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ここにあるような話を時折目にします。「キリスト教にもあった輪廻転生」の項、参照。初期の聖書には、輪廻転生が説かれていたが、公会議によって削除された、だからキリストも本来輪廻を説いていた・・と。

しかし、こういう書き込みをされているのは、ほとんどが神秘家のたぐいか、その類の書を根拠としている人で、「~らしい」ということを、さしたる根拠もなく「~~~だ」と書き換えて、適当に書いているように見えますし、まだどういう内容が削除されたのか、きちんと説明されたものを見たことがありません。「古代の聖書には、輪廻思想があった」という結論だけが唐突に示されます。

これについて詳しく論拠を上げつつ説明した、本、論文、HPなどご存じでしたら、教えてください。「~だそうだ」ではなくて、きちんと批判に耐える説明をしてくれているものです。宗教的信条については尊重したいとは思いますが、削除されたという事実があったのか、その削除された部分がなぜ削除されたのかという、歴史的考察あるいは、史料を抜きになさらないようにお願いしたします。教義だけの開陳になりましても、私には、是非の判断ができません。

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A 回答 (2件)

 


>「古代の聖書には、輪廻思想があった」という結論だけが

「古代の聖書」には輪廻思想が記されていた、というような事実はありません。何故断言できるかと言えば、『新約聖書』の正典文書であって、輪廻思想を記している文書は「ない」からです。

参考URLのページには、「外典」には記されていたというような記述があるでしょう。「外典」というのは二種類の意味が主にあり、一つは、カトリックや東方教会が認めている「正典」であって、プロテスタント諸派は「正典」と認めない文書です。カトリックではこれを、「第二正典」とも呼んでいます。

この意味の「外典」以外に、キリスト教の「正統教会」がかつて一度も正典と認めなかった、イエズスの福音やキリストの救済などについて記された文書が多数あり、これらが一般的な意味で「外典(アポクリファ)」と呼ばれます。しかし、この意味のアポクリファは、『新約聖書』の文書ではなく、従って『聖書』の文書ではないのです。

『新約聖書』というのは、紀元1世紀後半から2世紀にかけて、色々な人やグループが編集し記録した文書を、紀元3世紀から4世紀頃にかけて、原始教会(初期キリスト教集団)が「正典」として承認した文書の全体を意味しています。「正典の選択と編纂」という作業があったのです。

またキリスト教という宗教も、325年のニカイア公会議における「三位一体教義」の基礎公認と、381年のコンスタンティノープル公会議における、三位一体教義の追認等を通じて、事実的には、3世紀から4世紀にかけて、「或る教義を備える、まとまりのある宗教」として構成されたのであって、この4世紀頃に確定した教会の教えに合うような信仰を述べていた過去の集団などが、時間を逆にして、「原始キリスト教集団」として、後から認定されているのです。

以上のことが正しいと、どうして分かるかと言うと、初期キリスト教の歴史について記された、新約聖書学に基づく学問的なキリスト教の歴史本を見れば、このように説明されています。(カトリックなどの教団が編纂しているキリスト教の歴史だと、「神話」と「歴史」が学術的に区別されていないことが多々あり、分かりにくい可能性があります)。

キリスト教の『正典=新約聖書』には、輪廻思想は出てきません。「復活の思想」はありますが、「復活」と「輪廻」は別のことです。

しかし、上で述べたように、紀元1世紀後半から2世紀、3世紀、4世紀と、イエズスやキリストの福音や救済を語る、様々な文書が存在しました。これらは「外典」であり、「新約文書」とも言います。

「新約文書」のなかの「外典」文書には、プラトンのイデアー論などが強く出ていて、魂のイデアー的永遠性や、肉体をまとっての幾度もの地上世界への誕生(つまり輪廻)などを、思想的に含む文書はあったと言えます。また、ギリシアのオルペウス教やピュタゴラス教なども、「輪廻」を認めており、こういう思想の影響が濃い新約文書には、「輪廻」の思想が入っているとも言えます。

しかし、このような思想を含む文書は、キリスト教の教えに合わないので、正典編纂において、除外され、『新約聖書』(また『旧約聖書』)には含まれていないのです。

>削除されたという事実があったのか、その削除された部分がなぜ削除されたのかという、歴史的考察あるいは、史料を抜きになさらないようにお願いしたします。

削除したのではなく、上で述べているように、そういう輪廻思想などを含む文書は、正典として認めなかったので、『聖書』には入っていないのです。

正統キリスト教の教えには「輪廻思想」は含まれないのです。しかし、例えば、有名なのは、12世紀から13世紀にかけて、南フランスで興隆した「カタリ派」という「異端分派」では、輪廻思想が、教えの一部として含まれていました。

