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とは何ですか?

(質問立てすぎとかお礼がまだなのはどうしたとかカテ選択とか色々あるかとは思いますが、本人なりの疑問解消を目指してますのでご容赦を)

A 回答 (13件中1~10件)

猪突氏のアメブロ、texsas-no-kumagusuのブログに、答え?が。

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この回答へのお礼

texas-no-kumagusu
ですね。
見てみたいと思いつつ見つからなかったので教えてもらえて嬉しいです。
時間を見つけて読んでいこうと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/14 17:58

かみのかさなりですね。

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この回答へのお礼

すいませんちょっと意味が分かりません

お礼日時:2018/11/14 17:56

概念メタファーですね。

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この回答へのお礼

無意識のうちにこれをやっていた訳ですね
新しい言葉を覚えました
ありがとうございます

お礼日時:2018/11/14 16:43

凡人は、「時は金なり」という言葉を思いつきます。


時間はお金と同じように非常に貴重なものなので無駄に浪費してしまうことなく、できる限り有意義に使いましょう。ですね。

この言葉、労働者にとっては当て嵌まります。人生は長く生きても80年ぐらいだから、時間は貴重であります。
労働者は働いた時間分のお金しか貰えないのです。

経営者は、お金は需要と供給の関係によって得られる分けですから、希少な物を扱えば多くのお金を得られます。
また、お金を他人に貸せば利息を受け取ることができます。

これって、労働者の時間はお金にすると、安く買い叩かれることを意味しています。
他人に雇われる人間の時間は、貴重でないってことです。

この矛盾が格差社会を生み出しています。
「時は金なり」とは、金持ちにとっては有り難い他人を働かせるための都合の良い言葉なんですね。

「時間の貴重さ」は、他人に左右されやすい。
人によって変わる、ということを忘れないように。
お金持ちは他人の時間を買い叩くことで、儲けているのです。^^
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この回答へのお礼

これも面白い回答文、ありがとうございました

お礼日時:2018/11/14 16:39

№6です。



《重さ》が 人間の意志のことを比喩として表わす。・・・としても
問いは 《時間の》重さなんだけど?


いえ。つまり 意志行為が あくまで時間的過程にあるという意味で
す。

因果関係や相互に依存するような関係――ふたつでいわゆる縁起――
を 時間過程は内容としています。

あるいはつまり 人間じたいが 生死にかかわる《時間的存在》です。

意志行為が 時間の関数としてのごとく展開されます。
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この回答へのお礼

私の思考力不足なのか、時間を置いて何度か読んでも理解できませんでした
ありがとうございます

お礼日時:2018/11/14 16:39

時間の質量とは、文学的表現ですね。



私にとっては、学生のころアルバイトで工場の中で超単純作業を12時間やらされた時が
(まあ、自分で応募したんですけど)、正に地獄の責め苦でブラックホール状態でした。

一方、大好きなカラオケをしているときは、時間が軽い軽い、そして、早い。
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この回答へのお礼

これはこれで面白い回答文と思います。
ありがとうございました

お礼日時:2018/11/14 16:38

先ず、ご自分で考える「時間の重さ」を提示するのが、「礼儀」では?

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この回答へのお礼

うーんどうなんでしょう。
作例をまず自分が挙げよということですか。
なんか違うような。

お礼日時:2018/11/14 16:37

《重さ》が比喩として表わすものは 相場が決まっていると思う


んですが。

一般に ひとの《意志》に当てられるものと。

自由意志ないし意志自由。
その行為における選択肢の選択(そのときの判断)。
その自由およびそれと同時にともなわれる答責性。
あるいは その結果として――正負の両面において――得るもの。


(すみません。直球勝負のブラジュくん)
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この回答へのお礼

時間をおいて何度も読んだのですが今ひとつ理解できませんでした。
でもありがとうございます

お礼日時:2018/11/13 00:03

多分、ですが、、、



時間の質量とは空間の事ではないかと思います。
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この回答へのお礼

