【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

他のカテのお礼に次の文を書きました。
「<定員割れ>が2割以上、とは大きい気がしますが。」
”多い気がしますが”と綴れば無難だったのでしょうが、少し茶目っ気が出て、“大きい”と書きました。
ところで”大きい”は不適切ですか?.

A 回答 (7件)

「率」は、「高い」が一番素直ですかね。


 ただ、「大きい」が×とも言い切れないような。先行コメントにあるように「インパィト大きい」、「影響が大きい」などの解釈もあるでしょうし。
 このテのことはあまり決めつけずに、ゆる〜く考えるほうがいい気がします。
 たとえば、「可能性」ならどうでしょう。
「(おおいに)ある」「高い」「大きい」「強い」……どれもアリでは。変化球では「可能性に富む」なんてのもあります。
 考え始めると迷路に入ります。詳しくは下記をご参照ください。
【ある/ない 高い/低い 大きい/小さい 強い/弱い 多い/少ない 富む/乏しい】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1325. …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうござました。
<「率」は、「高い」が一番素直>なのですね。
<ただ、「大きい」が×とも言い切れない>のですね。
<「可能性」なら><「(おおいに)ある」「高い」「大きい」「強い」><富む」>なのですね。
多岐であることは、凡人にとってはありがた迷惑・猫に小判です。

お礼日時:2018/11/10 16:24

円グラフなどを思い浮かべるとわかりやすくなると思うのですが、「<定員割れ>が2割以上、とは(占める部分が)大きい気がしますが。

」という意図になり得るので適切でしょう。
あるいは、「<定員割れ>が2割以上、とは(定員との差が)大きい気がしますが。」という意図にもなり得る。
むろん、「<定員割れ>が2割以上、とは(2割以上という数値は)多い気がしますが。」という意図もアリ。

いずれにせよ、どちらの意図で表現するほうが自然であったのか、という前後の脈絡次第でしょうね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
いま振り返ってみますと、<どちらの意図で>は、はっきりすないのですが、
おそらく(無責任ですが)、<「<定員割れ>が2割以上、とは(2割以上という数値は)多い気がしますが。」という意図>のようでした。
意図によって使う言葉を選択しなければならない、のですね。

お礼日時:2018/11/10 19:14

この場合は「大きい」でも「多い」でも構いません。

変なのは温度が暑い(熱い)「正しくは高い・大きい」とか、人口が多い(間違い易い)「大きい」、危険が危ない「大きい」。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<この場合は「大きい」でも「多い」でも構いません。>
私は、喋っている間に、いくつかの考えがこんがらかって、<温度が熱い>などを喋っているかもしれません。

お礼日時:2018/11/10 09:08

「インパクトが大きい」という意味では問題なし。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
数字ではなく、<「インパクトが大きい」という意味では>”大きい”も有り得る、のですね。

お礼日時:2018/11/09 20:54

「2割以上」は比率の話ですね。

比率対しては「大きい」「高い」が適切ではありませんか。しかし、打率3割以上は、自慢できますが、定員割れは「高すぎる」が適切かな。なんか、はっきりしない言い方で、すみません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<比率対しては「大きい」「高い」が適切>なのですね。
ただし、個別には<打率3割以上><定員割れは「高すぎる」>がお勧めですね。

お礼日時:2018/11/09 20:51

適切です。

人数なら多少ですが、比率ですから大小を使うのは当然です。
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この回答へのお礼

早速のお回答ありがとうございました。
<人数なら多少>、<比率ですから大小>ですね。
細かい使い分けがあるのですね。

お礼日時:2018/11/09 20:47

「多い」でしょうね。



お節介をすれば
「『定員割れが2割以上』というのは多い気もしますが。」
と直したいところです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
やはり<「多い」でしょうね。>になるのですね。

お礼日時:2018/11/09 20:51

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かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

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なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
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「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
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上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
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Q漢字をひらがなに改める問題文の意味がわからなくて困っています。

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         ___
漢字を、ひらがなに改める

なお、私は下記の2つの解釈が考えられ、1かなと思いました。

1. 「改める」に傍線がひかれているものの、傍線部の漢字は「改」のみのため、回答は「あらた」。

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(出典 https://ameblo.jp/raven-jj-rambo/entry-12404682794.html )

Aベストアンサー

#12です。

>「スタッフのやり甲斐を見いだせる機会を作れるか」は、「スタッフのやり甲斐をどう見いだすか」とすればより自然になるのではないでしょうか。

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>「お楽しみブログだから間違いや意味不明なところがあっても構わない。誤記やてにをはなどをいちいち気にしていたら、楽しくブログを書くことはできない」

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私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
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これが、私の仮説で、根拠は以下のとおりです。

