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(人間同士の)愛は自由意志を必要とするでしょうかか?理由もいただけると嬉しいです。
ご参考までに
http://at-akada.hatenablog.com/entry/20140827/14 …

A 回答 (5件)

性欲があれば、自由意志はなくても良いのではないでせうか。

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参考に挙げられていたat_akadaさんのテキストは面白いですね。

勉強になりました。
最近、あたまがなまっているので、ブレスト程度に書かせていただきます。


■1:論点の整理
さて、そもそも何が自由意志なのか、という難しい問題がありますが、とりあえずそれは「本人が自由意志だと感じている状態」ぐらいのざっくりとした定義にここではしておくとして、

私がat_akadaさんのテキストを読みながら論点として重要そうだと思ったことをとりあえず列挙します。

A.本人の感情~理性に関わる論点
A1 愛しているという<感情>についての自覚の問題(愛の感情自認)
A2 相手を好きなのは、惚れ薬などではなく、「自由意志」に従っているという自意識の問題(自由意志の自認)
A3 関係性を維持できそう、一緒にやっていけそうだという合理的判断(関係性持続への判断)
A4 関係性を維持することが好ましいという<判断>の問題(関係性持続への個人的選好)

B 社会的な関係性についての論点
B1 当事者たちの性行為についての合意の問題。当人たちの合意のある性行為は多くの社会で犯罪扱いにはならない(不倫であっても)。(性行為の合意)
B2 本人たちが自由意志に沿っているということを承認する社会的手続きが踏まれているかどうか。「恋人」や「夫婦」といった契約関係にある人々かどうか(自由意志による社会的関係)
B3 二人の関係性の持続可能性の問題。一般に関係が長く続く二人のほうが良いとされやすい。(関係の持続可能性)
B4 社会的に望ましい状態。すなわち「愛しあっている夫婦や恋人が望ましい」という社会通念を多くの人が受け入れている(社会的選好)

以上のような簡単な概念の区分けをした場合、
・概ね、A1はB1にポジティヴに寄与し、A2はB2にポジティヴに寄与し、A3はB3に、A4はB4に、ということが概ね認められると言えるだろうと思います。※1
※1とはいえ、センのパラドクスのようなことを考えると、A4がB4に寄与するとは厳密には言えないとは思いますが。「だいたいの場合は」寄与するぐらいの、ものだと思ってください。統計的にそれなりに強い正の相関ぐらいはありそうだという程度の話です。

・A1(愛の感情自認)は概ね、A2(自由意志の自認)の前提ないし、A2がA1を再帰的に作っている側面も大きいと思います。A1とA2は、おそらく相補的に働いている場合が、それなりに多いであろうと考えられます。それが「自由意志と愛はセットなのではないか」という直感を支えているものと想定されます。
 そして、A1,A2は、A3(関係性持続への判断)や、A4(関係性持続への個人的選好)に対して概ねポジティヴには働くとは思いますが、「この人のことは好きだけど、借金多すぎるし破天荒すぎて一緒にやっていくのは無理」みたいなことはあるので、A1,A2は、A3、A4の必要十分条件とかではないと思われます。
・A1~A4,B1~B4のそれぞれの関係も色々書けると思いますが、8つの関係性をそれぞれ書くと、長くなりそうなので、割愛します。


■2:愛の定義のバリエーション

いくつかの境界例について説明をしてみましょう。
at_akadaさんが引用していたSmuts, A. (2014). Love and Free Will.の例を考えてみます。

「あなたの恋人はあなたを愛したがっているが、どうしても愛することができない。そこで恋人はあなたを愛するためにラブザックという惚れ薬を毎日服用する。」

これは、上記のA1~A4、B1~B4のうち、少なくともA2が欠けている。しかし、A3やA4のレベルでは「おそらく」恋人としての関係を持続することを望ましいと思っており、一般に恋人として認められるであろう社会的関係B2などは成立しているわけです。

これは、「愛」という概念の基盤をどこにおくか、ということの問題であるように思われます。
「愛」の概念の基盤が、あくまで、A1やA2のような感情やそれに基づく意志の自認にあると定義するのであれば、Smuts(2014)の事例は、そこに愛があるとはみなすことは難しいと思います。
しかし、A1~A4、B1~B4の条件のうちの任意のいくつかの要素が成立していれば、それで「愛」が成立しているのだとみなしうるのであれば、それは十分に愛とは言えるだろうと思います。


■3:感情以外のものが、感情をつくるか?

