はじめての親子ハイキングに挑戦!! >>

最近、人に回答を求めるのではなく自分でやってみろと、ある人に言われたので、やってみる。

とはいっても自分の知らないことには答えられない。
答えられる質問にはどんどん答えてやる事に決めました。

こんな心構えでいいでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

違うと思います。



どこかのカテゴリーで、回答に対するお礼コメントでやられて現在進行中の質問者のマネをして回答してみます。

Q:人に回答を求めるのではなく自分でやってみろ
A:初めての職場に行くと先輩が、「わからないことがあったら、なんでも聞ききなよ。」と言ってくれますが、それを信じて質問すると、「なんでもかんでも人に聞けばいいってもんじゃないだろ!!まずは自分で考えて、それでもわからなかったら質問するんだよ!!」と言われて、自分なりに「まあっ、いいか、これで」と思ってやってみると、「お前、なんてことしてくれたんだ。やるまえに、わからないことがあったらなんでも聞けと言っただろ。」と怒られてしまいます。

Q:自分の知らないことには答えられない
A:知っていることとは、しょせん知識でしかないのだから、インターネットでチョチョッと調べて、たぶんこれだな、と思った新しい知識で答えればいいんじゃない?

Q:答えられる質問にはどんどん答えてやる
A:たぶん、答えられる質問に対して答えるのではなく、自分が回答したいと思った質問に答えるのだと思います。

質問に答えたいものがあったときの心構えは、以下のようなことも必要だと思います。
・こいつ、ホントか?創作とかなりすましじゃないだろな?
・それとも、現実社会で誰も相手してくれないから、この虚構の世界で相手して欲しいのかな?
・いやいや、真剣に悩んで質問しているんだと思うけど、なんでこういう質問してるんだろ?
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この回答へのお礼

自分が答えられる回答を見つけたら、サクッと出来る範囲でやることにします
ありがとうございました!

お礼日時:2018/10/13 10:20

質問者さんの質問は、哲学的な質問にしては、回答しやすい質問です。

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この回答へのお礼

コクヨウさんの回答は、哲学的な質問に対して、分かりやすい回答です。

お礼日時:2018/10/13 16:01

№5、のtyototu 氏の名前の綴りはcyototu氏でした。


お詫びして訂正いたします。
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この回答へのお礼

okです

お礼日時:2018/10/13 15:59

初めは必要あって質問からでした 何度か回答頂く内に頂くだけではいけないと感じとり回答 始めました


質問者だけでなく他の人にも為になる事なら尚 良いでしょう
質問者 増えた事もあって質問内容が細かくなり回答出来なくなっていきました
その為に回答カテゴリーも始めた頃より随分と変わりました
回答 続けている内に他人が知らずにいる事 自分だけが知っている事 解かって来るのです

検索すれば解かる事も多いのですが検索の仕方 知らない人が多いのか?真剣な質問でも無いのか?
10何年か前の会員少ない頃は殆ど返事がありましたが最近は返事のない質問者 増えましたね 
この質問者なら返事位はしそうと思える人だけ選んでおります それでも返事ない事 多いです
当方の回答はツイッタ―のようなものではありません 思い付きでもありません
数が増えると平均値 下がるのは どの世界でも同じですね?
其れとも礼儀を弁えていない人が増えてしまったのでしょうか? 世の末に近づいている?。
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この回答へのお礼

>最近は返事のない質問者 増えましたね 

>世の末に近づいている?

質問の手軽さ、ハードルの低さが進んできたから?
ありがとうございました!

お礼日時:2018/10/13 15:58

答えていると自分の頭の整理にもなりますよ。



訳の分からない問題は敢えて答えない方がいかも。
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この回答へのお礼

(お礼の順番が前後します。)

>自分の頭の整理

ほんとこれ。
言い換えると、自分の頭の整理が出来る程度にはその分野の知識と経験の要素が蓄積されている。ということでしょうかね???

ありがとうございました!!

お礼日時:2018/10/13 03:11

とりあえずやってみては?


周囲の反応でいいのか悪いのかがわかると思います。
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この回答へのお礼

基本、自分が好きで回答する
力作回答ならお礼もBAも欲しい
でもそれら目的の回答はしない

・・・ですかね

ありがとうございました!

