安楽死問題にはカトリック倫理学における実践原則(・生命保持の「尋常手段」と「非常特別の手段」・「二重結果の原則」・不正殺人絶対禁止の原則)の三つが関係しているということまでは分かったのですが、この原則が結局何なのかが良く分かりません。教えて下さい。
最終的にカトリック倫理学において、なぜ安楽死がいけないのかを教えて下さい。お願いします。

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A 回答 (3件)

ANo.2の追加です。


回答に関連するサイトのURL
日本カトリック司教協議会の文書
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/99life.htm
日本プロ・ライフムーブメント
http://www.japan-lifeissues.net/
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カトリックにおいて安楽死がいけないわけは、まず、人間の尊厳に反すること、つまり人間の命は故意に絶つことが不自然であるばかりでなく、殺人(または自殺)以外の何物でもないためです。

命の尊さは、役に立つかどうかで変わるものではなく、その存在自体が尊いからです。この尊さは神から来るものです。

例えば、本人が不治の病でこれ以上生きていると家族に迷惑がかかると考えて安楽死を選択したとしますと、健康か否かどうかでその人の人間としての価値が変わってしまうことになってしまいます。家族としても、早く亡くなってほしいと考えるとしたら恐ろしいことで、最後まで家族として愛し合うことが本当だからです。

もちろん不可抗力の場合は最善を尽くしたうえで自然死となるのは問題ありません。例えば、治療しても無駄に金銭が掛かって意味がなく、治療を止めることなど。
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宇都宮・熊野編『倫理学を学ぶ人のために』1994年世界思想社



欧州中世~キリスト教では生命はいかなる状況の下でも価値があり自殺は厳禁一切の安楽死を否定した。
トマス・アクィナスの考え(1)自殺は自然法汝殺すなかれに反し、自分自身に対する愛徳に反する(自殺を安楽死と読み替えてください)(2)人が所属する社会(共同体)に反するがゆえに不法(3)生命は神の賜物であり、神の権能に服するがゆえに何人もそれを自由にすることは許されない
最終的なことしか調べられなかったのですがよろしいでしょうか?
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この二つの倫理学を比較した時、それぞれのメリットとデメリットはどんなものがあると思いますか?

個人的な意見でも構いませんので回答していただけると有り難いです。
参考にしたいのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

哲学の専門家ではありません。しかしながら、大学で応用倫理学の講義を受け持っています。
その立場からの見解です。

カントの倫理は意思に基づくもの、功利主義(ベンサム)の倫理は結果に基づくものです。
前者は善い行いをしようとする意思に価値を置き、後者は結果が社会全体の幸福を向上するものであることに価値を置きます。

さて、メリット、デメリットですが、私の意見では、さほどの違いはありません。

道徳規則を守る→倫理規則、倫理規定、法。
結果を重視する→結果責任、刑事責任、賠償責任
という考え方では、昨今の企業不祥事が防止できていないことからも、どちらも効果的ではありません。

むしろ、個々の状況に応じて、自分の頭で考えて判断する、という過程が重要なのだと思います。

Q倫理学の3つの潮流について質問です。徳倫理学と義務論の違いを教えてください。

倫理学の3つの潮流について質問です。

功利主義、義務論、徳倫理学と並べた時に、

功利主義の他の2つとの違いは理解できるのですが、

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特に、アリストテレスの徳倫理学と、カントの義務論の違いを教えてください。

Aベストアンサー

2015/7/22に知恵袋の「数学」カテゴリーで、「 功利主義、義務論、徳倫理学の魅力と問題点をそれぞれ解説したうえで自分が3つの理論のくちどの理論を最も説得的なものと考えるか、その理由含めて論じてください。 っていうのがあるんで教えてください。 」との質問がありました。

カテゴリー違いの質問ですが、これは、「学校・教師から生徒・学生に求められた課題を自分で対応しようとせずに、他人の協力で済ませてしまおう」としたものと理解することが可能です。

