識を理解することは至難の技なのです。

私は、質問さんが例として挙げたkeywordsがどうして、そんな単純なアルファベットという低次元言語で表されているものだけなのか、理解に苦しむところです。

確かに、

>哲学は総ての基盤だと、

思われていた時代がありましたね。それは人間が成長する仕方とよく似ています。幼児の時に言葉を覚えますが、それが思春期の頃になると、理屈や理念の世界があることに目覚める。要するに屁理屈を言いだすようになる。それで成長が止まってしまう人も中にはいるでしょうが、普通は大人になると理念よりも重要なものがあることを、いろいろな痛い経験をしながら判ってくる。それは事実の世界です。

経験の未熟なものはまず理念を頭でこねくり回し、人はどうあらねばな...続きを読む

Q死後の世界

「自分が死んでも自分がそれまで生きてきた世界は存在しつづける。」
という科学的根拠が示せない理由および原因について。

a)理由
b)原因

それぞれを説明して下さい。




IOI
HXH
NSZ

Aベストアンサー

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮説は、経験から得られた科学的な仮説ではありません。

たとえ世界が消滅する場合にも、その消滅速度が速かろうが遅かろうが連続的に消滅するというのが、貴方が生きていた経験から得られる科学的事実です。ですから、貴方が死んでも貴方がそれまで生きてきた世界はしばく存在しつづけるというのが科学から得られる結論です。

また、ある事象の時間的長さが長いか短いかは相対的な概念であり、何か基準になる時間の長さと比べて初めて意味のある概念です。たとえば、地球の公転数が1000回たった場合の時間、すなわち1千地球年は貴方の寿命からみて長いと思えるでしょう。それに比べて、原子内で励起原子が光を放出して基底状態に落ち着きまでの時間は10のマイナス8乗秒程度です。ですが、この時間で電子は原子核の周りを百万回ほど回っています。すなわち百万電子年経ったといえます。さて、この百万電子年というとてつもない回転の数と、1千地球年というたった千回の回転数と、どちらが長い間の出来事だったのでしょう。だから、たとえ貴方にとって瞬時になくなったように見えても、連続的に消滅する事象でも、別な基準から見るととてつもなく長い間にゆっくりと消滅している事象であるとも言えるのです。

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮...続きを読む

Qなんで《物自体》なんていうものを言いだしたのか?

1.▲(コトバンク:物自体) ~~~~~~~~~~~~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%BD%93-142650
[武村泰男]日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

2. 物自体(ものじたい)
thing in itself 英語
Ding an sich ドイツ語
chose en soi フランス語

3. カントの用語。カントによれば、われわれの周辺に広がる世界は、従来
思われてきたように物のあるがままに現れているものではなくて、感性の先天
的形式(空間・時間)を通して外から与えられた物が、悟性の先天的形式(範
疇)によって総合的に構成されたものである。

4. したがって、われわれのもっとも素朴な感覚与件でさえ、すでに空間・
時間という主観の形式を経由したものであるから、われわれは感覚を刺激する
外なるものをそのあるがままに認識することができない。

5. それをカントは物自体とよぶ。

6. のち『実践理性批判』においては、物自体の世界を自由の概念と結び付
けて、現象界に対して叡智界(えいちかい)と名づけた。

7. 物自体概念は、カント哲学の要石(かなめいし)であると同時に、批判が
集中した概念であり、その後のドイツ観念論の発展――フィヒテの自我概念に
始まる絶対者概念の成熟――はそのままこの概念に対する批判的発展であった
ともいえる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


8. 解説〔に依拠しその内容〕をめぐって問うといういささか邪道の質問で
すが 次のように問い求めます。


9. もし:
▲(3) ・・・世界は、従来思われてきたように物のあるがままに現れてい
るものではなくて
☆ という条件を前提するのなら すでにそこから帰結する内容は敷かれてい
るのではないか?


10. つまり 《物のあるがまま》〔の姿〕は:

(あ) 人間の能力では認識しがたい。または し得ない。――かまたは:

(い) 認識し得るのだが それは 部分的な内容とならざるを得ない。そし
て 認識そのこともあやまち得る。――さらにあるいは:

(う) 《物》は 《人間が認識しうる言わばその仮象》とそして《認識し得
ない本体》とに分かれる。

☆ といった可能性がすでに孕まれている。はずだ。

11. つまり 前項の(う)から 《物自体》を想定することがあり得たと
しても ただそれだけのことに過ぎない。のではないか?

12. つまり 物自体を想定しようがしまいが 《人間の認識能力には限界
がある》という命題を言ったまでである。と捉えなくてはならない。はずだ。


13. なんでこの物自体が《現象界に対する叡知界》のことに成るのか?