(『聖書』というのは、最初からそういうまとまりのある一冊の本があったのではなく、異なる時代に異なる人やグループが書いた複数の文書を、後で編纂して一冊の本にまとめたのです)。

参考書(予備知識がないと何が書かれているのかも分かりません)
>『誰が新約聖書を書いたのか』バートン・L・マック 青土社
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>削除したのではなく、上で述べているように、そういう輪廻思想などを含む文書は、正典として認めなかったので、『聖書』には入っていないのです。

編纂途上で、輪廻を説くものは除外されて、外典にいれられたということなのですね。が、そうすると、結局『聖書』として編纂された書物には、輪廻思想はないといことになりますが、その編纂途上で、輪廻思想を説いたある書物なり文書を捨て去ったという事実はあったわけですね。削除ではないけれど、取捨選択されて、外典に回されたわけですね。それはキリストの思想ではない、とキリスト教会は考えたわけですね。
よく言われる「削除」というのは、少し勇み足で言葉が飛躍していますね。

ちなみに、その外典に回された輪廻思想ですが、それはギリシャ起源のものであり、イエスには縁もゆかりもないというのは、断言できることなのですか?
現在の『聖書』にあるかどうかキリスト教の公認であるかないかではなく、学問的に見て、です。神秘家につながるような学者?は、イエス由来と考えているのでしょう(本気かどうかは知りませんが)。


一体何が捨てられたのか、その部分についても知識がありましたら、お教え下さいますと幸いです。

お礼日時:2004/11/14 19:55

 


まず、maris は質問者の質問に対し、必要な回答は行っているという事実を認識してください。長く説明しているとキリがないような問題なので、簡潔にまとめて答えているのです。従って、わたしが補足で答えるのは、あくまで二次的な質問者の質問に対してです。

>削除ではないけれど、取捨選択されて、外典に回されたわけですね。それはキリストの思想ではない、とキリスト教会は考えたわけですね。

これについて maris は間接的には答えています。maris の回答のなかで、正典とされた文書は、「紀元1世紀後半から2世紀」の成立で、外典は「紀元1世紀後半から、2世紀、3,4世紀」の成立というように述べています。正典の成立は、『福音書』を maris は中心に考えていたので、「紀元1世紀後半」と書きましたが、『パウロスの書翰』だと、「紀元1世紀半ばから」になります。

ここで、「正典」と「外典」の違いは、初期キリスト教会が教えに合うものを選んだという以外に、多くの「外典」は、「正典」が成立してから、正典の文章などを材料に、他のギリシアの思想や、ペルシアやエジプトやインドの宗教の思想や、外典作者個人の思想などを含めて、「創作」しているという面が大きいのです。「イエズスの教え」というものが、あったとすると、正典の『福音書』に記されているものが、一番近いのです。

つまり、正典は、キリスト教会の教えに合う文書を選んだのですが、現代から見て、学術的に判断しても、正典の文書が一次的で、外典の文書等は、二次的な文献になっています。(キリスト教に関係する外典文書は、多く、グノーシス教の文書で、グノーシス教は、既存の思想や宗教の伝承や神話を援用して「創作神話」を造るという特徴があります)。

以上が一つの点です。

もう一つ重要なのは、maris は、「神話」と「歴史」というものを区別して述べています。この場合、キリスト教の「神話」とは何かというと、次のような「物語」です:

「― 紀元30年頃、ユダヤにイエズスという預言者が出現し、様々な教えを説き、病を癒し、奇蹟を行った結果、多くの信徒が生まれ弟子が出現した。しかし、ユダヤ教の保守派であるパリサイ派の人たちはイエズスを敵視し、総督ピラトゥスに讒言して、イエズスは十字架で処刑された。残された弟子達は、イエズスは復活してキリストになったという信仰を持ち、イエズスの教えを広く福音伝道し、その結果、キリスト教という宗教が広まった。 ―」

以上のような「話」は、四つの『福音書』と『使徒行傳』に記されているのですが、これは、「歴史的事実」とは確認できない、というのが、19世紀からの「史的イエズス」研究の20世紀における結論です。従って、最初にイエズスという預言者がいて、色々な教えを説いた結果、キリスト教が生まれたというのは、学問的には確認できないので、これを「神話」とするのです。しかし、カトリックをはじめ、プロテスタント諸派でも、この神話を「歴史」だとして、キリスト教の歴史を書いているのです。