・「愛は自由意志を必要とするでしょうか」というご質問は換言すれば、次のように考えることも可能かと思います。
 通常は、概ね、A1・A2の愛の感情と自由意志の自認が、その他の理性的な要素や社会的な要素であるA3~A4、B1~B4の前提となったり、ポジティヴな要素を与えることが多いと考えられる。だが、逆向きのことはありうるだろうか、と。つまり、A3~A4、B1~B4の要素が、A1・A2の前提となったり、それを形成することがありうるか?
 と、以上のような質問だと考えます。

 このように考えた場合、その答えは、「そういうケースはありうる」(が、成立しない場合も往々にしてある)ということになると思います。
 昔から、とくに自由恋愛によらない、お見合い結婚はたくさんあったわけですが、お見合い結婚したあとにそれなり以上に仲睦まじく暮らしてる夫婦というのはよく聞きます。他方で、お見合い結婚でうまくいかなかった夫婦もたくさんあります。
 A1・A2が成立するために、A3以下のものが機能する可能性は十分にあります。よって、A3~A4、B1~B4の要素が、A1・A2の前提となったり、それを形成することはありうる、とは言えると思います。

■4.at_akada(2014)の例について

ついでですが、

at_akada(2014)
「伝説の木の下で愛を誓い合うと二人の愛は永遠になる。元々愛し合っていた太郎と花子は伝説の木の下で愛を誓い合い、二人の関係は安定したものとなった。」

が問題あるかどうかというのは、まあ、少なくとも愛を誓いあった段階では、かなり望ましいと言えるケースだとは思います。問題があるとすれば、B3(関係の持続可能性)だろうな、と思います。
 極端な例を考えてみます、

例1:恋人の片方が早逝してしまったあとに、二人の愛が強すぎるばかりに、もう片方の恋人が後追い自殺してしまう
→こういうのは、まあ、あまり望ましくないと判断する人が多いと思います

例2:二人で結婚して、生活してみると、明らかに二人の社会生活が破綻するような要素をいろいろと抱えている問題のあるマッチングだったが、愛の感情が強すぎるばかりに、お互いに利益があるどころか、お互いに非常に不便を抱えながら、結婚生活を持続させているケース:
→このケースは、古典功利主義的な個人の「快」を善きことのベースとし、かつこの二名で社会全体が完結するなら、こういうのは問題ないです。が、二人の周囲の人がものすごく迷惑を被るみたいなことはあるとは思います。借金とか、麻薬とか、犯罪とかを二人でやってしまうとか、「生まれた子供をネグレクトして殺してるけれど、二人の愛は永遠だね」とか。

まあ、ここらへんは愛の定義というというか、「愛」の概念とそれに関わる社会的正義や、社会的な良さの概念とか変わってくる領域だと思います。

 と、まあ、こんな感じの回答でいかがでしょうか…。
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参考に挙げられていたat_akadaさんのテキストは面白いですね。

勉強になりました。
最近、あたまがなまっているので、ブレスト程度に書かせていただきます。


■1:論点の整理
さて、そもそも何が自由意志なのか、という難しい問題がありますが、とりあえずそれは「本人が自由意志だと感じている状態」ぐらいのざっくりとした定義にここではしておくとして、

私がat_akadaさんのテキストを読みながら論点として重要そうだと思ったことをとりあえず列挙します。

A.本人の感情~理性に関わる論点
A1 愛しているという<感情>についての自覚の問題(愛の感情自認)
A2 相手を好きなのは、惚れ薬などではなく、「自由意志」に従っているという自意識の問題(自由意志の自認)
A3 関係性を維持できそう、一緒にやっていけそうだという合理的判断(関係性持続への判断)
A4 関係性を維持することが好ましいという<判断>の問題(関係性持続への個人的選好)