14. 叡知界たる物自体に就くならば 《実践理性》としての《自由意志》
が実現し得て ひとは自由であると成るといった議論に発展するのか?

15. 無茶である。それなら 形而上学的実体なる神を据えている議論と違
わないのではないか?

16. カントは阿呆ではないか?

1.▲(コトバンク:物自体) ~~~~~~~~~~~~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%BD%93-142650
[武村泰男]日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

2. 物自体(ものじたい)
thing in itself 英語
Ding an sich ドイツ語
chose en soi フランス語

3. カントの用語。カントによれば、われわれの周辺に広がる世界は、従来
思われてきたように物のあるがままに現れているものではなくて、感性の先天
的形式(空間・時間)を通して外から与えられた物が、悟性の...続きを読む

Aベストアンサー

カントはついに神の心を感じる事が出来なかったか、或いは感じようとしなかった、なのでしょう。
それ故に、叡知界を無理やりに理的に解釈したのだと思います。

これでは埒は開かないと思います。

もっと素直に、私のように、人の心は宇宙の本体・霊体の心と本質は同じなんだと、受け止めるべきでした。
霊体に慈悲の涙があるからこそ、我々の心にも思いやりの涙を流せる働きがあるのだと。

Q“認識”は“認識形式”により行われる、の、“認識形式”とは?

その“認識正式”は人それぞれ、七十億人の人の“形式”があると云う事!

或る質問への回答を見て、このようなことを思いつきました。

ご意見、いただきたく思います。

宜しく!

Aベストアンサー

№11をおぎないます。

対象はそれを認識するとき 《物自体》と《ともかく認識した内容》とに分かれる。
これらは:
☆☆(№11) 6-1.☆ おそらく《認識し得ない本体》と《その仮象〔とし
て認識し得たその内容〕》とに分けて捉えられるであろうか。

この《仮象》のようなものでも その認識は 普遍性を持ち得るということを そ
の認識内容がつねに共通の《形式》を帯びているということに カントは 捉えた。



たとえば 貴乃花の年寄り引退についての記者会見を見た。これを認識の《対象》
として考えてみよう。

(あ) まづ《感性 と 〈空間〉および〈時間〉という知覚(認識)形式》

(い) 意外と余裕のある姿に見えた。

(う) 《姿》は テレビ画面では二次元だが 空間は一般に三次元だと知ってい
る。つまり そのような空間という形式をとおして その姿は われわれと同じ人
間だと知る。

(え) 《意外と》というのは 遠くない過去に《急に卒倒した》という事件があ
ったからです。つまりこれは 《時間》という認識の形式をとおして知ることだ。

(お) このような空間と時間とは 誰にとっても同じ認識の形式として作用して
いる。




(か) カテゴリー表の《③ 関係》の内の《因果性》なる形式を当てはめてみるな
ら 卒倒事件の前には 弟子の暴行被害事件がありその告訴があり またその取り
下げといった一連の経過があった。

(き) 一般に時間というのは 過去は現在の記憶にあり 未来は現在の期待(予
想)にあり そして現在は現在の直観としてあると言われるので もし現在におい
て余裕を持っているとしたら 過去からの因果の関係はこれを超えて来ているとも
見られる。
――といった認識を得る。

(く) 認識内容がつねに普遍性を持つというのでなくても 普遍性を持ち得るよ
ように《③ 関係 その因果性》なる形式が はたらいている。



(け) このこと――カテゴリー表の一例――は すでに《判断》にもかかわって
いる。貴乃花の現在の状態を 推測によってでありながら 判断している。

(こ) つまり 《判断表》のやはり《③ 判断の関係 / 仮言判断 「AはBであれ
ば、CはDである」》と相応している。すなわち 《現在の姿として余裕があるよう
なら 過去の・世の中を大きく騒がせた事件の影響は あまり見えないようである》。

(さ) この一例の認識や判断がそのまま《ただしい》というのではなく そうで
はなく 知覚と認識とのそれぞれ形式は 認識の偏頗なあり方をまぬかれさせ普遍
性を保障するようなハタラキをしている。






☆ さて 全体として見て どうであろう? 何が言えるか?

(し) 《物自体》は 要らないのではないか? 人間の知覚や認識の能力が つ
ねにただしいということは――相対性の世界に生きているからには――あり得ない。
・・・と言えば済むことではないか?

(す) 知覚や認識の形式は 認識の普遍性をあたかも担保しており 有効なハタ
ラキを持つと見られる。見られるのだが それは 《形式》が保証しているという
よりは 実際には 認識の内容について いわゆる自同律や因果律に則っているな
ら 妥当性を持つということでしかない。のではないか?