お礼日時:2018/10/13 10:08

こういったQ&Aサイトでの事?



だったら無理・・

Q&Aサイトは 質問者の思ってる事が正解であって 本当の正解と違ってても 全く関係ない・・

Q&Aサイトの事なら 遊びは 遊びとして 考える事が大切です・・
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この回答へのお礼

哲学カテ特有の雰囲気ですかね
ありがとうございました!

お礼日時:2018/10/13 10:09

この質問で思いついたのが洞窟です。



洞窟。
この奥には何があるのだろうかと興味津々で覗いて見たら、なんにもなくて、、、

安室奈美恵も私生活は公開していませんね。
最終的には本人の“心構え次第”ということになるのでしょうが、現時点での感想はカテが違えば有りかなと。

私の場合は、当初はあのtyototu氏の質問に臆面もなく、回答なんぞをしたりして「あなたって変なことを云う人だねぇ」と云われたりしていましたが、その頃に比べればまだ今のほうがマシかなぁと思えてきています。

今は氏のブログを見ていろいろと学んでいますよ。
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この回答へのお礼

>氏のブログ

レベル高そうですね。
私も目指したいそんな高み

ありがとうございました

お礼日時:2018/10/13 10:16

いいと思いますよ。


回答側に立ってみたら、回答しやすい質問の書き方も理解できることでしょう。
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この回答へのお礼

双方の立場、その他いろいろな立場から物を見れるように目指します
ありがとうございました!

お礼日時:2018/10/13 10:19

いんじゃね。



ただし相手のことを考えて答えるようにしましょう。

困っている人には親切に、
荒れている人には落ち着くように、
”かまってちゃん” にはそれ相応の、
対応があります。
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この回答へのお礼

自分の頭の整理が主目的です私の場合は
質問者と自分の利害関係が一致するように回答したいですね
ありがとうございました!

お礼日時:2018/10/13 10:18

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Q死後の世界

「自分が死んでも自分がそれまで生きてきた世界は存在しつづける。」
という科学的根拠が示せない理由および原因について。

a)理由
b)原因

それぞれを説明して下さい。




IOI
HXH
NSZ

Aベストアンサー

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮説は、経験から得られた科学的な仮説ではありません。

たとえ世界が消滅する場合にも、その消滅速度が速かろうが遅かろうが連続的に消滅するというのが、貴方が生きていた経験から得られる科学的事実です。ですから、貴方が死んでも貴方がそれまで生きてきた世界はしばく存在しつづけるというのが科学から得られる結論です。

また、ある事象の時間的長さが長いか短いかは相対的な概念であり、何か基準になる時間の長さと比べて初めて意味のある概念です。たとえば、地球の公転数が1000回たった場合の時間、すなわち1千地球年は貴方の寿命からみて長いと思えるでしょう。それに比べて、原子内で励起原子が光を放出して基底状態に落ち着きまでの時間は10のマイナス8乗秒程度です。ですが、この時間で電子は原子核の周りを百万回ほど回っています。すなわち百万電子年経ったといえます。さて、この百万電子年というとてつもない回転の数と、1千地球年というたった千回の回転数と、どちらが長い間の出来事だったのでしょう。だから、たとえ貴方にとって瞬時になくなったように見えても、連続的に消滅する事象でも、別な基準から見るととてつもなく長い間にゆっくりと消滅している事象であるとも言えるのです。

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮...続きを読む

Q認めたくない現実

あなたにはありますか?
それはどんな?