音声入力につき誤字脱字失礼これは十分ありな答えだと思うんですよ実際専門家が鼻で笑うようなことでも実はそれは楽しかったりするわけですもちろんここでの QA がそれに該当する可能性がどうかと思いますが私は単に単純にシンプルに見えること見えないこと分かる範囲分からないはいなんでもいいから言語化して何らかの遠にシナプスを作ればと思ってるそれが質問の意図です

お礼日時:2018/10/30 03:11

貴重だって事じゃないですか。

人生は限られてますから。

空想で遊ぶのも楽しいですが、理路がなければ答えは出ないでしょう。遊ぶだけで時間を浪費するのは、貴重な時間を軽く見ていると言うことになるのでしょう。私も昔、存在の濃度について思い巡らしたことがありますが、それによって自分は何を知りたかったのか、人生訓的なもの以上の成果はありませんでしたし、それをこそ求めていたのではないかとさえ今は思います。空想はいくらでも広げることができます。しかし完成というものはそこにはありません。理路には結び、つまり完成というものがある。それが成果というものだと思います。ただ、一方で空想には飛躍というものがありますから、それはそれで侮れないとも思います。
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この回答へのお礼

音声入力2月5時誤変換ご容赦くださいありがとうございます如月さんこれは私が言いたかったことをまずスピード感をもって書くために入力しています実は本当は私はその的確にそのものズバリの答えを求めているのではないのかもしれませんたんに自分の頭の中を柔らかくするためいや柔らかくするため以上に真実を知りたいで部分はありますけれども実際に自分が理解できて運用できるレベルのことしかそもそも分からないのであると割り切って 中断

お礼日時:2018/10/30 02:56

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IOI
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当人が希望して別の土地に赴く場合、土地や風土、文化、人に期待しているので、得てして「痘痕も笑窪」になりがちです。相手からしても、一過性のお客さんなので地は隠して笑顔で振舞うでしょう。
行った人が飽きて、その土地の人も来訪者に気を遣わなくなってから、初めて一過性でない気候や、風土慣習、文化、価値観などに触れるわけです。最初の期待は裏切られ、互いに地金が見え隠れし、上っ面でない会話になり、それでもその土地や人が好きか嫌いか段々と分かってきます。そこで諦めずに更に滞在すると、妥協できるかどうか互いに距離を測り始めます。

イメージ的には、「憧れ」→「真実が見えてガッカリ」→「でも、意外と良いところもあるね」 or 「あー、やっぱ駄目だわ、ここ」という流れです。ここまで行けば、さすがに自分が生まれ育った土地や文化、風習、価値観と、やっと比較ができるようになります。もちろん憧れからだけ始まるわけではないでしょう。仕事での赴任だから仕方なくということもあるでしょう。そうなると最初は「不安」だとか「疑念」から始まり、「でも、意外と良いところもあるね」とか「やっぱ、思った通りだわ」になり、「それでも・・・」という流れになるのではないでしょうか。

何にせよ、こういう比較ができるまでには、最短で半年、最長で5年ぐらい、下手をすると、子供が地元の学校に通うようになって初めて知ったとかもあるでしょう。時間もかかりますし、その土地での関わり方も関係します。

それでも「日本は・・・」、「日本人は・・・」とまともな比較論を語るには、そういう経験が一箇所とか一カ国では不足しています。個人的にはそういう対象は3つ以上あるべきだと思います(日本を含め4つで比較)。同じような文化風習のところではなく、例えば経済という視点で語るにしても、ニューヨークや上海などの動きが激しいところ、インドやマレーシアのように独特な地域性があるところ、アラブ地域のような特殊な価値観で動くところ、発展途上国というより後進国といった方が適切なところぐらいのパターンを経験しないと、本質的な会話にはなりません。よって、ほんの一部の分野に絞ったとしても、多分、最低で3年、可能であれば20年ぐらいの時間は見た方が良い気がします。