"結果や効率を重視して"質問サイトを利用すれば良いという思考が、功利主義です。

"責任や義務を重視して"自力でやらないといけないという思考が、義務論です。

"[結果や効率][責任や義務]という言葉で説明できることからではなく、[徳が高い人ならどうするだろう]ということを自分で考えて[その徳の高い人]の行動になるように自分の言動を磨こう、[徳が低いままでいる]のは止めよう"という[徳が高い]というなんとなくわかるようでわからないものを自分で考え自分を律しようという志向(思考というよりも志向)が、徳倫理です。
徳倫理だと、今家族の世話や看病をしないとならない、チームメンバーとの共同作業があるので、学校・教師から求められた課題は適当にやる、白紙でパスする、コピペで済ますのも、謝罪するのも、徳ある人物の行動になるかもしれず、課題提出期限や提出方法の約束事とは別で、自分で何かを調べ考察し、「一体、なんで倫理学にいくつも潮流があるんだ? なんで倫理学なんてあるんだ」と時間を見つけて発展させるのが「徳倫理の追求」ということになるかもしれないです。

車も、自転車も、人も、まったく見えない場所で、交通信号機が赤になっていた。
どうします。 信号機は壊れてはいないようです。 数秒前に赤になりました。
義務論でも、なんの義務かを色々考えることができます。
功利主義でも、なにが功利かを色々考えることができます。
徳倫理でも、なにが徳あるヒトの行いかを色々考えることができます。
どの倫理を考えるのでも、結論が必ず一つになるのではないです。

2015/7/22に知恵袋の「数学」カテゴリーで、「 功利主義、義務論、徳倫理学の魅力と問題点をそれぞれ解説したうえで自分が3つの理論のくちどの理論を最も説得的なものと考えるか、その理由含めて論じてください。 っていうのがあるんで教えてください。 」との質問がありました。

カテゴリー違いの質問ですが、これは、「学校・教師から生徒・学生に求められた課題を自分で対応しようとせずに、他人の協力で済ませてしまおう」としたものと理解することが可能です。

"結果や効率を重視して"質問サイトを利用すれば良...続きを読む

Q倫理の教科書位に出てくる倫理学者の楽しく読める本

高校の時の倫理の授業が楽しかったので、高校のころの倫理の教科書に出てくる哲学者やそれよりもっと難しいものでもいいのですが、
楽しくいろいろな倫理学者の考え方を学べる本はないでしょうか?
教科書はせいぜい2ページ程度で、一人の倫理学者がおわってしまうので、ものたりないです。
何人かの倫理学者がでてくるものがいいのですが。
よい本があったら紹介してください。
出版社と著者と本の題名を教えていただけると助かります。
よろしくおねがいいたします。

Aベストアンサー

最近出た、小泉義之『ブックガイドシリーズ基本の30冊 倫理学』(人文書院)は超面白いです。
古代から現代まで、30人の思想家・倫理学者の著書を一冊づつとりあげ、その倫理思想のもっとも鋭い箇所を引き出し、膨らませるような読解が披露されています。
ベンサムが同性愛擁護論者であるとか、単純に教科書載ってないようなことも知ることができるので、その点でも面白い。
倫理の教科書とは内容があまり被らないので、場合によっては何言ってるか分からないかもしれませんが、論じる一冊ごとの文章は短くまとまっています。
なにより、教科書よりずっと身に迫った問題が考えられていると感じました。一度しっかり読めば、この先ずっと思考を刺激し続けてくれるような記述が多いです。
「自己に内的制裁を加える『良心の呵責』は不道徳の極みであり、それは社会的な『病理現象』にすぎない。こうして、義務も制裁もない道徳、生の道徳が始められることになる」(ジャン・マリー=ギュイヨーについて、上掲書p.20)
おすすめです。