Aベストアンサー

おそらくあるであろうと言う事。
それは、過去に自分が過ちを犯しておきながら、それを今も知らないという事。それを今も知らないので、今も同じ過ちを継続している可能性があるという事。そしてそれを知り得ない限りは、その過ちは未来にも続くであろうという事。

自分の外に悪がある事を見るのは簡単である。自分の内に確かに存在する悪を自らで見いだすことは容易では無い。自分自身の影に隠れてしまうからである。そこで、他人からの指摘が大いなるチャンスとなる。その指摘が的を得ていようが外していようが、他人から得たその言葉をきっかけに自らを省察する人は賢者である。一方で、聴く耳のない者、耳触りの良い言葉のみに対しての反応しか出来ない者、この様な者が人生を全うすることなくくずおれる。賢者は自己を健全化し、しあわせに至るが、愚者は自ら犯す過ちによって自己を損ない苦悩を受ける。

人は皆苦しんでいる。見難きことであるが、これを先ず人は観なければならない。

意固地になっていても埒は明かない。以上に述べた見難き真実を見て、人は初めて自己を知るのである。

Q死ぬことが怖いです どうすれば、死ぬことがこわくなくなりますか? (寿命で死ぬより何か事故などで死ぬ

死ぬことが怖いです
どうすれば、死ぬことがこわくなくなりますか?
(寿命で死ぬより何か事故などで死ぬのが怖い)

Aベストアンサー

死を恐れることはできないんだよ
だってあなた死んだことないじゃん
知らないものを恐れることはできない
恐れることができるのは知っているものだけ

死は関係の終わりを意味する
それが人にとって非常に怖い
自分の友達、家族、恋人、財産、経験、思いで、努力、蓄積してきたすべてのもの・・・
そのすべてとの決別が死
それが怖い
死は精神活動の全否定と等しい
だから逆に死は解放と言われる

結局、ちゃんと生きるしかないんだよ
いつ死んでもいいという覚悟をもって生きるということなんだろう
逆に言えば死を恐れるということは生ききれていないということだろう
今死んだらむなしい
そんな終わり方が恐怖なんじゃないのかな
だから寿命(運命)で死ぬより事故で突発的に死ぬのが怖いのかもね
あなたの人生のむなしさが現れているってことかな

と解説してみた

Q思考と言語

思考に言語を使うことのデメリットを挙げて下さい

Aベストアンサー

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を捉え、それに従ってそれなりに合理的に思索し合理的に振舞っています。それが空間的論理です。この場合、自分の置かれた環境や状況や事象を瞬時に全体として捉え、物事が収まるべきところに収まっているかどうかで、その全体の整合性を認識します。事実、絵画にも立派な論理があり、思索が表現されているのですが、それは決して、山が木立や東屋を導き、その木立が月を導き、、、というようには把握されず、そてぞれの各点が収まるよころに収まっているかどうかでその合理性の深みを理解しようとします。また、人間も多くの動物も言語以外に、ボディー・ラングエッジでも意思疎通をしていますが、これはどちらかというと空間的論理の把握と言えるでしょう。

その点、音楽にある合理性は時系列としての合理性であり、言語による合理性の把握に親和性があります。ただし、音楽や言語やその一種である数学が時系列的であるとは言っても、決してその流れは一方的だけではありません。我々は、現在目の前にある音や単語ばかりでなく、その音や単語より以前に出た音や単語との関連、すなわち時間相関を思い描きながらその作品を観賞し、また、この先の未来に出てくるであろう音や単語を、過去の時間相関を参考にしながら予測して、ある意味時間を超えた同時発生的な把握でその作品を観賞しています。そしてこの時系列的な相関の距離が長いほど、我々は思考が深まったと考えているようです。

もちろん空間的論理の把握にも、空間における各点をバラバラに捉えているのではなくて、各点の間の空間的相関を認識し、その空間相関の距離が長いほど、その空間的論理の合理性に深みがあると考えているようです。

この時系列的思索と空間的思索の存在は古代から認識されており、例えばそれが仏教における顕教と密教の違いとして認識されております。すなわち、顕教の本質は、この世の真理なるものを文章に顕に書き下すことができる。すなわち、時系列的な論理だけで表現が可能であるという立場です。だから、先人たちの名著をとことん読んで咀嚼すれば、この世の真理が解るようになるという主張です。ところが、密教では、この世の真理なるものには言葉という時系列的な論理では表現しきれないものもある。そして、それを掌握するためには、それを掌握した師の唾を浴び、迫力やオーラを浴びなくてはならないという立場です。さらに密教では曼荼羅を重視しますが、これもこの世界を掌握するには時系列的な言語だけでは不完全で、絵画的空間的論理による認識も必要であるという主張です。私は物理学者ですが、自分の師と巡り会うまでは、物理学も顕教の世界だと思っておりました。しかし、その師の唾を浴びているうちに、物理学の多大な部分が密教の世界であることに気づかされました。