(せ) 物自体と仮象としての認識(特にその形式)とに分けて 認識行為を分析
する意義は どこにあるか?

(そ) 感性の形式としての《時空間》や 認識および判断の形式としての《関係
性かつその内の因果性》は けっきょく大きく広く《認識という行為》をするにあ
たってそれぞれ認識の対象でもある。に過ぎぬ。

(た) 過去とそれをつなぐ因果性というのは そもそも貴乃花という人物を認識
するにあたって その認識の――必ずしも形式としてではなく――ふつうに対象と
して現われて来るものなのだ。

(ち) あらかじめ《形式》として取り出しておいてもよいが けっきょくつねに
対象と一体となっている。はずなのだ。

(つ) 《時空間》という形式ないし枠組みあるいは物指しをあらかじめ用意して
おいて これを道具として認識を始める・・・のであろうか? 

(て) その場やその情況としての時空間は 人物を見て把握しようとするときに 
すべてが一体であり したがって対象の全体となって われわれ認識の主体に飛び
込んで来る・・・のではないだろうか?

(と) 額の皺は 歳を取るという時間性と 対象の全体を構成する・・・と見た
ほうが 自然でふつうであるように思う。

№11をおぎないます。

対象はそれを認識するとき 《物自体》と《ともかく認識した内容》とに分かれる。
これらは:
☆☆(№11) 6-1.☆ おそらく《認識し得ない本体》と《その仮象〔とし
て認識し得たその内容〕》とに分けて捉えられるであろうか。

この《仮象》のようなものでも その認識は 普遍性を持ち得るということを そ
の認識内容がつねに共通の《形式》を帯びているということに カントは 捉えた。



たとえば 貴乃花の年寄り引退についての記者会見を見た。これを認識の《対象》
として...続きを読む

QHaruさんの存在主義の欠点は何ですか

客観的情報が欲しいのでHaruさん以外の人に回答して欲しいです。

Aベストアンサー

Haruさんとは誰?

Q哲学って簡単に言うとなんですか?

哲学って簡単に言うとなんですか?

Aベストアンサー

人間とは何か、人間が考えるとは何か、という学問です。
例えば、アリの生態や行動を解析して、アリは何を考えて生きているのか、
をまとめれば、「アリの哲学」として出版できます。
犬や猫のほうが大衆受けするかもしれません。

Q哲学の面白さって?

哲学などの概論を読んでいて、ひっかかる疑問があります。

古代から始まる哲学の歴史を読みながら興味深く読めるのですが、だいたい近世以降くらい?からか少し難しくなってきます。特にカントなどが現れた頃からです。

この人たちが問題にするのは理性とか、存在とかそういうものですが、自分はどうしても科学的な気持ちが邪魔してしまいます。例えば存在するみたいな主題があると、自分は科学的にそれを捉えてしまいます。

存在するっていうのは、単純に親から生まれた。これを辿ると先祖の先祖、つまり人類が生まれた時にまで行きつきます。これを哲学においては、やや抽象的な解釈をする。ここがどうしてもつかめない。それを言えばおしまいじゃないかと思っても、どうしても科学的に考えてしまうのです。

理性とか経験とかもそうですよね。心理学や科学、物理が発展した世の中ではどうしてもそっちで解釈したほうが早くないか?って思ってしまう。でも哲学には哲学の見方がある。これはどうすれば身につくのでしょう?哲学の見方が出来ればもっと哲学を楽しめるのにと思ってしまいます。

Aベストアンサー

古代から始まる哲学の歴史を読みながら興味深く読めるのですが、
だいたい近世以降くらい?からか少し難しくなってきます。
 ↑
この世には色々不可思議なことがあります。
人間は、知性があるので、不可思議な事を説明
しようとします。

最初は神話で説明しました。
しかし、次第に神話では飽き足らなくなり、哲学と
なりました。

その哲学もキリスト教と結びついたので、一神教との
整合性を保つため、やたら理窟っぽくなったのです。




存在するっていうのは、単純に親から生まれた。これを辿ると先祖の先祖、
つまり人類が生まれた時にまで行きつきます。これを哲学においては、
やや抽象的な解釈をする。ここがどうしてもつかめない。
  ↑
人間存在だけではなく、もっと広く普遍化
一般化するのです。