もちろん、ニューヨーク、ロンドン、フランクフルト、香港のように敏感で動きが早いところと比較すれば、日本が敏感であるか、日本の動きが早いかという比較論はできるとは思います。

「日本は・・・」、「日本人は・・・」に限らず、「アラブ地域は・・・」、「アラブ人の思考は・・・」なんて騙るジャーナリストもいますが、原理主義的な地域と世俗主義的な地域では全く違いますし、宗派によっても、近隣の国との友好度合いによっても、呆れる程、幅があります。それとて表の顔で、外国人や異教徒には見せない顔もありますから、一括りにしている時点で「うーん、底が浅い」と看過されます。いえ、別にアラブじゃなくて、「アングロサクソンは」とか「インド系の民族は」とか「東南アジアでは」とかに置き換えても良いんですよ。

>(一般的には、否定的な内容が多いようですが)

否定、批判をするには、より多くのサンプル、より多くの経験、より長期スパンでの比較ができないと難しいでしょう。それができていない癖に批判ぶったり、挙句、自分の足元である日本の知識、理解が不足していたりすると、識者のみならず敏感な人にそれを直感的に察知され「こいつw、浅いな」と見透かされる訳です。
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ドイツの職人的工業製品と日本の大量生産工業製品の比較で批判しているような人は、実は日本人には多いような気がしますが(しまった、私自身も「日本人は・・・」を言ってしまったw)、単に工業そのものの考え方の根底に根ざしたアプローチの違いであって、どっちが好きか嫌いかはともかく、実はどっちが優れているという結論には至らない方向違いの議論だったりします。

当人が希望して別の土地に赴く場合、土地や風土、文化、人に期待しているので、得てして「痘痕も笑窪」になりがちです。相手からしても、一過性のお客さんなので地は隠して笑顔で振舞うでしょう。
行った人が飽きて、その土地の人も来訪者に気を遣わなくなってから、初めて一過性でない気候や、風土慣習、文化、価値観などに触れるわけです。最初の期待は裏切られ、互いに地金が見え隠れし、上っ面でない会話になり、それでもその土地や人が好きか嫌いか段々と分かってきます。そこで諦めずに更に滞在すると、妥協...続きを読む

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が推測できる方にお尋ねしたいのですが、

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~~~~~
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~~~~~
追記
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Aベストアンサー

無理ですね。

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例え誰か無理だと言われたとしても、

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そんあものありません
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Aベストアンサー