また多くの一般の人も、これに引きずられて、キリスト教の歴史の最初には、イエズスの教えや奇蹟や病の癒しや、十字架刑や復活などがあったと書いているのです。

イエズスがいただろうとは想定できるのですが、歴史的には実在が確認できないのです。また、具体的に「何を教えた」のか、どういう意図をイエズスは持っていたのか、学問的には、仮説は立てられても、歴史的事実としては現時点では「分からない」のです。

歴史的に、イエズスは本当のところ、何を教えたのか分からないが、しかし、「これはイエズスの教えである」「これがイエズスの教えの言葉である」とされる、イエズスの「言葉集=語録集」というものは、存在したと学問的に考えられます。これを、『語録集Q』とも言います。

『語録集Q』に載っているイエズスのものとされる言葉を敷衍して、4つの『福音書』のイエズスの言葉が記されていると考えられるのです。残念なことに、『Q』は写本が発見されていません。maris が紹介しているバートン・マックは聖書学者ですが、『失われた福音書』(青土社)という本で、この『語録集Q』の復元を試みています。

この復元された『Q』から見ても、イエズスの教えに、「輪廻転生」の思想があったなどとは言えません。『Q』は、1世紀半ばには成立していたと考えられるので、イエズスがもし存在したとすると、その刑死の後、せいぜい20年か30年後にはできていたことになります。

「(新約)外典」は、1世紀半ばに遡るものは、基本的にありません。「外典」もまた『Q』を利用して、それに、別の起源の思想等を加えています。グノーシス思想が一般です。

>ちなみに、その外典に回された輪廻思想ですが、それはギリシャ起源のものであり、イエスには縁もゆかりもないというのは、断言できることなのですか?

イエズスの時代、つまり紀元1世紀は、ヘレニズム文化の時代で、地中海東岸世界、つまり、シリア、パレスティナ、エジプトなどには、東からペルシアのゾロアスター教やミトラス教、オリエントの宗教、またインドのヒンドゥー教や仏教の教えも入ってきていました。エジプトのイシス女神の宗教や、ギリシアのオルペウス教、ピタゴラス教、小アジアの太母神信仰なども入ってきていました。

イエズスの「真の教え」というのは、歴史的には確認できないのだと上に述べています。しかし、想定するなら、イエズスは仏陀と同様のことを教えていたとか、輪廻転生を教えていたとか、幾らでも「想像・空想」はできるのであり、時代的・文化的に、1世紀のパレスティナに、ヒンドゥー教や仏教の教えが入っていなかったというのは、こちらの方が証明しにくいので、想像だと、何でも言えるのです。

しかし、学問的には、『語録集Q』がイエズスの教えを反映しているということが、もっとも確かなことなのであり、『Q』には、明示的には、輪廻転生思想はないのです。

なお、輪廻転生というのは、特殊なものではなく、きわめて一般的な文化概念であるということは、以下の質問の maris の回答に述べられています:

(なお、ポイントを発行する場合は、「maris が貴方の本来の質問に回答している」のであって、わたしは補足を述べているのです)。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=503252
>No.503252 質問:輪廻転生について>回答 No.3
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=503252
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>まず、maris は質問者の質問に対し、必要な回答は行っているという事実を認識してください。

いえ、それは認識しておりますが、すこし不明の点を確認させていただいたのです。

>しかし、学問的には、『語録集Q』がイエズスの教えを反映しているということが、もっとも確かなことなのであり、『Q』には、明示的には、輪廻転生思想はないのです。

この部分が一番の結論になりますね。長文の回答ありがとうございました。よく分かりました。

参考URLも拝見しました。仏教思想の輪廻については、仏教研究者の方でも相当意見が分かれているようですね。「説かなかった」と「積極的に説くことはしなかった」とに分かれているようで、碩学ですら意見の統一を見ていません。キリストについても、同様の事情があるのでしょう。

ところで、一つ気になったのですが、marisさんとは同一人物でしょうか? お名前を呼び捨てにされることは、marisさんはご了承なのでしょうか? 過去回答を拝見するとmarisさんの補足をされているので、同一人物でいらっしゃるのであれば、別に呼び捨てもでも良いとは思うのですが・・・。了解を得ておられるのでしたら、気にされないでください。