心理学や科学、物理が発展した世の中ではどうしてもそっちで
解釈したほうが早くないか?って思ってしまう。
でも哲学には哲学の見方がある。
これはどうすれば身につくのでしょう?
哲学の見方が出来ればもっと哲学を楽しめるのにと思ってしまいます。
  ↑
哲学の意義は、本来は真理発見にあります。
しかし、真理の発見なら科学の方がはるかに
優れています。

哲学と科学の違いは実証にあります。

科学は実証しますが、哲学はしません。

つまり、実証出来ないモノは科学の対象になりませんが、
哲学の対象にはなります。

そこが哲学の弱点であり、かつ魅力でもあると
考えています。

実証にこだわらなくてよいのですから、自由な発想、
思考が可能です。

その結論が正しいかは、後生になって科学が
実証してくれます。

古代から始まる哲学の歴史を読みながら興味深く読めるのですが、
だいたい近世以降くらい?からか少し難しくなってきます。
 ↑
この世には色々不可思議なことがあります。
人間は、知性があるので、不可思議な事を説明
しようとします。

最初は神話で説明しました。
しかし、次第に神話では飽き足らなくなり、哲学と
なりました。

その哲学もキリスト教と結びついたので、一神教との
整合性を保つため、やたら理窟っぽくなったのです。




存在するっていうのは、単純に親から生まれた。これを辿ると先祖の先...続きを読む

Q思考と言語

思考に言語を使うことのデメリットを挙げて下さい

Aベストアンサー

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を捉え、それに従ってそれなりに合理的に思索し合理的に振舞っています。それが空間的論理です。この場合、自分の置かれた環境や状況や事象を瞬時に全体として捉え、物事が収まるべきところに収まっているかどうかで、その全体の整合性を認識します。事実、絵画にも立派な論理があり、思索が表現されているのですが、それは決して、山が木立や東屋を導き、その木立が月を導き、、、というようには把握されず、そてぞれの各点が収まるよころに収まっているかどうかでその合理性の深みを理解しようとします。また、人間も多くの動物も言語以外に、ボディー・ラングエッジでも意思疎通をしていますが、これはどちらかというと空間的論理の把握と言えるでしょう。

その点、音楽にある合理性は時系列としての合理性であり、言語による合理性の把握に親和性があります。ただし、音楽や言語やその一種である数学が時系列的であるとは言っても、決してその流れは一方的だけではありません。我々は、現在目の前にある音や単語ばかりでなく、その音や単語より以前に出た音や単語との関連、すなわち時間相関を思い描きながらその作品を観賞し、また、この先の未来に出てくるであろう音や単語を、過去の時間相関を参考にしながら予測して、ある意味時間を超えた同時発生的な把握でその作品を観賞しています。そしてこの時系列的な相関の距離が長いほど、我々は思考が深まったと考えているようです。

もちろん空間的論理の把握にも、空間における各点をバラバラに捉えているのではなくて、各点の間の空間的相関を認識し、その空間相関の距離が長いほど、その空間的論理の合理性に深みがあると考えているようです。

この時系列的思索と空間的思索の存在は古代から認識されており、例えばそれが仏教における顕教と密教の違いとして認識されております。すなわち、顕教の本質は、この世の真理なるものを文章に顕に書き下すことができる。すなわち、時系列的な論理だけで表現が可能であるという立場です。だから、先人たちの名著をとことん読んで咀嚼すれば、この世の真理が解るようになるという主張です。ところが、密教では、この世の真理なるものには言葉という時系列的な論理では表現しきれないものもある。そして、それを掌握するためには、それを掌握した師の唾を浴び、迫力やオーラを浴びなくてはならないという立場です。さらに密教では曼荼羅を重視しますが、これもこの世界を掌握するには時系列的な言語だけでは不完全で、絵画的空間的論理による認識も必要であるという主張です。私は物理学者ですが、自分の師と巡り会うまでは、物理学も顕教の世界だと思っておりました。しかし、その師の唾を浴びているうちに、物理学の多大な部分が密教の世界であることに気づかされました。

さらに、テレビドラマでもわかるように日本人の数倍もおしゃべりなアメリカ人の意思疎通の内の90%ほどが、言葉でなく、先ほど触れたボディー・ラングエッジによっている、という研究結果が出ているそうです。考えてみればそれは驚くことではありません。実際、人間が言葉を使い出す前の数百万年もの間、人間はボディー・ラングエッジだけで意思疎通をしてきたのですから。例えば、馬も集団生活をしており、馬の間のボディー・ラングエッジが高度に発達しています。私の住むテキサスで小さな牧場を持っているある日本女性がこの馬のボディー・ラングエッジの重要性に気づき、それを人間の母子間に取り入れて、頭でっかちでない自然な子育てに使う運動を起こし、そこで訓練を受けた多くの母親が育っています。

このように、我々が世界を認識するとき時系列的でなく、空間的な掌握法が圧倒的に巨大な領域を占めているのです。ところが、言葉だけで論じられている哲学を学んでいる連中では、時系列的な論理だけが合理的な論理であると誤解して、世界の圧倒的な部分を認識できなくなっているようです。これが思考に言語を使うことの最大の欠点でしょう。この連中はこの巨大な世界を認識できないので、ある意味可哀想な連中です。

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を...続きを読む

Q進化した動物や車や人間?淘汰・進化の原理は同じでは?