さらに、テレビドラマでもわかるように日本人の数倍もおしゃべりなアメリカ人の意思疎通の内の90%ほどが、言葉でなく、先ほど触れたボディー・ラングエッジによっている、という研究結果が出ているそうです。考えてみればそれは驚くことではありません。実際、人間が言葉を使い出す前の数百万年もの間、人間はボディー・ラングエッジだけで意思疎通をしてきたのですから。例えば、馬も集団生活をしており、馬の間のボディー・ラングエッジが高度に発達しています。私の住むテキサスで小さな牧場を持っているある日本女性がこの馬のボディー・ラングエッジの重要性に気づき、それを人間の母子間に取り入れて、頭でっかちでない自然な子育てに使う運動を起こし、そこで訓練を受けた多くの母親が育っています。

このように、我々が世界を認識するとき時系列的でなく、空間的な掌握法が圧倒的に巨大な領域を占めているのです。ところが、言葉だけで論じられている哲学を学んでいる連中では、時系列的な論理だけが合理的な論理であると誤解して、世界の圧倒的な部分を認識できなくなっているようです。これが思考に言語を使うことの最大の欠点でしょう。この連中はこの巨大な世界を認識できないので、ある意味可哀想な連中です。

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を...続きを読む

Q進化した動物や車や人間?淘汰・進化の原理は同じでは?

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

環境である大衆、世界の大衆に選ばれた自動車が良く売れて沢山作られ残っていく事になる

環境から淘汰を受ける事になる。

この二つに共通する点は多くないか?

家でもその国その国で違うがその国に流行った(適した)タイプの家が多く作られ

そうでない家はある程度淘汰を受けその国様式でそれでもさまざまな種類の家が残って来た。

このような淘汰と環境適応、種の繁栄のパターンは様々な物に言えていて

人間にも言える。人間の心にも言えるのである。

聖書にも ”マタイ7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

と言うように淘汰の原則が載っています。

本だってそうです。流行り廃りはありますが良書は読み継がれて来ました。芥川とか漱石とか

ドストエフスキーとかトルストイとか良さそうな書は沢山作られまた淘汰される書もあって

興亡を繰り返します。

生物、人工物、人間、物質にも言える。

人間なら精神的な流行り廃りがあるから「ナウい」とか「おやじギャグ」は淘汰され

「やばい」とか「ダンス歌手グループ」が増えたり。理屈っぽいのが淘汰されつつあり

資格の知識が進化している。書き切れないので大雑把だが あなたの頃の中でも

色んな心が生まれ環境に適し、廃れていく心もあるだろう。

日本語も流行り廃り進化した言葉もある。

これら皆 スタンダードがあって新しいタイプが出て、淘汰・進化して適者が存在して行くのではないだろうか?

進化した軽自動車、進化した住宅、進化した情報、進化する心、進化した人間精神と言う言葉も

けしておかしくはないのではないだろうか?

物質も含めてこの世のものは太陽の光を受けて絶えず進化しているのではないだろうか?

その様な生物学と違う分野の「進化」と言う言葉も解禁して良いのではないだろうか?

原理は同じなのだから。

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

環境である大衆、世界の大衆に選ばれた自動車が...続きを読む

Aベストアンサー

英語の辞書で「evolution」を牽いたら「1 the scientific idea that plants and animals develop and change gradually over a long period of time 2 the gradual change and development of an adea,situation,or object」とありました。 で「develop」を牽いたら「1 GROW : to grow or change into something bigger,stronger,or more advanced, or to make someone or something do this 2 NEW IDEA/PRODUCT:(略) 3 FEELING:(略) 4 SKILL/ABILITY:(略) 5 DISEASE:(略) 6 FAULT/PROBLEM:(略) 7 PROBLEM/DIFFICULTY:(略) 8 IDEA/ARGUMENT:(略) 9 LAND:(略) 10 PHOTOGRAPHY:(略)」とありました。 英和辞典で「evolution」を牽いても、段々に変化するのだとevolutionで、時間的な長短は問題ではないようです。