Q文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、 文学や倫理学や心

文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、

文学や倫理学や心理学等に関しては幾らでも難解な本を読み、その分野についての知識や教養、また、洞察力や分析力、裏読み等には秀でてはいても、

何か仕事をする時で、特に雑用や、単純な細かい作業を行う時に、咄嗟に機転を利かせたりパッと仕事を覚えるのが得意ではなかったり、要領はあまり良くなかったり、
簡単な工夫すら思い付かず、

「もうちょっと頭を使えよ。」、「それぐらい、考えりゃ分かるだろう。」等と、普通の人から言われて諭されたり等しますね。

やはり、得手不得手があり、賢さにも幾つか類型はあり、100%全ての面において賢くなるのは無理でしょうし、機知と英知はまた違いますし、
人から何を言われたからと言って、気にする事はないですよね?

また、文武両道であるからと言って、すんなり人生がうまく行くとも限りませんし、
人間は、頭脳や身体能力が全てでも無く、大切なのは心であって、
他に、感受性や素直さや芸術的センス等、誰でも何かしらの得意な分野も苦手な分野もあるものですね?

Aベストアンサー

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けていて思うんです。No6の猪突先生のおっしゃることはごもっとも。人間、左程変わりません。だからその悩んでいる人には、お書きのように、言ってあげたらいいと思います。100%の人はいません。

ただ人間、環境が伴わない限り、幸福にはならないのです。仮に職場の部下にサルトルがいたと想像してみてください。誰も使いこなせないでしょう。話もあわないでしょう。職場環境をぶっ壊す可能性大です。彼みたいな人はフリーの物書きでないと生きていけません。

しかしもし仮に、こういう人が諸事情で、普通の職場に入ってしまったら、どうなのか。環境に溶け込むか。当人の思うままに追求するか。リチャード・バックの『かもめのジョナサン』がちょうどこのテーマですね。

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けて...続きを読む

Q論理学と倫理学について

さきらから同じような質問をしてすいません
どうして私がさっきから倫理学と論理学についてしつこく質問しているのかというと
私は元々この相対主義化、ニヒシズム化してしまった現代を疑問に思いつつも、虚無化してしまっている自分を憎くも感じていました。
私には自身が生きていくために不可欠な羅針盤がありません。
というか作ろうとも思ったことはありませんでした。 
いままでそれにまったく、疑問にも思わず日々を送ってきました。
そして私には今問わなければならない課題が山のようにあります
・常識とは何なのか?
・何のために働き、何のためにお金を稼ぐのか?
・私は何を基準に善と悪をより分けているのだろうか?
・自分の意思を問うこともなしに周りに同調し、誰が作ったのかもわからないルールや法律の信託のままに生きる私に価値はあるのだろうか?
・自由や幸福、正義とはなんだろうか?
そして私はこれらを追求することができる学部が大学にあると知り、その倫理学という学部にいくことを決めていました。
しかし大学のシラバスをよく見てみると生命や環境や社会などあまり私の疑問に思っていることを深く追求しているような大学はありませんでした。
それによくよく考えてみたらこの問いは自分で考えることができるし、大学の講義を聴いてそれで納得してしまうのであればそれはもはや虚無化してしまっているではないか、と疑問も出てきました。
そう、私が大学にいけばこの問いの答えが見つけられると考えていた時点で根本から間違っていたのです。
大学の講義で知識を手にれても答えは出ません。
自分にあった講義があるかないかではないのです。
講義を聴くのが目的ではなくそれを論理的に自分で思考するのが目的なのです。
自分で考えてこそ答えは導き出せるのです。
ですから私は倫理学にいくのではなく哲学に言って論理学を学ぶべきだと考え、
そのことについて質問したのが論理学と倫理学についてでした。
そこでここまで踏まえてもらった上でもう一度答えていただきたく質問させていただきました
大学で論理学と倫理学どちらを学ぶべきでしょうか?
質問していいものかとも思いましたが専門家の意見が聞きたく結局質問させていただきました
迷惑かけますが回答のほうよろしくお願いします