B 社会的な関係性についての論点
B1 当事者たちの性行為についての合意の問題。当人たちの合意のある性行為は多くの社会で犯罪扱いにはならない(不倫であっても)。(性行為の合意)
B2 本人たちが自由意志に沿っているということを承認する社会的手続きが踏まれているかどうか。「恋人」や「夫婦」といった契約関係にある人々かどうか(自由意志による社会的関係)
B3 二人の関係性の持続可能性の問題。一般に関係が長く続く二人のほうが良いとされやすい。(関係の持続可能性)
B4 社会的に望ましい状態。すなわち「愛しあっている夫婦や恋人が望ましい」という社会通念を多くの人が受け入れている(社会的選好)

以上のような簡単な概念の区分けをした場合、
・概ね、A1はB1にポジティヴに寄与し、A2はB2にポジティヴに寄与し、A3はB3に、A4はB4に、ということが概ね認められると言えるだろうと思います。※1
※1とはいえ、センのパラドクスのようなことを考えると、A4がB4に寄与するとは厳密には言えないとは思いますが。「だいたいの場合は」寄与するぐらいの、ものだと思ってください。統計的にそれなりに強い正の相関ぐらいはありそうだという程度の話です。

・A1(愛の感情自認)は概ね、A2(自由意志の自認)の前提ないし、A2がA1を再帰的に作っている側面も大きいと思います。A1とA2は、おそらく相補的に働いている場合が、それなりに多いであろうと考えられます。それが「自由意志と愛はセットなのではないか」という直感を支えているものと想定されます。
 そして、A1,A2は、A3(関係性持続への判断)や、A4(関係性持続への個人的選好)に対して概ねポジティヴには働くとは思いますが、「この人のことは好きだけど、借金多すぎるし破天荒すぎて一緒にやっていくのは無理」みたいなことはあるので、A1,A2は、A3、A4の必要十分条件とかではないと思われます。
・A1~A4,B1~B4のそれぞれの関係も色々書けると思いますが、8つの関係性をそれぞれ書くと、長くなりそうなので、割愛します。


■2:愛の定義のバリエーション

いくつかの境界例について説明をしてみましょう。
at_akadaさんが引用していたSmuts, A. (2014). Love and Free Will.の例を考えてみます。

「あなたの恋人はあなたを愛したがっているが、どうしても愛することができない。そこで恋人はあなたを愛するためにラブザックという惚れ薬を毎日服用する。」

これは、上記のA1~A4、B1~B4のうち、少なくともA2が欠けている。しかし、A3やA4のレベルでは「おそらく」恋人としての関係を持続することを望ましいと思っており、一般に恋人として認められるであろう社会的関係B2などは成立しているわけです。

これは、「愛」という概念の基盤をどこにおくか、ということの問題であるように思われます。
「愛」の概念の基盤が、あくまで、A1やA2のような感情やそれに基づく意志の自認にあると定義するのであれば、Smuts(2014)の事例は、そこに愛があるとはみなすことは難しいと思います。
しかし、A1~A4、B1~B4の条件のうちの任意のいくつかの要素が成立していれば、それで「愛」が成立しているのだとみなしうるのであれば、それは十分に愛とは言えるだろうと思います。


■3:感情以外のものが、感情をつくるか?

・「愛は自由意志を必要とするでしょうか」というご質問は換言すれば、次のように考えることも可能かと思います。
 通常は、概ね、A1・A2の愛の感情と自由意志の自認が、その他の理性的な要素や社会的な要素であるA3~A4、B1~B4の前提となったり、ポジティヴな要素を与えることが多いと考えられる。だが、逆向きのことはありうるだろうか、と。つまり、A3~A4、B1~B4の要素が、A1・A2の前提となったり、それを形成することがありうるか?
 と、以上のような質問だと考えます。

 このように考えた場合、その答えは、「そういうケースはありうる」(が、成立しない場合も往々にしてある)ということになると思います。
 昔から、とくに自由恋愛によらない、お見合い結婚はたくさんあったわけですが、お見合い結婚したあとにそれなり以上に仲睦まじく暮らしてる夫婦というのはよく聞きます。他方で、お見合い結婚でうまくいかなかった夫婦もたくさんあります。
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→こういうのは、まあ、あまり望ましくないと判断する人が多いと思います