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Q存在論をどう考えますか? 存在性理論から。

存在性理論と言うのは所謂「存在」と言うものが「どの様にして存在しているのか」を明らかにした理論です

それを語るにはまず「存在とは何か」と言う事を問いかけねばなりません。

私は今の学界、哲学界が「存在」とは何だと説明しているのか知りません。何故ならその定義は学者によって違うし

余りに難しく説明する人が多いからです。

存在と言う言葉が今どのように使われているか そこから考えて行きましょう。

一つの流れは人間存在中心主義。我思うに我ありから実存主義などに至る「我れ」の存在論です。

もう一つは科学などで、或いは日常に使う「この部屋には酸素分子が存在していると考えられる」と言う

「ある」と言う意味での存在である。

私は此処で回りくどく説明しなければならない しかしそれではみなさん飽きてしまう

ですからザックリと分かりやすく説明を加えます。

つまりはデカルトから始まる「我れ」と言う存在は精神の事であり 精神とは心の事であり、心理学が究明する世界でもあります。

その掴み所のない精神をこねくり回しても 灯台下暗しでいまだに分からない。

私はその様な哲学界を背に「では 精神は何で出来ているのか?」と考えてみた。つまり精神の成分である。

精神は言葉で出来ているのか シナプスの伝達物質で出来ているのか 脳波で出来ているのか・・・・・

何だろうと考えた。結果 精神は様々なエネルギー(質量も含む)の持つ「性質」で出来ていると言う結論に当たって説明が付いた。

つまり人間の体がCHINOPS系で出来てDNAによって秩序立ってる様に 人間の心は様々なエネルギーの持つ性質で出来ており

その性質の反応、作用、相互作用で出来ている。自我(自己)を中心として主体化した性質の秩序立った反応、学習、思考によって

精神は誕生する。人間の脳を中心とした内面と人間が感じる外面と人間の持つ愛と理性で精神は出来ている。欲望や本能も影響する。

と言う事です。

ここから言える事はデカルトから実存主義までの「我」は実はどのようなエネルギー、物質の持つ質量も持つ「性質」がその正体だった

と言う事です。分かりやすく言うと 酸素分子の持つ性質も精神を構成する性質の一つと言う事である。

唯物論で言う「性質」も唯心論でいう「精神」も同じ質のものだったのです。

そこで私は存在を定義しました 随分前にですが。存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(質量を含む)と言う事になります。

これはまだ存在性理論のほんの入り口ですが 後、進化論の普遍性やエントロピーの増大・安定・減少を論じ存在性と言う性質の働き

を論じて行かなければなりません。それを書いた、やや長いHPが此処にあります↓

http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/

これをざっと読んで間違っているところを指摘して下さい。何処に間違えがあるでしょうか?

存在性理論と言うのは所謂「存在」と言うものが「どの様にして存在しているのか」を明らかにした理論です

それを語るにはまず「存在とは何か」と言う事を問いかけねばなりません。

私は今の学界、哲学界が「存在」とは何だと説明しているのか知りません。何故ならその定義は学者によって違うし

余りに難しく説明する人が多いからです。

存在と言う言葉が今どのように使われているか そこから考えて行きましょう。

一つの流れは人間存在中心主義。我思うに我ありから実存主義などに至る「我れ」の...続きを読む

Aベストアンサー

https://www.youtube.com/watch?v=xGficZ-CAUI&list=PL1yfjZppO7NRfKzVKmFYNz7Tc6icO26jQ&index=2

色々分かりました、ハルさんのことも。

私もこの歌は好きです。アグネスは本当に心を込めて歌っているように思います。
だから、この詩は彼女の本心でもあるのでしょう。彼女は純粋で頭のいい人だと思
います。ただ、正直言うと、あんまり好きなタイプではありませんでした(笑)。

彼女のことを偽善者扱いしている人達がいることを知っています。
また、山本伸一の詩がいくつか提供されているということからも、創価学会と中国
韓国あるいは北朝鮮との特別な関係を指摘する声がネット上でたくさんあることも
もちろん知っています。

確たる根拠のない連想ゲーム的邪推であると私は思います。新興宗教が金儲け以外
の目的があるわけがないという固定観念の上に立った連想的思考ですね。

何事もキチンと認識しないといけないとつくづく思う今日この頃です。アグネスに
対する私の認識もある種の固定観念に囚われていたようです。何故そう思ったかと
言えばよく知らないで評価していたことが分かったからです。

ハルさんが主張する、平和、人権、極めて大切であるにもかかわらず、人々は何故か
その正確な認識に戸惑っているように思えてなりませんでした。様々な思惑が社会に
渦巻いているからだと思います。

人類の平和と幸福の為に、その一点においては少なくとも連帯すべきです。そのため
にも、つまらない固定観念は一つづつ捨てていかなくてはいけませんね。

https://www.youtube.com/watch?v=xGficZ-CAUI&list=PL1yfjZppO7NRfKzVKmFYNz7Tc6icO26jQ&index=2

色々分かりました、ハルさんのことも。

私もこの歌は好きです。アグネスは本当に心を込めて歌っているように思います。
だから、この詩は彼女の本心でもあるのでしょう。彼女は純粋で頭のいい人だと思
います。ただ、正直言うと、あんまり好きなタイプではありませんでした(笑)。

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