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ずっと
「風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」
だと思ってたのですが,今放送中のテレビで「いかにとかせん」と言ってたんです。
テレビ局が嘘を放送する事も無いでしょうし,実際どうなんでしょうか?

A 回答 (4件)

No.2です。

再度お邪魔します。
これを言ったら身も蓋もないかもしれませんが、実はこの辞世自体、後世の創作という説もあります。
詳しくは↓をご覧ください。

http://homepage1.nifty.com/longivy/index.htm

「多門筆記」はあくまでも多門伝八郎の個人的なメモに過ぎません。また伝八郎自身が浅野内匠頭に同情して幕府の不条理な処置に憤りを感じたのは事実かもしれませんが、書いた本人があまりにも反骨の士として美化されていて、信憑性がないというのが、後世の創作と疑われる理由だと思います。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/longivy/index.htm
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
URLとても参考になりました。結局あやふやですが,両方あることが分かりモヤモヤはなくなりました。
はじめて「とかせん」と聞いたとき,ものすごく違和感を覚えたんです。

お礼日時:2004/11/09 17:21

どうしてかは解りませんが、「とかせん」も「とやせん」も両方ありです。


どちらにしても句の訳はまったく同じですから、
どっちが間違いって事はなさそうです。
ただどっちが原文なのかって事はあるでしょうけど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>ただどっちが原文なのかって事はあるでしょうけど。
これが一番の問題ですね。#2さんのご回答によると「とかせん」の写真は有るそうですがそれも本人の物ではないそうですから。
それにしてもなぜ「とやせん」が広く流通したのか?」という疑問が残りますね。

お礼日時:2004/11/09 14:05

この辞世は浅野内匠頭自身が書いた短冊は残ってないそうです。


この辞世の出典は、内匠頭を取り調べた目付、多門(おかど)伝八郎という人が書き残したと言われている「多門筆記」が、おそらく唯一のもののようです。
その「多門筆記」の中に書かれている辞世の写真を本で見たことがあります。
青春文庫の『「忠臣蔵」の謎学』という本です。
その写真によると、やはり「いかにとかせむ」となっています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「とかせん」という記述が有るんですね。まったく知りませんでした。
ではなぜ「とやせん」が広く流通したのでしょうか?

お礼日時:2004/11/09 14:03

いかにとやせんですね。


ここに書いてありますよ

参考URL:http://www.marinenet.co.jp/jinpati/lastsong/naga …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
#2さんのご回答によると「とかせん」が有るようです。

お礼日時:2004/11/09 14:01

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忠臣蔵はとても好きなのですが、浅野匠守の辞世の句

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これの意味がぜんぜんわかりません。
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Aベストアンサー

大石蔵之助はこの主君の辞世の句を読んで
その仇討ちを決意したと言われています。

「春の名残」とは匠守が吉良上野介を
討ち果たすことが出来なった後悔の念をあらわし
「いかにとやせん」に「何とかして
わが無念を果たして欲しい」
との意思が込められています。

通解すれば

風に誘われて散ってしまう桜の花も
名残惜しいのであろうが 上野介を討ち果たせずに
散っていく=自害しなければならない自分のほうが
はるかに無念である。
(何とか自分の仇を討って欲しい
=上野介を討ち取って欲しい)

となると思います。

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Aベストアンサー

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Q浅野内匠頭の辞世の句の意味

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Aベストアンサー

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Q浅野内匠頭の辞世の解釈

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Aベストアンサー

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