例2:二人で結婚して、生活してみると、明らかに二人の社会生活が破綻するような要素をいろいろと抱えている問題のあるマッチングだったが、愛の感情が強すぎるばかりに、お互いに利益があるどころか、お互いに非常に不便を抱えながら、結婚生活を持続させているケース:
→このケースは、古典功利主義的な個人の「快」を善きことのベースとし、かつこの二名で社会全体が完結するなら、こういうのは問題ないです。が、二人の周囲の人がものすごく迷惑を被るみたいなことはあるとは思います。借金とか、麻薬とか、犯罪とかを二人でやってしまうとか、「生まれた子供をネグレクトして殺してるけれど、二人の愛は永遠だね」とか。

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恋愛が急さになるというのはいいのですか


神曲で

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自由意志を必要としない愛は愛ではありません。


主従関係を利用した強制的なものは愛とはいえない。奴隷です。
例えば北朝鮮で国家の有力者が国民の女性を強制的に愛人にするのは
権力者側は愛人と言うけど、女性からは愛人とは言わず、奴隷です。
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我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

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Q進化した動物や車や人間?淘汰・進化の原理は同じでは?

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

環境である大衆、世界の大衆に選ばれた自動車が良く売れて沢山作られ残っていく事になる

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19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

と言うように淘汰の原則が載っています。

本だってそうです。流行り廃りはありますが良書は読み継がれて来ました。芥川とか漱石とか

ドストエフスキーとかトルストイとか良さそうな書は沢山作られまた淘汰される書もあって

興亡を繰り返します。

生物、人工物、人間、物質にも言える。

人間なら精神的な流行り廃りがあるから「ナウい」とか「おやじギャグ」は淘汰され

「やばい」とか「ダンス歌手グループ」が増えたり。理屈っぽいのが淘汰されつつあり

資格の知識が進化している。書き切れないので大雑把だが あなたの頃の中でも

色んな心が生まれ環境に適し、廃れていく心もあるだろう。

日本語も流行り廃り進化した言葉もある。

これら皆 スタンダードがあって新しいタイプが出て、淘汰・進化して適者が存在して行くのではないだろうか?

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けしておかしくはないのではないだろうか?

物質も含めてこの世のものは太陽の光を受けて絶えず進化しているのではないだろうか?

その様な生物学と違う分野の「進化」と言う言葉も解禁して良いのではないだろうか?

原理は同じなのだから。

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

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加藤弘之は、1900年4月に「道徳法律進化の理」で、天賦人権論を社会進化という視点で攻撃しています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757879
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no96_01.pdf

「evolution」を「進化」と訳した日本人は加藤弘之だと言われているらしいですが、その加藤が、すでに社会や制度、思想?に対しても「進化」という語を使っているようなので、機械や仕組み・システムにも、技術や手段・手法についても、進化という語は使われておかしくないし、明治以降の広告においても盛んに使われていたと思います。
現在でも、「進化した○○」のようなコピーは盛んに使われています。
http://shiozawa.net/shinkakeizaigaku/shinkasuru_hyogenshu.html

生物学と違う分野でも「進化」と言う言葉は昔から使われていたし、中断されることもなかったと思います。

英語の辞書で「evolution」を牽いたら「1 the scientific idea that plants and animals develop and change gradually over a long period of time 2 the gradual change and development of an adea,situation,or object」とありました。 で「develop」を牽いたら「1 GROW : to grow or change into something bigger,stronger,or more advanced, or to make someone or something do this 2 NEW IDEA/PRODUCT:(略) 3 FEELING:(略) 4 SKILL/ABILITY:(略) 5 DISEASE:(略) 6 FAULT/PROBLEM:(略) 7 PROBLEM/DIFFICU...続きを読む

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Qなんで《物自体》なんていうものを言いだしたのか?

1.▲(コトバンク:物自体) ~~~~~~~~~~~~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%BD%93-142650
[武村泰男]日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

2. 物自体(ものじたい)
thing in itself 英語
Ding an sich ドイツ語
chose en soi フランス語

3. カントの用語。カントによれば、われわれの周辺に広がる世界は、従来
思われてきたように物のあるがままに現れているものではなくて、感性の先天
的形式(空間・時間)を通して外から与えられた物が、悟性の先天的形式(範
疇)によって総合的に構成されたものである。

4. したがって、われわれのもっとも素朴な感覚与件でさえ、すでに空間・
時間という主観の形式を経由したものであるから、われわれは感覚を刺激する
外なるものをそのあるがままに認識することができない。

