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明治時代に神仏分離によって全国にあった寺が神道のもと寺が神社に統合されて神仏習合された。

有名な寺は軒並み神社に変わった。

寺様式なのに神社を名乗る元寺の神社が爆誕した。


殆どが明治時代の戦争で天皇を神格化したときに神社化されたはずなのに、いま寺があるのはなぜですか?

第二次世界大戦後に寺が復活したのですか?

A 回答 (4件)

こんぴらさんこと金刀比羅宮が寺から神社に変わった有名な神社です。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%88%80 …
 ウィキの冒頭をコピペしておきます。

神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。明治維新の際に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった。全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。


あと、藤原鎌足が祭神の奈良桜井の談山神社もお寺が神社になりました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%87%E5%B1%B1 …

明治二年(1869年)に神仏分離令により僧徒が還俗。談山神社と改称され、近代社格制度のもと、別格官幣社に列した。明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、十三重塔をはじめ建物は寺院建築をそのまま使用しており、神仏習合の雰囲気を残している。談山神社唯一の仏像として如意輪観音像を所蔵している。


質問者さんがおっしゃる寺→神社→寺という例はわかりません。
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この回答へのお礼

みんなありがとうございました

お礼日時:2018/10/13 10:05

君の間違った知識は捨て、もう少し勉強しよう。



江戸時代には、お寺に神様が祀られている。神社に仏様が祀られている。
それが極当たり前。それが神仏習合。

明治政府は、神道を国家宗教とすべく、神仏分離令を出す。
それを受けて、廃仏毀釈運動が起こる。
僧侶は抵抗運動を起こす。神主は僧侶のように理論整然と布教活動を行える人材など皆無。
結局、政府の目論見は失敗に終わり、仏教を容認せざるを得なく。

だから、お寺が神社に鞍替えした事実など全くありません。
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>有名な寺は軒並み神社に変わった。


根拠はなんだろう?
自分の知る範囲でそのような事実はないです。
確かに江戸時代には曖昧だった神社と寺の垣根が明治政府の分離政策により明確に区別されそのことが廃仏毀釈を呼びはしましたが、
それは仏教の弱体化を招きはしても廃絶に至ってはいません。
その証拠に江戸時代から一貫して葬式は寺で挙げます。

宗教の本質から言って仏教が神道を名乗ることは不可能ですし(それは改宗を意味する)、
明治政府自体がそういう行為を許していません。
明治政府の方針はあくまで
「国家神道を侵さない限り他の宗教も許される」
です。

国家神道に組み入れられる神社の数には限りがあり、そこから外れた神社は政府から許可され自主運営できない限り廃れたり破却されたりしました。
そのことを言っているのなら分かります。
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有名な寺は神社に変わったってどこのこと?


一般的にはお寺の中に神社があって、それが分離したと思うのだけど

平安時代から戦国時代までは荘園という制度が日本を支配していて
その荘園というのはお寺や藤原氏がやってたので神社が出る幕などなかったようにおもうのですよね
だからお寺に神社が吸収された形になったわけですし
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