・現代日本の話し言葉と100年前の話し言葉はかなり違う。
・現代日本の話し言葉でも東北や鹿児島のお年寄りが方言で話している内容は、我々にはほとんど理解できない。
・中国語の文法は英語とほぼ同じであり、韓国語と日本語の文法もまたほとんど同じである。
・発音の特徴でみると、中国語と韓国では似たような発音もあるが日本語の発音は全く違っていて、日本語にはsとsh、rとLなどの発音の違いはない。
・古代中国の船は黄河や揚子江をさかのぼったり、渡河することが主な目的のため、古代ヨーロッパのような外洋船の造船技術や航海技術は有していなかった。
・このことから、古代における中国と日本の航海ルートは朝鮮半島経由のルートしかなく、他のルートについては漂着レベルである。
・古代における朝鮮半島と日本の航海ルートは、壱岐・対馬経由で、昼間の見通し航海が通常の方法。
・663年の白村江の戦いにより、日本と朝鮮半島との国交が途絶え、これ以後の遣唐使は、東シナ海経由による中国と日本の直接ルートになったが、遭難確率が異常に上昇する。
・また、日本に外洋船の造船技術や航海技術がないことが遣唐使の廃止に繋がり、遣唐使廃止により中国との公式な国交も途絶え、これ以後、日本語は独自の発展を遂げる。
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・李氏朝鮮時代の1446年にハングル文字が出来上がったことで、韓国は漢字を捨てハングル文字になっているが、これは全ての文章をひらがな文字のみにしているのと同じこと。現代日本人には到底考えられないことです。
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以上長くなりましたが、とってもとっても素敵な質問、ありがとうございました。

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着し...続きを読む

Q言葉の質問です。 “良きにはらう” の意味を教えてください。色々検索してみたのですが意味が出てきませ

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すでに回答があるとおり、殿様の常套句です。「よきに計らえ」。
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#14です。

1.
補足欄を中心に読み直していたのですが、少し述べさせていただきます。
まずですが、大辞泉の分類は、次のように考えてよいのではないかと思います。
「こと」=【「もの」が一般に具象性をもつのに対して、思考・意識の対象となるものや、現象・行為・性質など抽象的なものをさす語。】である。
つまり、「こと」はすべて抽象名詞。
そのうち、【他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する「こと」】は形式名詞にあたる。
つまり、形式名詞以外の「こと」が実質名詞。
「こと」という抽象名詞には実質名詞と形式名詞がある。


2.
何かのご参考になるやもしれず、#10、アスナロウさんの下記ご見解について、若干の反論を述べさせていただきます。
同時に、「形式名詞」の定義に関して、大辞泉及び大辞林に対し異議を申し立ててみます。

>『大阪でのことは忘れないでください。』の『こと』も同じ<抽象(形式)名詞>です。<この「こと」は出来事の意味だ>というのは、「大阪でのこと」という個別の具体的な話者の認識を表す句、または文での【意味】をいっており、辞書で規定している語の意義ではありません。語の意義と文での意味を混同した混乱です。意義とは辞書に示す語の規範としての概念のことです。

「こと」が抽象名詞であるのはすでに述べたとおりですが、形式名詞ではないと思います。
「形式名詞」の定義については、大辞泉も大辞林も似たり寄ったりですが、【それ自身では実質的意味を表さない語】だけで語釈として十分ではないかと思います。
【連体修飾語を受けて名詞としての機能を果たす】という要素も併記されている点が極めて不満ですね。
なぜなら、「連体修飾語を受けていても、それ自身で実質的意味を表す語」は存在すると思うからです。

『大阪でのことは忘れないでください。』は、
『大阪での [ 出来事 ] は忘れないでください。』という実質的意味を表わしているので実質名詞である、というのが私の考え。
<この「こと」は出来事の意味だ>に関して誤解があるようです。
『語の意義と文での意味を混同した混乱』でもありません。
私が申し上げたのは、<この「こと」は、出来事を意味する語として使われている>ということです。
つまり、文での意味のみならず、語義も「出来事」だ、ということ。
少なくとも、文での意味で [ 出来事 ] という実質的意味を持ち得ているなら、それは実質名詞と呼ばれるべきではないか、ということでもあります。

『大阪のことは忘れないでください。』という文での「こと」は、大阪の内容・様子・風景など「大阪の属性に関する事柄」を(一般的には)意味しています。
何か具体的な「出来事」を指しているわけではない。
つまり、「大阪」という語が無ければ実質的意味を持ち得ない語として使われている。
それゆえ「形式(名詞)」なわけです。
『大阪でのことは忘れないでください。』とは明らかに異なる「こと」の用法でしょう。
『大阪のことは忘れてもいいけど、大阪でのことは忘れないでください』といった文についてもご検証いただければ幸いです。
以上、若干独断が入り過ぎたかもしれませんが。

#14です。

1.
補足欄を中心に読み直していたのですが、少し述べさせていただきます。
まずですが、大辞泉の分類は、次のように考えてよいのではないかと思います。
「こと」=【「もの」が一般に具象性をもつのに対して、思考・意識の対象となるものや、現象・行為・性質など抽象的なものをさす語。】である。
つまり、「こと」はすべて抽象名詞。
そのうち、【他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する「こと」】は形式名詞にあたる。
つまり、形式名詞以外の「こと」が実質名詞。
「こと」...続きを読む

Q普通、「歌わないです」は間違った文です、この文「ミュージカル出演、もちろん歌わないですけど(笑)」、

普通、「歌わないです」は間違った文です、この文「ミュージカル出演、もちろん歌わないですけど(笑)」、玉城裕規インタビュー(下)の「歌わないですけど」はなぜ成立できるのか、聞きたいんですが、ぜひ教えていただきたいです。

Aベストアンサー

#6です。

誠に申し訳ありません。
辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。(大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています)
お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。


「です」は、昭和初期ぐらいまでは、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方から、「歌わないです」ではなく「歌わないものです」のような表現が一般的だったようです。
「歌わないでした」と過去形にすることができないことなどから、「用言+です」の形は不安定だという認識があったらしい。
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https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/8/10.pdf
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誠に申し訳ありません。
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