5. それをカントは物自体とよぶ。

6. のち『実践理性批判』においては、物自体の世界を自由の概念と結び付
けて、現象界に対して叡智界(えいちかい)と名づけた。

7. 物自体概念は、カント哲学の要石(かなめいし)であると同時に、批判が
集中した概念であり、その後のドイツ観念論の発展――フィヒテの自我概念に
始まる絶対者概念の成熟――はそのままこの概念に対する批判的発展であった
ともいえる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


8. 解説〔に依拠しその内容〕をめぐって問うといういささか邪道の質問で
すが 次のように問い求めます。


9. もし:
▲(3) ・・・世界は、従来思われてきたように物のあるがままに現れてい
るものではなくて
☆ という条件を前提するのなら すでにそこから帰結する内容は敷かれてい
るのではないか?


10. つまり 《物のあるがまま》〔の姿〕は:

(あ) 人間の能力では認識しがたい。または し得ない。――かまたは:

(い) 認識し得るのだが それは 部分的な内容とならざるを得ない。そし
て 認識そのこともあやまち得る。――さらにあるいは:

(う) 《物》は 《人間が認識しうる言わばその仮象》とそして《認識し得
ない本体》とに分かれる。

☆ といった可能性がすでに孕まれている。はずだ。

11. つまり 前項の(う)から 《物自体》を想定することがあり得たと
しても ただそれだけのことに過ぎない。のではないか?

12. つまり 物自体を想定しようがしまいが 《人間の認識能力には限界
がある》という命題を言ったまでである。と捉えなくてはならない。はずだ。


13. なんでこの物自体が《現象界に対する叡知界》のことに成るのか?

14. 叡知界たる物自体に就くならば 《実践理性》としての《自由意志》
が実現し得て ひとは自由であると成るといった議論に発展するのか?

15. 無茶である。それなら 形而上学的実体なる神を据えている議論と違
わないのではないか?

16. カントは阿呆ではないか?

1.▲(コトバンク:物自体) ~~~~~~~~~~~~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%BD%93-142650
[武村泰男]日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

2. 物自体(ものじたい)
thing in itself 英語
Ding an sich ドイツ語
chose en soi フランス語

3. カントの用語。カントによれば、われわれの周辺に広がる世界は、従来
思われてきたように物のあるがままに現れているものではなくて、感性の先天
的形式(空間・時間)を通して外から与えられた物が、悟性の...続きを読む

Aベストアンサー

カントはついに神の心を感じる事が出来なかったか、或いは感じようとしなかった、なのでしょう。
それ故に、叡知界を無理やりに理的に解釈したのだと思います。

これでは埒は開かないと思います。

もっと素直に、私のように、人の心は宇宙の本体・霊体の心と本質は同じなんだと、受け止めるべきでした。
霊体に慈悲の涙があるからこそ、我々の心にも思いやりの涙を流せる働きがあるのだと。

Q閲覧ありがとうございます。唯物主義に生きがいはありますか? 人間は物質からできているので精神活動も物

閲覧ありがとうございます。唯物主義に生きがいはありますか?

人間は物質からできているので精神活動も物質の化学反応によるものです。
水素が燃えて水ができる。それと何が違うのでしょう?
尊いとされる生命(その起源も偶然の長時間におよぶ化学反応によるものでしょう)や豊かとされる精神活動も自動的な物質のふるまいによる虚無の世界です。
科学の観点から自由意志は錯覚とされています。世界は物理の法則に従って動いているため、自由意志は錯覚と考えるのが普通でしょう。
また意識は傍観者で、自分は人生という映画を観ているだけでしかない。
クオリアも錯覚という説もあります。

また、人間のすべての行動は利己的です。(利己的遺伝子論) 母親が子どもを愛するために取る自己犠牲の行動、助け合うこと、またそれらを美しいと感じること…すべてに関して利己的。遺伝子の思うがままになっていると思うと、やや恐ろしくも感じるし、行動が遺伝子にコントロールされていると思うと、虚無感も感じてしまいます。

何をしても楽しくないです。例えば、奇麗な夜景を見てホッとしますが、
すぐさまこれも遺伝子にプログラミングされた自動的な感情(錯覚)だ気づき絶望します。

しかし、生命及び精神活動が科学的に解明されても、その仕組みが分かっただけで本質(中身?)は分からないと言いますが、中身(主観?)なんてないんじゃないでしょうか?
精神活動などあみだくじのようなもので、ある入力がされたらある出力がされるだけで
自分とか主観とかそんなものはなく、今こうしてこう思った!考えた!も自動的な計算による出力にすぎない。機械と大して変わりはない。