ポイントは両方につけさせてもらいます。

お礼日時:2004/11/16 00:14

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Q輪廻転生について

素人の質問ですみません。
輪廻転生の考えは主に仏教の教えなのでしょうか。
キリスト教や哲学の考えには存在しないのでしょうか。

ご存じの方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

3番です。

回答者同士のでの意見は禁止されていますが、4番の方にお聞きしたい事があります。

ミトラ教ですが、私の知る限り、ミトラ教も、原始キリスト教も、輪廻転生を論じた例を知りません。
どちらかというと、終末論的なものを感じています。
ただ、ミトラ教に関しては、地域格差が激しく、一部に輪廻転生を信ずる宗派が無かったとは言い切れません。

ミトラ教が、輪廻転生を信仰していたとするのは、どこに書かれているのでしょうか?
ミトラ教の場合、転生ではなく、復活が強調されていたように思います。

弥勒信仰は、輪廻転生の考え方と矛盾する考え方です。
弥勒信仰は、仏教が、最後の審判型の宗教に影響されたために生まれたと考えるのが適切だと思います。
阿弥陀信仰も同様です。

本来仏教の持っていた輪廻転生の考え方が、ゾロアスター教やマニ教、ミトラ教などの影響で、転生から最後の審判型に変化したと考える方が、自然ではないかと思います。
その過程で、一部の宗派に、転生の考え方が取り入れられたかもしれませんが。

原始キリスト教が、輪廻転生の考えが有ったが、ローマカトリックが教義から外したのは、いつの事でしょうか?

そのような重要な事は、必ず公会議で決定されているはずですが、輪廻転生の考えを持ったキリスト教は、カタリ派以外知りません。
グノーシス派の一部に、輪廻転生に近い考え方も有りますが、まとまった宗派とはとてもいえない状況です。

プラトン哲学の中に、転生に近い考えは有るようです。
プラトン哲学を、あたかも宗教のように扱った宗派がヘレニズム時代のギリシャに有りました。
オルフェウス教です。

3番です。

回答者同士のでの意見は禁止されていますが、4番の方にお聞きしたい事があります。

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どちらかというと、終末論的なものを感じています。
ただ、ミトラ教に関しては、地域格差が激しく、一部に輪廻転生を信ずる宗派が無かったとは言い切れません。

ミトラ教が、輪廻転生を信仰していたとするのは、どこに書かれているのでしょうか?
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Q輪廻転生について

カテゴリーがあっているかどうかわからないのですがこのことに
ついて詳しく教えていただければと思います。
またわかりやすく説明している著書がありましたら
教えてください。

恥ずかしながらこれでも仏教の高校を卒業し授業も
受けていたのに、言葉だけで頭に残っていません。

いまさらながら少し勉強してみたいと思っています。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
これは難しい問題なので、簡単に述べます。

「輪廻」と「転生」は別の概念です。普通、一緒にして「輪廻転生」と言いますが、違う意味内容の言葉・概念です。

「転生」というのは、「生まれ変わり」ということで、世界の文化でほぼ普遍的に認められ、存在する考え方です。亡くなった人が、再び、別の人として、子供として生まれてきて、この世に「帰って来る」というような考え方です。

「転生」の場合にも色々と条件が付く場合があります。文化ごとでそれは違っています。例えば、良い行いをした人は、今度生まれてくる場合は、良い境遇に生まれてくるとか、生涯敵同士として闘い、殺し合った二人は、今度生まれて来るときも、敵同士になるとか、愛し合う二人は、今度生まれて来るときには、また恋人になるなどです。

一般的に、転生は、家族や親族内部で、または共同体の内部で起こるというのが普通の考えです。

「輪廻」というのは、サンスクリット語で「サンサーラ」と言い、元々ウパニシャッド思想(紀元前8世紀から6世紀頃)において、梵我一如(「ブラフマン=梵」と「アートマン=我」は本質的に同一であるという思想)の原型と共に、輪廻の思想も形成されました。

ウパニシャッドの輪廻の考え方では、「太陽の道」と「祖霊の道」というものが考えられ、後者は、「転生」の概念にほぼ近い考えで、死んだ後、魂は、雨水などと一緒になって、天から下りてきて、また女性の胎内に入り、生まれて来るというような考えです。

「太陽の道」は、「祖霊の道」を歩むと、どこまで言っても、転生を繰り返すに対し、死後、ある方法で、太陽の道に進ことができると、もはや、この世には、再び転生して来ない道があるという考えです。