加藤弘之は、1900年4月に「道徳法律進化の理」で、天賦人権論を社会進化という視点で攻撃しています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757879
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no96_01.pdf

「evolution」を「進化」と訳した日本人は加藤弘之だと言われているらしいですが、その加藤が、すでに社会や制度、思想?に対しても「進化」という語を使っているようなので、機械や仕組み・システムにも、技術や手段・手法についても、進化という語は使われておかしくないし、明治以降の広告においても盛んに使われていたと思います。
現在でも、「進化した○○」のようなコピーは盛んに使われています。
http://shiozawa.net/shinkakeizaigaku/shinkasuru_hyogenshu.html

生物学と違う分野でも「進化」と言う言葉は昔から使われていたし、中断されることもなかったと思います。

英語の辞書で「evolution」を牽いたら「1 the scientific idea that plants and animals develop and change gradually over a long period of time 2 the gradual change and development of an adea,situation,or object」とありました。 で「develop」を牽いたら「1 GROW : to grow or change into something bigger,stronger,or more advanced, or to make someone or something do this 2 NEW IDEA/PRODUCT:(略) 3 FEELING:(略) 4 SKILL/ABILITY:(略) 5 DISEASE:(略) 6 FAULT/PROBLEM:(略) 7 PROBLEM/DIFFICU...続きを読む

Qみんな□民主主義

□には何が入りますか?

Aベストアンサー

民主主義は良いものだと同意するが、民主主義とは何かということにはみんな同意しないのが

Q"アホはほっとけ"は正しいか

どうなんでしょう。

Aベストアンサー

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かった気になり、自己満足を優先させる。万能じゃない部分でしょう。

どこまでも、目の前のアホのような奴は、自分とは異なる存在の「他者」であると覚れば、ある程度ほっとけるのではないですか。

相手はいずれ成るように成るもので、何を掴むか、受け取らないかは己がやらなきゃ自分の意味にならない。
他人がどうこうする領域じゃないと知っていれば。

お互いに具体的な言葉にするほど自他の異なりが露わになるでしょう。
同じようで違う、違うようで同じ、というのを確認します。
そうした体験すれば作用にも気づきます。
自分の方法は増えるのですが、人間は頭では体験を超えられません。
冷静に相手の立場に立って出来るものなど取るに足らない小ささに思います。
大人?日本人?は関係を怖れている?みたいに見えます。


ある人に悩みを言ってもらい、何人かで聴きます。
それを後で皆で検討してみると、問題点、課題はほぼ同じ意見ですが、その人をどう思うか、感想を具体的にすると其々です。
相手ではなく、自分というものがそこに出てきます。

相手の立場に立つとは、
人間というものや個人を理解した上でやれる力量かもしれないですね。

余談ですがカウンセリングや相談をインターネットの文字の世界でやれると考える人と反対する人がいるんです。
文字では情報が不十分ですからね。

言い合いをしたり、食い違っても、そういう二人が向き合った体験は後に信頼の間柄になれるものでもあるという実感はありますが、使いわけていますね。

言い合いは悪い結果になると思い込んで、ほっとく、避ける一般の人が多いかもしれないです。

ほっとくの意味一つ取っても、自他は違うんですよね。

相手の立場に立ったつもりで言い、その人をよく知らない第三者からすると正論のようですが、肝心のアホにとってありがた迷惑であったりします。

気遣いができるアホは、無理解な正論にお礼を言うかもしれません。
でも、ほっとけない人が、アホを理解しているとは限りません。
ボランティアと同じです。
自分がしたくてするのか、相手の為なのか、自意識の深めがどの程度かです。


人間というものは、相手の立場に立ったつもりが立てていない時、相手はこころを開かない。

すれ違いながらもお互い辻褄を合わせ、共有した時間に意味を感じることで穴を埋め、その代償行為に気づかず、意味を後付けする生き物です。
その時を穏便に済ませるのですが、そういうときは、後から自分に違和感が出るものなのです。

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かっ...続きを読む

Q身近な洗脳を見たことありますか?