いろいろ考えた結果、自殺ということが頭に浮かびます。
しかし、世の中の唯物論者(この定義がそもそも間違ってるのかもしれませんが、スピリチュアルなことを信じない科学的な人です)の方が全員自殺されてるわけではないですよね?どうしてでしょう?何に生きがいを持ってるのでしょうか?
虚無感に襲われて辛いです。生命、精神、存在などの素晴らしさについて教えてください。
哲学や科学について素人なので簡単な言葉で教えてくださると嬉しいです。
どうかよろしくお願いします。

閲覧ありがとうございます。唯物主義に生きがいはありますか?

人間は物質からできているので精神活動も物質の化学反応によるものです。
水素が燃えて水ができる。それと何が違うのでしょう?
尊いとされる生命(その起源も偶然の長時間におよぶ化学反応によるものでしょう)や豊かとされる精神活動も自動的な物質のふるまいによる虚無の世界です。
科学の観点から自由意志は錯覚とされています。世界は物理の法則に従って動いているため、自由意志は錯覚と考えるのが普通でしょう。
また意識は傍観者で、...続きを読む

Aベストアンサー

酸素と水素が「化学反応すると」、水になる。

では、何故、空気中に、酸素があり、水素があるんですかね?

地球上、何故、水だらけにならないんですかね?

確かに、化学的には、そうかも知れませんが、二酸化炭素も硫酸も
実際に存在していますよね。

結局、人生なんて、無限に近い組み合わせのなかで、その時々で、
「化学反応」を起こしているので、それほど真剣に考える必要はないのでは?

「人間のすべての行動は利己的です。」といっても、「種の保存」の本能から
言えば、当然でしょう。

「遺伝子」だ、「ミトコンドリア」だ、と言ったところで、これらは「複製」を
求めているだけで、「誰を好きになれ」とか「誰を嫌いになれ」なんて言っていません。

外国人と結婚しても、同郷の人と結婚しても、構わないのです。
それこそ「自由」です。
自由すぎて最近うるさい「同性愛者」なんてのも居ますが、
「遺伝子」が反対した、なんて話は聞いたことが無い。

実は、私も若い頃、同じような考え方を持ってましたが、ズボラなので、
3年ほどで、すっかり忘れてしまったようです。

選択肢は、極端ですが、無限にあります。

下らない「極論」に振り回されないことです。
「極論」とは、その論を成立させるために、多くの有用な実体を、
無視し、捨て去って成立しています。

大抵は、全く役に立たない。

酸素と水素が「化学反応すると」、水になる。

では、何故、空気中に、酸素があり、水素があるんですかね?

地球上、何故、水だらけにならないんですかね?

確かに、化学的には、そうかも知れませんが、二酸化炭素も硫酸も
実際に存在していますよね。

結局、人生なんて、無限に近い組み合わせのなかで、その時々で、
「化学反応」を起こしているので、それほど真剣に考える必要はないのでは?

「人間のすべての行動は利己的です。」といっても、「種の保存」の本能から
言えば、当然でしょう。

「遺伝子」だ...続きを読む

Q死後の世界

「自分が死んでも自分がそれまで生きてきた世界は存在しつづける。」
という科学的根拠が示せない理由および原因について。

a)理由
b)原因

それぞれを説明して下さい。




IOI
HXH
NSZ

Aベストアンサー

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮説は、経験から得られた科学的な仮説ではありません。

たとえ世界が消滅する場合にも、その消滅速度が速かろうが遅かろうが連続的に消滅するというのが、貴方が生きていた経験から得られる科学的事実です。ですから、貴方が死んでも貴方がそれまで生きてきた世界はしばく存在しつづけるというのが科学から得られる結論です。

