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うまく伝わるかわからないのですが、戦国時代等では家柄によって偉い偉くないみたいなのがあったじゃないですか、しかし現代は年上、年下程度の偉さ?の違いしかないように思えるのですが、いつ頃からそのように家柄の順列見たいのが無くなって来たのでしょうか?


つまり、今は武家の血筋と農民の血筋の人が血筋ではなく年功序列みたいに変わったのはいつ頃ですか?

質問下手くそですみません

A 回答 (7件)

戦国時代末期の下克上。

家柄ゼロの秀吉が関白、太閤にまで上り詰めたのが良い例。
次が、幕末から明治維新。明治の爵位、旧大名などの良い家柄と、維新に貢献した家柄ゼロの人たちが混じってました。
仕上げが、敗戦。
昭和後半は、今までの家柄の代わりに、学歴が重視されるように。
平成、学歴があっても、どうしようもない時代。
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昔だって「年上の人を敬いなさい」で年功序列はあったし、


旧日本軍だって「軍隊じゃ階級で偉いと思うなよ 軍で食った飯の数で偉いかどうか決まるのだからな」という経験重視もあったし、
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幕末、武士が官僚化してしまい、武士では国内の


治安維持や外国の脅威に対抗出来なく
なりました。

それで、新撰組やら奇兵隊やら、武士以外の
身分の人が活躍した訳です。

これが発端だと思います。

その後、明治維新になって、四民平等になり、
更に第二次大戦を経て、国民平等になりました。




しかし現代は年上、年下程度の偉さ?の違いしかないように
思えるのですが、
 ↑
現代でも、まだ色濃く残っておりますよ。

安倍首相などは長州藩出身だから偉く
なれたのです。
自民党の大政治家の40%はそうした階級の
人です。

先日亡くなった政治評論家の佐々淳行氏の
先祖は戦国武将・佐々成政の末裔の家系です。

元総理の、細川護熙氏は、関ヶ原の戦いなどで
活躍した戦国大名・細川忠興の直系子孫です。
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第一段階は明治維新の四民平等です。


これによってそれまでの士農工商は皇族・華族・士族・平民にとって代わられました。

第二段階は戦後の日本国憲法です。
この中に「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」という規定があり、家柄や身分による法的差別がはっきりと否定されています。
これによって華族と士族は身分的な特権をすべて失い、平民と同等になりました。
皇族は戦後も変わらず皇室典範の適用を受け、一般国民とは区別されています。

なおあくまで「法の下の平等」であって、私有財産の格差や組織における地位の上下まで否定したものではありません。
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日本では1863年の「奇兵隊」が


家柄の違いで序列を決めるのは止めよう
とした最初の組織だそうです。

「奇兵隊」は
藩士と藩士以外の武士、庶民からなる混成部隊で
正規の武士からなる「正規隊」の反対語です。

また、身分によって一人称・二人称がバラバラだったのを
一人称は「僕」
二人称は「君」
に統一して
これが「僕」と「君」を一般化させたキッカケとも言われています。

決定的になったのは
第二次世界大戦で日本が負けて
アメリカの民主主義を押し付けられた。
1947年の民法改正による「家制度廃止」からでしょうね。
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戦国時代は実力社会なので、家柄は、あって無いようなもの。


年功序列は、徳川幕府そして大日本帝国政府が論語の教えを普及させたから。
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戦後かな?


戦前は、元の殿様や公家さんの貴族階級が有りました。
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