「輪廻」とは、転生のなかで、「業(カルマ=行い=生前にどういう行動・生き方であったか)」によって、次の転生先や転生のあるようが決まり、この決定規則は厳密なもので、機械的に起こり、動物をむやみに殺していると、転生先は、殺していた豚や牛になるとか、ブラフマ階級の者は、儀式を行っている限り、転生してもブラフマ階級であるとか、非常に細かく規則が決まって来ます(それには、長い時間がかかりましたが)。

ヒンドゥー教、ヒンドゥー思想では、この運命決定論的「輪廻思想」が正しいとされています。その一方で、「不二一元論=ブラフマンとアートマンは本質は一つであるという思想」もヒンドゥー思想の中核にあり、輪廻論と、不二一元論は、どう調和するのかは、結局、輪廻もこの世の生も、すべて「幻(マーヤー)」であるということになります。

マーヤーから脱し、個人のアートマンが覚醒して、ブラフマンと一致するとき、輪廻の幻からも脱出するのであり、これを、「独存」とも言います(仏教では、「解脱」と言いますが、ヒンドゥー教では、違う表現ですし、内容も違います)。

「輪廻」というのは、元々古代インドに始まり、時代と共にインド文化で洗練されて来た、転生についての理論なのです。

仏教の「六道輪廻」は、このインドの輪廻思想と非常に密接な関係にあります。仏教はヒンドゥー教の異端とも言え、民衆に広く流布して行くと、ヒンドゥー教との境界が曖昧になります。仏陀釈迦牟尼は輪廻を唱えていませんし、その後の代表的な仏教思想家たちも、輪廻は説いていませんが、仏教の教えの一部に入り込んでしまいます。

仏教では「諸法無我」と言い、もろもろの事物には、それ自身で存在しているという性質(自性)がなく、従って実体でもないので、相互作用のなかで、変化する必然にあり、従って、「無常」であり、転生とか輪廻などは、「ない」というのが妥当なはずです。

しかし、仏教のなかに、輪廻の思想が実際には含まれていて、仏教の教えの一部としても、かなりな重要性で一般の人のあいだで説かれているので、仏教の輪廻思想、つまり、六道輪廻などの考えと、根本テーゼである、諸法無我はどう調和するのかという議論になり、「輪廻する主体=実体は何か?」ということが、仏教思想で重大な問題として、紀元の初期前後から議論されて来ました。

結局、そのような「実体=主体」は「ない」というのが、最初から分かっていた結論だったとも言えます。色々なものを輪廻の主体、つまり業(カルマ)の蓄積と転生での継承の主体と考えても、どうしても、そのような主体は、自性を持つ実体の側面を持つので、諸法無我と矛盾してくるのです。

仏教における六道輪廻については、それこそ、無数の解説書があるはずです。しかし、転生や、特定の形式の転生を、また広義に「輪廻」と呼んだ場合の輪廻は、世界中の文化に存在する考えです

例えば、西欧キリスト教文化でも、転生の考えは残っています。亡くなった祖父の名を、生まれて来た男の子に付けるのは、新生児が亡き祖父によく似た特徴があるとき(血のつながりがありますから似ていることは起こるのです)、これを亡き祖父の転生と考える思考があって、こういう命名をした古い時代の伝統が残っています。

中世キリスト教の異端または異教である「カタリ派」は、独特の輪廻思想を持っていたことが知られています。

輪廻転生というと、すぐ仏教に結びつけるのではなく、仏教の輪廻思想は、ヒンドゥー思想の輪廻の影響の元に生まれた考えであること、また、輪廻も転生も、世界の文化で、色々な形の考えがあるのだという視野が必要でしょう。

オンラインのブックショップの「アマゾン・ジャパン」で、「輪廻」とか「転生」のキーワードで検索してください。自分で、参考書を探す努力をすべきでしょう。

(仏教における「輪廻の主体」の問題については、次の質問の回答が、比較的に正確な話になっていると思います):

>No.431743 質問:輪廻の主体は何なのでしょうか
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=431743

>アマゾン・ジャパン
>http://www.amazon.co.jp/
  

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=431743,http://www.amazon.co.jp/

 
これは難しい問題なので、簡単に述べます。

「輪廻」と「転生」は別の概念です。普通、一緒にして「輪廻転生」と言いますが、違う意味内容の言葉・概念です。

「転生」というのは、「生まれ変わり」ということで、世界の文化でほぼ普遍的に認められ、存在する考え方です。亡くなった人が、再び、別の人として、子供として生まれてきて、この世に「帰って来る」というような考え方です。

「転生」の場合にも色々と条件が付く場合があります。文化ごとでそれは違っています。例えば、良い行いをした人...続きを読む


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