また、ある事象の時間的長さが長いか短いかは相対的な概念であり、何か基準になる時間の長さと比べて初めて意味のある概念です。たとえば、地球の公転数が1000回たった場合の時間、すなわち1千地球年は貴方の寿命からみて長いと思えるでしょう。それに比べて、原子内で励起原子が光を放出して基底状態に落ち着きまでの時間は10のマイナス8乗秒程度です。ですが、この時間で電子は原子核の周りを百万回ほど回っています。すなわち百万電子年経ったといえます。さて、この百万電子年というとてつもない回転の数と、1千地球年というたった千回の回転数と、どちらが長い間の出来事だったのでしょう。だから、たとえ貴方にとって瞬時になくなったように見えても、連続的に消滅する事象でも、別な基準から見るととてつもなく長い間にゆっくりと消滅している事象であるとも言えるのです。

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮...続きを読む

Q「冷静」や「理知的」なのと「暗い」「陰気」は、勿論、別物の筈ですよね。 しかし何故か、パソコンや機械

「冷静」や「理知的」なのと「暗い」「陰気」は、勿論、別物の筈ですよね。

しかし何故か、パソコンや機械や将棋、数学、文学に強い人をすぐ「暗い」とか謗ったり、

更に酷い時は、剣道や卓球等、特に落ち着きの要るスポーツをする人の事まで、やはり「暗い」と謗るような輩も、何かのドラマやバラエティでいましたが、
明らかに、冷静で理知的な人に対する妬みによる誹謗中傷としか思えないです。
皆さんは如何でしょうか?

しかも、単に暗くて陰湿なだけの人は逆に「賢い」「利口」とか褒められてるみたいでしたが、明らかな「アベコベ現象」でしたね。

皆さんはこのような事は見受けられたりしませんでしたか?

Aベストアンサー

集中力の高い芸術家や文系、理系の人は笑顔が普通の人より少なくなる。
普通人はそれらの秀でた人に妬み心で「暗い」「陰気」「コミニケーション能力が無い」と
批判する。
自分より優れた人を妬み、劣る人をいじめる。 これが凡人の定め。
確かに一芸に秀でた人の中には社会常識に欠ける人がいる。
欠ける面があるから秀でる面がある。
完全な人間はいない。

Qいいことをおしえてやろう

最近、人に回答を求めるのではなく自分でやってみろと、ある人に言われたので、やってみる。

とはいっても自分の知らないことには答えられない。
答えられる質問にはどんどん答えてやる事に決めました。

こんな心構えでいいでしょうか?

Aベストアンサー

違うと思います。

どこかのカテゴリーで、回答に対するお礼コメントでやられて現在進行中の質問者のマネをして回答してみます。

Q:人に回答を求めるのではなく自分でやってみろ
A:初めての職場に行くと先輩が、「わからないことがあったら、なんでも聞ききなよ。」と言ってくれますが、それを信じて質問すると、「なんでもかんでも人に聞けばいいってもんじゃないだろ!!まずは自分で考えて、それでもわからなかったら質問するんだよ!!」と言われて、自分なりに「まあっ、いいか、これで」と思ってやってみると、「お前、なんてことしてくれたんだ。やるまえに、わからないことがあったらなんでも聞けと言っただろ。」と怒られてしまいます。

Q:自分の知らないことには答えられない
A:知っていることとは、しょせん知識でしかないのだから、インターネットでチョチョッと調べて、たぶんこれだな、と思った新しい知識で答えればいいんじゃない?

Q:答えられる質問にはどんどん答えてやる
A:たぶん、答えられる質問に対して答えるのではなく、自分が回答したいと思った質問に答えるのだと思います。

質問に答えたいものがあったときの心構えは、以下のようなことも必要だと思います。
・こいつ、ホントか?創作とかなりすましじゃないだろな?
・それとも、現実社会で誰も相手してくれないから、この虚構の世界で相手して欲しいのかな?
・いやいや、真剣に悩んで質問しているんだと思うけど、なんでこういう質問してるんだろ?

違うと思います。

どこかのカテゴリーで、回答に対するお礼コメントでやられて現在進行中の質問者のマネをして回答してみます。

Q:人に回答を求めるのではなく自分でやってみろ
A:初めての職場に行くと先輩が、「わからないことがあったら、なんでも聞ききなよ。」と言ってくれますが、それを信じて質問すると、「なんでもかんでも人に聞けばいいってもんじゃないだろ!!まずは自分で考えて、それでもわからなかったら質問するんだよ!!」と言われて、自分なりに「まあっ、いいか、これで」と思ってやって...続きを読む


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