さきらから同じような質問をしてすいません
どうして私がさっきから倫理学と論理学についてしつこく質問しているのかというと
私は元々この相対主義化、ニヒシズム化してしまった現代を疑問に思いつつも、虚無化してしまっている自分を憎くも感じていました。
私には自身が生きていくために不可欠な羅針盤がありません。
というか作ろうとも思ったことはありませんでした。 
いままでそれにまったく、疑問にも思わず日々を送ってきました。
そして私には今問わなければならない課題が山のようにあります
・常識と...続きを読む

Aベストアンサー

No5です。

>厳密に書くことが一つありました。
論理能力というのは、「思考する際の(正しい)道筋」「誰もが納得できる考え方」
といったような哲学や議論、日常の物事を深く考える際に使う論理能力のこと(うま
く説明できませんが、、、)であり、数学や科学で使う論理能力とは違うということ

 ここでの回答は上記のような論理能力を磨く際に論理学は倫理学より最適である。と
いうことだったのでしょうか?
すいません説明が足りてなくて。
もしよければもう一度同じ質問を投稿しますのでそこで教えてもらってもよろしいで
しょうか?

以上のご質問をいただきましたので、お答えします。
質問者さんのおっしゃる論理能力とは「日常の物事を深く考える際に使う論理能力」ということですが、これを含めて論理学と述べさせていただきました。
哲学では、質問者さんが考えておられる論理能力の基盤として「日常」を捉える能力を問う「認識論」、「日常の物事を深く考える」方法論として「解釈学」や「存在論」、「分析哲学」等があります。つまり、質問者さんが「考えたい論理学」と「一般的な論理学」とは異なっています。
このような意味で、哲学の分野で質問者さんの考え方に一番近いのは他の回答者さんが述べていたように「臨床哲学」だと思います。

臨床哲学は、比較的新しい哲学の分野で、まだ分野としての認知も低く学べる大学は少ないと思われます。臨床哲学では、哲学の理論を日常の物事に当てはめて解釈するのではなく、日常から理論を作っていこうとするものです。
実は私は哲学の専門家ではなく、幼児教育の専門家です。しかし、この新しい哲学の考え方が「ある日常」に対して哲学することを受け入れるようになったので、異なる分野の哲学専攻の博士課程に入学して学ぶことができています。そして、臨床哲学の基盤は、「日常をあるがままに観取する」という現象学の手法(超越論的論理学)が有効的だと考えられています(対極は分析哲学でしょうか)。

先の回答で示しましたように、社会の価値が相対化し、虚無に陥るニヒリズムは、価値(もしくは生命)の破壊と創造という世界のダイナミズムの人間的な受容の仕方なのかもしれません。この「無」に対して、個々人が解消することは困難だとされています。大抵は、「デカダンス(荒廃)」に陥ってしまいます。デカダンスは、快楽主義に進行しますが、世界を自分とって「心地よい」か「悪いか」という二文法で分けてしまうと他者を対象としてしか見れなくなり、それこそ究極の個人主義と排他主義が蔓延することになります。戦前のナチスドイツが典型的な例です。

哲学を日常から出発すること、または、日常から哲学が生まれること、この際の、「思考する際の(正しい)道筋」「誰もが納得できる考え方」は、哲学では「明証性」、「必当然明証性」などと呼ばれています。この明証性をどのように導き出すかには、様々なアプローチの仕方があると思いますので、いろいろお調べになり質問者さんの納得される哲学に出会うことが大切かなと思いました。

陰ながら応援しております、がんばってください!

No5です。

>厳密に書くことが一つありました。
論理能力というのは、「思考する際の(正しい)道筋」「誰もが納得できる考え方」
といったような哲学や議論、日常の物事を深く考える際に使う論理能力のこと(うま
く説明できませんが、、、)であり、数学や科学で使う論理能力とは違うということ

 ここでの回答は上記のような論理能力を磨く際に論理学は倫理学より最適である。と
いうことだったのでしょうか?
すいません説明が足りてなくて。
もしよければもう一度同じ質問を投稿しますのでそこで教えてもら...続きを読む


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