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

環境である大衆、世界の大衆に選ばれた自動車が良く売れて沢山作られ残っていく事になる

環境から淘汰を受ける事になる。

この二つに共通する点は多くないか?

家でもその国その国で違うがその国に流行った(適した)タイプの家が多く作られ

そうでない家はある程度淘汰を受けその国様式でそれでもさまざまな種類の家が残って来た。

このような淘汰と環境適応、種の繁栄のパターンは様々な物に言えていて

人間にも言える。人間の心にも言えるのである。

聖書にも ”マタイ7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

と言うように淘汰の原則が載っています。

本だってそうです。流行り廃りはありますが良書は読み継がれて来ました。芥川とか漱石とか

ドストエフスキーとかトルストイとか良さそうな書は沢山作られまた淘汰される書もあって

興亡を繰り返します。

生物、人工物、人間、物質にも言える。

人間なら精神的な流行り廃りがあるから「ナウい」とか「おやじギャグ」は淘汰され

「やばい」とか「ダンス歌手グループ」が増えたり。理屈っぽいのが淘汰されつつあり

資格の知識が進化している。書き切れないので大雑把だが あなたの頃の中でも

色んな心が生まれ環境に適し、廃れていく心もあるだろう。

日本語も流行り廃り進化した言葉もある。

これら皆 スタンダードがあって新しいタイプが出て、淘汰・進化して適者が存在して行くのではないだろうか?

進化した軽自動車、進化した住宅、進化した情報、進化する心、進化した人間精神と言う言葉も

けしておかしくはないのではないだろうか?

物質も含めてこの世のものは太陽の光を受けて絶えず進化しているのではないだろうか?

その様な生物学と違う分野の「進化」と言う言葉も解禁して良いのではないだろうか?

原理は同じなのだから。

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

環境である大衆、世界の大衆に選ばれた自動車が...続きを読む

Aベストアンサー

英語の辞書で「evolution」を牽いたら「1 the scientific idea that plants and animals develop and change gradually over a long period of time 2 the gradual change and development of an adea,situation,or object」とありました。 で「develop」を牽いたら「1 GROW : to grow or change into something bigger,stronger,or more advanced, or to make someone or something do this 2 NEW IDEA/PRODUCT:(略) 3 FEELING:(略) 4 SKILL/ABILITY:(略) 5 DISEASE:(略) 6 FAULT/PROBLEM:(略) 7 PROBLEM/DIFFICULTY:(略) 8 IDEA/ARGUMENT:(略) 9 LAND:(略) 10 PHOTOGRAPHY:(略)」とありました。 英和辞典で「evolution」を牽いても、段々に変化するのだとevolutionで、時間的な長短は問題ではないようです。

加藤弘之は、1900年4月に「道徳法律進化の理」で、天賦人権論を社会進化という視点で攻撃しています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757879
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no96_01.pdf

「evolution」を「進化」と訳した日本人は加藤弘之だと言われているらしいですが、その加藤が、すでに社会や制度、思想?に対しても「進化」という語を使っているようなので、機械や仕組み・システムにも、技術や手段・手法についても、進化という語は使われておかしくないし、明治以降の広告においても盛んに使われていたと思います。
現在でも、「進化した○○」のようなコピーは盛んに使われています。
http://shiozawa.net/shinkakeizaigaku/shinkasuru_hyogenshu.html

生物学と違う分野でも「進化」と言う言葉は昔から使われていたし、中断されることもなかったと思います。

英語の辞書で「evolution」を牽いたら「1 the scientific idea that plants and animals develop and change gradually over a long period of time 2 the gradual change and development of an adea,situation,or object」とありました。 で「develop」を牽いたら「1 GROW : to grow or change into something bigger,stronger,or more advanced, or to make someone or something do this 2 NEW IDEA/PRODUCT:(略) 3 FEELING:(略) 4 SKILL/ABILITY:(略) 5 DISEASE:(略) 6 FAULT/PROBLEM:(略) 7 PROBLEM/DIFFICU...続きを読む


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