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なんかの映画で地球がここにあった証として何かを残して欲しいと異星人に頼むと、音楽が流れるようになりました 太陽の寿命で滅びる話しです 何十億年後は実際に起こる現象です 今この瞬間が愛おしく感じられませんか?

A 回答 (4件)

その時、大日如来が人類を救うそうです。

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私は逆に怖く感じますね


人類が作り上げてきた文明がまるでなかったかのように消えてしまうのは悲しいです
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この回答へのお礼

主人公は助けてもらえましたが、泣きながら地球に戻りました
宇宙船が通ると音楽が流れます

お礼日時:2018/11/12 06:48

科学的なことは分かりませんが、私自身の体験話を。


高校生の時に「なんとなく生きている意味が分からない」という状態になり、今で言うリスカと似ているのかもしれませんが、手首をカッターで切ったことがあります。
血が出た瞬間に馬鹿なことをしていると思い、その一度だけで済んだんですが、生きている意味が分からないと言う状態は続いていて、部活を終えて暗い夜道を帰宅する途中、ふと、久しぶりに星空を見て、「私が死んだら少なからず親は悲しむだろうけど、この星空はなんにも変わらない」と思い、ますます自分がちっぽけだと思えて、余計に虚しくなりました。

でも、部活の大会や進路・受験などでそういう考えから自然と遠ざかった大学一年の時、専門外の宇宙科学の講義を受けてみたんです。

たぶん、高校でもそういう授業はあったような気がするんですが、冒頭にも書いた通り、科学を含めた理数系が苦手だったもので、大学でのその基本中の基本の講義が新鮮に感じられ、教授(講師だったかも)の話に耳を傾けていたら・・・

「今、皆さんが見ている星ですが、もうその星が消滅している可能性はあるんですよね。」

え!?でした。

「例えば、30光年離れた距離にある星の光は、30年かけて私たちの目に見えるわけですから、その30年の間にその星が消滅していても、人間の目で見える範囲では、消滅しているかどうかは確認できないということですよね。」

もう鳥肌モノでしたよ。
そして、高校時代の自分の無知、無知の上にあぐらをかいて身勝手な妄想に浸っていた自分を非常に恥じました…「穴があったら入りたい」まさにこの通りの状態でした。

あなたのこのご質問を読んで私のこの過去を思い出したわけですが、・・・そうですね・・・日々の暮らしに追われていたり、日常生活を当たり前のこととしてそれに慣れてしまうと、将来を考えたとしてもせいぜい自分や子供が死ぬまでの未来で、地球が存続するまでなんて全く考えませんね。

映画鑑賞が趣味なので、地球が滅亡する映画も観たことがありますし(ノウイング)、ギリギリのところで人間が地球を守る映画も観たことがあります(コア)。
でも、私自身は地球が存在した証を残しておきたいと思うだろうかと考えると、それは無いんですよね。
極端に言えば、自分が死んだら子供にですら忘れてもらっても構わない、というくらいなので。
でも、自分が実際に愛した人や動物や植物のことは、死ぬまで忘れたくないという矛盾した想いもあります・・・たぶん、地球が存在した証を残したいと思ったその映画の主人公は、心から愛する人がいたんだろうと思うし、その人と紡いだ時間に対しても愛を抱き、その人が関わっていない全ての人類や生き物・人間が創造したモノへの愛もあり、これらの愛するモノたちの土台となってきた地球という人間一人では抱えきれるわけがないものにも心を傾けられる人なんだろうな、と。
そこには、滅びるまでの地球の歴史への愛もあると思うし。

ですから、私個人の今の瞬間の愛おしさよりも、そんな風に自分以外のモノたちへ愛を感じられるその主人公の方に、畏敬の念のようなものを感じます。
人間なのか?とすら思いますよ。
人知を超えた存在なのではないか・・・進化した生物とか。
何十億年も先の話だからこそ、人間だけではない全ての生命体がそういう方向性へ進化する可能性も否定できないような気がするので、そういう可能性を秘めているかもしれない生き物に対する愛おしさを感じますね。
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音楽とは、人間が個人の「経験・体験」を通じてそのように感じられている「感受性」「二次的な感覚」です。


今の「音楽」を、江戸時代の日本人や古代人が「美しい」とか「愛おしい」ととらえるかどうか分かりません。
鉄腕アトムには「空気の振動」「合成された振動波形」としか受け取れませんでした。
犬や猫、動物や鳥たちには、「音楽」は雑音と区別がつかないでしょう。

どんな雑踏の中でも、知っている人の声、自分を呼ぶ声、外国の雑踏の中で聞こえる日本語を他の音から区別して聴き分けるなども、人間の経験的な認知能力のようです。
音楽も、そんなものの一種なのでしょう。

なので「音楽」が極めて人間的なものであることは確かですが、それが普遍的、人間を超えた宇宙的なものと考えるのは間違いでしょう。あくまで「地球上に暮らす人間の五感だけに通用するもの」です。

だから

>地球がここにあった証として何かを残して欲しい

というよりも、「人類という生物がここに存在したという証」といった方が正確でしょう。「地球」の主役が人間だけではない以上、音楽が「地球の存在のあかし」にはなり得ません。
もし、そうお考えだとすれば、それは人間としての思い上がりです。人間は、極限すれば地球に「迷惑」しかかけなかった存在ですから。

>太陽の寿命で滅びる話しです

残念ながら、それよりもずっと前に、人間どうしの食料や水や空気の奪い合い、エゴや自分本位の考え方によって、人間自身が自分達を滅ぼす事態が先に来ます。
今のアメリカや北朝鮮、シリアやアフリカなどを見ていて、人類が「何十億年後」までを生き延びられると考えられる方がよほどおめでたいと思います。この100年間に、人間はどれだけの他人を殺したのでしょうか。
日本の食料自給率は40%以下、エネルギーの自給率は6%。国際情勢に何かあれば、日本人の半分以上は生き延びられません。

ちょっと、意図的に悲観的、批判的な書き方をしました。気を悪くなさらないでくださいね。
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この回答へのお礼

映画のストーリーですから
誰も人類が数十億年続くと思ってませんよ

お礼日時:2018/11/06 10:42

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