アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

他人の質問ですが・・・

2014千葉大 法政経学部の問題で、問題文に

「次の文は、宮家に使えている作者が朋輩の女房とともに、殿上人と語らっている場面である。」とあります。

また、本文中にある、(殿上人)という記載は問題に元々記載されていたもので、私が加筆したものではありません。

星の光だに見えず暗きに、うちしぐれつつ、木の葉にかかる音のをかしきを、(殿上人)「中々に艶にをかしき夜かな。月の隈なくあかからむも、はしたなく、まばゆかりぬべかりけり」。春秋の事などいひて、「時にしたがひ見ることには、春霞おもしろく、空ものどかにかすみ、月のおもてもいとあかうもあらず、遠う流るるやうに見えたるに、琵琶の、風香調ゆるるかに引き鳴らしたる、いといみじく聞こゆるに、また、秋になりて、月いみじうあかきに、空は霧りわたりたれど、手に取るばかりさやかに澄みわたりたるに、風の音、虫の声、とり集めたる心地するに、箏の琴かきならされたる、横笛の吹きすまされたるは、なぞの春とおぼゆかし。また、さかと思へば、冬の夜の、空さへさえわたり、いみじきに、雪の降り積もり、ひかりあひたるに、篳篥のわななき出でたるは、春秋もみな忘れぬかし」といひつづけて、「いづれにか御心とどまる」と問ふに、秋の夜に心を寄せて答へ給ふを、さのみ同じさまにいはじとて、…

という文章がありました。
ここで、
春秋の事などいひて、「時にしたがひ見ることには、~ 春秋もみな忘れぬかし」といひつづけて、「いづれにか御心とどまる」と問ふに、
までの主語は殿上人で、
秋の夜に心を寄せて答へ給ふを、さのみ同じさまにいはじとて、…
の主語は朋輩の女房だと解説を受けました。しかし、
心を寄せて答へ「給ふ」を、
と尊敬語が使われており、これが朋輩の女房であるということに納得がいきません。位は殿上人>作者=朋輩の女性ですよね?後々本文を読んでいくと、殿上人が作者・朋輩の女房の2人に敬語を使っている場面もありました。古文では朋輩や身分が低い相手にも敬語を使うものなのでしょうか。又、よく「敬語で主語を判断せよ」と言われますが、このような場合でも敬語を主語判断に用いることができるのでしょうか。古文に詳しい方、解説お願いします。

A 回答 (2件)

貴族の娘に位はありません。

父方の地位がそのまま反映されますので、作者であれば菅原孝標の地位が宮仕え先での地位となります。
殿上人も幅があり、通常四位・五位までですが六位を一部含むこともありました。
同性・異性問わず、その地位は強く意識されていましたから、同じ宮仕えの女性同士でも上下はありますし、殿上人といってもその地位によっては作者(の父の地位)に対して敬意を払うことは当然のことだったでしょう。

冠位十二階や殿上・地下など身分関係を表す概念は複雑に絡んでいますので、そこまで考慮しなければならない場面では、「敬語で主語を判断せよ」はあまり有効ではありません。特に女子の身分は、作品表面には表れない父親の家系によって決まるのでなお厄介なことになります。
    • good
    • 0

この場面がどういう時期かによって違うかも知りませんが、この殿上人(源資通)は後に従二位まで登った貴族ですが、作者もまた名門菅原氏の流れを汲む菅原孝標の女であり、母の身内には「蜻蛉日記」の作者藤原道綱母(藤原氏)もいますし、このとき作者は「祐子内親王家」へ女房として出仕していました。

清少納言の例でもわかるように、殿上人と対等にして不思議ではありませんでした。同輩の女房はどういう人か分かりませんが、女房どうしは対等でした。
 それに、この人達ヘの敬語はすべて作者が使用したのですから、作者の判断で為されたものです。もちろん社会的な身分制度にかなり支配されてはいますが。(源氏物語の敬語もすべて作者紫式部の判断で使われています)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。作者の都合で敬語が自由に使われるとは・・・。難しいですね。

お礼日時:2018/11/05 18:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!