洗脳というと、カルト新興宗教のイメージが、強いですが、
私は、身近に、あるいは社会でよく行われている気がします。
政府が国民を、メーカーが消費者を、経営者が従業員を、教師が生徒を、親が子供を、
洗脳していることは多々あると思います。意図的に、あるいは無意識に。
そのような事例を経験、あるいは目撃したことはありますか?

Aベストアンサー

「洗脳は身近なものである」という視点はとても良い事だと思います。

「それが普通、〇〇に決まってる」と口癖のように言う人がたまにいます。
しかし普通の定義は個人によって違いますし、決まってると言っても公的に法的に定められているものではない。
その人が勝手に思い込んでいるだけなんです。

特に世間など周囲の目を気にする我々日本人は、個が弱い為に自分の考えや価値観を社会常識と混同してしまう悪い癖があります。
物事を言っているのは自分ではなく世間なので、自分は発言の責任をとらなくていいから楽なんですね。

私たちは個人の発言を全体の発言のように感じてしまい日々それに踊らされているのです。

誰が言ったのかもわからない考えや価値観がふわふわとそこらに漂い、それを何の疑いもなく受け入れているのはとても恐ろしいと思います。

Q全く予想も想定も、想像すら出来なかった事態、現実を経験した事ありますか?

エピソードをお聞かせ下さい。

(回答の手間を考えるに、短文質問で失礼ではありますが)

Aベストアンサー

まだ開いていたので、もう一言。

あらゆる時代の世界中の人の人生って圧倒的に予測不可能な偶然の積み重ねで形作られています。いつの時代に生まれるか。どこの民族に生まれ、何語を話しているのか。どの家に生まれ、どの街に住み、どのように教育を受けて来たのか。どの学校に入れたのか。誰と友人になったのか。どの師と巡り会えたのか。どの職業に就いたのか。他にも誰と巡り会えたのか。誰と結婚できたのか、あるいは結婚できなかったのか。どの子供を何人持ったのか。そしてこの全てが、決定的に貴方が貴方であることを決めて来たのです。この全てが、全く予想も想定も、想像すら出来なかった出来事です。

いつの時代、どの国で生まれたかで、その人の世界観は決定的に影響を受けます。また、貴方の内部でなく、貴方の外側のこの自然界は一見客観的に存在しているように貴方には見えているでしょうが、決してそんなことはありません。そもそも貴方はこの自然界を自分の母国語(多分貴方の場合日本語)で整理整頓して認識し理解しているのです。そして、言葉が違えば、当然文化が違う。そして貴方の背負っている文化は、多くの想定不可能だった偶然の出来事の積み重ねで出来てきた歴史を引きずっている。

そして文化が違えば同じものを見ても、その事象の重要性の序列の判断が違う。だから海を見ても、山を見ても、木々を見ても、月を見ても、星を見ても、さらに自転車を見ても、それが意味するものはどの国の言葉を話しているかで意味が全く違っています。韓国人は日本のお母さんが普通に自転車を乗り回している光景を見てびっくりするそうです。

だから世界の意味づけも、何語を話しているかで全く違います。そして、貴方が日本語を話し、それを通して世界を見ていることは、貴方にとって全く予想も想定も、想像すら出来なかった出来事だったのです。

まだ開いていたので、もう一言。

あらゆる時代の世界中の人の人生って圧倒的に予測不可能な偶然の積み重ねで形作られています。いつの時代に生まれるか。どこの民族に生まれ、何語を話しているのか。どの家に生まれ、どの街に住み、どのように教育を受けて来たのか。どの学校に入れたのか。誰と友人になったのか。どの師と巡り会えたのか。どの職業に就いたのか。他にも誰と巡り会えたのか。誰と結婚できたのか、あるいは結婚できなかったのか。どの子供を何人持ったのか。そしてこの全てが、決定的に貴方が貴方...続きを読む

Q私の寿命

を教えて下さい

Aベストアンサー

灯台下暗し、っていうからね。

気になるお年頃、なら
風前の灯火、ってところでしょうか。


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